農村振興政策の指導原理

山下 一仁
上席研究員

経済政策の基本中の基本原則は、1つの問題にはそれに直接ターゲットを絞りそれを直接解決する政策を採るということである。マーエというフランスの著名な農業経済学者は次のように述べている。「全ての経済政策の基本原則の1つは、目標と手段との間の整合性という原則である。この原則の意味することは、いかなる政策についても、最良の手段とは最も直接的に目標を達成するような手段であるということである」

過去の農政の誤りはこの経済政策の基本を忘れた、あるいは知らなかったことである。農家所得の向上を回るのであれば、直接所得に効果を与える政策を採るべきであった。しかし、生産者米価の引上げ、生産調整による価格維持カルテル等価格支持という間接的な政策により農家所得を向上させようとしたために、米の消費の減少、供給の拡大、これによる食料自給率低下、構造改革の立遅れによる国際競争力の低下等大きな副作用を生じてしまった。

何が目的で、何が問題なのか?

この経済政策の基本原則を農村振興に適用する場合、まず、何が目的で、何が問題なのかを明らかにする必要がある。従来この点がはっきり議論・整理されてこなかったように思われる。

食料・農業・農村基本法の総則中にある第5条をみると、「農業の有する食料その他の農産物の供給の機能及び多面的機能が適切かつ充分に発揮されるよう、農業の生産条件の整備及び生活環境の整備…により、農村の振興が図られなければならない」とあり、あくまで主体は農業の振興であるように思われる。生活環境の整備といっても、農業の振興に資するものに限られるように見える。

ところが、同法の基本的施策中の第34条第1項では、「農業の振興その他農村の総合的な振興」とあるように農業の振興は農村の振興の一部であり、第2項では、「地域の農業の健全な発展を図るとともに、景観が優れ、豊かで住みよい農村とするため、…農業生産の基盤の整備と…生活環境の整備その他の福祉の向上とを総合的に推進する」とされており、農業の振興と生活環境の整備等は並列的に扱われている。食料・農業・農村基本計画においても、農村景観を含めた地域資源の保全管理政策の構築、必ずしも農業に限られない農村経済の活性化、都市と農村の交流、定住の促進、快適で安全な農村の暮らしの実現という項目が並んでおり、農村の振興は農業の振興に止まらない幅広いものとなっている。

地域振興政策が混乱する理由

後者の農業の振興に止まらない農村の振興という概念のほうが、農林水産省、地方公共団体その他の関係者に共有されるものであろう。しかし、目的が広くなると、経済政策がターゲットするものがあいまいになってしまう。焦点が定まらなくなってしまうのである。結果として、政策は考え付くもの全てのオンパレードとなってしまう。問題や目的が多数あると政策も多数存在せざるを得なくなるのである。これが地域振興政策が混乱するひとつの要因だろう。

1950年代前半まではこのような混乱は起こらなかった。農村は農業が営まれる場であった。農業の振興は農村の振興と同義だった。農業振興政策をとれば農村も発展した。食料・農業・農村基本法第5条の世界である。

しかし、混住化が進み、農家経済自体も兼業化の進展により農業に依存しなくなると、比重が低下した農業の振興は農村の振興と同じではなくなった。農家経済を向上させ農村を活性化させようとすると、農地はむしろ転用して企業を誘致した方がよい。農業は振興ではなく縮小が望ましくなる。過疎化を避けようとすると、少数の担い手に農地を集積させて規模拡大を図り農業のコストダウン・振興を行なうよりも、農業の効率が悪くても兼業農家が多数いてくれた方が望ましい。兼業化の進展等により、今では中山間地域でも農家所得は勤労者世帯を上回っている。こうして農家経済が向上し、農村が豊かになる一方で、農業は衰退した。

