「消費者のための農政」を取り戻せ

山下 一仁
上席研究員

町村信孝官房長官が5月31日の講演で、「世界で食料不足の国があるのに減反しているのはもったいない。減反政策を見直せば、世界の食料価格高騰(への対応)に貢献できるのではないか」と発言したことが自民党内から反発を受け、長官は同日の記者会見で「今年すぐにやるとは言っていない」と釈明した。しかし、世界的に食料が不足し、かつ日本の食料自給率が4割を切っているのに、水田を4割も減反するというのは国民や消費者の感情に沿わないのではないだろうか。

食料が足りなければ、輸出国と供給協定を結んで不作のときに供給保証をしてもらえばよいではないかという主張もあるが、現実の国際社会では、自国が苦しいときにほかの国に食料を分けてくれるような国はない。日本でも戦後の食料難時代、生産県の知事たちは東京などの消費県へのコメ供出に抵抗した。食料サミットの共同宣言でも輸出規制を抑えることについて具体的な表現は盛り込めなかった。苦しいときに外国は当てにならない。頼れるのは自国の農業しかない。食料安全保障とはそのような主張だ。そのためには農地がなければならない。戦後、人口わずか7000万人で農地が500万ヘクタールあっても飢餓が生じた。

しかし、公共事業などにより110万ヘクタールの農地造成を行なう傍らで、1961年に609万ヘクタールあった農地の4割を超える260万ヘクタールが、半分は宅地などへの転用で、半分は耕作放棄によって消滅した。転用がこれだけの規模で起こったのはヨーロッパと異なり確固たる土地利用規制(ゾーニング)がなかったためであり、耕作放棄はコメを作らせないという減反政策に大きな責任がある。なくした260万ヘクタールは現在の水田面積と同じ規模であり、戦後の農地改革で小作人に解放された194万ヘクタールをはるかに上回る。今では全農地を合わせイモとコメだけ植えてやっと日本人が生命を維持できる460万ヘクタールが残るだけだ。これが国際交渉の場で食料安全保障を主張する日本の内情だ。

食料自給率低下は「人災」

食料危機が懸念される中で、1960年の79%から39%に低下した食料自給率の向上が主張されるようになった。

そもそも、自給率はフランスでは99%から122%へ、イギリスでは42%から70%へ上昇したのに、なぜ日本ではこれほどまでに低下したのか。その原因は食生活の洋風化と説明されるが、もちろんそれだけではない。一方の責任は「消費者行政」の視点を放棄し、需要の変化に対応できなかった60年代以降の農政にあるのだ。

戦前の農林省が取り組んだ課題は、収穫物の5割を小作料として地主に物納させられる小作人の解放と零細農業構造の改革だった。物納されたコメを高く売りたい地主勢力は国防強化を口実として食料の自給、コメの高関税が必要であると帝国議会に働きかけた。これに対して、農林官僚だった柳田國男(民俗学者として著名)は、国防のために食料を自給すべきであるといっても、労働者の家計を考えるのであれば、外国米を入れても米価の下がる方がよいと異を唱えた。そもそも食料安全保障は農家ではなく消費者の主張なのだ。農政には零細規模の解消による農家の経済的地位の向上とともに、消費者に食料をできるだけ安く十分に供給するという使命があった。

戦時中の1942年に制定された食糧管理法も、乏しい食料をいかに国民に等しく配分するかという消費者保護の法律だった。戦後も、農政は消費者行政からスタートした。経済復興を図り製造業の国際競争力を回復するためには労働費を抑制しなければならない。労働費を抑制するためにはその大宗を占める食料費すなわち農産物価格を抑制しなければならない。しかし、飢餓が発生している中で、農産物価格を抑制してしまえば、食料増産はできなくなる。

このディレンマを解消する奇跡的な政策が、戦後の農地改革と傾斜生産方式だった。小作人に所有権を与え増産意欲をかき立てるとともに、傾斜生産方式による化学肥料、特に硫安の増産により、米価を抑制しても食料生産は増加した。米価の抑制、農地改革、傾斜生産方式、これらの政策を農林大臣、経済安定本部長官として実行した人物が農林官僚だった和田博雄である。和田は、所蔵する柳田國男の著作の中に、貧農救済のためには米価を吊り上げるのではなく税金により奨励金(今日でいうなら直接支払い)を交付すべきであるというメモ書きを残している。

