TPPと農業再生
第5回 TPP交渉の行方

山下 一仁
上席研究員

日本は、選挙戦での安倍総理の発言や国会決議に拘束されて、農産物の関税撤廃に譲歩できない。アメリカTPA法案の議会可決が遠のいた。TPP交渉は、いつ妥結されるのだろうか?

日本から見たTPP交渉

自民党や国会の委員会は、コメ、麦、牛肉・豚肉、乳製品、砂糖などを関税撤廃の例外とし、これが確保できない場合は、TPP交渉から脱退も辞さないと決議している。これまでの通商交渉と同様、政治的には、農業が日本の最大の関心事項である。

日本の政権内では、安倍総理がオバマと会って、アメリカは工業製品(自動車)、日本は農産物にセンシィティビティがあることを認め合ったはずではないかという見方があると言われている。この会談後、安倍総理は、交渉には聖域があることを確認したと発言している。しかし、アメリカとしては、センシィティビティがあるとは認めたが、それは関税を維持するということではないという理解だろう。関税維持は日本の思い込みであって、アメリカはそこまで約束していない。アメリカも、自動車の関税を撤廃することは認めている。その撤廃までの期間を長くすることが、センシィティビティの反映だと考えているのだ。日本の農産物についても、「20年という長期の関税撤廃期間を認めてやるので、センシィティビティを考慮しているではないか。20年もかければ、日本農業の生産性も向上できるのではないか。」と反論されれば、日本は再反論できないのではないだろうか。

日本の国内では、加工品や調整品の関税撤廃により、交渉を乗り切れるのではないかという見方がある。重要5品目は、関税分類では、加工の程度や成分によって多数に分類される。例えば、コメでは、玄米、精米、米粉、もち、だんご、せんべい、米菓の生地、米粉調製品など58品目ある。重要5品目全体では586品目で、工業品も入れた全品目の6.5%を占める。これを全て除外すると、関税撤廃品目の割合を示す"自由化率"は93.5%となる。これは98%程度の自由化率を目指しているTPP交渉の相場とあまりにもかけ離れている。したがって、関税品目数の圧縮を検討しようとしたのである。

しかし、加工品や調整品の関税が撤廃されれば、国内農産物の生産は減少する。仮に、この結果、自由化率を95%にすることができたとしよう。TPP交渉相手国が評価するだろうか? 関税交渉というのは、自由化率についての交渉ではない。自国の産品をどれだけ売れるか、そのために相手国の関税をどれだけ撤廃するかという交渉なのである。

日本の重要5品目については、アメリカ(コメ、麦、乳製品、牛肉・豚肉)、豪州(コメ、麦、乳製品、牛肉・豚肉、砂糖)、カナダ(麦、牛肉)、メキシコ(牛肉・豚肉、砂糖)、ニュージーランド(乳製品)、ベトナム(コメ)の、対日輸出関心品目である。牛肉調製品の関税を撤廃しても、牛肉の関税が維持されるのであれば、アメリカも豪州も了承しない。自由化率を上げても、重要5品目の関税撤廃は避けられない。

あくまで関税維持にこだわれば、どうなるか? 原則に対して例外を主張する国は、代償を払わされるのが、通商交渉だ。ガット・ウルグァイ・ラウンド交渉で、輸入数量制限等の非関税障壁を関税化すれば消費量の5%の関税ゼロの輸入枠(ミニマム・アクセス)を設定するだけで済んだのに、我が国はコメについて関税化の特例(例外)措置を要求したために、この輸入枠を消費量の8%まで拡大するという代償を払わなければならなかった。それが過重だと分かったので、1999年に関税化に移行し、消費量の7.2%(77万トン)に抑えることとした。

このときも、麦、乳製品、豚肉、砂糖、でんぷんなど多くの輸入数量制限対象品目の生産者団体は、関税化反対を叫んだものの、最後はコメだけの例外措置で決着した。仮に、乳製品を例外にすると、砂糖の業界も例外にしてくれと要求するだろう。しかし、コメだけ例外にすれば、残りの品目に不満は生じない。コメこそ政治的には他に匹敵する品目がない聖域だからである。

安倍首相はオバマ大統領との会談で農産物に聖域があることを確認したと、自民党内に説明したうえで、TPP交渉参加に踏み切った。少なくとも、聖域の中の聖域であるコメについては、関税を維持しなければならない。しかし、米国のコメ業界の対日輸出を増やさなければならないという実利にも、対応しなければならない。そうすると、TPP参加国に対する関税ゼロの輸入枠、TPP枠を設定するしかない。

このような結末は、日本の国益を損なう。コメの例外を認めてもらうかわりに、米国の日本車に対する関税撤廃時期は大幅に遅れることとなろう。農業にとっても、関税を下げないのであれば、今まで通り減反政策を維持し、高米価政策を継続することになる。コメ農業の構造改革はさらに遅れる。ガット・ウルグァイ・ラウンド交渉と同じく、また日本は名をとって、米国が実をとるという結果になってしまうだろう。

