農林水産省は、新しい「食糧・農業・農村基本計画」を踏まえ、「農林水産研究基本計画」を定めた。その中で、農林水産業の競争力強化と健全な発展、食の安全・信頼の確保と健全な食生活の実現など研究の目指すべき社会的貢献を掲げるとともに、生産性向上と持続的発展、ニーズに対応した高品質な農林水産物・食品、安全確保等のための研究開発などの重点目標を示している。
これらは時宜に適ったものだし、技術に門外漢の筆者としては、ここに書かれている事が実現すれば、どのようなすばらしい農林水産業が実現できるだろうと思わざるを得ない。しかし、冷静になって考えてみると、研究者の方々や前例踏襲を基本とする農林水産省の職員が突然変わったわけでもないだろうし、ここに書いてあることと同じようなことが多分前の「研究基本目標」等にも書いてあったに違いないはずである。農政本体の文書でも農業の規模拡大、コストダウン、国際競争力向上は何十年も見慣れた言葉だが、いまだに実現していない。同じように、すばらしい技術を体化した夢の農林水産業も実現していない。それはなぜだろうか。
農政の矛盾と技術開発の混乱
その大きなものとしてまず考えられるのは、農林水産行政内部の矛盾による技術研究開発の混乱である。
例えば、国際競争力を高めようとすると、農産物価格を引き下げていかなくてはならない。農家個人所有の田畑の整備のため、毎年1兆円規模の農業基盤整備事業が、農家の負担わずか10%で実施されてきた。コストダウンを図り、農産物価格を低下させて、消費者にメリットをもたらすというのが、1950年以降農地整備という私的な投資を公共事業で行う根拠だった。
その一方で、食糧管理制度のもとで生産者米価を上げてきたし、1970年以降(食糧管理制度が廃止されても)農産物価格を下げないことを目的とする生産調整に6兆円、過剰米処理に3兆円以上を投入した。農地集積による規模拡大はコストを下げる。しかし、高米価のもとでは生産コストの高い農家も米を買うより作るほうが安上がりとなるため、零細副業農家が滞留し、主業農家に農地は集積しなかった。また、農産物コストとは単位面積当たりのコストを単収で割ったものなので、分母の単収を上げるとコストは下がる。しかし、米の生産コストを低下させる品種改良等による単収の向上は、生産調整の強化につながるので抑制された。1953年まで国際価格より安かった米は、いまでは490%の関税で保護されている。農政自体が国際競争力向上を掲げながら、それと逆の効果を持つ政策を採ってきたのである。
生産性向上のための農業基盤整備事業の目標として、労働時間の短縮が挙げられてきた。今回の計画でも同様に、不耕起播種機の開発による労働時間の短縮が挙げられている。構造改革が遅れ、「生産性向上を通じた競争力強化」が最も必要な米について、労働時間の短縮のための技術開発だけでいいのだろうか。農地が集積しない状況で労働時間が短縮されても、主業農家にとっては、遊んでいる時間が増えるだけで農業所得は増加しない。米の単収の向上は、依然タブーのようだ。国際競争力向上という目標を掲げながら、農政の矛盾がその目標を達成するための技術開発の制約条件となっているのではないだろうか。
また、「食料・農業・農村基本計画」が食料自給率向上のため、麦、大豆の生産増加ではなく、飼料作物の49%という大幅な生産増加を目標としていることから、飼料米として多収イネ専用品種の育成を掲げている。飼料米が生産されるようになるためには、ユーザーの畜産農家にとって輸入濃厚飼料と比べて価格面で有利であることと同時に、生産する稲作農家にとって飼料米生産が食用の米生産に比べて収益面(収量×価格-コスト)で有利であることが必要である。コストが同じであれば、多収イネ専用品種の育成は収量を増加させ、この目的達成に望ましい方向だが、同時に食用の米の価格も相当低下(食用米と飼料米の価格差縮小)しなければ、稲作農家は飼料米生産を行なおうとはしないだろう。そのためにも、生産調整の廃止が必要なのである。
