食料・農業・農村基本計画の問題点
―攻めることのできる強い農業の実現を―

山下 一仁
上席研究員

1.農政改革の後退

全ての農家に効果が及ぶ価格支持と異なり、直接支払いの最大のメリットは問題となる対象に直接ターゲットを絞って政策を実施できることである。中山間地域直接支払いの導入に際しては、政治的な抵抗はあったが、対象地域・農地を限定した。新しい直接支払いも将来の食料生産を担う農家に対象を限定しなければ構造改革効果はなくなる。しかし、対象を限定するという政策上の最大のメリットこそ、政治的には最大のデメリットとなる。さらに、種々の利益が絡まる予算を抜本的に見直す事は大変なリーダーシップを要する。

しかし、2003年の8月末、唐突に「諸外国の直接支払いも視野に入れて」基本計画を見直すという農林水産大臣談話が出された。農産物関税に上限を設定するというアメリカとEUのWTO交渉に関する合意が同年8月13日になされたためである。上限関税率は今のEUの最高関税率200%を超えることはありえず、アメリカの現行関税率、EUの改革状況から100%程度と考えられる。490%のコメの関税率等をそこまで下げると、日本農業は壊滅する。直接支払いの政治的困難さなど頭から吹っ飛んでしまうほどの危機感が大臣談話につながったと思われる。

しかし、3年9月のカンクン閣僚会議議長案で米は上限関税率の特例にできるかもしれないという期待が生じたため、改革の意欲が後退した。同年12月食料・農業・農村審議会の初会合で、農林水産省は米を直接支払いの対象としないという考えを述べた。

さらに、04年8月食料・農業・農村政策審議会の『中間論点整理』では、改革の中心となる経営安定対策については、麦、大豆等の不足払いを担い手農家に対する直接支払いに移行する、WTO交渉で関税引下げの議論が先送りになったので米のみならず麦、牛乳等他の農産物を含め関税引下げへの対応としての直接支払いは見送るという内容となった。これは、WTO枠組み合意について、関税引下げについて例外を要求しても、関税割当の拡大という代償は必要でないという日本政府の解釈を前提としている。

麦等の不足払い(農家手取保証価格=市場価格+不足払い)を廃止すれば農家手取価格は市場価格まで低下する。これは生産費を下回るので、農家は(生産をするだけ損失が生じるので)生産を止めて直接支払いだけを受けることが最も経済合理的となり、麦や大豆の生産は壊滅する。当該年の生産量・品質に基づく支払いを組み合わせても、この支払いを加えた農家手取価格が生産費を下回る以上、同じである。米の相対収益性はますます有利化し、かつて麦等を生産した農家が米生産にシフトしかねない。米の過剰圧力はさらに高まり、これまで自給率を40%に維持してきた麦・大豆の生産は減少し、食料自給率は低下する。食料自給率向上のための正答は、米の生産調整廃止及び担い手に対象を限定した農地面積当たりの本格的直接支払い導入、麦等の不足払い維持である。

本格的直接支払いを先送りしたのは、今導入するとWTO交渉で関税引下げを容認するというメッセージを他の交渉国に送ってしまい、交渉の負けを意味するからだと説明される。しかし、関税引下げを余儀なくされたら直接支払いを導入するということ自体、関税引下げを容認するというメッセージを他の交渉国に送ることに他ならない。いずれ導入するならなぜ今やらないのだろうか。農政改革を先送りしている間に農業は確実に衰亡してしまう。交渉結果に先立ち農政改革を実施しているEUは交渉に負けているのだろうか。

2.新たな食料自給率目標

基本計画では、カロリー・ベースと並んで、生産額・金額ベースの目標を合わせて設定し、現在の70%から76%に拡大するとしている。野菜・果物は米と並ぶ生産額だが、カロリーが少ないため、カロリー・ベースの自給率目標では、野菜・果物の生産活動は反映されない、高付加価値農産物の生産も同じと説明されている。

