開催日 | 2025年8月28日 |
---|---|
スピーカー | 大湾 秀雄(RIETIファカルティフェロー / 早稲田大学政治経済学術院教授) |
コメンテータ | 佐藤 博樹(東京大学名誉教授) |
モデレータ | 五十里 寛(RIETI研究コーディネーター・上席研究員) |
ダウンロード/関連リンク | |
開催案内/講演概要 | わが国における男女間の賃金格差は国際的に見ても依然として大きい。その要因としては性別役割分業を作り出す社会構造や、組織内のジェンダーバイアスなどが挙げられる。こうした状況を改善するため、政府では女性活躍推進の環境整備を進める一方、女性活躍推進法においては企業に求める情報開示項目に「男女の賃金差異」が追加されるなど、企業側の取り組み強化も求められている。本セミナーでは早稲田大学政治経済学術院の大湾秀雄教授(RIETIファカルティフェロー)を招き、2025年6月に発刊された著書『男女賃金格差の経済学』を基に、格差解消のための実践的な処方箋や、施策の推進や検証に必要な要素について解説していただいた。 |
議事録
労働市場における2つの大きな変化
労働市場では2つの大きな変化が起きています。1つは、デジタル技術の発達によって労働市場の摩擦(転職や自由な労働契約の障害となるもの)が小さくなり、少子化も加わって非常に競争的になっています。
SNSなどの普及で近年は求職者の過去の経験やネットワークが可視化され、自社の社員と潜在的な求職者の情報の非対称性が以前よりも縮小しています。また、ジョブマッチングの自動化や、ジョブ型雇用における職・スキルの標準化によってサーチコストも小さくなっています。
もう1つは、人的資本情報の開示が進み、それに基づく新たな関係的契約が構築されていることです。関係的契約とは、長期的な労使関係の中で信頼関係が醸成され、暗黙の合意や共有された期待に沿って双方が行動することであり、企業が人的資本情報を開示することで、求職者や社員がそれを企業の約束ととらえ、期待とともに行動を取ります。つまり企業側とすれば、人にこれだけ投資するということを約束した上で採用する流れに変わりつつあります。
人的資本理論で投資を増やすロジックは2つあって、1つは長期的雇用関係が一般化した労働市場では、摩擦が大きいほど離職によって投資が無駄になることがないため高い人的資本投資が期待できます。これを囲い込みパラダイムと呼ぶことにします。それに対し、競争的な労働市場において情報開示を通じて関係的契約が形成される場合は、人的資本投資が高い企業ほど優秀な労働者を惹きつけるため、人材獲得競争を通じて投資意欲が生まれます。これを採用競争パラダイムといいます。
かつては労働市場の摩擦が大きく、採用時にどれだけ投資するかを約束して採用していなかったので、人材育成投資は事後的に意思決定されていました。そうした世界では、離職率が低い国は安心して人的資本投資を行えるので、日本は人的資本の蓄積が速いといわれたこともありました。
しかし今は、日本企業の人的資本投資は非常に低くなっています。欧米企業が競争環境の中で人的資本投資を増やしているのに対し、日本はまだ転換期にあり、離職率が上昇して投資のインセンティブが下がってきています。今後は労働市場の競争を通じて人的資本投資を増やすことが求められます。
賃金格差の解消は人的資本投資
私は男女賃金格差解消への取り組みは人的資本投資だと考えます。例えば、女性に出産後も活躍してもらうためには長時間労働前提の働き方を解消しなければなりません。そのための業務プロセス改善は生産性の押し上げ効果があります。
また、柔軟な働き方を実現するためにチームワークに基づく職の設計を進めることで、環境適応能力が上がります。ジェンダーバイアスを解消すれば優秀な女性の登用が進み、生産性を押し上げます。最近の研究では、男女のダイバーシティが進んだ組織の方が組織IQが高くなり、チームコーディネーション力が向上することが分かっています。
職やスキルの標準化も男女賃金格差の解消につながるでしょう。そうすれば市場価値がとらえやすくなり、キャリアの方向性が描きやすくなって、自己研鑽意欲の向上が期待できます。女性が出産前に明確なキャリアプランを立てやすくなり、産後の職場復帰がよりスムーズになるでしょう。
こうした施策を地道に行うのは非常に難しいですが、それが生産性向上や採用力強化につながり、会社の強みにもなるので、経営戦略の柱の1つとして立てる企業が次第に増えていくと思います。
賃金格差解消の処方箋
