混乱する民主党農政

山下 一仁
上席研究員

政府は来年度予算で、戸別所得補償制度を畑作にも適用するとともに、100億円の規模拡大加算を導入し予算総額を8000億円とすると決定した。規模拡大加算とは農家が規模を拡大したその年に限って増えた農地に限り10アール当たり2万円を支給するという制度である。TPPに参加するため、農業の低コスト化を推進したい菅首相は、12日山形県を訪問した際、「コメに関しては農地の集約化が重要だ」と力説したという。

戸別所得補償は零細な兼業農家を含めほとんど全ての農家に支払われる。農家にとっては米の市場価格に戸別所得補償を上乗せしてもらうので、実質的な手取り米価の引上げとなる。これは食管制度時代の高米価政策への後戻りである。食管制度の時代と同じく、実質米価の引き上げで、零細・非効率な兼業農家も農業を続けてしまい、企業的な主業農家に農地は集まらないので、米作の高コスト構造は改善しない。逆に、これまで主業農家に貸していた農地を兼業農家が貸しはがすという事態も生じている。

農林水産省は、規模の大きい農家ほど戸別所得補償の受取額は大きくなるので、さらに規模拡大が進むとしているが、大きな誤り(あるいは作為的な虚偽)である。確かに大規模農家の受取額は大きくなり、所得は増える。しかし、零細な農家が農地を出してこない以上、引き取る農地がないので規模拡大は進まない。食管制度のときも規模の大きい農家ほど米の販売収入は多かった。しかし、米価を上げれば上げるほど、規模拡大は進まなくなった。

水を流そうとしても、流そうとする方向への傾きや落差がわずかなものであれば、水は淀んでいるだけで緩慢にしか流れない。思い切って、水を流そうとすると傾斜や落差を大きくしなければならない。農地の流動化や集積も同じである。農地を流す方向と傾斜や落差が逆についてしまっているのが現状だ。この傾斜や落差を反転させ、さらに大きくするためには、どうすればよいのだろうか?

減反を廃止して価格(米売上高)を大きく引き下げれば、零細農家の要求する地代は大幅に低下する。その一方で、主業農家に限って十分な直接支払い(所得補償)を行えば、主業農家が支払える地代は高くなる。主業農家が支払える地代と零細農家が要求する地代の差を政策的に大きくするのである。そうすれば、農地は流動化する。

しかし、菅首相の意図とは違い、このような規模拡大加算が構造改革を進める力を十分持っていないことは12月1日付の小論で述べた通りである。

それだけではない。12月1日付の小論には、比較的規模の大きい農家が規模を拡大するときに加算金が交付されるという前提があった。しかし、19日付の朝日新聞は、「規模の大きな農家でも小さい農家でも農地を広げさえすればお金がもらえる」と報道しているのである。

12月1日付の小論で述べたとおり、戸別所得補償制度により実質米価が大幅に引き上げられた結果、農業の現場では、これまで農地を貸していたコストの高い小規模兼業農家が主業農家に貸した農地の返却を求める「貸しはがし」という現象が進展している。19日付の朝日新聞は、「農地集約阻む戸別補償」として、福島県の農業法人は借りている農地40ヘクタールのうち10ヘクタールを返さなければならなくなるかもしれないと報じている。明らかに農地の集約化や米作農業の構造改革への逆行である。

規模拡大加算はこのような戸別所得補償の弊害を少なくしようとするはずのものだった。しかし、「規模の小さい農家でも農地を広げさえすればお金がもらえる」となれば、どうなるのだろうか? 小規模兼業農家が「貸しはがし」をする場合にも規模拡大加算の対象となりかねないのである。

具体的な数値を挙げて説明しよう。10アール(1反)の水田賃貸料(全国平均)は1万4000円程度である。これは平均値であり、米収益の違いにより、例えばコシヒカリの評価の高い新潟県の賃貸料は2万円を超えているのに対し、隣の富山県では7000円以下である。10アール当たり平均米所得は2万6000円である。もちろん、規模が大きくコストが低いため収益の高い農家の所得はこれよりも大きいが、1ヘクタールに満たない規模の小さい農家には赤字農家が多い。10アール当たりの戸別所得補償額は1万5000円である。

戸別所得補償導入以前は所得ゼロのA農家は農地を貸して1万4000円の水田賃貸料を得ていたとしよう。しかし、戸別所得補償額1万5000円をもらえれば、農地を返してもらって自分で耕作するほうが有利であると判断するだろう。これが現在進行中の「貸しはがし」である。来年度「貸しはがし」すれば、さらに2万円のボーナスが出る。

話はこれで終わらない。米を作った時の所得がマイナス5000円のB農家は1万5000円の戸別所得補償をもらって耕作しても所得は1万円にしかならないので、まだ1万4000円の水田賃貸料をもらう方が有利である。しかし、来年度2万円の規模拡大加算をもらって4年間耕作すると、4年間の年平均所得は1万5000円(1万円+2万円÷4)になり、耕作した方が有利となる。5年目には農地を再び貸せば、1万4000円の水田賃貸料をもらうことができるし、貸した相手も2万円の規模拡大加算がもらえる。つまり、規模拡大加算はこれまで「貸しはがし」を控えていた農家にも「貸しはがし」を行わせる誘因を与えてしまうのである。また、農地は零細農家と主業農家の間を行ったり来たりするだけで、主業農家の規模は拡大しない。

では、農水省はこのようなケースを制度の対象から除外するのだろうか? 残念ながら、そのようなことは行いそうにない。バラまきと批判される戸別所得補償は「全ての農家が担い手である」という「理念」に立っている。小規模な兼業農家を規模拡大加算の対象から除外することは、農家を差別しないというこの小農保護の基本理念と対立することになるからである。

農協が反対してきた理由のひとつに、兼業農家も農地や水路の維持管理等地域農業にかかせない役割を果たしているというものがある。しかし、零細農家の営農活動は主業農家等への作業委託なしでは成り立たなくなっているのが現実ではなかろうか。さらに、零細農家は高齢化し、農地等の維持管理すら主業農家に依存するような実態になっている。ある福井県の若手農業者は、農業をやりたくて新規就農したのに農地や農道等の維持管理までさせられ、耕作に集中できないとこぼしている。

ビルの大家への家賃がビルの補修や修繕の対価であるのと同様、農地に払われる地代は地主が農地や水路等の維持管理を行うことへの対価である。かれらは農業のインフラ整備を担当しているのであって、農業から縁を切った存在ではない。地主には地主の役割があるのである。実際には、中山間地域において高額の地代・配当を地権者に支払っていることが中核的農業者への労賃比率の低下を招き、中山間地域農業の存続を危うくさせている。健全な店子(農家)がいるから家賃によってビルの大家(地主)も補修や修繕ができるのである。店子が疲弊すればビルの維持管理すらできなくなる。

農協が主張する「集落営農」も、リーダーや担い手がいなければ、一時的な補助金の受け皿にはなりえても、農業経営としては機能・永続しない。集落営農といってもコアとなる担い手が成長しなければ、先行きに赤信号が点滅するだけである。

2010年12月25日 新潟日報に掲載

2011年1月17日掲載

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