農村振興と二つの直接支払い

山下 一仁
上席研究員

1つの直接支払いの継続と1つの直接支払いの導入が決定された。中山間地域等直接支払制度と農地・農業用水などの資源保全のための直接支払いである。

中山間地域等直接支払制度の改訂・継続

EUの条件不利地域直接支払いやWTO農業協定上の「緑」の政策の要件を参考としながら、中山間地域等直接支払いが「食料・農業・農村基本法」の目玉として2000年度から導入された。中山間地域では傾斜や小区画などという生産条件の不利性により耕作放棄が増加しているため、直接支払いという手法により生産条件の不利性を直接に補正することとしたものである。

これはわずか300億円程度の国の予算で実施されたが、全国の関係者の努力により中山間地域の活性化と農地の保存に制度設計者の予想をはるかに上回る成果を挙げている。財政当局の担当者が座右に掲げる“小額多効”の模範例である。1906市町村で、3万3331の集落協定が締結され、66万5000ヘクタールの交付面積となっている。しかも、対象農地で耕作放棄は行なわれなかった。耕作放棄防止という制度目的は100%達成したといってよい。

注意してもらいたいが、この政策は農業生産条件の不利性の補正のためのものであり、それ以上でも以下でもないことである。これで農村振興の全ての課題を解決するものではない。300億円程度では農村を振興できないというのは、1つの問題にはそれに直接ターゲットを絞りそれを直接解決する政策を採るという経済政策の基本原則を理解しないものだろう。

5年後の見直しの時期にあたった昨年、財務省は財政制度審議会を使って本制度の廃止を含めた抜本的見直しを要求してきた。財務省の発想は単純である。農地の維持・管理にすぎず、農業の構造改革、効率化に資するものでなければ、予算になじまないというものだろう(しかし、財務省が資源保全の直接支払いをすんなりと認めたことは、この考えと矛盾している)。このため、当初現行制度の単純延長を考えていた農林水産省も、制度継続のため財務省の意向を入れざるを得なかったものと考えられる。

最終的には、農業生産活動を維持するだけの集落には直接支払い単価を現行の8割とし、ある程度前向きの取り組みを行う集落には現行単価を保障し、さらに農地の担い手への集積など積極的な取り組みを行う集落には単価の上乗せを行うということで、制度は継続されることとなった。

集落営農といっても、コアとなる担い手のいない集落営農は継続できない。当初の制度でも、集落協定に担い手の定着に関する目標を記載することとしていたし、担い手が規模拡大を行った際には加算することとしていた。農地は集落で維持し、農業は担い手で発展するという考えをとったためである。今回これを拡充したことは評価すべきだろう。

しかし、気になる点がある。直接支払いのメリットは問題に直接ターゲットを絞って対策を集中できることであり、経済政策の基本は、目的と手段が1対1で対応しなければならないことである。条件不利に対する政策と構造改革に対する政策は別々の政策でなければならない。所得支持なら所得の低い人のみを、条件不利の克服なら条件不利農業のみを対象とする、いわば、目の具合が悪い人には目薬、胃が痛い人には胃薬というやり方が直接支払いなのである。

米の転作奨励金制度が複雑怪奇となったのは構造改革という別の目的のための手段を生産制限のための政策に次々に入れ込んでしまったからだ。胃薬に目薬を混ぜるようなことをしてはならない。規模拡大の加算も限度を超えると角を矯めて牛を殺す結果になる。農業の構造改革、効率化を行うのであれば、それにダイレクトに資する直接支払いを導入すべきなのだ。門外漢なので当たってないかもしれないが、それを行なう度胸がなく、中山間地域等直接支払制度で憂さを晴らすようでは、なさけない。

資源保全管理対策

今回の基本計画で2007年度から農地・農業用水等の資源の保全管理対策に必要な施策が導入されることが決定された。しかし、それがどのようなものであるのかは、杳としてわからない。