しかし、農地改革により戦前からの零細農業構造が固定化してしまった。経済学者シュンペーターの高弟である東畑精一と後に政府税政調査会長を16年務めた小倉武一によって1961年に作られた農業基本法は、農業の規模拡大によるコストダウンによって農工間の所得格差を是正しようとした。所得は売上額(価格×生産量)からコストを引いたものだ。コメのように需要、売上額の伸びが期待できない作物でも、コストを下げれば農家所得を向上させることができる。消費者の家計を考えれば、価格の引き上げによって農家の所得を保証するという考えは、柳田や和田の農政思想を引き継ぐ彼らにはありえない選択肢だったのだ。

ところが、その農業基本法の精神に反し、60年代の農政は農家所得向上のため米価を上げた。消費者保護の食糧管理法を生産者保護に転換したのだ。ここで農政は消費者行政と袂をわかった。しかも、米飯から麦を使ったパン食へという食生活の変化は予想されたのに、米価を上げてコメの消費をさらに抑制する一方で生産を刺激し、麦価を下げて麦の消費を拡大させ生産を減少させるという政策を採ってしまった。コメは過剰になったので500万トンに相当する減反政策を実行し、麦は輸入が700万トンを超え消費の9割を占めるようになった。食料自給率が低下するのは当然だろう。

95年に食糧管理法は廃止されたが、現在60万ヘクタールの減反と40万ヘクタールの転作からなる生産調整によって、米価を高く維持して消費者負担で農家所得を確保しようとする「食管制度」は実はまだ生きている。これこそ戦後農政の「根幹」だからだ。

政府は昨年34万トンを備蓄米として買い入れ米価の底上げを行なったほか、補助金約1600億円を補正予算で500億円上積みし、生産調整を10万ヘクタール強化して110万ヘクタールとする方向を打ち出している。これが成功して米価が上がればどうなるのか。パン価格の上昇によってコメにシフトしかけた消費はまた打撃を受ける。それだけではない。ガソリンのほか、麦や大豆などの食料品の価格上昇で消費者家計は圧迫されているが、これらは海外の要因で引き起こされたものだ。今度は国内の自らの政策でコメの値段を上げ消費者家計をさらに圧迫するのだ。余計な心配だが、自民党は大丈夫なのだろうか。

「直接支払い」で構造改革を

自給率向上のためには何をすればよいのか?

自給率低下は消費者行政からの決別に原因があるという本質が理解されていないため、消費者負担による高い米価を維持したままで米粉や飼料用のコメ生産を推進するといった政策が採用される。これは生産調整の廃止や緩和ではない。転作作物の1つとして米粉や飼料用を認めようとしているだけである。高い食用向けの米価と米粉や飼料用向けの安い米価の差は財政で負担せざるをえない。高い消費者負担に高い財政負担が追加されるだけである。

私は10年ほど前から、「生産調整を段階的に廃止して米価を需給が均衡する9500円(60キログラム当たり)程度まで下げれば、コストの高い副業農家は耕作を中止し、農地を貸し出すようになる。そこで、一定規模以上の主業農家に耕作面積に応じた直接支払い(財政による支払い)を交付し、地代支払能力を補強すれば、農地は主業農家に集まり、規模は拡大しコストは下がる」という提案をしてきた。小倉武一を会長とする農政研究センターでこれを発表したところ、彼の下に参集した農業経済学の大御所というべき諸先生方から高い評価をいただいた。EU(欧州連合)の直接支払いは価格引き下げの代わりの直接所得補償として紹介されていた。これをそのまま導入するのではなく、農業の構造改革の遅れている日本では、対象者を食料生産を担う主業農家に限定することにより構造改革の手段として活用すべきであるというアイデアは斬新と受け止められた。

全ての農家に一律に効果が及ぶ価格支持と異なり、直接支払いのメリットはそれが必要な対象に直接ターゲットを絞って政策を実施できることである。しかし、対象を限定するという政策上の最大のメリットが、政治的には最大のデメリットとなる。

農政が私の提案を採用しかけたことがあった。2003年の8月末、唐突に「諸外国の直接支払いも視野に入れて」農政の基本計画を見直すという農林水産大臣談話が出された。農産物関税に上限を設けるというアメリカとEUのWTO(世界貿易機関)交渉合意が同年8月13日になされたためだ。上限関税率は100%と考えられる。778%のコメの関税率をそこまで下げると、EUのように直接支払いを導入しない限り日本農業は壊滅する。農業がなくなれば農林水産省もいらなくなる。直接支払いの政治的困難さなど吹っ飛んでしまうほどの危機感が大臣談話になった。

