農業、直接支払いで競争力

山下 一仁
上席研究員

日本の農政は関税によるコメなどの価格支持をやめ、価格低下で影響を受ける農家の所得を直接補償(直接支払い)する政策に転換すべきだ。当面の貿易交渉乗り切りのためだけではない。国民負担をはるかに軽減するうえ、農業の競争力強化につながり、消費者の利益に貢献する。

旧農業基本法の原点は構造改革

今秋開いた世界貿易機関(WTO)カンクン閣僚会合は、主に農業を巡る対立が根強く、決裂した。日本は一定以上の農産物関税(例えば100%以上)は認めないという米国・欧州連合(EU)の合意内容を受け入れることができなかった。

ほとんどの貿易品目の関税撤廃が要求される自由貿易協定(FTA)でも、農産物を巡りメキシコとの交渉は難航している。これから韓国に続き、農産物輸出国であるタイ、マレーシア、フィリピンとの交渉が控えている。農業のためにWTOでリーダーシップがとれない、FTAも結べないという非難が農業界に向けられている。その中で政府は食料・農業・農村審議会を開き、農政の見直しに着手した。

生産者保護の日本農政の象徴のように思われている旧食糧管理法は、戦時中の1942年、乏しい食料を国民に均等に分配する目的で作られた、消費者保護の立法であった。実際、コメは50年代初めまでは国際価格より安かった。

農業所得を上げるには価格を上げるか生産コストを下げるか2つの道がある。旧農業基本法(61年)は零細な農業構造を改革し、規模拡大・生産性向上によるコスト引き下げにより農業所得を向上させる後者の道を志向していた。

しかし、実際の農政は米価を上げて所得を上げる道を選択した。その結果、消費は減り、生産は増え、コメは過剰となった。95年の旧食管法廃止後も、生産調整によって、米価の維持が図られている。

品種改良などの技術進歩による単収(単位農地面積当たり収量)の増加は土地生産性を向上させ、いずれもコストを下げる。しかし、生産調整の強化につながる単収増加は好まれず、また、高米価の下では、生産コストの高い零細副業農家も、自家消費用に高いコメを買うより作るほうが安上がりなので、農地を貸し出さなかった。

こうして零細な農業構造は改革されず、日本農業の国際競争力は低下した。この40年間、平均的な農家規模はフランスでは150%拡大したのに、日本では36%(北海道を除くと17%)しか拡大していない。コメは500%の関税で保護され、国内価格は国際価格の6倍である。

農業保護をはかる指標として経済協力開発機構(OECD)が開発したPSE(生産者支持推定量)は、関税による消費者負担(内外価格差×生産量)に納税者負担による農家への補助・支払いを加えたものである。PSEに占める消費者負担の割合は86年から2002年にかけて、米国が47%から39%、EUが85%から57%に低下したのに対し、日本は90%のままである。

関税保護に依存 特異な日本農政

関税に依存したわが国では、消費者負担が極めて高い農政ができあがった。EUは92年に支持価格を下げ、農地面積に応じた直接支払いを導入することにより、関税依存度を大幅に低下させ、米国産小麦に関税ゼロでも対抗できるようになっている。米国も96年から生産や価格と関連しない直接支払いを導入した。いずれもWTO協定上削減しなくてよい直接支払いである。

国際競争力をつけてWTO・FTAを乗り切るには、日本もEUのように価格を下げ、直接支払いを導入すればよい。

まずコメについて生産調整を段階的に縮小・廃止して米価を需給均衡価格まで下げる。価格低下で影響を受ける一定規模(例えば都府県3ha、北海道10ha)以上の農家に対し、所得減を十分補償する米国型の直接支払いを交付する。価格支持と異なり、対象を絞り込んで助成することこそ直接支払いの本質であり、価格低下の影響を受けない農家に助成することは不適切(稲作副業農家の農業所得は10万円に過ぎない。また稲作副業農家の所得は既に勤労者世帯を大きく上回る)である。

