直接支払いとゾーニングによる食料安全保障

山下 一仁
上席研究員

日本の農業保護は正しいのか?

OECDが開発した農業保護の指標にPSEがある。これは、財政負担によって農家の所得を維持している納税者負担の部分と、国内価格と国際価格との差(内外価格差)に生産量をかけた消費者負担の部分、つまり消費者が安い国際価格ではなく高い国内価格を農家に払うことで農家を保護している総額、の合計である。

2006年のOECD加盟国のPSEは、アメリカ293億ドル、EU1380億ドル、日本407億ドル(約4.5兆円)となっている。日本の農業保護は、アメリカの1.4倍、EUの3分の1以下である。人口・経済規模を考慮するとアメリカの2倍程度、EUと同程度である。しかし、農業生産の規模が日本は小さいので、農家受取額に占めるPSEの比率はアメリカ15%、EU33%に対して、日本は55%となっており、日本の農業保護が少ないと主張することは誤りである。

このような保護水準にもかかわらず、WTO交渉において常に後ろ向きの対応しかしない一大農業保護国という批判が生じるのは農業の保護の仕方が間違っているからだ。

各国のPSEの内訳をみると、関税により実現された市場価格支持である消費者負担の部分の割合はウルグァイ・ラウンド交渉で基準年とされた1986~88年の数値アメリカ37%、EU86%、日本90%に比べ、2006年ではアメリカ17%、EU45%、日本88%(約4.0兆円)となっている。EUはかっては日本と同程度であった消費者負担型農政を大きく転換している。

アメリカも以前は日本と同じく価格支持農政を行ってきていたが、1960年代から農家に対する保証価格と市場価格との差を財政により補填(直接支払い等)することで、農家所得を維持しながら消費者への安価な食料供給と農業の高い国際競争力を実現している。

EUは1968年に、農産物価格を高く維持することで農家の所得を向上させようとする共通農業政策を成立させた。高い農産物の価格は需要を抑制する一方で、生産を刺激する。その結果生じた過剰農産物を、EUは輸出補助金をつけて国際市場でダンピングした。これは国際価格を引き下げ、アメリカなどの輸出国の農業に大きな打撃を与えた。ただし、日本と異なり生産調整ではなく作りたいだけ作らせたため、食料自給率は向上し、農業は縮小しなかった。これが同じ価格支持をとった日本とEUの最大の違いである。

ウルグァイ・ラウンドで輸出補助金の削減をアメリカに攻め立てられたEUは、1992年に穀物などの価格を大幅に引き下げ、農家に対する補助金の「直接支払い」によって補うという改革を行った。改革の方向は単純である。価格が高いから過剰が生じ、輸出補助金を出さなくてはならなくなる。価格が下がれば過剰は少なくなる。こうして、EUはアメリカと輸出補助金削減に合意することができた。

現に、この改革により3年間で生産は4.5%減少した。それだけではなく、価格低下によって飼料用穀物についてアメリカからの輸入を域内穀物で代替してしまったことなどから、穀物消費量は23.5%増加し、膨大に積み上がっていた在庫量は3330万トンから270万トンまで92%も減少した。1995年からしばらくは輸出補助金が要らないばかりか輸出しないよう輸出税をかけたのである。価格を引き下げると消費は増加するのである。このEUの実験は日本にとっても参考になるはずである。

2005年11月にも、EUは40年間手をつけられなかった砂糖の支持価格を36%引き下げ、直接支払いに転換している。今回の交渉でEUは、輸出補助金の撤廃に合意している。現在、EUはアメリカ産小麦に関税ゼロでも輸出補助金なしでも対抗できる。

価格を下げよ

農政を最も誤らせているのは、「米価を下げても消費は増えない」という農業界の妄説である。これはかつてコメ過剰の下で、大蔵省(現財務省)が食管会計の赤字を縮小するために米の政府売渡し価格(消費者米価)を引き上げても消費は減らないと主張したものと同じものである。

