やさしい経済学 ゼロ金利の解除

第5回 金利か通貨量か

渡辺 努
ファカルティフェロー

金融政策運営に関しては古くから中央銀行の操作対象(変数)は金利か、それとも通貨供給量か、という論争がある。日本銀行が3月上旬まで5年間続けた量的緩和政策は貨幣量を操作対象とするものだった。一方、解除後は操作対象を金利に戻したとされている。金利と貨幣量はどう関係付けるべきだろうか。

重要なのは、金利と貨幣量の両方を中央銀行がそれぞれ独立に動かせるわけではないという点だ。貨幣の需要・供給曲線からすれば「金利と量はコインの表と裏の関係」にあり、基本的にどちらかを決めればもう一方は自動的に決まってしまう。

ところが、5年前の量的緩和策導入時には、この基本を忘れたかのような議論が展開された。「金利(コール翌日物)がゼロになってしまったのだから操作対象を量に切り替えるべき」といった議論だが、それが誤解であることは先のコインの比喩からもわかる。金利操作で実現できないことは量の操作でも実現できないのが原則である。

ウッドフォード氏(現在コロンビア大)らは近年の論文で、金利と量がコインの裏表という関係がゼロ金利とその近辺でも成立することを厳密に示した。金利がゼロということは貨幣保有の機会費用(貨幣でなく他の金融商品で運用した場合に得られる利益)がゼロということであり、そのときには、人々は貨幣をこれ以上保有したくないという飽和点に達している(貨幣の限界効用がゼロの状態)。

このように人々がもう要らないと言っているときには、中央銀行が追加の貨幣を供給しても実態経済に影響を及ぼすことはできない。つまり、金利がゼロでこれ以上利下げできないときに操作対象を量に切り替えてみても事情は変わらないというわけだ。

この論文に従えば、操作対象を金利から量に切り替えた5年前の決定には意味がなく、量から金利へという今年3月の転換もその面では重要な意味をもたないことになる。もっとも、量的緩和策では、本来必要な額以上に資金を市場に供給してまで金利をゼロに張り付けることで、いわゆる「時間軸の効果」(通常なら利上げの状況になっても、すぐにはゼロ金利を解除しないと事前に約束することで長めの金利の低下も促す)をもたせることも狙っていた。つまり量的緩和策の解除で変化があったとすれば、それはこの効果を狙わなくなった点だといえる。今後の金融政策論議はこうしたことを整理して進める必要があろう。

2006年6月9日 日本経済新聞「やさしい経済学 ゼロ金利の解除」に掲載

2006年6月21日掲載

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