つまり、農業政策自体の改良が進まないのに、技術の改良・開発だけ進めても、農業は良くならないのである。
経済政策の目標と適正技術の選択
次に、国際競争力向上という経済政策の目標を科学技術の目標に変換していくためには、数ある技術の中でどのような技術の開発がその経済政策のために必要かを経済学の観点から示さなければならない。例えば、温暖化防止といっても、自動車の燃料効率の向上で行うのか、原子力発電の推進で行うのか、資源の制約のある中で、いずれが我が国として経済的により効果的、効率的であるかを示さなくてはならない。同じように、農業の国際競争力向上といっても、資本、労働、土地のいずれの生産性向上を図るのか、我が国の置かれている制約条件の下でどのような技術開発がより効果的、効率的であるかを示す必要がある。およそ経済政策の中で、GDP、財政、国土条件等の制約条件を考慮しないで結論を出せるものはない。技術開発の前提として、経済学が必要だということである。経済官庁である以上、農林水産省技術会議にも経済学を理解する人がいなければならない。
それでは、我が国にとって、農業の国際競争力向上のためにはどのような技術開発を推進すべきだろうか。国際経済理論の中で最も基本的なものとなっているヘクシャー・オリーン理論の要点は「ある国は、その国に相対的に豊富に存在する生産要素を多用して生産される(集約的に用いる)財に比較優位を持ち、そうでない財に比較劣位を持つ。」というものである。
一般的には、農業は土地という生産要素を集約的に使用する産業である。したがって、ヘクシャー・オリーン理論によれば、土地の相対的に乏しい我が国では農業は比較優位を持ちえない。これが、土地に恵まれたアメリカやオーストラリアが農産物輸出国となり、我が国が輸入国となることの経済学的な説明である。しかし、この理論は、各国とも同じ技術を用いるという前提条件の上に立っている。もし、我が国で農業が土地集約的でない産業となるような夢の技術開発が実現すれば、我が国が農業輸出国となることも可能である。そこまでいかないにしても、土地の存在量が相対的に少なく資本が相対的に豊富な我が国において、品種改良による単収の向上等、土地節約的な我が国固有の技術進歩が生じたとするならば、農業が比較劣位を減ずることは可能である。このような方向で技術開発が行われることが、日本農業の国際競争力向上に必要なのだ。しかしながら、米の単収向上をタブー視してきたために、逆にカリフォルニア米の単収が我が国の単収を3割も上回るという状況になっている。前述した農政の矛盾によって、国際競争力向上のためのあるべき技術開発と逆の結果となっているのである。
モジュール化
最後に、計画に書かれていることが総花的ではないかということが気になった。あれもこれもと望むことは、あれもこれも実現できないことになりかねない。そうではないと思うが、この計画が今このような研究者や研究所がいるからこのような技術開発が必要だというアプローチで作成されたのであれば、本末転倒だろう。
また、研究体制として、農林水産業の技術開発においてもモジュール化という概念を活用してはどうだろうか。モジュール化とは、「全体として統一的に機能する包括的デザイン・ルールのもとで、より小さなサブシステムに作業を分業化・カプセル化・専門化することによって、複雑な製品や業務プロセスの構築を可能にする組織方法である。今日のような急激な技術革新の時代には、新しい技術革新が事業成功の鍵を握るが、技術革新は不確実性が大きく、ひとつの技術にかけるよりも複数のモジュールに技術開発を競わせるほうが成功の確率が高い。」というものである。モジュール化によって、特定の政策ニーズの発生に対し、研究資源を集中化することも可能となろう。
農政は、経済政策では失敗してきたことの方が多かったように思うが、技術については、高いレヴェルを達成しているのではないかという感想を持っている。『技術』に期待したい。
2005年6月15日号『週刊農林』に掲載