ゼロ金利下の政策を問う 次は財政 新改善目標を

渡辺 努
ファカルティフェロー

量的緩和策解除後の金融政策の焦点はゼロ金利の解除に移ったが、日本銀行はその条件を明確にするため、先に示した物価安定の目安をインフレ参照値などに格上げするのが適切だ。ただその際には財政規律の強化が不可欠で、政府は財政収支改善の新たな目標を定めるべきである。

新段階に至った政策組み合わせ

いまから7年ほど前に筆者が参加したあるシンポジウムでのことだ。当時、日銀はすでにゼロ金利政策を導入しており、日銀にそれ以上を期待するのは無理ではないかという意見が相次いでいた。そのときフロアから手が挙がり、次のような趣旨の疑問が投げかけられた。財政はバブル後に経済の下支えを強いられた結果、未曾有の国債残高を抱え、財政当局はその処理に苦悩している。それと比べると日銀がやったことは金利をゼロまで下げただけであり、自らの手を汚していない。財政が限界まで突き進んだのだから今度は金融政策が重荷を負う番なのではないかと。

この財政当局者の発言は筆者にはやや乱暴な理屈に聞こえたが、それでも金融政策の技術論に終始していた開場の雰囲気を一変させるのに十分な説得力のある意見だった。

財政と金融のポリシーミックス(政策組み合わせ)が今また重要な転換点を迎えている。量的緩和政策はその採用から5年後のこの3月に解除された。超短期の金利を制御することを正常な金融政策とよぶとすれば、それは確かに「正常化」に向け一歩を踏み出したといえる。だとすれば、次は財政政策が正常化する番だと、あの出席者でなくとも考えるだろう。

しかし、ここで気になるのは、金融と財政が連携なしでそれぞれ独立に正常化できるというシナリオを多くの人が持っているようにみえることである。それは単純な誤りであり、この点で残念ながら7年前と同じ誤解が今も残っている。

たとえば9日に公表された日銀の説明資料には「財政」という言葉は登場せず、政策委員が適切とみる物価上昇率(「中長期的な物価安定の理解」)の裏で財政問題がどう考慮されているか不明である。財政運営が順風満帆であればよいが、現在のような危機的状況では、これは適切ではない。しかもこれは日銀だけの問題ではない。日銀に対しインフレ目標の採用を迫る論者もまた、財政と切り離して金融政策の運営方式を設計できるとの前提に立って主張を展開する傾向がある。

ポリシーミックスに関する1990年代初以降の研究では重要な性質が明らかにされてきた。囲碁や将棋の比喩で言えば金融政策当局が「先手」で財政当局が「後手」という組み合わせが理想の姿ということである。

先手の中央銀行は、物価安定を強く意識して政策を運営するが、その際に自らの行動の財政的な帰結には配慮しないというのが先手の意味である。たとえば金融政策の結果、予想外のデフレが生じれば国債の実質価値が高まり財政に影響するが、そうした面は考慮せずに金融政策を決めるということである。他方の財政当局は、金融政策の財政への影響を含めて財政面の責任を全て負う。これが財政後手の意味である。予想外のデフレで国債の実質価値が高まれば財政当局はそれに見合う増税や歳出削減を行わざるを得なくなる。

財政規律ないと独立性も危うく

この理想型では、金融政策の財政的帰結も含め財政についての責任を一手に引き受けているという意味で財政当局は強い財政規律をもつ。一方、中央銀行は財政的な帰結を気にすることなく物価安定に専心しており、強い意味で財政からの独立性を有している。

しかし、現実のそうなっている保証はどこにもない。政治環境次第では理想型と正反対の組み合わせ、つまり財政先手、金融後手に陥りかねない。典型例は戦争だ。政府にとっては戦争遂行が最重要課題であり、支出が膨張して国債が累増する。しかしそれに見合う増税は不可能である。

