| 開催日 | 2025年12月1日 |
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| スピーカー | 長岡 隆(国際通貨基金アジア太平洋地域事務所長) |
| コメンテータ | 板倉 健(RIETIファカルティフェロー / 名古屋市立大学大学院経済学研究科教授) |
| モデレータ | 堺井 啓公(RIETI国際・広報ディレクター) |
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| 開催案内/講演概要 | 2025年10月に国際通貨基金(IMF)が公表した「世界経済見通し(WEO)」によると、世界経済は米国の関税引き上げや各国の政策転換によって不確実性が高まり、前半こそ一時的な要因によって支えられたものの、その効果は徐々に薄れていると評価された。保護主義や労働供給ショック、財政・金融の脆弱(ぜいじゃく)性など下方リスクが懸念される中、政策担当者には透明性と持続可能性、構造改革の強化が求められている。本セミナーではIMFの長岡隆アジア太平洋地域事務所長をお迎えし、最新のWEOを基に世界経済の見通しや中期的課題と展望についてご講演いただいた。 |
議事録
2025年の主要な経済動向
足元では関税関連のニュースが大きな話題となっている一方、新たな均衡に向けた動きも見られ、貿易協定締結後に米国の関税率が下がるケースが多く見られています。それでもほとんどの国は10~20%の範囲にとどまり、2024年の水準には程遠い状況です。貿易政策に係る不確実性も依然として歴史的に高水準にあります。
関税以外の政策分野でも経済の不確実性に寄与する変化が見られます。開発援助の大幅な削減により、特に低所得開発途上国の見通しの不確実性が増していますし、移民政策の規制強化により、労働供給や先進国の潜在的な成長軌道に対する不確実性が高まっています。また、財政政策のより刺激的な方向への転換、特にアメリカ・中国・ドイツなどで顕著に見られる動きによって、持続可能な財政運営の調整不足への懸念も高まっています。
2025年、世界経済は貿易政策のショックに対して一定の回復力を示しました。ショックが当初の予想ほど大規模でなかったことも一因です。他方で、政策変更による悪影響は、データから明確になりつつあります。
米国経済は、目に見えて減速の兆しが見られます。投資は減速し、商業用・住宅用建設への支出が減少しています。7月以降の雇用統計も予想を大きく下回り、新規雇用者数の増加も大幅に減少しています。
他の主要国でも、第1四半期に予想を上回る成長をけん引した前倒し効果が薄れ始めています。
中国の成長は純輸出の寄与が減退したことで鈍化しましたが、政策刺激による国内需要の加速で部分的に相殺されています。ユーロ圏の成長は第2四半期に鈍化しました。日本では第2四半期に成長が加速しましたが、7月には関税の影響を強く受けた分野を中心に輸出が減少しています。
全体として、関税による貿易フローの歪みを除けば、世界の主要国では需要の基調的な強さはほとんど見られません。全ての主要国・地域で消費の伸びが抑制され、投資も全体的に弱含んでいます。
一般に消費と投資の弱さは、消費者と企業の信頼感の低迷を反映しますが、2025年初頭以降、米国とユーロ圏では消費者信頼感が後退し、中国その他では政策の不確実性が新たな高みに達したことで、企業の信頼感が低下しています。
こうした不確実性の影響の一部は経済活動にも波及し続けています。不確実性は一般的に負の需要ショックとして機能しその効果は通常すぐに経済活動に作用するものの、幾つかの要因によってその影響が遅れたり緩和されることもあります。例えば、将来的な価格上昇を回避するための前倒し行動によって、様子見や予防的な動きが一時的に相殺された可能性があり、また、企業が顧客基盤を維持しつつ不確実性の解消を待つ間、価格を据え置きコスト増を利幅で吸収するという選択をすることが考えられます。加えて、戦略的補完性、つまりある企業の価格決定が他の企業に同様の行動を促すことで価格の短期的な粘着性が高まることも考えられます。関税不確実性は主に経済活動のタイミングをずらす要因であり、前倒し行動は一時的な下支えにはなりますが、いったん消失すると不確実性が需要を抑制する方向に動きます。
これまでのところ、関税およびそれに伴うサプライチェーンの再構築が世界的なインフレ圧力に与える影響は限定的です。関税を課した国、すなわち米国では総合インフレ率とコアインフレ率はわずかに上昇しただけです。しかし、詳しく見ると、米国のコア材の価格はより顕著に上昇しており、サービス価格は持続的なインフレが続いています。これに対して他国では、関税ショックによる価格反応は依然として限定的です。
最近の米国の物価動向を評価する上では米ドルの動きも重要です。通常は課税する側の国の通貨は上昇する傾向があり、これによって価格への直接的な影響が緩和される短期的な影響と、通貨高が長期化することで貿易収支の直接的な改善が相殺される中長期的な影響の2つの可能性があります。しかし今回の局面では為替レートによる相殺効果はほとんど見られていません。