米価を需給均衡価格まで下げるだけでは十分ではない。コメのみならず、他の農作物価格もWTO交渉の結果として想定される上限関税率100%(すなわち国際価格の2倍)の水準、さらには国際価格を目指して下げていかなければならない。そのためには構造改革効果を持つ直接支払いが必要となる。

価格が下がると、零細副業農家は農地を手放すが、受け手の主業農家の地代支払い能力も低下するため、農地は耕作放棄されてしまう。一定規模以上の主業農家に農地面積に応じたEU型の直接支払いを交付し、地代支払い能力を補強してやれば、農地はこれら農家へ集積する。この直接支払いは、地代費用を軽減するというそれ自体の直接的なコストダウン効果と、農地の集積による規模拡大・生産性の向上を通じた間接的なコストダウン効果(これにより財政負担は節約できる)を発揮する。

将来の食料生産を担う農家に対象を限定しなければ構造改革効果はなくなる。しかし、農業団体が農家選別だと反対する理由はない。副業農家も直接支払いの一部を地代として受け取るからだ。

PSEによれば、日本の農業保護の国民負担は関税による価格支持が5兆円、納税者負担が0.5兆円である。価格支持のうち農薬・肥料などに支払ったあと農家所得となるのは4分の1以下である。WTOも農産物関税全廃まで要求するものではなく、農産物について例外を設けないFTAもほとんどないが、仮に国内価格を国際価格まで引き下げても、1.75兆円(5兆円の4分の1+0.5兆円)の直接支払いで今と同じ農家所得を維持できる計算だ。

実際、筆者が一定の前提を置いて概算したところ、全ての水田・畑・草地について上限関税率が100%の場合には約1.1兆円、関税ゼロという極端な場合でも約1.8兆円ですむ。国の農業予算は2.4兆円、補助金の地方負担を加えると3.4兆円もある。これを農業予算内で処理すれば、これまで消費者が負担していた2%の消費税にも相当する5兆円は消滅し、国民負担は大きく軽減される。

WTOでは水資源の涵養(かんよう)など農業生産以外の役割を重視すべきだという多面的機能の主張でわが国とEUは一致したが、日本は関税、EUは直接支払いと、交渉上得ようとする政策が異なったため、連携は破たんした。EUと連携するなら一致した政策をとるべきではないか。

農政の財政負担 消費者の利益に

農業保護の大半を負担してきた関税をその重荷から解放し、消費者負担型農政を転換するのだ。価格支持でないこと、納税者負担によることが、WTO協定上削減対象外(緑)の政策の基本要件である。

消費者負担型の政策は誰が負担しているかが不透明であるが、納税者負担型の政策は負担と受益の関係が国民に明らかになる。価格支持は貧しい消費者も負担し、裕福な土地持ち副業農家も受益する、逆進的で不公平なものだ。納税者負担による直接支払いは消費のゆがみをなくし、経済厚生を高めるとともに、受益の対象を真に政策支援が必要な農業や農業者に限定できる。これが世界の農政の潮流だ。

農政改革はWTO・FTAだけではなく国民や消費者のためにこそ必要なのである。食糧自給率は4割。食料安全保障に不可欠な農地は今や480万haと、国民がイモだけ食べて生き永らえる程度しか残っていない。農業就業者人口は1400万人から280万人に激減(農業就業者のいないパートタイム的農家が増加したため今や農業就業人口は農家戸数300万を下回る)した。農業以外の所得の割合が多い第2種兼業農家の比率は7割、65歳以上高齢農業者の比率は6割近い。消費者への食料供給にとって憂慮する事態なのだ。

直接支払いによって農地を集積していけば、食料供給を担う農家が育つとともに規模拡大によるコストダウンが図られ、価格は下がり、農政の財政負担は消費者の利益に転化していく。これこそ消費者に軸足を置いた農政である。いまこそ農政は、これまでないがしろにしてきた旧農業基本法の原点に立ち返る必要があるのではないか。

2003年12月22日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2003年12月26日掲載

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