農業界こそTPP推進で市場確保を

山下 一仁
上席研究員

米国や豪州が参加するTPPへの参加をめぐり、農業界は農業が壊滅すると強硬に反対している。農家一戸当たりの農地面積は、日本を1とすると、米国100、豪州1902であり、日本農業は米国や豪州に比べて規模が小さいので、コストが高くなり競争できないという主張がなされている。

貿易自由化に対して農業界が常に反対するのは我が国の特異な農業保護のやり方に原因がある。農業保護は、政府が農家に補助金を交付する「財政負担」の部分と、消費者が安い国際価格ではなく高い国内価格を農家に払うことで農家を保護している「消費者負担」の部分から成るが、消費者負担の部分は、アメリカ17%、EU45%に対し日本88%(約4.0兆円)であり(2006年)、日本の農業保護のほとんどは消費者が負担している。国際価格よりも高い国内価格を農家に保証するため、多くの品目で200%を超える高関税(コメは778%)を設定している。これに対し、米国やEUは直接支払いという補助金で農家を保護しているために高い関税は必要ない。

消費者負担型農政の問題は、高い価格で消費が減ることである。農産物の輸入自由化を行い価格低下分は直接支払いとして財政で農家に補償し、価格低下で消費が増えた分を輸入すれば、国内農家は国内生産の維持、国内消費者は価格低下、海外の生産者は輸出増加という利益を受ける。米国やEUは直接支払いという鎧で国際競争している。日本だけが徒手空拳で戦う必要はない。食料品価格の低下はリストラなどで所得が低下し生活に困っている人たちには朗報となろう。

しかし、関税をなくして直接支払いへ移行するという処方箋に農業界は抵抗している。農林水産省は対策を講じないでTPPに参加すると8兆5000億円の農業生産額が米の2兆円を含め4兆1000億円ほど減少するという試算を公表した。また、農業生産の維持のためには多額の直接支払い額が必要になるので現実的ではないと主張している。

この試算には作為的な誇張がある。最も影響を受ける米については、日本が中国から輸入した米のうち過去最低の10年前の価格を比較する海外の米価として採り、内外価格差は4倍以上なので、米農業はほぼ壊滅するとしている。しかし、中国から輸入した米の価格は10年前の60キログラム当たり3000円から直近の2009年では1万500円へと3.5倍にも上昇している。一方で国産の米価格は1万4000円くらいに低下しており、日中間の米価は接近し、内外価格差は1.4倍以下となっている。減反を止めれば、米価は約9500円に低下し、中国から輸入される米よりも国内価格は下がるので、関税ゼロでも対応できるようになる。研究者の中には日本米と品質の劣る海外の米の価格を比較するものもいるが、ベンツのような高級車と軽自動車を比べるようなものである。世界に冠たる品質の日本米は、米国や中国の街中で売られているような米ではない。

米国や豪州とは農家規模が小さすぎて競争できないので内外価格差は大きくならざるをえないという主張は、各国が作っている作物の違いを無視している。米国は小麦、大豆やとうもろこし、豪州は小麦もあるが牧草による畜産が主体である。米作主体の日本農業と比較するのは妥当ではない。米についての脅威は中国から来るものだが、その中国の農家規模は日本の3分の1に過ぎない。また、同じ作物でも面積当たりの収量や品質に大きな格差がある。

そもそも、農林水産省の主張とは異なり、日中の米価格の接近が示すように、自由化で内外価格差がなくなっても、価格低下分として農家に直接支払いする額は大きなものにはならない。また、農家全てではなく農業で生計を立てている主業農家にのみ直接支払いすれば、財政負担は圧縮できる。

さらなるコスト削減の可能性もある。米生産コストの高さは政策の歪みによって起きている。生産量を減少させるための減反政策によって、米作規模の拡大は困難となった。また、農地面積当たりの収量(単収)が増加すればコストは下がるが、米の消費量が一定で単収が増えれば減反面積が増加し、減反補助金も増えるため、単収向上のための品種改良は行われなくなった。減反をやめれば、規模も拡大し単収も増えるので、もっとコストは低下する。

規模の大きい米農家のコストは零細な農家の半分以下である。減反廃止による価格低下によって非効率な零細兼業農家が農業から退出すれば、直接支払いを受けて地代支払い能力の高まった主業農家は、農地を引き取って規模を拡大しさらにコストを下げることが可能となる。そうなれば輸出が可能になる。

これまで農業界が食料安全保障の名の下に高い関税で守ってきた国内市場は高齢化と人口減少で縮小していく。国内の需要が減少する中で、平時において需要にあわせて生産を行いながら食料危機時に不可欠な農業資源を維持しようとすると、輸出によって海外市場を開発しなければ食料安全保障は確保できない。輸出しようとすると相手国の関税は低い方がよい。農業界こそ市場確保のため輸出振興につながるTPPに積極的に対応すべきなのである。

週刊『世界と日本』2011年2月7日号に掲載

2011年3月1日掲載

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