美しい東北の再建-土地利用 根本を見直せ

山下 一仁
上席研究員

信じ難い規模の震災によって、尊い命を落とされた方々に、心より哀悼の意を表したい。また、かろうじて九死に一生を得た方々も、最愛の方を亡くされたり、住む家をなくされたり、心が張り裂かれんばかりの深い心痛を受けられているはずである。自動車が流されることさえ信じられないのに、家屋さえも津波に押し流され、まるでおもちゃのように、ぶつかり合って破壊され、津波が引いた後には瓦礫の山しか残らない悲惨さは、筆舌に尽くしがたい。

被害に遭われた方々は、今をいかに生きるかで頭が一杯であろうが、いずれ、今回の被害を二度と起こさないような地域に復興しなければならない。そのためには、木造家屋以外の堅牢な家屋を建設する必要があろう。雨露をしのぐ、目前の家屋も必要かもしれないが、拙速に家屋を建設するだけでは、再度の大被害を免れることはできない。

東北地方は、我が国有数の食料基地である。しかし、日本の農業・農村については、これまで無計画な土地利用によって、まとまって存在していた農地の真ん中に住宅、倉庫、工場、市役所などが建設された結果、周りの農地は日陰となるなど、農業生産、ひいては食料供給に支障を生じている。このような無秩序な土地利用は、景観をも著しく損ねてきた。都市的な地域が無秩序に農村部に張り出していくという戦後の乱開発は、国民から美しい農村風景を奪ったのである。

ベルギーから電車でフランスに向かうと、一面の小麦畑から、突然パリ市が浮かび上がる。ヨーロッパでは、農村と都市の区分がはっきりしている。ヨーロッパの農村は、ドイツでもフランスでもきれいである。一地域に住居が集まり、農家は周りの農地を耕作しに出かける。日本のように、新幹線の車窓から眺めて、住宅地が間断なく延々と続くという醜い風景は、ヨーロッパには存在しない。

首都東京は、東京大空襲によって、灰燼に帰した。しかし、目前の復興を優先させたために、パリのような美しい都市づくりを行う機会を、逸してしまった。戦後の東京には、幅員100メートルの幹線道路を8本も建設するという、雄大な戦災復興計画が存在していた。しかし、これを実行に移すことをためらっている間に、バラック(仮設住宅)が建てられてしまった。戦災復興事業を行うと、これらの立ち退きが必要となる。選挙を意識した当時の東京都知事は、大規模な復興を行わなかったのである。

これに対して、名古屋市は、戦災によって、路の狭い古いまちのままだった名古屋の中心部が破壊されたことを機に、約280の寺とその墓地を一か所に強制的に移転するなどの荒療治を行いながら、2本の100メートル幹線道路を整備するなど、整然とした町並みを持つ大幅な都市改造を行った。

今回の震災についても、拙速に復旧活動を行うのではなく、明日のあるべき地域の在り方について住民の間で十分に意見を交わし、しっかりした土地利用計画の下で、災害に強い強固な建物と地域を建設していく必要があるのではないだろうか。このためには、個別の土地所有権についても、見直すことも必要になろう。共同減歩というやり方がある。これは土地所有者が共通の負担率の下で土地を出し合い、公共用地を作り出すことである。また、土地を交換し合うという換地というやり方もある。幅員の大きい幹線道路を整備したうえで、住宅地は1カ所にまとめ、建物は鉄筋の高層集合住宅にし、間に住宅などのない、まとまった規模の農業用地を創造すれば、災害対応にも食料安全保障にも美しい農村景観にも、貢献できる。

しっかりした復興計画を樹立して、旧に倍する美しい東北の建設を行う。そのために必要な費用については、被害に遭わなかった者も含め、国民全体で負担していくべきである。そうすれば、いずれ東北は、我々国民全体に、美しい農村風景と豊かな農産物の実りをもたらしてくれることだろう。

2011年3月26日 新潟日報に掲載

2011年4月11日掲載

この著者の記事