やさしい経済学 ゼロ金利の解除

第3回 フリードマン則

渡辺 努
ファカルティフェロー

ゼロ金利の解除をめぐっては、デフレ脱却を見極めるべきで急ぐ必要はないという見方がある半面、早期の解除を求める人々の中には、前回述べたような自然利子率からのかい離などに加え、ゼロ金利それ自体の異常さを指摘する向きがある。今回は金利ゼロが本当に異常かどうかを考えてみよう。

まず大切なのは、名目利子率がゼロより下がらない理由を知ることだが、それは単純で、貨幣(現金)の金利がゼロだからである。もし債券の利回りが負だとすると、投資家は債券を売って金利ゼロの現金に換える。その結果、債券の価格は下落し、金利はゼロに上昇して負の金利は解消されるというわけである。

では、なぜ貨幣の金利はゼロなのか。ゼロでなければいけない絶対の理由はない。各個人のお札の保有期間を記録しそれに基づいて金利を払うのが煩雑なだけなのだ。

こうした点を踏まえて最初の問いに戻ろう。貨幣に金利が付かないという現行制度を前提にすると、経済学の論理からは、名目利子率がゼロという状態は異常どころか、むしろ非常に望ましいという驚くべき結果も得られる。これは「フリードマン・ルール」とよばれるものである。

提唱者でマネタリストのM・フリードマンによると、金利ゼロという状態は、社会に十分貨幣が行き渡り、人々が貨幣をもつことの恩恵に最大限浴している状態であって、実に望ましいのだという。ここで貨幣の恩恵とは決済サービスの享受であり、中央銀行は貨幣供給量の調整を通じてこれをコントロールできる。では、なぜ金利がゼロのときに恩恵を最大化できるのか。

彼によれば決済サービスの供給に必要な費用は紙幣の印刷代だけで、ほぼゼロだからである。費用ゼロで供給できる決済サービスを出し惜しみする理由はない。貨幣が空気や水と同様に、人々にとって有難くなくなるまで増やすのが最適で、そのときに成立するのが決済サービスの価格ゼロ、つまりゼロ金利である。

問題を抱える銀行や企業が金融危機のさなか曲がりなりにも決済を継続できたのは、決済サ-ビスの価格がゼロになるまで貨幣が潤沢に供給されたからであり、社会の欲するだけの貨幣を供給するというフリードマンの提案どおりの政策が実行されたともいえる。だがそうした政策は同時に深刻なモラルハザード(問題企業の延命など)をもたらした。貨幣供給の費用が印刷代だけではないことも身をもって学習したといえよう。

2006年6月7日 日本経済新聞「やさしい経済学 ゼロ金利の解除」に掲載

2006年6月21日掲載

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