RIETI公開BBLウェビナー

イノベーション促進のための2つのリスク・シェアの仕組みを改めて考える

開催日 2025年9月4日
スピーカー 清水 洋(RIETIファカルティフェロー / 早稲田大学商学学術院教授)
コメンテータ 武田 伸二郎(経済産業省イノベーション・環境局イノベーション政策課長)
モデレータ 関口 陽一(RIETI上席研究員・研究調整ディレクター)
開催案内/講演概要

イノベーションは、新たな価値を生み出し生産性を向上させる創造的な側面と、人々の既存のスキル体系を崩壊させる破壊的な側面の両方を備えている。本BBLでは、早稲田大学の清水洋教授を講師に迎え、2024年出版された著書『イノベーションの科学』を基に、イノベーションを創造する人と、それによって破壊される人の特徴を明らかにし、リスキリングや教育投資、そしてイノベーションを生み出すリスク、スキルが破壊されるリスクを社会でどう分かち合うべきかといった点について解説いただいた。

議事録

はじめに

私が2024年に出した『イノベーションの科学』という本は、「イノベーションを生み出すと幸せになれるのか」という素朴な問いに答えるものです。結論を先取りすると、イノベーションには希望と幸せのトレードオフがあります。つまり、人々はより効果的・効率的になるという期待を持って変革を行うわけですが、それによって人のスキルが破壊されてしまう、つまり幸せの基盤が破壊されてしまう面があるのです。

このトレードオフをなくすためには、2つのリスクシェアが必要だというのが私の結論です。1つ目は創造のリスクシェアです。新しい物事を創造するときには、失敗するリスクが伴います。それをできるだけ分散的に、幅広くシェアすることで、よりリスクテイクしやすくなります。2つ目は破壊のリスクシェアです。イノベーションによりスキルが破壊されるリスクは、現在は自己責任として個人に押し付けられていますが、放っておくとイノベーションに対する抵抗要因になってしまいます。

イノベーションとは何か

創造的破壊による恩恵とショックは時間差を持って現れます。イノベーションを生み出したことによる恩恵は、起業家・投資家にはすぐに現れますが、これはそれほど大きくなく、より大きいのは外部性で、重要な恩恵は時間をかけてじわじわと社会に広がります。つまり、そのイノベーションが社会で使われるようになり、いろいろなところの生産性が上がっていき、経済成長するわけです。

それに対して、破壊のショックは短期的かつ局所的に出ます。この時間差が抵抗を生み出すのです。これはダム建設の場合と構造は同じで、ダムを建設すればその恩恵は長期的に広がりますが、そこに住んでいた人々には短期的にショックが起きるため、抵抗が強くなるのです。

創造する人・破壊される人の特徴

イノベーションを起こす人々というと、子ども時代に少し風変わりだった人をイメージしがちですが、実はそうではなく、子どもの頃から優秀で、特に数学や空間認知能力に長けている人たちがハイパフォーマーになりやすいことが分かっています。

また、才能が開花するかどうかは環境次第だという研究結果もあります。保護者が上位1%の富裕層であると子どもも裕福になりやすい、アジア人と白人は所得の偏りを考慮に入れても発明活動において高い成果を残すと言われています。従って、環境を整えることが重要だということが議論されています。

創造する人の心理学という観点では、開放性と外交性の高い人、内的に動機付けられている人は、創造しやすいと言われています。人さし指より薬指が長い人は、不確実性下におけるストレス耐性が強いという説もあります。また、アントレプレナーシップが高い人の特徴として、若い男性、教育投資された移民といった特徴が挙げられています。

一方、破壊される人の特徴としては、まず、定型的な仕事をしている人です。Autorらの研究によれば、工場労働者や営業員などの中程度のスキルの人々は、工場の海外移転や営業活動のIT化によって、職を奪われていきました。また、高いスキルが必要な職業でも定型的なタスクはあるので、そこは置き換えられていくと言われています。

