農業と政治

山下 一仁
上席研究員

我が国農政の特徴

所得は、価格に生産量をかけた売上額からコストを引いたものである。我が国農政の特徴は、農家所得を向上させるために、規模拡大や収量の増加によるコスト削減ではなく、手っ取り早い方策として価格を上げたことである。その典型が米である。

総農地面積が一定で一戸当たりの規模を拡大するためには、農家戸数を減らさなければならない。組合員の圧倒的多数が米農家で、農家戸数を維持したい農協は、米農業の構造改革に反対した。少数の主業農家ではなく多数の兼業農家を維持する方が、農協にとって農外所得や農地転用売却利益の農協口座への預け入れなどを通じた農協経営の安定や政治力維持につながるからである。高米価自体、農協の米販売手数料収入、肥料、農薬、農業機械などの農業資材販売の手数料収入を高くすることに貢献した。食管制度の時代、農協は生産者米価引上げのため一大政治運動を展開した。

農協の思惑通り、1960年代以降の生産者米価引上げによって、コストの高い零細な「兼業農家」も、高い米を買うよりも自ら米を作るほうが得になり、農業を続けてしまった。零細な兼業農家が農地を手放さなかったため、農地は農業だけで生活していこうとする農家らしい主業農家に集積されず、規模拡大による米農業の構造改革は失敗した。生産量も増えずコストも下がらないので主業農家の収益は向上しなかった。産出額に占める主業農家のシェアは、畑作82%、野菜82%、牛乳95%に対し、米は38%にすぎない(2005年)。また、米農業は戸数では全農家の70%を占めているにもかかわらず、農業総産出額の22%の産出しか生まない。他の農業と異なり、米農業についてだけ零細農家が滞留し構造改革が遅れているのは、農政に原因がある。しかし、多数の零細農の存続は、農地改革によって保守化した農村の票を取りまとめる農協とそれに依存する自民党にとって好都合だった。農協は戦後最大の圧力団体として君臨した。

食管制度が廃止された現在も、米価は減反という供給制限カルテルによって維持され、農家をこれに参加させるために、政府から年間約2000億円、累計総額7兆円の補助金が支払われてきた。減反面積は今では100万ヘクタールと水田全体の4割超に達している。500万トン相当の米を減産する一方、700万トン超の麦を輸入するという食料自給率向上とは反対の政策が採り続けられている。戦前農林省の減反政策案に反対したのは食料自給を唱える陸軍省だった。真の食料自給は減反と相容れない。

OECD(経済協力開発機構)が開発したPSE(生産者支持推定量)という農業保護の指標は、財政負担によって農家の所得を維持している「納税者負担」の部分と、国内価格と国際価格との差(内外価格差)に生産量をかけた「消費者負担」の部分 ― 消費者が安い国際価格ではなく高い国内価格を農家に払うことで農家を保護している額 ― から成る。各国のPSEの内訳をみると、消費者負担の部分の割合は、ウルグァイ・ラウンド交渉で基準年とされた1986~88年の数値、アメリカ37%、EU86%、日本90%に比べ、2006年ではアメリカ17%、EU45%、日本88%(約4.0兆円)となっている。アメリカやEUが価格支持から財政による直接支払いに移行しているにもかかわらず、日本の農業保護は依然価格支持である。国内価格が国際価格を大きく上回るため、高関税が必要となるので、WTOやFTA交渉に対応できない。

図表1:日本、アメリカ、EUの農業政策の比較
図表1:日本、アメリカ、EUの農業政策の比較

農政の動揺

しかし、貿易の自由化交渉が進展する中で、このような高価格・高関税政策がいつまでも維持できるものではない。ウルグァイ・ラウンド交渉は各国の輸入割当制度などを関税に転換したものの、1986~88年の大幅に開いた内外価格差を関税に置き換えるという「汚い関税化」を認めたため、各国の高い国内価格の引下げまで要求するものではなかった。

しかし、ドーハ・ラウンドで自民党農政は大きく動揺し、混乱した。2003年8月アメリカ・EUは農産物関税に100%の上限を設けることに合意した。このため、同月末、唐突に「諸外国の直接支払いも視野に入れて」農政の基本計画を見直すという農林水産大臣談話が出された。778%の米の関税率をそこまで下げると、EUのように直接支払いを導入しない限り日本農業は壊滅するからである。

しかし、これは2度後退する。まず、翌9月のWTO閣僚会議議長案で、米は上限関税率の特例にできるかもしれないという期待が生じたため、農水省は米を直接支払いの対象からはずすと表明した。次に、04年8月のWTO交渉枠組み合意で、一定の品目については関税引下げの例外を設けることができるかもしれないという希望的観測が生じた。関税を下げなくてよいのであれば、国内価格も下げなくてよい。このため、米のみならず麦、牛乳など他の農産物を含め価格引下げのための直接支払いは見送るという内容にさらに後退した。結局、農家保証価格と市場価格の差を補填している不足払いと呼ばれるWTOでは削減対象の麦、大豆などの補助金について、その7割をWTOでは削減しなくてよい直接支払いに移行するだけになった。

それでも、民主党のバラマキ所得補償案,に対抗して、対象農家を4ヘクタール以上に限定したことは評価できた。しかし、兼業農家も20ヘクタール以上の農地面積を集めて集落で営農すれば対象とするという例外を認めたため、兼業農家が借地で規模拡大してきた主業農家から農地を「貸しはがす」という規模拡大に逆行する事態も発生した。さらに、2007年の参議院選挙に負けた自民党は対象農家について市町村長の特例を認め、「対象者を絞る」政策からいっそう後退してしまった。

民主党はどうか。2003年までは、減反廃止して価格を引き下げ、影響を受ける専業農家に対象者を絞って直接支払いを行うというものだった。

しかし、2004年参院選のマニフェストでは、「対象者を絞る」という要素をはずしてしまった。そして2007年7月、自民党から対象者を絞らないバラマキの直接支払いと批判された「戸別所得補償」の導入と減反の廃止を主張した民主党は参議院選挙で大勝した。

さらに、小沢一郎氏の「関税ゼロでも自給率100%」という主張の前提には減反廃止による価格引下げがあったはずなのに、2008年に民主党「次の内閣」が承認した「当面の米政策の基本的動向」は減反維持への転向を表明し、2009年の総選挙では減反を条件とした「戸別所得補償」の導入を主張した。

結局、農政については、両党間に減反を維持して価格は下げないという点で大きな違いはなくなってしまったのだ。

次回、民主党の「戸別所得補償」政策や今回の参議院選挙における自民党とみんなの党の政策提案を分析したうえで、次次回では望ましい農政について提言することとしたい。

2010年7月25日号『週刊農林』に掲載

2010年8月11日掲載

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