やさしい経済学 財政の規律とルール

第2回 ポアンカレの奇跡

渡辺 努
ファカルティフェロー

財政政策ルールを議論する手始めに、財政規律が損なわれた状況を考えてみよう。そうした状況で何が起きるかを知ることは、望ましい財政政策ルールについてヒントを与えてくれるからである。

財政規律に関する有名なエピソードに「ポアンカレの奇跡」がある。第一次大戦後のフランスでは戦争のために財政が大幅に悪化し、それを反映して通貨フランが急落していた。

当時、自国通貨安の原因が貨幣や国債の財政的な裏づけの弱さにあることは政治家を含め広く認識されていた。つまり、フラン危機は金融政策の問題ではなく財政の問題であると認識されていたのである。例えばケインズは「貨幣改革論」のなかで増税によって国債の裏づけを強めることを提案している。

こうしたなかで、フラン防衛のために財政を立て直す試みが続けられたが、左翼連合内閣が提案する財政再建計画は次々と否決され、そのたびに政治も混乱する状況が続いていた。

1926年に入るとフランは年率100%超の減価という暴落が続いていた。これを反映して当時物価も猛烈な勢いで高騰し、経済はパニック状態にあった。そうした混乱が極限に達したところでレイモン・ポアンカレ元首相が復帰、彼の率いる国民連合内閣に交代して、ようやく大きな転換が始まることになる。

ポアンカレは貨幣や国債の財政的裏づけに対する市場の疑念を晴らすべく、政権を握るとただちに間接税の大幅な増税などを中心とする措置により均衡財政を目指す財政再建プログラムを発表する。そしてこのプログラムが信頼を得ると、通貨下落と物価上昇に歯止めがかかり、フランスは危機を脱出する。

このように、財政規律が損なわれた多くの国では通貨危機に見舞われる。そこには(1)放漫財政のツケが自国通貨の下落圧力の形で顕在化する(2)政府は何とか通貨への信認を取り戻そうと躍起になり、そのために財政を立て直そうと試みる――という共通のパターンが観察される。

先のフランスの例では財政再建に成功したが、通貨の信認が問われるところまで悪化してしまった財政を立て直すのは容易ではない。実際に通貨危機の多くの例では政府がびほう策しか提示できず、その結果、市場の説得に失敗して大幅な通貨下落に陥っている。ポアンカレのエピソードが「奇跡」と賞賛されるのも、失敗例が多いからこそであろう。

2005年8月30日 日本経済新聞「やさしい経済学 財政の規律とルール」に掲載

2005年9月28日掲載

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