こうした中で、米国のエネルギーを除く輸入価格の総合指数は4月以降おおむね安定しています。ただし、総合的な価格変動は、品目ごとの重要な違いを覆い隠している可能性があり、例えば米国の資本財の輸入価格は大幅に上昇していますが、関税の影響を最も受けた自動車産業では、4月以降は緩やかな上昇にとどまっています。
輸出国側から見ると、分野によって差異がありますが、例えば日本では、北米向けの乗用車の輸出価格がドル建てで20%以上急落している一方、他の地域向けの輸出価格は安定しています。いずれにせよ、輸出業者が低下価格を維持できる期間は長く続かない可能性があり、企業が競合他社の値上げ時期を予測して価格設定を行う場合、価格上昇は1度きりの急騰ではなく、徐々に進むことが見込まれます。とはいえ、米ドルがドル高に向かうのであれば、為替レートによる相殺効果が再び働き出し、米国消費者物価への関税の影響を緩和する可能性も考えられます。
こうした世界的な成長の減速、各国で異なるインフレの進展を背景に、政策の余地は限られ、脆弱性が高まっています。
多くの主要な先進国および新興国では依然として財政政策が緩和的すぎる状況です。全体として借入コストの上昇が懸念材料であり、特に国内総生産(GDP)比では、幾つかの主要国で大規模なリファイナンス需要があることから、その影響は大きいと言えます。短期国債への依存が高まることで平均債務期間が短縮され、政府はリファイナンスのリスク、短期金利変動の影響をより受けやすくなっています。
見通しは依然暗く
世界経済全体の成長率は、2025年3.2%、2026年3.1%と予測され、ともに2025年4月時点の予測より高くなっていますが、2024年10月の予測と比べると低位にとどまっています。先進国も2025年、2026年はそれぞれ1.6%と予想され、2024年の実績値、2024年10月時点での予測より0.2ポイント低くなっています。
新興市場および開発途上国は、2024年4.3%から2025年4.2%、2026年4.0%と緩やかな減速が予測されています。4月時点と比べて0.6ポイントの上方修正ですが、2024年10月の予測と比べると0.2ポイント低く、特に低所得国は中所得国に比べて大きな下方修正となっています。
成長率の修正は国ごとに異なります。米国では2025年の成長率が2024年比で大幅に減速すると予想されています。2024年10月の予想よりも減速しており、減速予想が緩やかになった中国とは対照的です。ユーロ圏は成長率が改善する見通しですが、政策変更前に考えられていたほど力強いものではありません。
インフレ予測は多くの国で2024年10月と比べて上方修正されています。中でも米国は、当初予測のように大きく低下するのではなく、目標値を上回ったまま安定すると予測されています。その他の地域の多くは、成長率の回復が期待されなくなったか、予測よりかなり弱くなっており、インフレ率は以前とほぼ同じペースで低下すると予測されています。ただ、これは米国の関税政策の影響としておおむね予想されていたことです。
世界の貿易は今後5年間、緩やかに減少する見込みです。2025年4月のWEOと比較すると、前倒しの影響で2025年の世界貿易量はより速く成長すると予測されているものの、2026年には成長が鈍化する見通しです。たとえ2025年に一時的な前倒し効果があったとしても、2025~2026年の貿易量の年平均成長率は2.9%となり、2024年10月の予測3.3%よりも低くなっています。
中期的には、国際経済環境のさらなる断片化は、多くの国が直面している高齢化、低生産性等の課題を一層深刻化させます。持続的な構造改革が行われない限り、成長予測は依然として低調なまま推移するでしょう。
2027~2030年の世界の実質GDP成長率は年平均3.2%と予測されており、パンデミック前と比べて長期にわたり低調で、現時点では中期的見通しは明らかに弱くなっています。
総じてリスクは下振れ
見通しに対するリスクは総じて下振れが顕著となっています。主な下方リスクは、貿易政策の不確実性の長期化、保護主義的な貿易措置の強化、労働供給へのショック、財政の脆弱性や金融市場の不安定性、およびそれらの相互作用、新技術の価格再設定、コモディティ価格の再急騰などです。一方、上方リスクとしては通商交渉の進展による関税の引き下げや政策の予見可能性の向上、構造改革のペース加速であったり、人工知能(AI)による生産性向上の活性化などがあります。
下方リスクが顕在化した場合の影響について、関税の引き上げとサプライチェーンの混乱が生じ、インフレ期待の上昇が起こり、ソブリン利回りが上がり、米国債に対する世界的な需要が低下するとのシナリオで分析すると、総合的な影響としては、2026年の世界GDPはベースライン比で1.2ポイント低下し、2027年にはさらなる活動の減少が予測されます。
信頼性が高く、予測可能で、持続可能な政策対応を
こうした状況下で政策担当者としては、信頼性が高く、予測可能で、持続可能な政策対応を通じて信認を回復することが重要です。政策の優先課題として、以下の5つを掲げています。