マクロ経済学では、イノベーションによって、より生産性が高い職業が生まれるので、中長期的には経済成長につながるから良いのだという議論もあります。しかし、スキルを破壊された人たち自身が、より生産性の高い職を得られるわけではないため、その人たちの所得は低下したままです。特に時間割引率の低い人は、自己投資ができないため、破壊されたままになりやすいとされています。

2つのリスクシェア

リスクシェアの基本は分散投資です。投資先を成果の相関が低いプロジェクトに分散すると、変動の幅を小さくできます。特に、広く分散させるとリスクが下がり、その結果、同じリスク許容度の中でよりリスクの高い、期待リターンの高いプロジェクトに投資できるようになります。

創造のリスクシェアは、伝統的には企業の多角化により行われていました。つまり、社内で複数のビジネスポートフォリオを持つことで、既存のビジネスで稼ぎつつ、新規のビジネスに投資するということが行われていたわけです。ところが、1980年代になるとアメリカでは企業の専業化が進んでいきます。これは、個別企業にとってはビジネスが陳腐化するリスクが高まり、成功した企業はハイリターンになりますが、失敗した企業は市場から撤退することになります。つまり、企業のマネジメントによる分散投資ではなく、投資家による分散投資へ変わってきたということです。これはアメリカではかなり進んでいますが、日本はまだその途上にあるのが現状です。

破壊のリスクシェアの変化も進んでいます。イノベーションは人々のスキルを陳腐化させますが、分散的にスキルを形成していくことは難しいため、人的資本への投資は集中投資にならざるを得ません。そのリスクのシェアは、伝統的には企業による多角化によって行われていました。つまり、社内のあるビジネスが陳腐化しても、そこで働いていた人々を次のビジネスに配置転換することで対応するということです。だからこそ企業は、汎用性の高い一般的なスキルを身に付けた人を採ろうとしてきたわけです。これは、企業が成長しているとき、吸収余力があるときにはうまく機能しました。

ところが、企業が専業化することで余剰資源が整理され、市場に出されるようになってきました。機会の平等を前提とした自己責任により、リスクシェアが企業から個人負担になってきているのです。結果として、所得格差が拡大し、保護主義的な考え方が広まって、これが行き過ぎるとイノベーションへの抵抗となってしまいます。

アメリカは整理解雇が非常にしやすく、雇用保護が非常に低いことが知られています。雇用保護が強いと全要素生産性(TFP)が小さくなり、企業は不採算ビジネスを柔軟に整理できにくくなり、新規性の高いビジネスの開拓が遅くなると言われています。他方で、雇用保護が強い方が既存企業の研究開発が促進されるという調査もあります。研究開発は不確実性が高く、すぐに成果が出ることばかりではありません。成果が出ないと即座に首を切られてしまう環境では、成果の出やすいところにシフトしてしまいますが、日本は比較的安心して研究開発が行える土壌があり、そこは強みとして生かしていくことが重要だと考えます。

創造と破壊のためのリスクシェア

では、われわれは何をしなくてはいけないのか。1つは、政府による再分配です。もう1つは、柔軟な労働市場を作り、安価で質の高いリスキリングのためのトレーニング機会が提供されることです。イノベーションへの投資よりも早く教育投資をしていけば、格差が開きにくいと言われています。

リスクシェアという観点では、家計のあり方も非常に大切です。昔は拡大家族が多く、家計が複数の収入で支えられていたため、例えば誰かがMBAに2年間行くといった自己投資が可能でしたが、核家族化や独身世帯の増加により、それが難しくなっています。従って、女性の社会進出は、家計のリスクシェアという観点からも重要です。その他、同性婚や恋愛を前提にしない結婚も、家計でのリスクシェアになりうるのではないかと考えています。

イノベーションにより省力化が起きると、雇用が破壊されるため望ましくないという議論がありますが、こと日本に関しては、労働人口が減少し続けている現状を踏まえると、省力化イノベーションは大きなチャンスになるはずです。