このときには中央銀行が高インフレを容認する政策を採用し、国債の実質価値を減らすしかない。つまり、今度は中央銀行が財政政策の後始末を迫られることになる。財政先手とは財政規律が欠けている状態であり、そのときには中央銀行の独立性は維持できない。

財政先手の場合には物価は先行きの財政運営に関する人々の予想で決まる。しかし政治と深く関係している財政政策の先行きを見通すことは容易ではなく、その予想の揺らぎは大きい。これに対して金融政策の先行きに関する予想の揺らぎは様々な工夫により小さくすることが可能である。

日銀が今回導入した「中長期的な物価安定の理解」もそうした工夫の1つとみることができる。しかし、以上の議論から明らかなように、そうした工夫の効果は財政次第であり、望ましい効果をもつのは財政後手の場合に限られる。

では日本の財政は先手か後手か。そうした問題意識から筆者は藪友良(日銀)・伊藤新(一橋大)の両氏と1885年以降120年間のデータを用いて政府債務と財政収支の関係を分析した。その作業からは、財政の大きなレジーム(枠組み)転換点として、1917年と1949年の2つの時期が検出された。

16年以前は、債務残高が多ければ、危機感からその削減努力でフローの財政収支が黒字になるという財政後手の傾向が強く確認された。19世紀末以降、それまでは金本位制維持のために健全な財政運営が不可欠で、この歯止めにより財政規律が保たれていたと思われる。しかし17年には金本位制を事実上停止(30-31年に一時復帰)し、その後軍費増の要請が強まるにつれ財政先手の時代に入り、この状況は49年のドッジライン(緊縮政策)による財政改革まで続いた。

この2つの転換点よりバブル崩壊後の財政レジームの変化は小さいが、それでも財政と金融の今後を考える上で示唆に富む結果が得られた。まず政府債務が増えてもその削減のためにプライマリーバランス(基礎的財政収支)を改善させる程度が非常に弱まった点である。これは財政先手の可能性を示唆している。

しかし同時に、政府の利払い費の増減に対してプライマリーバランスを改善させる度合いについては、バブル前後で大きく変化していない。つまり、財政先手とはいえ戦争中のような財政の独走ではなく、利払い分をカバーするだけの黒字を確保するという最低限の規律は保たれていたといえる(ここで利払い分のカバーとは財政の自動安定化装置の要因などを考慮した上での推計結果)。

国債利払い費を含めた収支改善

国債の累増にもかかわらず財政への信認が失われず、国債価格が高い水準で安定的に推移してきたのは、日銀の超低金利政策に支えられるかたちで財政が利払い分をカバーするという規律を辛うじて維持してきたためと理解できる。

こうした理解を前提に量的緩和解除後のポリシーミックスについて考えてみよう。まず財政サイドでは、利払い分は税で調達するという規律を維持することが重要である。その際には、短期的な振れはあるにしても基本線としてはそういう調整が必ずなされるはずだという予想を国債市場の参加者に浸透させることが重要である。

そのための方法としては、利払い費を含む財政収支の対国内総生産(GDP)比率が将来どのように推移するかを財政ルールのかたちで市場に対して約束することが考えられる。この約束のポイントは、現在の政府目標であるプライマリーバランスの均衡(10年代初めに)ではなく利払いを含む財政収支を改善させるという点である。金利変動に伴い利払いが予想以上に増減したとしても、それに見合う財源はきちんと確保するという約束であるから、投資家に対してはプライマリーバランスについての約束よりも強いメッセージをもつはずである。

市場で政策運営への信認が確立されれば、金融先手、財政後手の理想型に近づき、金融政策も正常化へと前進する余地が生まれる。そのときこそ日銀は「理解」を参照値や目標値に格上げするなど、市場が政策の先行きを見通しやすくなるよう環境整備に力を注ぐべきだ。それは、ゼロ金利の解除条件を正確に伝えることを通じ、長期の政策運営を安定させることにもつながるはずである。

2006年3月21日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2006年3月31日掲載

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