| 開催日 | 2026年6月3日 |
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| スピーカー | 長岡 隆(国際通貨基金(IMF)アジア太平洋地域事務所 所長) |
| コメンテータ | 中島 厚志(RIETIコンサルティングフェロー) |
| モデレータ | 堺井 啓公(RIETI国際・広報ディレクター) |
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| 開催案内/講演概要 | 世界経済は通商政策の転換や地政学的緊張といった一連のショックに見舞われてきたが、2月末以降の中東紛争という新たな衝撃により、その耐久力が改めて試されている。本セミナーでは、IMFアジア太平洋地域事務所長の長岡隆氏を迎え、IMFが4月に公表した世界経済見通し「戦争の影が差す世界経済」をもとに、世界経済の現状認識と見通し、リスクと政策対応を解説いただいた。短期間で紛争が収束するとの前提に立つ基準予測に加え、長期化・激化を想定した2つの下振れシナリオも提示され、リスクは下方に偏ると指摘された。一方でAIによる生産性向上や構造改革、貿易交渉の進展が成長を支え得るとし、国際協調を進める重要性が強調された。 |
議事録
一連のショックと試される世界経済
本日は、IMFが4月に公表した世界経済見通し、副題「戦争の影が差す世界経済」の第1章について概説します。なおこの見通しは4月時点のものであり、その後の急速な情勢の展開は必ずしも反映されていない点はご理解ください。世界経済はこれまで一連のショックを耐え抜いてきましたが、2月末以降の中東全域を巻き込む軍事衝突という新たなショックで、その耐久力が試されています。今回の紛争はすでに人道的なコストをもたらし、重要インフラや当該地域の海上・航空交通に深刻な混乱を及ぼしています。各国経済は、商品価格の上昇という直接的な影響に加え、エネルギーや食料価格に敏感なインフレ期待への波及、金融市場のリスク回避的なセンチメントによる増幅効果を通じて影響を受けています。とりわけ商品輸入国では通貨安が価格上昇の影響を悪化させ、新興市場国・途上国はより大きな打撃を受けるリスクに直面しています。
このショックは、米国の通商政策の転換から1年もたたないうちに発生しました。新たな国際貿易体制への移行は依然として道半ばであり、最近の司法判断や大統領令を受けて、米国の実行法定関税率は昨年10月版世界経済見通しで想定された水準より約5.3ポイント低くなっています。こうした環境は貿易交渉の妥結を後押しする一方、不確実性は依然として歴史的に高い水準にあります。
戦争が勃発するまでの間、世界経済は予想を上回るペースで推移し、見通しの上方修正につながる土台が整いつつありました。2025年第4四半期の世界経済成長率は年率換算で3.9%に上昇し、インフレ率はおおむね安定していました。世界貿易も堅調で、AIやデジタル化関連投資が急速に進む中、半導体など関連機器の主要輸出国であるアジア諸国が特に恩恵を受けています。サプライチェーンの再編も進行し、米国の対中輸入の減少を台湾やベトナムなどからの輸入増が相殺する一方、中国の財の貿易黒字は2025年に過去最高となる1兆2000億ドル、GDP比6%に達しました。
中東紛争の勃発後は、リスク回避的なセンチメントから世界の金融環境はやや引き締まりましたが、財政政策は多くの先進国・新興市場国で緩和的すぎる状況にあり、紛争は脆弱(ぜいじゃく)な層を保護しようとする政府の対応を通じて財政にさらなる圧力をかけています。
基準予測と2つの下振れシナリオ
ホルムズ海峡の閉鎖や生産施設への攻撃を受け、足元の見通しは悪化しています。ボトムアップによる基準予測(参照予測)は、戦争が比較的短期間で収束し、2026年半ばまでに当該地域の生産・輸出が正常化するとの前提に立ちます。これを補完するものとして、紛争がより長期化し、影響が持続するとの前提に基づくトップダウン型モデルによる推計を2つ示しています。基準予測では、世界経済成長率は2026年に3.1%、27年に3.2%と、25年の3.4%から緩やかに減速します。下方修正が小幅にとどまるのは、関税引き下げや既存の政策支援などが負のショックを一部相殺しているためです。インフレ率は25年の4.1%から26年に4.4%へ上昇した後、27年には3.7%へ低下する見通しですが、低所得の資源輸入国は価格上昇と為替安を通じて大きな打撃を受けています。
地域別では、先進国の成長率は26年1.8%、27年1.7%と見込まれ、紛争の影響は限定的です。米国の交易条件改善や日本の成長モメンタムが下支えする一方、ユーロ圏など純エネルギー輸入国への影響は大きくなります。新興市場国・途上国は26年3.9%へ低下後27年に4.2%へ回復見込みですが、商品輸出国は湾岸地域の紛争を直接反映して大幅な下方修正となりました。世界貿易の伸びも25年の5.1%から26年は2.8%へ鈍化する見通しです。
下振れシナリオは、原油・ガス・食料価格、1年先のインフレ期待、金融環境のタイト化について段階的に厳しい仮定を置いたものです。不利なシナリオ(Adverse scenario)では成長率は26年に2.5%へ落ち込み、インフレ率は5.4%へ上昇します。さらに深刻なシナリオ(Severe scenario)では成長率は26年に2%を下回り、世界的な景気後退に極めて近い状況となります。これは1980年以降で4回しか発生しておらず、直近の2回は世界金融危機とコロナ禍でした。今回も、それらに類する深刻な低成長局面に近づき得る状況です。いずれのシナリオでも、エネルギー・商品価格へのエクスポージャーが大きいことから、新興市場国への影響は先進国より大きくなります。
