農政改革のミステリー

山下 一仁
上席研究員

10月に、経営安定対策の対象となる担い手の要件等について取りまとめがされることとなっている。しかし、農林水産省における検討作業へのベンチ入りもできず外野席から眺めるしか能力のない者にとって、検討内容はもちろんその前提となる事柄についても、わからないことが多い。わかりやすい政治・行政が唱えられるなかで、以下の素朴な疑問について、私のようなレベルの者にも、わかるように説明していただければありがたい。

食料自給率は下がるのではないか?

食料・農業・農村基本計画で決められた経営安定対策は、麦、大豆等の不足払いを担い手農家に対する品目横断的な緑の直接支払いに移行する、WTO交渉で本格的な関税引下げの議論が先送りになったので米のみならず他の農産物を含め関税引下げへの対応としての直接支払いは見送るという内容である。

新しい直接支払いに転換されるものは、麦でいうと、外麦への課徴金(国内市場価格-輸入価格)をもって国内産麦への不足払い(農家手取保証価格-国内市場価格)を行っているものである。しかし、「過去の作付面積に基づく支払と各年の生産量・品質に基づく支払を行うなどにより、需要に応じた生産の確保や生産性向上等の我が国農業の課題の解決に資するよう、留意する。」と基本計画は書いている。翻訳すると、直接支払いを現在の生産と関係しないデカップルされた(過去の作付面積に応じた)緑の政策と生産にリンクした黄色の政策(従来の不足払いと同じもの)の組合せとするようである。不足払いを廃止すれば、農家手取保証価格は生産費を下回る国内市場価格まで低下し、麦生産は壊滅する。これは食料自給率向上という基本計画の大目標に反してしまう。苦肉の策として、従来どおりの不足払いを一部維持することとしたのだろう。

具体的な数値(トン当たり小麦、14年度)でみると、国内産麦の農家保証手取価格は14万4000円、国内市場価格は3万8000円、不足払い10万6000円である。小麦の生産費は帯広でも12万2000円である。麦生産を維持するためには、生産費を上回る水準に農家手取保証価格を設定しなければならない。そうすると従前の不足払い、少なくとも8万3000円(12万2000-3万8000)に比べ、新しい緑の直接支払いの額はトン当たり換算2万3000円(10万6000-8万3000)にすぎなくなる。この場合でも農家手取保証価格の低下により麦生産は減少する。これ以外の組み合わせを考えてみよう。従前の不足払い10万6000円を緑の直接支払い3万円、黄色の不足払い7万6000円に分けたとしよう。市場価格は3万8000円、不足払い7万6000円であるから、農家が麦を販売すると11万4000円の手取価格となる。コストが12万2000円なので、麦を作れば8000円の赤字、緑の直接支払い3万円を入れると2万2000円の所得になる。麦を作らなければ緑の直接支払い3万円が所得になるので、農家は麦を作らないほうが得である。麦生産は壊滅し、食料自給率は低下する。

品目横断的直接支払いを緑とする必要があるのか?

そもそも黄色から緑への政策変更を行う意味があるのだろうか? WTOへの対応を考慮したのだろうか? 今では戦力外の私でも、ウルグァイ・ラウンド交渉では、アメリカ、EU、豪州の交渉者とともに農業協定の最終ドラフティング交渉に参加させていただいた。しかし、そのわずかな知識を振り絞ってもよくわからない。

AMSは許容上限額の4兆円から7500億円程度まで大幅に引き下げられており、今回の交渉でAMSの大幅削減が合意されたとしても、黄色の政策を行なう余裕は十分過ぎるほどある。今回の交渉で品目ごとのAMSの上限が定められることを心配しているのだろうか? しかし、昨年のWTO枠組み合意によると、その上限値は過去の実績値をX%削減した数値となるので、それほど制約にはならない。それでも心配の向きがあれば、品目横断的政策について農業生産総額の5%まではAMSにカウントしなくて良いデミニマス条項を活用することも考えられる。例えば、現在の麦、大豆等の品目ごとの不足払いのうち共通する額(例えばトン当たり麦10万円、大豆6万円であれば5万円)を品目横断的な黄色の政策とし、残りを従来どおり品目ごとに支払う。2001年の農業生産総額は9兆円、その5%は4500億円である。交渉で5%が2.5%に削減されたとしても2250億円であり、今回転換しようとしている畑作物全ての不足払い総額とほぼ同額である。