企業のイノベーション促進

日本の生産性を上げるためには、日本の産業をより付加価値の高いビジネスに変えていくことが必要で、そのためには研究開発投資の促進が重要です。ただし、研究開発が高い利益率に結び付かなければ、企業の投資インセンティブになりません。実は、日本とアメリカで超過利益率の高い企業を見てみると、アメリカでは製薬やバイオ、ソフトウエアなど研究開発型の専業企業が多く名を連ねているのに対し、日本は研究開発型でない企業も多く入っているのです。すなわち、日本にはイノベーション以外が競争力の要因となっている可能性があるため、独占禁止法をより厳しく運用するなど、参入障壁を取り除いていく必要があるのではないかと考えます。

それによって、産業レベルでのリスクシェアの仕組みを構築していく必要があります。例えば不採算ビジネスからの柔軟な撤退を可能にする制度整備や、大学・国研を中心とするグローバルな研究ネットワークへの接続、研究開発型スタートアップの促進、破壊される側のリスクシェアの仕組みのアップデートが重要です。特に最後の点は、経済産業省だけではなく幅広い省庁、さらには国民全体で考えていく必要があると思います。

コメント

武田:
近年、ビジネスが科学を“青田買い”するような形で、相当の初期段階から主導的に牽引していく動きが活発化しています。大学のラボの研究成果がスタートアップとして世に出て、すぐに巨大化していくような事例も多数あります。企業は世界最高の知を求めて研究開発体制をグローバル化し、そうした企業からイノベーション拠点として選ばれる存在になるために国家同士が競争しているのが現状です。これをわれわれは「科学とビジネスの近接化の時代」と名付け、そこでのイノベーション政策はどうあるべきか議論してきました。

わが国の施策の方向性としては、戦略技術領域の一気通貫支援、世界で競い成長する大学への集中支援、アジア最大のスタートアップエコシステムの形成、そして企業がよりリスクテイクできるようなコーポレートガバナンスに変えていくことを掲げています。

清水先生に1点質問したいのは、破壊のリスクが個人の自己責任に移っているというご説明があったと思いますが、これが一番進んでいるのはアメリカだと思います。最も抵抗が生まれているのもアメリカだけれども、それに対応する施策が発展しているのもアメリカなのではないか。そうすると、リスクシェアの仕組みもアメリカにこそ学べということではないかという気もするのですが、いかがでしょうか。

清水:
アメリカにおいては破壊されるリスクはシェアされなくなってきているので、日本もそれでいいのかというのは、議論があるところだと思います。イノベーションだけを考えるならばアメリカ型がいいでしょうが、そういう社会が望ましいかといわれると、私は疑問に思います。

Q&A

Q:
イノベーションの環境について、世界と比べて日本で大きな制約になっているものは何でしょうか。

A:
1つは、不採算ビジネスからの撤退がしにくいことです。その原因は、債権者保護が強く破産しにくい、整理解雇がしにくいなど複数ありますが、柔軟な撤退ができないと新規性の高いビジネスへの投資が慎重にならざるを得ない面があるので、そこの環境整備は非常に重要です。

2つ目は、大学・国研の力がやや心もとない点です。研究開発は、情報の非対称性を生み出します。情報の非対称性とはビジネス機会ですから、一番良い研究開発をしているところが有利なのです。その点は制約条件になっているのではないかと思います。

Q:
大手企業の既存事業分野の人的資本がイノベーション推進を阻害している側面に関して、どのような解決策が考えられますか。

A:
富士フイルムは、社内の配置転換でうまくいった典型的な例の1つです。一方、Kodakではフィルム事業がなくなると分かってきた時点で、研究者は自分の意志で会社を辞め、先んじてヘルスケア分野の企業に移っていきました。ですから、産業の脱成熟を企業単位で進めるべきか、産業単位で対応すべきかは、もう少し研究しなければいけないところだと思っています。

Q:
日本企業にサラリーマン社長が多いことの影響はありますか。

A:
アルフレッド・チャンドラーはサラリーマン社長の方がいいと言っていますが、ガバナンスにもよると思います。ファミリーファームだと、投資家(株主)に対する説明責任がリラックスされるので良いという議論はあります。サラリーマン社長でもいいと思いますが、社長の労働市場がより活発になれば、次のステップアップになるので、社長が最後の職でなくなるといいと思います。

