筆者が本欄で初めてインフレ目標政策について書いた1999年ごろは金融政策のルールというものに関心が薄く、インフレ目標という金融政策の仕組みについても懐疑的な見方が少なくなかった。しかしその後、物価下落などで経済が不安定化するなか、物価安定の支えが必要との考え方が浸透し学者、実務家を問わず多くの人がこの政策に関心をもち始めた。
このように、金融政策ルールについては理解が得られてきた半面、財政政策のルールをめぐる議論は十分といえない。議論される場合でも財政当局の行動を「縛る」道具としてルールの必要性が主張されており、中央銀行の意図を市場に「伝える」手段として金融政策ルールがとらえられるのとは対照的だ。
金融政策ルールと財政政策ルールの扱いが異なる背景に双方のルールは独立という考えがある。しかしこれは正しくない。第1に、経済学のモデルを用いて望ましい金融政策ルールを分析する場合、得られる結果は財政政策についてどのようなルールを想定するかに依存する。例えば金融政策ルールとしてインフレ目標が望ましいとの結論が得られるのは規律の高い財政ルールを想定した場合に限られる。仮に財政ルールが想定したものと異なればインフレ目標は適切ではない。それどころか、政府が規律に欠ける財政運営を行っている状況で物価安定を強く思考する金融政策ルールを導入すると、80年代のブラジルのように、物価高騰の悪循環に陥りかねない。
第2に、現実の経済をみても、インフレ目標の導入国では当局に高い規律を求める財政政策ルールを併用する傾向がある。例えば英国では90年代後半に金融政策の決定権限を政府から中央銀行に移し現在のインフレ目標政策の土台が築かれたが、その改革の際には「財政安定化規律」が財政政策ルールとして導入された。こうした点を考えれば、日銀にインフレ目標の導入を求める主張は、財政政策ルールとセットになってはじめて説得力をもつといえる。
財政政策ルールを無視して金融政策ルールを設計するのは不可能で、その逆も無理である。本稿では金融政策ルールとの関係から財政政策ルールについて考えていきたい。
2005年8月29日 日本経済新聞「やさしい経済学 財政の規律とルール」に掲載