男女賃金格差は産業間で大きなばらつきがあり、金融、銀行、保険、証券などで大きく、公務員、医療福祉、教育などでは小さい傾向にあります。
そうした中、2022年に女性活躍推進法に関する制度が改正され、企業の情報開示項目に「男女の賃金の差異」が加わり、2025年の法改正では「管理職に占める女性労働者の割合」も追加されました。また育児・介護休業法改正により、2025年4月から男性育児休業取得率の公表が義務化されました。
このように情報開示は求められているものの、賃金差異を数字で出すだけでは不十分で、賃金差異がなぜ生まれたのか、どんな取り組みを行っているか、それによって効果がどのくらい期待できるかを説明することが求められます。各社で自発的に対策を練って改善状況を開示していくことが労働市場における評価を高めることにつながるでしょう。
しかし、男女賃金差異は単純な平均の比較では駄目で、真の意味での男女賃金差とはかなりの開きがあります。なぜなら、多くの企業で男女社員の属性分布が異なるからです。真の男女格差を測るためには、企業間で比較可能であることと、時系列変化に改善努力が反映されていることが必要です。
そのためには、基本属性(年齢や勤続年数、学歴等)の分布の違いや変化の影響を調整した指標を使わなければなりません。それを可能にするのが回帰分析です。この手法によって、基本属性の違いで説明できる部分を取り除き、男女格差を明らかにするのです。
自社の賃金格差を理解するための8つのポイント
自社の男女賃金格差を理解する際に、8つのチェックポイントがあると私は考えます。一番川上にあるのが「労働時間の男女差」であり、女性は家庭での責任が重いために長時間労働ができず、それがその他の男女差を生み出す大本の原因となっています。
また、女性をスムーズに職場復帰させるために責任の軽い職務への配置がよく行われますが、そうすると性別で職域や異動配置が異なる「性別職域分離・配置格差」が生じます。この傾向は育児期間を通じて増幅されるため、「チャイルドペナルティ」(子を持つことによって生じる不利な状況)にもつながります。
男性はコア業務中心のキャリア、女性は周辺業務のキャリアを積むことになれば、コア業務の男性に重点的に投資が行われ、男女で「育成投資格差」が生じます。また、男性は男性同士で飲みに行ったり、喫煙所で会話したりすることでさまざまな情報が入ってくるので、「情報格差」も生まれます。そうしたことが「評価の男女差」や「昇進率格差」にもつながります。
真の男女賃金格差と単純な男女賃金比にも乖離が生じているので、その要因をきちんと理解する必要があります。それは「従業員構成」の男女差がどう変わってきたかを理解するのと同じことになります。
中でも重要なのは、男女の昇進率格差を確認する作業です。職位ごとに1年間に昇進した人数を男女別で算出し、在籍人数で割ると、ある職位で昇進率に男女差がみられるはずで、一般的には女性が出産を迎える頻度の高い年齢層で男女差が拡大します。
次に、人事評価の男女差もチェックしてください。最も簡単なのは、平均値の差を職種ごと、職位ごとに比較する方法です。S、A、B、C、Dといった評価の記号を数字に置き換えて平均値を取り、それを基に評価の種類ごとに男女差を確認します。すると業績評価は、特に大企業の場合は目標管理制度を導入している企業が多く、その達成度で評価するため、男女差は出にくい傾向があります。
ところが行動評価や能力評価では、ほとんどの企業で男女差が生まれています。特にリーダーシップや他部署との連携の項目で差が大きいので、どういった要因で男女差が生じているのかが推察しやすくなるのです。
注意していただきたいのが、上司が部下の自己評価を見た後で評価を付けるケースが多いため、部下が付けた評価に引きずられる傾向がある点です。特に自己評価はほとんどの企業で男性が女性より高い傾向にあります。つまり、男性は自信過剰で、女性は自己アピールが下手という心理的特性があるため、入社1年目から自己評価にかなりの男女差が生じるのです。こうした現象をきちんと調べ、それを相殺するための取り組みが必要になります。
次に、育成投資に男女差が生じていないかを確認する必要があります。目標管理制度の記録や選抜型研修への参加率の男女差、海外転勤や新規事業などの成長機会経験などから確認することができます。男女差がみられる場合には、客観的なエビデンスを揃えて、各部門の管理職と対話を重ね、無意識のバイアスを排除するための解決策を提示してほしいと思います。企業によっては、優秀な女性に早めに育成機会を与えているところもあります。
