農業ビッグバン 今こそ

山下 一仁
上席研究員

農業が雇用の受け皿として注目を浴びている。農業は高齢化が進んで人手不足だからということらしい。しかし2007年の農業の生産額は8兆2000億円で、パナソニック1社の08年3月期の売上高9兆700億円にも及ばない。パナソニックの従業員31万人に対し、農業就業人口は299万人もいる。農業の国内総生産(GDP)4兆7000億円を農業就業人口で割れば、1人あたりの所得は最大でも年間157万円、1カ月では13万円にしかならない。

農業は人手不足ではなく過剰就労なのだ。過剰にいる農業者が高齢化しているだけである。収益が低いから農業は後継者もなく高齢化してきた。収益を上げられなければ農業での雇用創出は困難である。就農説明会に人が集まったとしても、実際の就農には至らないだろう。

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他方で、農産物販売額が1億円を超えている企業体は、05年で農家2470戸、農家以外の事業体2616の合計5086もある。わずか4ヘクタールの傾斜農地で野菜の苗作りに特化し20億円以上を稼ぐ農家、労働を多く必要とする苗までの生産は外国に委託して15億円を稼ぐ花農家などがある。だが、このように企業的な経営で高収益を挙げている農家の多くは、花や野菜などあまり農地を必要としない農業分野である。

逆にコメなどの土地利用型農業は、関税や補助金などの手厚い保護で守られながら衰退してきた。零細な農家が多数存在し、収益は低く、高齢化、兼業化、耕作放棄が進んでいる。ただし、これは政策の失敗で生じたもので、大胆な政策転換を行えば、高い収益を上げることができ、雇用の受け皿になれる。コメ農家の平均経営規模は1ヘクタール程度であるが、20ヘクタール以上の農家の農業所得は1100万円を超えている。コメ農業の発展は食糧安全保障に不可欠な農地資源の維持からも必要である。

収益は売上額からコストを引いたものだ。土地利用型農業の収益を向上させるには、農地集積による規模拡大や単位面積あたりの収量(「単収」)の増加を図り、コストを低下させることが必要である。

ところが、第1に、都市的地域と農業的地域との区分による土地利用規制(「ゾーニング」)や農地法の転用規制が不徹底であるため、農地は大規模で虫食い的な転用がなされてきた。第2に、転用期待が生じて農業の収益還元価格を上回って農地価格が上昇したので、耕作者の農地購入が困難となったうえ、所有者は転用機会が実現したときに返してもらえなくなること恐れて農地を貸そうとしなくなった。第3に、高米価・減反政策によって零細兼業農家が滞留した。これらのために、売買にしろ賃貸借にしろ主業農家に農地は集積されず規模拡大は阻害された。

その限られた主業農家の農地面積についても、減反政策を40年も続けてきたため、スケールメリットを発揮できない。また単収を向上させればコストは下がるが、消費量が一定であれば減反面積を拡大せざるを得ず、農家に減反に参加させるための補助金を増やさざるを得なくなる。このため、品種改良による単収の増加も阻害されてきた。このように、政策によって日本農業がポテンシャルを発揮することは妨げられてきた。また、これらの政策は農地資源も減少させてきたのである。

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知人などに出資してもらい株式会社を作って農業に参入しようとしても、これらの出資者の過半が農業関係者で、しかもその会社の農作業に従事しない限り、農地法上認められない。資金を借り入れると失敗すれば借金が残るので、参入にはちゅうちょする。事業リスクを株式の発行によって分散できるのが株式会社のメリットだが、現在の農地政策はこうした方法で意欲のある農業者、企業的農業者が参入する道を自ら断っている。

今回の農地法改正で一般の企業も農地の賃貸借であれば参入できるようになった。これは前進だが、農地の所有権は取得できない。株式会社の農地取得を認めないのは、農地の所有者が耕作者であるべきだという、農地改革の理念だった「自作農主義」に農地法が依然としてとらわれているからだ。農地法は「所有と経営の分離」を認めていない。

また、借り手に対する規制を緩和しても、所有者が転用期待を持つ以上借りられないという状況は改善されない。農地の権利移動を制限している農地法を廃止した上で、欧州連合(EU)のようにゾーニングを確固たるものとすれば、転用期待がなくなるので売買や賃借権による規模拡大も容易になるし、農地改良など長期的な農地への投資も可能になる。一般投資家などが出資した株式会社で高い生産技術をもった農業者による大規模農業を実現できれば、国際競争力も向上できる。「所有と経営の分離」による農業ビッグバンである。

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減反を段階的に廃止して米価を下げれば、コストの高い兼業農家は耕作を中止し、農地を貸し出すようになる。そこで、一定規模以上の就業農家や意欲のある新規就農者などに直接支払いを交付し、地代支払い能力を補強すれば、農地は耕作放棄されずに主業農家に集まり、規模は拡大しコストは下がる。あわせてコメの先物市場を創設すれば、先物のリスクヘッジ機能によって農家所得は安定するし、財政による価格下落対策は不要になる。これらによって収益の向上した農業に、経営、商品開発、マーケティング等の知識や経験を持った人材を送りこむことができれば、雇用の創出だけでなく農業の発展にもつながるはずだ。

交付対象者を限定することで財政負担は現在と変わらないうえ、価格低下で消費者の負担は大きく軽減される。日本の米価(60キログラム当たり)は国内需要の減少により10年前の2万円から1万4000円に低下したが、日本が輸入している中国産の価格は2000円から1万円にまで上昇している。減反をやめれば、米価は約9500円に低下し、国内需要は1000万トン近くに拡大する。輸入米より国内価格が下がるので、事故米の原因ともなったミニマムアクセス米は輸入しなくてよい。関税も要らなくなるので世界貿易機関(WTO)や自由貿易協定(FTA)交渉で後ろ向きの対応をしなくてすむ。

価格低下によって、新しい需要も取り込むことができる。減反のおかげでおいしいコメへの品種改良は進んだ。食味では世界に冠たる日本米が価格競争力を強化すれば、発展するアジア市場に参入できるようになる。減反を廃止するだけで輸出が視野に入り、さらに規模を拡大すれば輸出を活発に行えるような価格状況になる。輸出価格はさらに上昇するだろう。中国が都市部と農村部の1人当たりの所得格差が3倍以上に拡大しているという三農問題を解決していくと、農村部の労働コストが上昇し、中国の農産物価格も上昇していくからだ。

人口減少時代の下で国内の食用の需要だけを考えると、農業や農地は大幅に縮小せざるを得ない。国内生産の維持を通じて食糧安全保障に不可欠な農地資源を確保しようとすれば、平時には国内の食用需要に輸出需要を加えることによって農業生産を維持することが危機時の食糧安全保障につながる。平時にはコメを輸出し、小麦や牛肉を輸入する。しかし、輸入が途絶えた危機時には輸出に向けていたコメを食べて飢えをしのぐのである。食糧安全保障はこれまで貿易自由化に反対する口実に使われてきた。しかし、人口減少時代には食糧安全保障のためにこそ自由貿易が必要になるのである。

食糧・農業政策が農協、農林関係議員、農林水産省という狭い農政トライアングルだけで決まる時代は過去のものとする必要がある。石破茂農水相らも出席した東京財団のシンポジウムが今月15日に開かれたほか、同25日には21世紀政策研究所が農政全般のシンポジウムを開催するなど、政策決定に関して新しい動きも出ている。これらの成果も踏まえ、国民・消費者から活発な農政議論が巻き起こることを期待したい。

2009年5月19日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2009年6月3日掲載

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