また、農村の住民自体農村の維持を必ずしも欲しなかった。経済が高度成長し上昇志向が強まる中で、多くの農村の世帯主は子弟に教育をつけさせ都会のサラリーマンにすることを望んだ。イエの発展はムラの維持を犠牲にした。しかし、住民がいないと地方公共団体の組織は存続できなくなる。このため、組織の維持が大目的になる地方公共団体の首長や職員にとっては、農村の高齢化が進み、子供の数が少なくなったことは自身の生存をかけた大問題である。地方公共団体から国への要望に、過疎化の防止、定住化政策の推進が最重点事項として取り上げられるのはこのためである(他方、過疎が解消してしまうと国からの助成が得られなくなってしまう。これまで過疎法からの卒業に自治体は抵抗してきた。本当に過疎になってしまうと組織が維持できなくなるが、過疎でなくなってしまうと自治体の政策に必要な財源が少なくなってしまう。ある国会議員によると、ほどほどの過疎が必要なのである)。

ここまで言うと読者は気づかれるだろう。農村振興という概念や目的が多様なものを包摂し広すぎるというだけではなく、それに含まれる、農業振興という目的、農家経済・所得の向上という目的、農村の存続・振興という目的はそれぞれ矛盾し、それぞれのための政策もまた矛盾してしまうのである。これが地域振興政策をさらに混乱させる大きな要因である。

国が農業政策、食料政策を貫徹させようとすると、農地資源を確保しなければならない。そのためには、農地のゾーニングを厳格にして転用を禁止しなければならない。しかし、それは農家経済や農村経済のために好ましくない。こうして1960年以降農地改革で小作人に解放された面積をはるかに上回る農地がかい廃された。もっと細かく言うと、農業の世界でも、業の振興と多面的機能の維持という目的はかならずしも一致しない。例えば、高付加価値型農業の推進として土地をそれほど使用しない野菜・果樹農業を振興すれば、耕作放棄や転用される農地が増えてしまい、農地が持つ水資源の涵養等の多面的機能は維持できなくなる。

目的の明確化と序列化

そもそも農業の振興、農家経済の発展、農村の維持という目的はそれぞれ矛盾するため、その全てをかなえることはいくら金があったとしても不可能である。また、目的の整合性を図ったとしても、資源に制約がある人間社会では、あれもこれも実現することは困難である。よほどの金持ちでないかぎり、ベンツもジャガーもリンカーンもキャデラックもというわけにはいかない。

何が必要なのかを絞り込み、優先順位を明らかにすることがまず求められる。これまでの地域振興政策は網羅的に目的と政策を羅列するだけであった。また、幸か不幸かそれぞれの目的に従った政策が目的を達成しなかったために、目的相互間の矛盾・不整合も顕在化しなかったといえるのではないだろうか。

目的の絞込み、序列化は、価値判断を必要とする作業であり、そのためには民意を反映するプロセスが必要となるが、農政の立場からは、つぎのように整理できるのではないだろうか。

まず、整理の仕方として、多数の国民が農村に望む価値や農村振興の目的を既に達成されたものや地方公共団体の首長・職員のみが望むものに優先すべきだろう。農家所得の向上という目的は兼業化や農地の転用等によって既に達成された。ある農村の過疎の防止は国民が農村に望む価値を実現するために必要な場合もあるかもしれないが、それ自体は地方公共団体の首長がまず関心を有する価値であって国民全体の関心事項とはいえない。

多数の国民が農村に望む価値とは、食料安全保障のための食料生産基地としての農村や、水資源の涵養、洪水防止などの多面的機能の維持や発揮ではないだろうか。いずれの目的を達成するためにも農地資源の維持のための政策が必要である。長野県の農地はそれに食料や水資源を依存する東京都民の農地でもあるのだ。長野県民だけが処分すべきものではない。農地を農地として活用するからこそ農地改革は実施されたのだ。これらの目的を達成するためには、確固たる土地利用規制・ゾーニングの設定、転用の真剣な規制が必要だったが、これまでは農家所得の向上という目的が優先されてしまった。農村振興は地方に任せるだけのものでも、地方の利益になるだけのものでもない。国が関心を有する事柄であるし、地方に負担や義務を求める場合もあるのである。

では、これら以外の価値や目的の実現、そのための国と地方の役割分担はどのようにすべきであろうか。

2005年7月25日号『週刊農林』に掲載

2005年8月5日掲載

この著者の記事