Q:
予算面や注力すべき産業分野を含め、大学・国研の改革が急務とも思いますが、どのように考えますか。

A:
今、本当に優秀な人材は日本の大学を選ばず、高校から直接、アメリカやイギリスの良い大学に行ってしまいます。その人たちの一部でも日本に帰ってきてくれれば、少し時間はかかりますが、日本の大学もグレードアップするのではないかという期待はあります。ですから、多くの優秀な人たちを海外に送ることも重要ではないかと思います。

Q:
経済産業省では博士人材の活用について議論してきました。日本の大学の博士進学を魅力的にする方法を、イノベーション推進の観点から教えてください。

A:
研究開発の直接的な成果とは、新しい製品やサービス、生産工程が生み出されることよりも、次の技術トレンドがどこにあるのかを正確に把握できるようになることです。そうすると、より効果的な経営戦略を取れるようになります。それがうまくできるのは、広い領域を見渡し得る博士人材だと思うので、企業もそのようにマインドを変えていただけるといいのではないかと思います。

Q:
破壊された人への対応は、政府の再分配やリスキリングなどいろいろありますが、実際は制度設計が非常に難しいのです。所得税の累進を高めるのは、制度設計は簡単だけれども実行は困難ですし、リスキリングは個々人の年齢や学歴に応じた細かい制度設計が難しいのです。そこをどうすべきか、何か情報を頂ければ幸いです。

A:
そこを一緒に開発していきたいと思っているのですが、小さなニーズが多様にあるので、それらをカバーしていくには、政府では規模が大きすぎるならば、NPOやNGOがカバーしていくというのは選択肢としてあり得ると思っています。

Q:
創造する人の特徴として、子どもの頃から優秀で、必ずしも風変わりな子どもではないという研究結果が挙げられていました。これは最終的にアントレプレナーになった方を調査されたのか、新しい発明や特許を生み出された方、または重要な発見をされた科学者の子どもの頃の特性を調べたものなのか、もし分かればご教示ください。

A:
ベルらの研究では発明者、他の研究ではいわゆるハイパフォーマーと呼ばれる職業に就いた人を対象としています。例えば判事や億万長者といったリストがあって、それに該当するかどうかで測っています。

Q:
国や地域や社会、コミュニティーによるリスクアペタイトの違いは、リスクシェアの仕組みを考える上で何か影響し得るのでしょうか。あるいは、リスクアペタイトは個人あるいは組織で変化し得るものなのでしょうか。リスクアペタイトに関してガバナンスを考えるとしたら、どういったことがあり得るのでしょうか。アカデミアでの蓄積がもしあれば、教えていただければ幸いです。

A:
イノベーションを生み出す側では、人・物・金といった経営資源へのアクセスの制約が高ければ高いほど、リスクアペタイトが高い人だけがイノベーションにチャレンジすることになるため、制約は下げた方が良いという議論がされてきました。

組織のリスクアペタイトは、ガバナンスによって大きく変化すると思います。大きなリターンを求めるような投資家であれば、リスクを取ろうとするという会社に変わっていきます。個人に関しては、人の心理的傾向は基本的にそれほど頻繁に変化するものではないので、短期間では変わらないのではないのでしょうか。

Q:
日本の研究開発費は少ないと言われて久しいです。AI等の開発を巡っても、日米で大きな差があります。研究開発費の海外との差という問題について、どうお考えでしょうか。解決の方法はあるでしょうか。

A:
研究費は相当大きな差があります。その要因の1つとして、企業がどれだけ研究開発に投資できるかは、製品市場をどれだけ支配しているかによります。例えばマイクロソフトは、大きな研究開発費をかけたとしても、マイクロソフト製品は広く普及しているので、1製品当たりの研究費は小さくなります。日本は最終市場で大きなシェアを持っているところは少ないので、劣位にあるのは仕方がないというところはあります。資金調達面でも、スタートアップに関しては、アメリカの方が大型の研究開発費が調達しやすいと言われています。解決方法としては、経産省に研究開発の助成を頑張ってもらうことはもちろん、今は個社が多く同質的な競争が行われているので、もう少し集約されるといいような気がしています。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。