FTA・WTO交渉と日本の農政改革

山下 一仁
上席研究員

1.改革の必要性

(1)FTA・WTO交渉から要請されるもの
1995年のWTO(世界貿易機関)設立により世界全体の農産物貿易に新しい規律ができあがり、現在更なる自由化に向けて交渉がなされている。ほとんどの産品について関税撤廃を要求される二国間の自由貿易協定の締結交渉(シンガポール、メキシコ、フィリピンと締結し、現在タイ、マレーシア、韓国と交渉中)でも農産物は大きな争点となっている。いずれの交渉でも、関税引下げが要求される。それに対抗できるためには、国産農産物価格を下げなければならない。しかし、米価に象徴されるように価格で農家所得を維持してきた農業界にとっては、価格引下げにつながる関税引下げは断じて認められない。このため、農業のせいでWTO交渉においてリーダーシップがとれない、自由貿易協定が結べないという非難が産業界から農業界に向けられている。世界最大の農産物純輸入国でありながら、農政に対する内外の風当たりは極めて強い。

(2)日本農業の衰退
明治から1960年まで、農業の不変の3大数字といわれた農業就業者数1500万人、農家戸数600万戸、農地面積600万ヘクタールは大きく減少した。今では、農業就業者数300万人、農家戸数300万戸、農地面積470万ヘクタールである。GDP(国内総生産)に占める農業の割合は、60年の9%から1%に減少している。しかも、これからOECDが計算した農業保護額を引けば、農業のGDPはゼロ、マイナスになってしまう。農業者の著しい高齢化が進行し、65歳以上の農業者の比率は1割から6割へ上昇した。フランスでは、54歳未満の農業者の比率が6割である。FTA交渉とかWTO交渉とかをうんぬんする前に、今のままの高関税政策を続けても、農業の衰退傾向に歯止めがかからない状況になっているのである。

2.日本農業保護の構造

(1)日本の農業保護は高くない
農業保護の指標としてOECDが開発したPSE(生産者支持推定量)は関税による消費者負担(内外価格差×生産量)に納税者負担による農家への補助・支払いを加えたものである。2003年のPSEは、アメリカ389億ドル、EU1214億ドル、日本447億ドルとなっている。アメリカとほぼ同レベル、EUの半分以下である。GDP比でみても、日本1%、アメリカ0.4%、EU1.2%でEUより低い。農産物の平均関税率(12%)は、アメリカ(6%)よりは高いが、EU(20%)、タイ(35%)より低く、世界最大の農産物純輸入国になっている。

(2)保護の間違い
それなのに、FTA・WTO交渉において農業では常に後向きの対応しかしない最も農業保護主義的な国という内外の批判があるのは、保護の仕方が間違っているためである。

1)PSEは消費者負担と納税者負担の部分からなる。関税により高い価格で農業を保護している消費者負担の部分は、WTO農業協定で農業保護削減の基準年とされている86~88年から2002年にかけてアメリカ46%→39%、EU85%→57%と低下しているのに、日本は90%→90%のままである。
アメリカは農家に対する保証価格と市場価格との差を財政により補填(直接支払い等)することにより、農家所得を維持しながら消費者への安価な供給と国際競争力の確保を実現してきた。EUは関税等により域内市場価格を国際価格より高く設定する一方、過剰生産分を輸出補助金によって処理していた。しかし、1992年に農政改革を行い穀物の域内支持価格を引き下げ、財政による農家への直接支払いで補った。いまや穀物の支持価格は、小麦シカゴ相場を下回っている。EUはアメリカ産小麦に関税ゼロでも輸出補助金なしでも対抗できるのである。しかも、EU拡大等自らの域内事情からWTO交渉に先んじて農政改革を行っている。今回も昨年6月さらなる改革を行い、これをもって関税引下げ、輸出補助金撤廃を提案するなどWTO交渉に積極的に対応している。
我が国も2000年度から条件不利な中山間地域への直接支払いを導入し、価格政策から直接支払い政策への一歩を進めることとなったが、消費者負担型農政の基本的性格に変わりはない。EUがアメリカと同じ財政負担型農政に転換したにもかかわらず、日本のみ取り残されている。かつてのアメリカ対EU・日本という構図がアメリカ・EU対日本という構図になっている。

2)しかも、日本の保護は米など特定の品目に偏在している。これを表すOECDの指数では、日本118に対し、EU59、アメリカ29である。関税構造も平均関税は低いが、一部品目に突出した高関税(米490%、バター330%、砂糖270%)がある富士山型となっている。

3.なぜ、関税依存の消費者負担型農政ができ上がったのか。

戦前の農政には小作人の解放と零細農業構造の改善という2つの目標があった。前者は農地改革によって達成された。後者に対し1961年の旧農業基本法は農業の構造改革を行い、規模拡大・コストダウンによる農家所得向上を目指した。