これまた門外漢なので推測の域を出ないが、担当者は相当困っているのではないだろうか。中山間地域等直接支払いについては、WTO農業協定付属書2に緑の政策の要件が記されているので、単価、仕組みについてそれに準拠しながら、EUとは異なる日本型の制度を検討した。しかし、この直接支払いは緑の政策に該当するのだろうか。当てはまりそうなのは環境直接支払いであるが、これは通常の農法より環境に優しい農法を採用する場合のみを対象とするのであり、単に農地等を維持管理する場合には当てはまらない。WTO農業協定は付属書2に掲げた類型以外の緑の直接支払いも認めているが、農地などの生産要素と関連してはならないことになっているので、緑にはなりようがない。

多面的機能を全面に打ち出した2000年の日本提案は、パブリック・コメントを求めるなど国民合意プロセスを経て行われた。多面的機能は農業生産と密接不可分に結びついていることから、生産との切離し(デカップル)を要求している緑の政策の要件見直しを日本提案のコアとして主張した。これは経済学上も正当な主張である。農家所得が目的であればデカップルされた直接支払いでよいが、外部経済が目的であれば生産と関連した直接支払いでなければならないからだ。現在のWTOの緑の政策は、基本的には生産や貿易に影響を与えないものという基準で規定されており、経済学でいう外部経済の是正のための補助金は削減対象の政策になっている。

過去の交渉と異なり、我が国はOECDでの検討成果をWTO交渉に反映するという戦略的・積極的意図をもってOECDでの多面的機能の検討を開始し、2003年に期待通りのレポートを取りまとめることができた。経済成長、開発途上国援助と並び多角的な自由貿易の拡大を目的とするOECDが多面的機能についてのレポートを出したことに画期的な意義があった。しかし、このOECDレポートはWTO交渉の場で一度も活用されないばかりか、2002年以降日本提案のコアだった多面的機能についての提案自体消されている。

つまり、新しい施策は現行WTO農業協定上の緑の政策ではないばかりか、交渉で緑の政策とすることも断念しているのである。このため、単価や制度を検討するに当たって、準拠すべきものがないのだ。

しかし、かりにOECDレポートに従って緑の政策がWTO上も認められたとした場合には、次のような仕組みとすべきだろう。

OECDレポートは多面的機能についての政策が認められる条件として、(1)農産物を輸入し、かつ、農業生産を行わないで多面的機能と同じ機能を供給すること(例えば、ダムによる供給)よりも、農業生産を行い、国内農産物を供給し、かつ、多面的機能を供給することの方がよりコストが安いかどうか(国内農産物生産費<農業生産によらない多面的機能供給のコスト+農産物国際価格)。(2)消費者が輸入農産物よりも高い国内農産物を買うというコスト負担をしても多面的機能の利益が上回るかどうか(多面的機能の評価額>国内農産物生産費-当該農産物国際価格)。多面的機能の評価額としては、当該農業が持つ景観、洪水防止、水資源涵養、生物的多様性等全ての機能を合計するとともに、土壌流出、肥料、農薬による汚染等の外部不経済があればそれを差し引く。

なお、厳密にいうと、多面的機能の多くはローカルなものであってナショナルなものではないので、以上の要件は地域ごとに評価しなければならない。

多面的機能の多くは、農地や家畜等の特定の生産要素とより多く関連する。水田の洪水防止機能は、畦畔(水田)に関連するので、米の生産量の多寡とは比例的ではない。景観は放牧されている牛の数に関連するもので、牛乳の生産量とは関連しない(舎飼いでも牛乳は生産できるが、景観価値は保たれない)。したがって、多面的機能と直接関連する生産要素に対する支払いが最も効率的である。

(1)と(2)の条件が満たされる農地に限り、[農産物生産費から関税を加えた農産物輸入価格(関税があるのであれば、その部分は消費者が負担している)を引いた額]の一定割合(過剰補償を防ぐためである)に農地一単位当たりの単収を乗じたものを農地面積あたりの単価とすればよい。これに相当する財政負担を講じても、(2)の要件を満たす場合には、なお国民に利益が生じるからである。その際、水田は米、畑は麦、大豆等を、草地は飼料作物を、それぞれ算定基礎とすればよい。これと異なり、畔などの農地の維持管理費を単価とする場合、他方で消費者が既に国際価格より高い価格を負担しているのであれば、二重・過剰補償になろう。

2005年9月5日号『週刊農林』に掲載

2005年9月7日掲載

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