しかも、これは、交渉の最終の姿である。安倍総理は、自民党には、農産物関税撤廃の例外を勝ち取る交渉力があると主張して、国会両院の選挙戦を勝ち取った。日本の主張が何度も否定される姿を、国内の農業界に示さない限り、今の段階では、譲歩できない。ガット・ウルグァイ・ラウンド交渉の時も、例外なき関税化という世界の主張が、国内でやむをえないと容認されるまで、相当な時間がかかった。農業界に縛られた日本は、今年中には、交渉を妥結できない。

アメリカから見たTPP交渉

アメリカ憲法上、通商交渉の権限は連邦議会にある。このため、TPA(貿易促進権限)法を成立させ、議会の通商権限を行政府USTR(米国通商代表部)に渡し、アメリカ議会は政府が行った交渉の結果すべてに対して「イエス」か「ノー」だけ言い、一切修正しないこととしてきた。現在TPAをUSTRは持っていない。もちろんTPAがなくても、交渉した協定について議会に承認を求めることも可能だが、議会は自由に修正することができる。そうなれば、USTRは再交渉しなければならなくなる。

しかし、TPA法案が成立することは、容易ではない。議会には労働組合などの支援を受ける民主党の議員たちに自由貿易反対派が多く、この前のTPA法は、わずか1票差で下院を通過している。

これまでは、交渉を妥結する前には、アメリカ政府はTPAを獲得している。しかし、1月に出されたTPA法案については、提案者のボーカス上院財政委員長が中国大使に転出したり、民主党のペロシ下院院内総務が否定的な態度をとるなどから、今年中の議会通過は困難だというのが、ワシントンの通商関係者の大方の見方である。

これまでだと、TPAを持たないでは交渉を妥結できないことになるのだが、フロマン代表などUSTRは、逆に"良い内容のTPP交渉結果"を実現できれば、議会にTPA法案可決を強く迫れると考えている。つまり、これまでのような"TPA法案可決→TPPなどの交渉妥結"ではなく、"良いTPP交渉妥結→TPA法案可決"という流れである。

そのためには、関税撤廃やルールなどでレベルの高い協定を実現する必要があるし、日本の農産物の関税を撤廃し、アメリカ農業界が評価するようなものでなければならない。もちろん、他の関係業界、労働組合、環境団体からも評価を受けるものである必要がある。つまり、これらの利害関係者の意見を気にする議会に、交渉成果を"売れる"ものとならなければならないということである。

さらに、日本に農産物の関税撤廃の例外を認めてしまえば、TPP交渉に参加している他の国が、国営企業、知的財産権などの分野で、これまでTPP交渉でアメリカに譲歩してきたものを撤回しかねず、アメリカにとって、ますます議会に売れない協定になってしまうということである。

以上から、アメリカも日本に譲歩できない。

もちろん、アメリカも、豪州に対する砂糖、ニュージーランドに対する乳製品という弱い部分を抱えている。しかし、乳製品については、カナダや日本が参加したことで、これらの市場を開放できれば、アメリカ市場への影響は少なくなると、見ているようである。つまり、乳製品の関税撤廃は可能だということである。

砂糖については、譲歩案を提案しているようだが、豪州の反応は芳しくない。砂糖については、大統領選挙の帰趨を決めるスィング・ステイトと呼ばれるフロリダ州の生産者が、多額の政治献金を行うなど、大きな力を持っているので、アメリカは、譲歩できない。

フロマン代表などの交渉スタンスについて、否定的な見方もある。"良い内容のTPP交渉結果"とは何なのだというのである。今のTPA法案にもあるように、アメリカ議会には、貿易を拡大するために、通貨を操作してはならないと各国に義務付けるべきだという注文がある。日本が為替を円安に誘導することによって、自動車の輸出を拡大しているというアメリカ自動車業界の反発が、根っこにある。USTRだけでなく財務省などアメリカ政府はこれに反対している。アメリカ議会を説得するためには、この要望をTPP協定に書き込まなければならない。そんなことはできないだろうというのだ。

TPP交渉はいつ妥結するのか?

今の交渉の状況からすれば、2014年前半までは、農産物関税についても、国営企業などのルールについても、合意は難しい。2014年11月はアメリカの中間選挙があるので、それに近いタイミングでの妥結は難しい。したがって、2015年にずれ込むこととなるが、日本で国政選挙が行われるのは翌2016年であろうから、2015年の中頃に合意しても、選挙への影響は少ない。アメリカも、2015年には大きな選挙はない。TPAについても、中間選挙で議会の構成が変われば、新しい議会は、通貨条項にこだわらないかもしれない。交渉の妥結は、来年の2015年になるだろう。

2014年3月31日付け「IIST e-Magazine」に掲載

2014年3月31日付け「IIST e-Magazine」に掲載

2014年4月7日掲載

この著者の記事