国内政策の観点からも緑としないほうが良いのではないか? WTO農業協定では、緑の直接支払いの要件として、1)支払い額が基準期間以降の生産のタイプ(米、酪農等作物を指す)又は生産量に関連してはならない、2)生産することを要求してはならない等としている。麦農家に不足払い対象作物以外のとうもろこしや野菜・果物などの作付けを禁止してはならないということである。この場合、今や麦を作らないこの農家はかって受けていた麦についての黄色の不足払いの部分は受けることができなくなり、わずかな緑の直接支払いの部分しか受けられない。結局不足払い対象作物以外の作付け、作物選択の自由は制限される。これが品目横断的対策と言えるのだろうか?

私は中山間地域等直接支払いの制度設計に当たり、緑の政策とすることを公言し実行した。それは、本邦初の直接支払いである以上、国民の理解を得るためにも必要だと判断したからである。しかし、今回は関税引下げのための本格的直接支払いはやらないことになっている。国民の期待や評判を気にする必要があるのだろうか?

日本はOECDの多面的機能のレポートを何のために作成したのか?

要するに、生産と関連してはならないという緑の政策と生産を刺激して食料自給率を向上させるという政策目的が矛盾しているのである。これまた微力な私が交渉に参加したOECDの多面的機能のレポートでは、多面的機能は多くの場合農地などの生産要素に関連しているが、食料自給率が低い場合、多面的機能の1つである食料安全保障は生産量に関連していると書き込んだ。これが我が国を想定していることはお判りいただけるだろう。輸出国のアメリカや豪州も参加した、貿易自由化を一大目的とするOECDの農業委員会が、生産量と関連した直接支払い(不足払いである)は望ましい政策と認めたのだ。これをWTO交渉で活用して食料自給率が低い場合の不足払いを緑の政策とすれば、問題は全て解決する。しかし、このOECDレポートは交渉の場で一度も活用されないばかりか、2002年以降WTOへの日本提案のコアだった多面的機能についての提案自体消されてしまった。しかも、国民合意のプロセスで作られたはずの日本提案からこれを削除した理由等について、きちんとした説明がなされたとは聞いていない。

食料自給率向上と言いながら、なぜ米価の維持が政策決定の大前提になるのだろうか?

米には直接支払い(ゲタと言うらしい)を導入しない。麦等についても担い手に対象を限定しても緑の政策は生産と関連しない政策なので構造改革効果は期待できない。もちろん黄色の不足払いを含めて全ての政策対象を担い手に限定するのであれば、構造改革効果は大である。しかし、そうでないのであれば何のために政治的に大騒ぎして担い手に限定する必要があるのだろうか?

これについては私でもわかりそうである。米についても、価格変動をナラシている稲作所得基盤確保対策や担い手経営安定対策の対象者をどうするのかという問題があり、いずれWTO交渉で米の関税が引き下げられ直接支払いを導入せざるを得なくなったときに、その対象者がこれと同様にされると農業団体が考えているためだろう。担い手を限定したいはずの農林水産省としては、稲作所得基盤確保対策を担い手経営安定対策の4ha以上等という対象者にあわせれば、すっきりしてよいと思うのだが、そうなると生産調整のメリット措置であるこの対策からもれる生産者が生産調整に参加せず米価が低落してしまうと農業団体から指摘され、農林水産省の担当もそれはそうだと肯いているようなのである。

なぜ米価の維持が大前提となるのだろうか? 米価が下がれば、米の消費は増加する。また、麦等との相対収益性が是正され、麦等の生産は拡大する。いずれも食料自給率の向上になる。基本計画の看板と米価の維持という政策内容が一致しない。食料安全保障や食料自給率の向上は消費者のための主張であるし、価格が下がって喜ばない消費者はいない。主業農家は困るのか? 農業団体と同様いずれ関税が下げられるだろうと予測している農家は、規模を拡大してコストダウンしなければ所得は確保できないと思っている。米の価格が1俵1万1000~1万2000円に下がれば零細兼業農家が農地を出してくると期待している農家が多い。零細兼業農家が困るのか? 750万円の所得のうち稲作所得は10万円に過ぎない。米を作るより小作料をもらった方が得をする。結局、米価が下がって困るのは誰なのだろうか?

この辺でやめよう。また、今夜も寝られそうにない。

2005年10月5日号『週刊農林』に掲載

2005年10月12日掲載

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