1つ目に、貿易を予測可能なルールに基礎づけることです。不確実性を低減するために、透明性が高くルールに基づいた貿易政策のロードマップを策定し、デジタル時代にふさわしく近代化された貿易ルールに基づき、より強固な多国間協力の機会を提供する必要があります。加えて、貿易外交をマクロ経済調整と組み合わせることで、持続的な利益を確保し、恒常的な対外不均衡の根本的な原因に対処することが極めて重要です。
2つ目に、財政バッファを再構築して債務持続性を担保することです。中期的な財政健全化には、支出の合理化と歳入増加を組み合わせた現実的でバランスの取れた計画が必要です。新たな政策については、一時的でありかつ的を絞ったものであるとともに、明確な財源によって相殺されるべきです。
3つ目に、状況に即した透明で独立性に立脚した金融政策を行うことです。中央銀行の使命に沿って物価安定と成長リスクのバランスを取るように調整される必要があり、中央銀行の独立性が重要であり不可欠です。
4つ目に、中期的な効果を持つ政策運営を行うことです。中長期的に成長見通しを引き上げるためには、労働移動の促進、労働参加の拡大、デジタル化への投資、制度の強化といった構造改革の取り組みを倍増させることが求められます。産業政策は、強靱(きょうじん)性や成長の向上に役割を果たし得ますが、その活用に伴う機会費用やトレードオフについても十分考慮する必要があります。
5つ目に、大規模ショックの低減策を導入することです。シナリオ・プランニングや事前に設計された政策対応策により、政策対応の有効性とタイミングを確保しつつ、備えと信認を高めることが重要です。
これら5つの柱からなる政策提言をしています。
なお、地域経済見通し(REO)において、アジアについて、貿易政策の透明性を高めるべき、また、強固な多国間協力を推進すべきと述べています。加えて、世界経済の成長の6割をアジアが引っ張っており、金融市場の統合はアジア経済が世界経済をけん引する役割を果たし続ける中で非常に重要であるということが繰り返し述べられています。
コメント
板倉:
今回の世界経済見通しのハイライトとしては、米国の関税政策はもちろんですが、米国ではインフレに対する上昇圧力が少しずつ顕在化していくのではないか、供給ショックとして移民問題が出てくるのではないかということを挙げたいと思います。中国については生産活動が弱含んでいるかもしれませんし、発展途上段階の国々については、今回の米国を中心とした政策変更がネガティブな影響を与えることが懸念されます。
特に米国の関税ショックは、実際の課税が遅れることでショックの現れ方が見えにくくなっているのではないかと思います。また、通常は関税をかけた側の通貨が上昇すると考えられますが、米国の為替レートが少し弱含んでいるとすると、関税ショックの影響は拡大する方向に動くのでしょうか、抑制する方向に動くのでしょうか。
長期的にはいろいろな国で保護主義的な動きが進むことによって貿易の分断(フラグメンテーション)が進み、先進国・発展途上国間での所得差の縮小(コンバージェンス)にどういった影響があるのでしょうか。
長岡:
まずフロント・ローディング(前倒し)と、在庫の備蓄などによってできるだけ変化をなだらかにしようという意識的な対応が取られてきたので、価格転嫁が非常にゆっくりと進んでおり、一時的には前倒しだったり、価格転嫁が未遂であるということであまり大きなショックにはなっていないものの、前倒ししたら必ず反作用があるので、今後それが反映されていくでしょう。ただ、時間をかけて反映されていくのではないかと思います。
フラグメンテーションについては、貿易とともに知的財産や人のフラグメンテーションも生じており、生産要素においても同時に起きているので、生産性の低いところはさらに下方圧力がかかり、格差が広がる要因になると思われます。だからこそフラグメンテーションにならないよう国際協力が重要であると言い続けなければなりません。
板倉:
その1つとして、日本が中心となって、EUとの対話などを含めて自由貿易体制を堅持できるようにリーダーシップを発揮できるといいと思います。
Q&A
Q:
米国の対中関税引き上げが米中両国に与えた影響について改めてご説明をお願いします。
長岡:
中国から最終財を輸出していたのを、中間財を他の国に輸出して組み立てたものを米国に出すという迂回(うかい)経路はありましたが、REO(Regional Economic Outlook『地域経済見通し』)ではそのような動きは必ずしも見られず、アジア域内での輸出増によって対米減をカバーし始めています。それによって貿易体制のレジリエンスが確保できるのではないかという見通しがあります。
Q:
AIバブルの崩壊が現実化した場合の影響についてIMFではどのように見ていますか。
長岡:
AIバブルの崩壊が非常に大きなリスク要因であることは認識しています。もしバブルではなく実体を伴うものであった場合は、それによって生産性が段違いに向上し、世界経済全体の潜在成長率が上がることも考えられるので、AIバブルが本当に崩壊するのかどうかを注視したいと思います。
この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。