WTO・FTA交渉と農業構造改革

山下 一仁
上席研究員

1.日本農業・農政の問題

戦前の農政には小作人の解放と零細農業構造の改善という2つの目標があった。前者は農地改革によって達成された。後者に対し1961年の旧農業基本法は農業の構造改革を行い、規模拡大・コストダウンによる農家所得向上を目指した。しかし、実際の農政は所得向上のため米価を上げた。農業資源は収益の高い米に向かい、過剰となった米の生産調整を30年以上も実施する一方、麦等の生産は減少し、食料自給率は60年の79%から40%へ低下した。農産物コストを低下させる品種改良等による収量の向上は、生産調整の強化につながるので抑制された。農地集積による規模拡大もコストを下げる。しかし、高米価のもとではコストの高い農家も米を買うより作るほうが安上がりとなるため、零細副業農家が滞留し主業農家に農地は集積しなかった。平均農家規模は40年かけて0.9ヘクタールが1.2ヘクタールになっただけである。53年まで国際価格より安かった米は490%の関税で保護されている。高米価政策は食料自給率や国際競争力の低下という大きな副作用をもたらしたのだ。兼業化が進み、副業米単作農家の所得(792万円)は勤労者所得(646万円)を大きく上回っているが、食料供給の主体となるべき主業農家は育たず、農業者の著しい高齢化が進行した。政策対象を主業農家に限定し構造改革を積極的に推進したフランスでは、自給率は99%から132%へ、農場規模は2.5倍へ拡大した。

2.EUの対応

域内市場価格を国際価格より高く設定し過剰生産分を輸出補助金で処理していたEUは、92年以降穀物等の支持価格を引き下げ、財政による農家への直接支払いで補っている。OECDも勧める、関税や価格支持による消費者負担から直接支払いによる財政負担型農政への転換である。現在の穀物支持価格は国際相場を下回っており、アメリカ産小麦に関税ゼロでも輸出補助金なしでも対抗できる。しかも、EU拡大等自らの域内事情からWTO交渉に先んじて農政改革を行っている。今回も昨年6月さらなる改革を行い、これをもって関税引下げ、輸出補助金撤廃を提案するなどWTO交渉に積極的に対応している。これに対し、我が国の農業保護のうち9割が関税を通じた消費者負担である。

3.WTO農業枠組み合意(2004年7月)

直接支払いを導入し関税依存度を低めているアメリカやEUと異なり、米、麦、乳製品等に突出した高関税を持ち直接支払いに踏み切れない日本にとって、関税は交渉での最重要分野である。枠組み合意では一定以上の関税は認めないという上限関税率は先送りされた。しかし、高い関税品目のグループには高い削減率を課す方式が合意された。重要品目については高い削減率の例外が認められるが、例外には代償が必要であるというWTOの基本ルールに従い、(低税率の)関税割当を通常要求される以上に拡大することがその条件とされた。

(表)各国の政策比率

4.農政改革の基本方向

関税引下げに対応するためには、EUのように直接支払いを導入し国内価格を引き下げればよい。しかし、内外価格差のある中で関税割当の拡大は国内生産の縮小をもたらす。農業界が食料自給率の向上を唱えるのであれば、関税引下げ、関税割当拡大のいずれかを求められる場合は迷わず関税引下げを選ぶべきだ。

その際、護送船団方式的な対象農家を限定しない直接支払いでは、一律の価格支持による消費者負担を財政負担に置き替えるだけで農業の効率化は図れず、国民負担は減少しない。零細副業農家の米販売額109万円のうち農業所得はわずか12万円、これは米価1万6000円/60kgが1800円低下しただけで消える。生産調整という価格維持カルテルを廃止し、米価を需給均衡価格9.5千円程度まで下げ、農業所得を大きく赤字にすれば副業農家は耕作を中止する。さらに農地を農地として利用するための農業版特別土地保有税を導入し不作付け対応の機会費用を高めれば、農地は貸し出される。一方、一定規模以上の主業農家に耕作面積に応じた直接支払いを交付し、地代支払能力を補強すれば、農地は主業農家に集まる。3ヘクタール未満層の農地の8割が流動化すれば3ヘクタールの農家規模は15ヘクタール以上に拡大しコストは下がる。

このコストダウン効果により、構造改革を行わず内外価格差を全て財政で補填する場合より財政負担は大幅に軽減できる。しかも、直接支払い(関税全廃する場合でも所要額は1.7兆円以内)を3兆円程の農業予算内で処理すれば財政負担は増えない。価格低下により農業保護の9割、5兆円(消費税2%相当)に及ぶ消費者負担は消滅する。国民負担は大幅に縮小する。

農業交渉で後向きの対応を採り続けるのではなく、直接支払い導入を前提として関税引下げ等WTO農業交渉やFTA交渉に積極的に対応しなければ投資や非農産品の関税引き下げ等日本が攻めるべき分野の交渉も進まない。しかも、WTO交渉等で関税が下げられるのを待つのではなく、衰退の著しい我が国農業自体に内在する問題に対処するための改革を行わなければ、外から守っても農業は内から崩壊する。これまでどおりの農政を続け座して農業の衰亡を待つのではなく直接支払いによる構造改革に賭けてみてはどうだろうか。

2004年10月号 日本経団連『経済Trend』に掲載

2004年10月13日掲載

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