高価格、消費者負担型農政による食料自給率の低下
WTO農業交渉議長案では、75%以上の関税については66~73%の削減が求められる。778%のコメの関税は210~265%まで引き下がるということになる。
これには「重要品目」について例外も認められるが、それは全関税品目数の4~6%に限定される。日本の全関税品目数は1332で4~6%とは53~80である。しかし、75%以上の関税の対象品目は、コメ、小麦、大麦、乳製品、砂糖、でんぷんなど134品目、それ以外の重要品目である牛肉を含めると、160品目、全関税品目数の12%となってしまう。したがって、日本政府は「重要品目」の大幅な拡充を要求している。
しかしながら、ウルグァイ・ラウンド交渉の際のコメと同様、例外扱いの代償として関税割当量の拡大が要求される。原則として求められる関税削減率(上記では66~73%)の2/3の削減率のときは消費量の3~5%、1/2の削減率のときは消費量の3.5~5.5%、1/3の削減率のときは消費量の4~6%の関税割当量を新たに設定しなければならなくなる。
それだけではない。日本政府は議長案に上限関税率の記述がないことを交渉の成果としている。しかし、議長案は100%を超える関税品目が全関税品目数の4%を超える結果となれば、関税削減の例外としたすべての「重要品目」についてさらに消費量の0.5%の関税割当量を追加すると規定している。上限関税率回避の代償はすでに盛り込まれている。
日本が関税について1/3の削減率を適用するとコメの関税率は589~609%となるが、現在の77万トンの関税割当量に加え、消費量900万トンの4.5~6.5%に当たる41~59万トンの関税割当量を設定しなければならないということである。関税割当量118~136万トンは国内消費量の13~15%に達し、(これを国内で処分すれば)過剰でコメ500万トンに相当する水田の4割の面積を減反しているにもかかわらず、コメの自給率は85~87%に低下する。1999年のコメの関税化への移行は7.2%から8%への0.8%の関税割当量の拡大を回避しようとしたものであったことから考えると、大幅な拡大である。小麦についても関税割当量は消費量の90%以上になってしまい、麦作振興による自給率向上の余地は絶たれてしまう。
つまり、「重要品目」に指定することによって関税削減の例外と上限関税率回避の二重の代償を支払う必要があるのだ。しかも、政府はこのペナルティを受ける品目をさらに拡大するよう交渉しているのである。農業の利益を客観的に考えると、日本で重要品目に指定して関税の大幅引き下げを回避するするメリットがあるのは、関税収入を畜産振興に当てている「牛肉」だけである。コメも含め、他の品目については、食料自給率低下というデメリットしかない。
日本政府は何を守ろうとしているのか? それは高い関税によって守られている高い価格に他ならない。WTO交渉で食料安全保障の主張をしているのに、採ろうとしている措置は食料自給率を低下させるものだ。このWTO交渉は1つの例に過ぎない。高い価格はコメの消費を減少させ、食料自給率を低下させてきた。
生産調整の廃止
1961年の農業基本法は、零細な農業規模の拡大によるコストダウンを目指した。所得は売上額(価格×生産量)からコストを引いたものだ。消費や売上額の伸びが期待できないコメでも、コストを下げれば農家所得を向上できると考えられた。
しかし、政治的な圧力を受けた農政は、農家所得向上のため米価を上げた。コストの高い零細な兼業農家もわざわざ高いコメを買うよりも自らコメを作る方が得になり、農業から退出しようとはしなくなった。農地は企業的農家に集まらず、規模拡大による農業の構造改革は失敗した。平均農家規模は40年かけて0.9ヘクタールが1.2ヘクタールになっただけだ。特に日本に最も適した穀物で日本の基幹的作物であるコメの構造改革が遅れた。53年まで国際価格より安かったコメは、いまでは778%の関税で保護されている。主として農業所得に依存している主業農家の生産シェアは、野菜82%、牛乳95%に対し、コメは38%にすぎない。
高米価はコメ消費減に拍車をかける一方で生産を刺激し、コメは過剰になった。1970年以降1995年の食管制度廃止後も続いている減反や転作による生産調整の面積は、今では100万ヘクタールと水田全体の4割超に達している。500万トン相当のコメを減産する一方、700万トン超の麦を輸入するという食料自給率向上とは反対の政策が採り続けられている。戦前農林省の減反政策案に反対したのは食料自給を唱える陸軍省だった。真の食料自給は生産調整と相容れない。
生産調整は米価維持のカルテルだ。60kgあたり9500円で買える米に1万5000円という高い価格を消費者に支払わせている。そのうえ、現在1600億円、累計総額7兆円の補助金が本来なら独禁法違反のカルテルに参加した生産者に税金から支払われてきた。生産者の間でもコメ販売量の多い主業農家がその影響を最も強く受けた。低コスト生産のためには、規模が小さく高コストの兼業農家に生産調整面積を多く配分すべきなのに、平等主義による一律の配分が行われた。主業農家はコストを十分低下できるまで生産を拡大できず、所得も増加できなかった。
農地がなければ食料安全保障は確保できない。しかし、国民全体に必要な農地は足りないのに、コメの減反で「農地も余っている」との認識が定着した。1961年以降公共事業などで110万ヘクタールの農地を造成したのに、逆に260万ヘクタールの農地が宅地などへの転用と耕作放棄で消滅した。生産調整面積の半分は転作ではなく耕作放棄につながる不耕作での対応である。政府は生産調整をさらに拡大しようとしているが、これは農地を一層減少させ、日本の食料安全保障を危うくさせる。
生産調整をやめれば米価は中国からの米輸入価格約1万円を下回る9500円の水準に低下し、国内需要も拡大する。EUが価格を引き下げて直接支払いという補助金で農家に所得補償したように、価格低下分の約8割を農業依存度の高く将来の農業生産の担い手である主業農家に補てんすればよい。市町村役場や農協の職員等サラリーマンとしての所得の比重が高く土日しか農業に従事しないパートタイム(兼業)農家に補償する必要はない。これに必要な額は生産調整カルテルに参加させるため農家に払っている補助金と同じである。財政的な負担は変わらない上、価格低下で消費者はメリットを受ける。国内の価格が輸入米の価格より下がれば、今のミニマム・アクセス米77万トンも輸入しなくてもよいので、食料自給率は向上する。
価格から直接支払いへ
生産者に対する価格支持でないこと、納税者負担によることがWTOの緑の政策の基本要件だ。消費者負担型の政策は誰がどれだけ負担をしているか不透明だが、納税者負担型の政策は透明性が高く、負担と受益との関係が国民の前に明らかになる。価格支持と直接支払いを比較すれば、価格支持は消費者負担による農家への支払い、後者は納税者負担による農家への支払いだ。消費者から広く薄く負担を求める方が財政当局と折衝するより抵抗がないことが関税という政策手段を採用してきた理由である。しかし、消費者負担による価格支持という手法は貧しい消費者も等しく負担し、裕福な土地持ちの兼業農家までも等しく受益するという不平等・不公平なものであるのに対し、納税者負担による直接支払いという手法は、累進課税制度がビルト・インされている財政制度の下では裕福な者が多く負担するとともに受益の対象を真に政策支援が必要な専業的農業者に限定することができるというメリットがある。
いつまで食料自給率を引き下げる高い価格を農政は維持しようとするのだろうか?
2008年8月25日号『週刊農林』に掲載