確かに米のような生活必需品は消費量が価格の変化に十分反応しないことは事実であるが、反応しないというものではない。米価は2003年に作況指数90の不作の際急騰し、その翌年は平年作だったのでまたもとの水準に戻っている。最近でもパンの価格が上昇したため、相対的に安くなった米の消費は増加した。生産調整していること自体が供給を制限して米価を吊り上げようとするものに他ならない(逆に制限しなくて生産量が増えると価格は下がる)のであるが、政策を実施している本人たちが理解していないのだ。経済財政諮問会議で農林水産省幹部が「米価を下げても消費は増えない」と主張したところ、ある経済学者から「農林水産省では需要曲線は垂直だと考えているのであるか?」と批判されている。もし消費量が価格に反応しないのであれば、価格をどんなにつりあげても生産量は必ず売り切ることができるはずだ。

これは笑いごとではすまない。人口減少時代を迎え、国内の食用の需要は減少する。1人あたりの消費が減少するコメの需要は他の品目以上に減少する。これまでの食料自給率の低下は消費に占めるコメの比重の低下だ。国内の食用の需要だけに対応していると日本農業は縮小するだけでなく、食料自給率もさらに低下する。価格を下げることで食用の消費を拡大できるだけでなく、食用以外の輸出、飼料用、工業用という新しい需要を開拓できる。しかし、価格と消費量に関する農業界の妄説はその道を排除してしまうのである。

直接支払いを導入せよ

日本の農業保護は消費者負担が極めて高い。約4兆円に及ぶ農業保護の消費者負担部分は消費税の1.6%に相当する。これだけの税を消費者が負担している。アメリカやEUが消費者負担から納税者負担へと国内農政の改革を進めている中で、日本のみが改革から取り残されている。

次は小倉武一とともにフランス農業基本法を研究し、1987年戦後30年ぶりに生産者米価を引き下げた当時の食糧庁長官、後藤康夫の意見である。「わが国は、先進国中今なお消費者負担型の色彩の最も濃い例外的な存在となっている。このような農政システムの違いがWTO交渉やFTA交渉においてわが国の立場を難しくし、国内では事あるごとに農業は厄介者といわんばかりの論調を生んでいる。その都度、生産性向上、国際競争力強化が叫ばれるが、わが国が消費者負担と国境措置に大きく依存した農政の孤塁を守っているという国際社会における特異性に眼を向けた議論が、農業内外を通じてほとんどみられないのはどうしたことであろうか。」

農地を確保せよ

食料安全保障の基礎は農地である。戦後の食糧難の時代人口7000万人に対し農地は500万ha以上存在した。現在人口1億3000万人に対し農地は500万haを切っている。この50年間で250万haの農地が消滅した。

この約半分は宅地や工業用地などへの転用である。農振法の農用地区域の見直しは5年に一度が原則である。しかし、農家から転用計画が出されると毎年のように見直される結果、農用地区域の指定は容易に解除されてしまう。実際の見直し期間の平均は1.6年に一度である。これは農用地区域の指定を市町村長に任せているからである。地域振興が役目の市町村長としては、土地を生産性の低い農地にするより、宅地や工業用地にしたほうが地域振興に役立つ。また、選挙民が転用したいと言ってくると、市町村長がノーと言えるはずがない。

ヨーロッパはゾーニング規制だけで農地を維持している。農地法に相当する規制はない。株式会社の農業参入を阻んでいるのは農地法である。いっそのこと、転用したくてしょうがない市町村長に規制を委ねている農振法のゾーニング制度を抜本的に変更・強化して、そのかわりに農地法を廃止するという大胆な規制緩和を実現してはどうだろうか。

農地制度だけをいじれば農業の構造改革が実現できるというのは誤りである。転用機会が少なく、実質上ゾーニング規制が実現できているような中山間地域でも耕作放棄が増加している。ゾーニング規制をしっかりしたものにしても、農業の収益が向上しない限り、確保された農地のなかで耕作放棄が増加するだけだ。農業収益を向上させるためには、直接支払いが必要である。

2008年10月5日号『週刊農林』に掲載

2008年10月16日掲載

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