しかし、実際の農政は所得向上のため米価を上げた。農業資源は収益の高い米に向かい、過剰となった米の生産調整を30年以上も実施する一方、麦等の生産は減少し、食料自給率は60年の79%から40%へ低下した。農産物コストを低下させる品種改良等による収量の向上は、生産調整の強化につながるので抑制された。農地集積による規模拡大もコストを下げる。しかし、高米価のもとではコストの高い農家も米を買うより作るほうが安上がりとなるため、零細副業農家が滞留し主業農家に農地は集積しなかった。平均農家規模は40年かけて0.9ヘクタールが1.2ヘクタールになっただけである。53年まで国際価格より安かった米は、いまでは490%の関税で保護されている。高米価政策は食料自給率や国際競争力の低下という大きな副作用をもたらしたのだ。

兼業化が進み、副業米単作農家の所得(792万円)は勤労者所得(646万円)を大きく上回っているが、食料供給の主体となるべき主業農家は育たなかった。政策対象を主業農家に限定し構造改革を積極的に推進したフランスでは、自給率は99%から132%へ、農場規模は2.5倍へ拡大した。

4.農政改革の基本方向

直接支払いを導入し関税依存度を低めているアメリカやEUと異なり、米、麦、乳製品等に突出した高関税を持ち直接支払いに踏み切れない日本にとって、関税は交渉での最重要分野である。2004年7月のWTO農業枠組み合意では、高い関税品目のグループには高い削減率を課す方式が合意された。重要品目については高い削減率の例外が認められるが、例外には代償が必要であるというWTOの基本ルールに従い、(低税率の)関税割当を通常要求される以上に拡大することがその条件とされた。

農業を保護することとどのような手段で保護するかは別の問題である。関税はあくまで手段にすぎない。目的とすべきは農業の発展や国民への食料の安定供給であって関税の維持ではない。消費者から負担を求める方が財政当局と折衝するより抵抗が少ないことが関税という手段を採ってきた理由である。しかし、納税者負担による直接支払いは、消費や貿易への歪みをなくし国民経済全体の厚生水準を高め、諸外国との貿易摩擦を避けるとともに、受益の対象を真に政策支援が必要な農業や農業者に限定できる。

関税引下げに対応するためには、EUのように直接支払いを導入し国内価格を引き下げればよい。しかし、内外価格差のある中で関税割当の拡大は国内生産の縮小をもたらす。農業界が食料自給率の向上を唱えるのであれば、関税引下げ、関税割当拡大のいずれかを求められる場合は迷わず関税引下げを選ぶべきだ。

その際、護送船団方式的な対象農家を限定しない直接支払いでは、一律の価格支持による消費者負担を財政負担に置き替えるだけで農業の効率化は図れず、国民負担は減少しない。零細副業農家の米販売額109万円のうち農業所得はわずか12万円、これは米価1万6000円/60kgが1800円低下しただけで消える。生産調整という価格維持カルテルを廃止し、米価を需給均衡価格9500円程度まで下げ、農業所得を大きく赤字にすれば副業農家は耕作を中止する。さらに農地を農地として利用するための農業版特別土地保有税を導入し不作付け対応の機会費用を高めれば、農地は貸し出される。一方、一定規模以上の主業農家に耕作面積に応じた直接支払いを交付し、地代支払能力を補強すれば、農地は主業農家に集まる。3ヘクタール未満層の農地の8割が流動化すれば3ヘクタールの農家規模は15ヘクタール以上に拡大しコストは下がる。

このコストダウン効果により、構造改革を行わず内外価格差を全て財政で補填する場合より財政負担は大幅に軽減できる。しかも、直接支払い(農産物の関税を全廃する場合でも所要額は1.7兆円以内)を3兆円程の農業予算内で処理すれば財政負担は増えない。価格低下により農業保護の9割、5兆円(消費税2%相当)に及ぶ消費者負担は消滅し、国民負担は大幅に低下する。生産調整廃止による米生産の拡大及び米と他作物の相対収益性の是正を通じた他作物の生産拡大により食料自給率は向上する。週末以外も農業に専念できる主業農家は農薬・化学肥料の投入を減らすので、環境にやさしい農業を実現できる。

農業を保護するかどうかが問題ではない。関税による価格支持か直接支払いか、いずれの政策を採るかが問題なのである。関税引下げという外圧が来るまで改革しないというのではなく、衰退の著しい我が国農業自体に内在する問題に対処するため改革を行わなければ、外から守っても農業は内から崩壊する。EUは先んじて農政改革を行い、WTO交渉で関税引下げ、輸出補助金撤廃を提案するなど積極的に対応している。これまでどおりの農政を続け座して日本農業の衰亡を待つよりは、直接支払いによる構造改革に賭けてみてはどうか。

2005年4月号 『技術と普及』に掲載

2005年4月1日掲載

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