米国産牛肉輸入問題の経緯と論点

山下 一仁
上席研究員

アメリカでは農業は最も国際競争力の高い部門の1つと考えられている。2002年で、アメリカの農産物販売額は20兆円、このうち牛肉産業は4分の1を占める5兆円で、農業分野では最大の産業となっている。牛肉生産量は860万トン、このうち78万トンが輸出されている。その最大の輸出先が日本で22万トンである。アメリカが牛肉輸出再開に熱心になる理由がここにある。

そのアメリカで、2003年12月BSE(牛海綿状脳症)の発生が報告された。日本は直ちにアメリカからの牛肉等の輸入を停止した。アメリカ政府は、歩行困難な牛の食用としての流通の禁止、30カ月齢以上の牛について脳、背髄等特定危険部位の除去の義務付け等の安全対策を公表した。さらに、30カ月齢以上で歩行困難や中枢神経障害等のBSE感染の兆候のある牛を中心に、検査頭数を拡大すると発表した。しかし、これでもアメリカで1年間に処理される3500万頭のわずか1%程度に過ぎず、全頭検査と同等の措置を要求する日本側とは大きく乖離していた。

このため、2003年12月から2004年4月まで日米局長級会談が3回開催された。アメリカは、BSEの原因である異常プリオンは感染していても月齢の少ない牛では少ないこと、現在のBSE検査の迅速診断方法では異常プリオンの蓄積の少ない牛を検出しにくいこと、このため多くの発生国は30カ月齢以上の牛についてのみ検査していること、危険部位を除去すればリスクのほとんどを除去できること、全頭検査は牛肉業界に多大なコストを強いることなどの理由をあげて、全頭検査をしなくても日本がアメリカ産牛肉の輸入を認めるよう要求した。最終的には、2004年10月の第4回局長級会談において、(1)特定危険部位はあらゆる月齢の牛から除去する、(2)牛肉は、個体月齢証明等の生産記録を通じて20カ月齢以下と証明される牛由来のものとする、両国の専門家は、枝肉の生理学的月齢を検証(3)するため、枝肉の格付けおよび品質属性に関する協議を継続する、という共同記者発表が行われた。

アメリカには、日本のように、誕生等の記録を明らかにできる個体識別制度は一般的ではないため、どのようにして月齢を証明するのかが焦点となる。生産記録に基づき月齢証明ができるものはアメリカの10%の牛にすぎない。日本向けの輸出はアメリカ牛肉生産の3%に満たないことから、これらのものに輸入を限ることも考えられる。しかし、日本向けの牛肉は、牛丼用のショートプレートや焼肉用のショートリブなど特定部位が大部分を占めており、牛一頭丸ごと輸出されるものではない。この日本向け需要を満足させるためには、少なくとも年間処理牛の3割に相当する1000万頭の月齢を確認する必要があるとの試算もある。このため、局長級会談を受けて枝肉の成熟度による月齢の確認方法について日米の専門家等が検討した結果、21カ月齢以上の牛の枝肉がA40という基準以下に評価される可能性は低いこと、A40という基準を採用する際の留意点等の報告がなされた。

並行して、日本の食品安全委員会では国内対策の見直しが検討され、2004年9月(1)検出限界以下の牛を検査対象から除外してもリスクは増加しない、(2)20カ月齢以下のBSE感染牛を確認できなかったことを考慮すべきである、という中間取りまとめがなされた。これを受けて、厚生労働省、農林水産省は、全頭検査を見直して、21カ月齢以上の牛のみを検査するという国内対策見直し案を食品安全委員会に諮問した。食品安全委員会は、2005年3月、発見された21カ月齢の感染牛の病原体プリオンの濃度は低かった、20カ月齢以下の牛は日本で飼料規制が義務付けられた2001年10月以降2年経過後に生まれており、感染リスクは低下している、また、20カ月齢以下の牛のなかの感染牛は年間2頭以下と試算し、特定危険部位の除去等でプリオンが牛肉に残るおそれは極めて低いとする内容の答申案を公表し、4月28日までパブリック・コメントを受け付けている。

日本はアメリカに国内と同等の措置を求めるというスタンスであり、今後、政府の検査体制は十分か、月齢の確認方法をどうするのかなど、国内対策の見直しで20カ月齢以下の牛を検査対象から外しても、アメリカに同じ条件を認めてよいのかが食品安全委員会で議論されることとなる。要するに、日本が20カ月齢以下の牛を検査対象から外した根拠と同等のものがアメリカにも認められるのかということである。また、肉骨粉は牛等には禁止しているものの他の動物には禁止していないというアメリカの飼料規制の問題、飼料規制をしてもそれが確実に実施されているのかという点も審議対象となる。

本問題はアメリカ牛肉産業の比重の大きさから政治的にも注目を集めている。大統領、国務長官等から貿易の早期再開が要請された。アメリカ議会は牛肉輸入再開が遅れれば日本に経済的報復措置を採るべきだという決議を行なった。その一方で、カナダからの30カ月齢以下の生体牛の輸入再開を延期すべきだとの矛盾した決議を行なっている。また、アメリカ政府は、我が国食品安全委員会へのパブリック・コメントとして、検査対象を30カ月齢に引き上げるよう再調整を要求した。

日米間の協議とは別に、家畜疾病に関する国際機関であるOIE(国際獣疫事務局)では、無条件で輸入を承認すべき物品として、現在の牛乳・乳製品のほか、骨なし牛肉等を追加する等のBSEコードの改正案が提案され、5月下旬に改正される見込みとされている。この基準に照らせば、月齢にかかわらず、全てのアメリカ産骨なし牛肉の輸入が求められることとなる。OIEの基準はそれ自体直接的な拘束力はないものだが、WTO・SPS協定では国際基準に適合する措置はWTO協定に適合しているとみなされ、それより高い基準を採ろうとする国は科学的に正当な理由があることを立証する必要があるので、事実上強制的な基準となっている。アメリカの要求より、こちらのほうが問題を抱えている可能性がある。

本件は消費者の感情という従来の貿易問題を超える要素を含んでいる。アメリカ産牛肉の輸入を認めざるをえない場合、アメリカ自体が牛肉の原産国表示を求めているように、アメリカ産牛肉かどうか、検査を行ったどうかの表示をさせることにより、消費者が危ないと思う牛肉を買わないようにする方法がある。表示は消費者に対する情報の提供である。たとえ安全な食品でも消費者はそれがどのような食品なのか知る権利がある。

2005年5-6月号 『JPNマネジメント』に掲載

2005年5月23日掲載

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