戦後食料の買出しのため着物がひとつずつ剥がれるようになくなるタケノコ生活を送ったのは都市生活者であって農家ではなかった。近くは1993年の米の大不作、いわゆる平成の米騒動の際、スーパーに殺到したのは消費者であって農家ではなかった。食料安全保障とは本来消費者の主張であって農業団体の主張ではない。

金額ベースの自給率では、例えば、自給率51%の果物の価格が下がり、生産が拡大し、輸入が減少した場合、自給率は向上する。これは消費者にメリットのあるケースである。しかし、米のように関税が高くそもそも輸入が少ない場合、コストダウンとは逆に国産農産物の価格が上昇すれば、消費量はそれほど減らないので、消費者の購入額、農家の生産額は増え、金額ベースの自給率も向上してしまう。このケースは、農家にとってはよいが、消費者にとっては不利益である。すなわち、カロリーでも金額でも自給率の測定には問題がある。

そもそも、食料危機の際には、飽食といわれる現在の食生活は維持できない。したがって、それを前提にした自給率目標は、本来あまり意味がない。

食料生産の基本であり、食料安全保障に不可欠な資源は、農地である。1960年ころの609万ha及びその後造成した100万ha、合計700万haの農地のうち農地改革で解放した194万haを上回る230万haが転用・潰廃された。これは東京都の10.5倍の面積である。農地の減少の約半分は宅地などへの転用である。戦後の食糧難の時代人口7000万人に対し農地は600万ha存在した。現在人口1億3000万人に対し農地は500万haを切っている。今では国民がイモや米だけ食べてかろうじて生き長らえる程度の農地しか残っていない。

農家にとっては、宅地への農地の転用利益がなくなって不利益かもしれないが、消費者のための食料安全保障を考えるのであれば、食料自給率よりも農地面積の目標を前面に掲げるべきではないだろうか。

3.農産物輸出と攻めの農政

2003年のわが国の農産物輸入額は4兆4000億円に対し、輸出はわずか2000億円にすぎない。そのうち、小麦粉、即席めん等ほとんどが、輸入農産物を使った加工製品である。国産農産物を使った輸出は、リンゴや長いものように、ニッチ・マーケット、隙間市場ねらいのものに過ぎない。豚の皮71億円、リンゴ43億円、長いも15億円、緑茶15億円、米7億円、梨6億円くらいである。農業生産額9兆円に対し、合わせても200億円程度、0.2%に過ぎない。小泉総理の好きな野球に例えれば、3塁前のセーフティ・バントのようなものである。このような輸出がどれだけ伸びても、衰退している農業の起死回生を図れるほどのホームランにはならない。仮に10倍になっても農業生産額の2%である。

東アジア地域の経済発展による食品需要の拡大を考えると、輸出も有望であることに間違いはない。高品質化等により製品の差別化に成功すれば、値段が高くても売れるかもしれない。しかし、食品の場合、製品の差別化は主として味の差別化であるが、野菜、小麦、大豆、卵等では味に差は出にくい。それが可能なものは果物、和牛肉、米、チーズ、加工食品などに限られてしまう。また、中国、台湾でおいしいという評価がある日本の米についても、品質で価格差をカバーするには限度がある。本気で輸出しようとすれば、本格的な農業改革を行い、農業の規模を拡大し、価格競争力をつける必要がある。昨年7月、経済産業研究所のシンポジウム『21世紀の農政改革-WTO・FTA交渉を生き抜く農業戦略』でケン・アッシュOECD農業局次長は「国内市場で輸入品と競争できないものは海外市場でも競争できない」と述べた。地の利のある国内市場で勝てないチームが敵地で勝てるはずがない。マーケティングさえやれば売れるというのは安易に過ぎる。攻めの農業といっても実力が備えなければ勝負にならない。攻めるためには“強い農業”でなければならない。現状はリトル・リーグとメジャー・リーグほどの実力差がある。練習・努力もしないで強くはなれない。総理の施政方針演説にあるとおり、「やる気と能力のある農業経営を重点的に支援する」ことによって、強い農業を目指すことが、輸出するためにも国内市場を確保するためにも必要なのである。

2005年6月5日号『週刊農林』に掲載

2005年6月17日掲載

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