しかし、これは2度後退する。まず、翌9月のWTO閣僚会議議長案で、コメは上限関税率の特例にできるかもしれないという期待が生じたため、農水省はコメを直接支払いの対象からはずすと表明した。次に、04年8月のWTO交渉枠組み合意で、一定の品目については関税引下げの例外を設けることができるかもしれないという希望的観測が生じた。関税を下げなくてよいのであれば、国内価格も下げなくてよい。このため、コメのみならず麦、牛乳など他の農産物を含め価格引下げのための直接支払いは見送るという内容にさらに後退した。結局、農家保証価格と市場価格の差を補填している麦、大豆などの補助金の一部をWTOでは削減しなくてよい直接支払いに移行するだけになった。それでも、対象農家を4ヘクタール以上に限定したことは評価できた。

自民、民主ともビジョンなし

もっと惜しいのは民主党である。

私が2000年に農政研究センターから『詳解 WTOと農政改革』を出版した後の01年の参議院選挙での選挙公約では、「事実上強制となっている米の減反については選択制とし、……新たな所得政策の対象を農産物自由化の影響を最も大きく受ける専業的農家」とし、03年のマニフェストでは、「食料の安定生産・安定供給を担う農業経営体を対象に、直接支援・直接支払制度を導入します」とした。しかし、04年参院選のマニフェストでは、「対象者を絞る」という要素をはずしてしまった。

そして昨年7月、自民党からバラマキの直接支払いと批判された「戸別所得補償」の導入と生産調整の廃止を主張した民主党は参議院選挙で大勝した。しかし、小沢一郎代表の関税ゼロでも対応できるという主張の前提には生産調整廃止による価格引下げがあったはずなのに、今年民主党が国会に提出した戸別所得補償法案では生産調整廃止は撤回されてしまった。生産数量目標に従う農家に戸別所得補償を行なうとしているが、この提案は実は、10トン生産できる農家に6トンの目標を設定するという、生産調整そのものである。

これを公約違反と批判する自民党も生産調整の強化を政策としている以上、批判は尻すぼみである。また、選挙に負けた自民党も「対象者を絞る」政策を後退させた。今の政治には、国内の食料需要が減少していく人口減少時代に、生産調整をさらに強化して日本農業を大幅に縮小させ、かつ米価を上げて消費者家計を圧迫するという単一の選択肢しかない。国家の大計として本来政治が主導すべき、消費者に対する食料安全保障と農業復興の将来ビジョンはどこにも存在しない。

日本の米価は国内需要の減少により10年前の2万円から1万4000円に低下しているのに対し、日本が輸入している中国産の価格は2000円から1万円にまで上昇している。生産調整を止めれば、国産米価は約9500円に低下し、国内の需要は1000万トン以上に拡大する。価格面で輸出もできるようになるのだ。

これまで、米価を下げて零細農家の滞留を防ごうとする政府に対して、農業団体は農業依存度の高い主業農家が困ると反論してきた。それほど主業農家が心配なら現在の1万4000円の米価と9500円の差の8割程度を主業農家に財政で補償すればよいではないか。価格を下げて直接支払いという補助金で補償したのがEUの農政改革であり、これが世界の農政の潮流だ。コメ流通量700万トンのうち主業農家のシェアは4割なので約1600億円の予算額で済む。これは本来なら独占禁止法違反の「生産調整カルテル」に農家を参加させるために払っている補助金と同額である。市町村役場や農協の職員などのサラリーマンとしての所得の比重が高く土日しか農業に従事しないパートタイム(副業)農家に補償する必要はない。これらの農家も主業農家に農地を貸せば現在の10万円程度の農業所得を上回る地代収入を得ることができる。さらに主業農家の規模が拡大してコストが下がれば受け取る地代も増加する。

財政負担は変わらないうえ、価格低下で消費者の負担は大きく軽減される。それだけではない。これまで国内の食用の需要しか視野になかったことが農業生産の減少をもたらした。日本の人口は減少するが世界の人口は増加する。しかも日本の目の前の東アジアには所得増加にも裏打ちされた拡大する市場がある。日本がコメを400万トン輸出したとしても、中国の穀物需要の1%にすぎない。農業の拡大で食料安全保障に必要な農地も維持できる。

戦後の消費者負担型農政を転換し、生産調整による「食管制度」を廃止して輸出により日本農業を縮小から拡大に転ずるのだ。これまでどおりの農政を続け座して日本農業の衰亡と食料安全保障の危機を待つよりは、大きな政策転換に賭けてみてはどうだろうか。

『Foresight』2008年7月号に掲載

2008年8月1日掲載

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