ゼロ金利解除に関しては「金利引き上げで景気が失速し再びゼロ金利に戻るというリスクが十分下がらない限り急ぐべきでない」という見方がある半面、「先々利下げが必要な局面になっても困らないように、政策金利を正常な水準まで早めに引き上げておくべきだ」との声も少なくない。どう考えればよいのだろうか。
ハーバード大のサマーズ氏(米元財務長官)は1991年の論文で次のように指摘している。自然利子率が負に落ち込むショックが起きた場合(数年前の日本の状況=第2回参照)、中央銀行は実質市場利子率を自然利子率に合わせ負にしたいと考える。それによって仮想的な経済と同じ望ましい状態を実現できるからである。もしショック前の物価上昇率がゼロだったとすると、その実現には負の名目利子率が必要になるが、これは不可能である。
一方、ショック前の物価上昇率がかなりの正の値なら名目利子率をゼロに近づければ実質利子率は負にできる。それには、中央銀行があらかじめ目標物価上昇率をゼロではなく、かなりのプラスに設定しておけばよい。これがサマーズ効果(負の実質金利への誘導)とよばれるものだ。
論文が発表されたころ日本経済はバブル末期にあり、日銀がゼロ金利に直面することなど誰が予想しただろうか。まして米国が2003年にそれに近い問題で悩むことなど想像もできなかったに違いない。この面ではサマーズ氏に先見性があったといえる。
こうした点から何がいえるだろうか。日本における自然利子率の低下が人口減少など趨勢的な要因にも促された点を考えれば、この利子率が再び負になる可能性は小さくない。そうしたリスクを意識した政策運営がなされるべきであろう。
現在、日銀は物価安定の「目安」として0-2%(中心は1%)の上昇率を掲げるが、これより高い物価上昇率を目標として設定すべきだとする論者もいる。そうした見方は、サマーズ提案に基づく限りでは妥当性をもとう。
冒頭に触れた先々の利下げの「のりしろ」を確保するための利上げという考え方は、一見サマーズ効果に通じるようにみえるが、誤解だろう。金融政策の緩和効果は利子率の変化幅によって決まるのではなく、水準によって決まると考えられるからである。将来の自然利子率低下への備えとして日銀が確保しておくべきは、高めの名目利子率ではなく、高めの物価上昇率であろう。
2006年6月8日 日本経済新聞「やさしい経済学 ゼロ金利の解除」に掲載