下方に偏るリスクと上振れ要因
基準予測からの乖離(かいり)につながり得るリスクは、明確に下方に偏っています。主な下振れリスクは、紛争のさらなる激化と国内政治的緊張の噴出、新技術による生産性向上の再評価、現行の貿易政策に支えられた不安定な均衡の崩壊、財政の脆弱性を背景とした借り入れコストの再評価、経済制度に対する信任の低下です。AI主導の収益性見通しが過度に楽観的であったと判明すれば、技術部門への投資が急減し、株価調整による負の資産効果が貿易・資本フローを通じて世界に波及する恐れがあります。また、独立した中央銀行への政治的圧力が強まれば信任を損ない、インフレ期待の再アンカー化を招けば、成長の下押しにつながる可能性があります。紛争の激化はサプライチェーン混乱や肥料・食料市場への波及を通じて低所得国の外貨準備・国際収支をも圧迫し、地政学的リスクが1標準偏差上昇すると1年後の実質GDPは約0.8%低下するとの推計もあります。さらに低所得国では政府開発援助(ODA)削減や中国からの融資減少も追加的な課題となっています。
一方で、一定の条件が満たされれば、より好ましい結果が実現する可能性もあります。人工知能による生産性向上が予想より早く実現すること、各国が好機を捉えて構造改革を進めること、貿易交渉の進展と政策の予見可能性の向上が上振れ要因として挙げられます。AIについては参照予測に直接的な影響は織り込まれていませんが、導入が加速すれば世界成長率を短期的に最大0.3%ポイント、中期的に0.1から0.8%ポイント押し上げる可能性があります。貿易面でも、協力が関税を超えてサービス貿易などに及べば、成長率を0.6%ポイント押し上げる効果が見込まれます。
現在の武力衝突は、政策当局に即時的なトレードオフを突きつけています。インフレ抑制と成長維持、生活費上昇への支援と財政余力の再構築の間で、慎重な調整が求められます。各国が単独で実行できる行動もありますが、国際経済関係の安定を回復するには集団的な行動も不可欠です。頻発するショックの中で、各国はその時々の課題に対応するだけでなく、次の試練にも備える必要があります。
コメント
中島:
本日のお話を踏まえ、今のAIブームを中心にコメントします。米国では、主要なAIハイパースケーラーだけで日本円換算100兆円規模のAI関連投資計画が公表・実施されつつあり、1〜3月期実質GDP成長率では設備投資が最大の寄与項目となりました。とりわけ電力需要の広がりが注目され、ハイパースケーラーが一社で東京電力の発電量に相当する電気を確保する動きもあります。日本でも機械受注が外需主導で急伸するなど、米国のAI関連投資が一部製造業には大きな需要をもたらしています。もっとも、企業の業績は好調でも、米国の需要は現地生産で賄う方向もあり、日本のGDPへの押し上げは限定的でしょう。
以上を踏まえ、中東紛争が早期終結した場合、AI関連投資が世界経済を押し上げる可能性をどう見るか。次に、ここ数年を見ると物価・金利水準が構造的に高止まりする傾向にあることについてのお考え、そして、大きな貿易不均衡は依然継続しており、その是正策の3点を伺います。
長岡:
一つ目のAIについては、投資が続き生産性向上が世界的に広がれば成長率を押し上げますが、電力供給制約の緩和や中間投入財の供給拡大、労働移行を管理する政策などの条件が整わなければ、投資がアンワインドするダウンサイドリスクも内在します。二つ目の物価・金利と三つ目の貿易不均衡については、いずれも自国だけで解決しようとするのではなく、国際協調を軸に考えてほしいということに尽きます。これはIMFが設立された原点でもあります。世界恐慌から第二次世界大戦に至る過程で見られた、各国が自国の利益のみを追求した競争という歴史的教訓に立ち返れば、全体の厚生を高める対応こそが必要だということです。物価面ではインフレ期待のアンカーが動くかどうかの見極めが重要であり、貿易面では過度な輸出依存の是正や貿易先の多様化が求められます。
Q&A
Q:
商品輸出依存型や原油高依存の途上国などで、かつてのアジア通貨危機のような事象が今後生じる懸念を、IMFはどう捉えていますか。
長岡:
アジア通貨危機の当時と比べて、各国の政策インフラは相当整備されています。とりわけアジアでは中央銀行の独立性が担保され、財政バッファーや外貨準備も持つなど体力が強化されていますので、今、当時と同じような危機が起きるとは考えていません。ただしマーケットの動きの影響は当時より大きくなっており、注視は必要です。引き続き各メンバー国の体力強化を、IMFとして支援していきます。
Q:
米国のプライベートクレジット(ノンバンク融資)急拡大のリスクをどう認識していますか。また、中国の輸出主導型の成長はサステナブルとお考えですか。
長岡:
中国の輸出主導型成長はサステナブルではなく、過度に依存しない経済構造を作る必要があるとIMF Article IV(4条協議)でも提言しています。NBFI(ノンバンク金融仲介)活動については、銀行・保険セクターからリスクが移っていることを認識しており、FSB(金融安定理事会)やIOSCO(証券監督者国際機構)といった国際機関でも議論が進んでいます。課題となっているのは全体像を捉えるデータが十分でない点であり、どの主体がどのような取引を行っているのかを把握できるようにすることが第一だと考えています。
この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。