こうした分析を通じて原因をある程度特定した後、アクションプランを策定してほしいのです。そのときに大切なのが、経営陣のコミットメントの確立です。ハーバード大学の研究によると、ダイバーシティに対する組織の責任を確立する努力が管理職の多様性を増加させる上で最も効果があるとされています。
具体的に組織の責任を確立するためには、まず統合報告書やCSR報告書を通じて、経営陣が男女賃金格差解消に取り組んでいることをしっかり伝え、目標値を公表することが重要です。経営者報酬の業績連動部分の評価基準に、ジェンダーに関する目標の達成も入れると、責任の所在を明らかにする上で有効だと思います。
それから、アカウンタビリティ(説明責任)を確立することも求められますし、KPI(重要業績評価指標)をきちんと設定して、施策効果を継続的にモニタリングした上で積極的に開示していくことが責任の明確化につながります。
コメント
佐藤:
これからは管理職の判断・行動のバイアス解消につながるような人事制度設計を行い、さらに部下を持った管理職の登用基準を見直すことが大事だと思います。
それから、ダイバーシティ推進の部署をつくるのはいいのですが、人事セクション外に設置されると人事データにアクセスできないという問題も起こるので、対策が求められます。
8つのチェックポイントに関しては、まず「従業員属性」では、採用ターゲット層が確実にエントリーしてくれるかというところから見る必要があります。男女による「昇進率格差」に関しては、企業がこれまで行ってきた考課者研修の効果を測定するのも有効です。「評価の男女差」については、管理職が部下の過去の評価を閲覧不可とすることも有効でしょう。
「育成投資格差」に関しては、部下に業務を配分するときにチャレンジングな仕事はそんなに多くないので、育成投資の対象となる部下の選定は部下に関する管理職のポテンシャル評価に依存します。ですから、管理職自身が部下に関するポテンシャル評価は適切かという視点を持つことが重要だと思います。
異動配置については、現場に人事権がある場合が多いので、実際はそこでバイアスが働いていることが結構あると思います。長時間労働に関しては、残業削減に着目しがちですが、生活の質が充実するようなメリハリのある働き方の実現が大切です。
アクションプランの策定に向けては、経営陣が交代しても女性活躍やダイバーシティ推進の取り組みは変わらないというメッセージを社員に出すことが大切です。
チャイルドペナルティが大きい場合には、まずは仕事と介護の両立が可能となる職場の実現を目指すことで、単身社員や管理職など全社員を巻き込んで働き方改革を推進し、ひいては仕事と子育てが両立しやすい職場づくりも進むのではないかと思います。
質疑応答
- Q:
-
行動評価や能力評価で、何を評価するかというところが結構変わってきていると思うのですが、具体的に評価軸を変えている企業の事例や、ジェンダーバイアスを排除するために効果的なものがあれば教えてください。
- A:
-
評価軸がどう変わってきたかという点については十分に把握していないが、評価において大事なことはきっちり部下に説明できるということ。人事データを分析すると、上司から悪い評価を受けてもきちんと説明を受けた人の離職率は上がらず、悪い評価を受けてきちんと説明されなかった人たちが離職する傾向が非常に鮮明だったので、納得感は非常に大事だと思います。
- Q:
-
キャリアとライフイベントのタイミングのずれが賃金格差の構造的要因になっていると思うのですが、こうした制約を前提として最も取り組むべき効果的な施策は何でしょうか。
- A:
-
企業は長時間労働を前提とした配置を解消しなければなりません。最近は特にAIを利活用することで生産性を上げられるという分析もあるので、新しい技術を使って自動化・効率化を図る努力が必要です。それから、出産前にしっかりしたキャリアプランを持っておくことも大事だと思います。
- Q:
-
日本企業はこれまでロイヤリティ(忠誠心)を重視してきており、その価値観から転換できないでいると思います。果たして日本企業はパラダイムシフトを本当に実現していけるのでしょうか。
- A:
-
方向性としては競争的な労働市場に向かって進んでいるところだと思っています。というのも、ジョブ型雇用、あるいはそれに近い運用がなされつつあり、スキルをきちんと体系化、可視化しようという動きが明確に生まれています。
この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。