通商白書2025

開催日 2025年7月24日
スピーカー 森井 一成(RIETIコンサルティングフェロー / 経済産業省前通商政策局企画調査室長)
モデレータ 冨浦 英一(RIETI所長 / 大妻女子大学データサイエンス学部長)
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開催案内/講演概要

6月27日に閣議配布された「令和7年版通商白書(通商白書2025)」では、米国関税ショックとその根底にある経済構造の問題、中国の産業発展が貿易投資に与える影響と周辺国の対応、産業政策と国際経済秩序をめぐる議論、サービス付加価値に着目したわが国の貿易投資構造、グローバルサウス諸国との共創機会などについて分析している。また、今回の特徴として第Ⅲ部に「通商戦略2025」を収載しており、わが国が進めるべき通商政策の考え方や方向性を提示している。本セミナーでは、白書を執筆・編集した経済産業省の森井一成前通商政策局企画調査室長を招き、白書の内容や通商戦略について解説していただいた。

議事録

米国関税ショックと3つの構造問題

「通商白書」は今年で77回目を迎える伝統ある白書であり、今回は6月27日に閣議配布をしました。今回の特徴として、第Ⅲ部の「戦略・施策」に、産業構造審議会通商・貿易分科会で策定した「通商戦略2025」を収載しています。

2025年4月にいわゆる米国関税ショックが起こり、関税そのものの影響も非常に大きいですが、関税ショックによる不確実性の増幅が国際経済に大きな影響を与えています。

その根底にある構造問題として、第一に、世界各国の国内において格差が拡大しています。第二に、とりわけ米国では、中国からの輸入急増が一部の地域や労働者に悪影響を与えたという認識が広がり、保護主義の土壌になっています。第三に、中国側でも、輸出主導の成長で国内格差が広がったことにも起因して、景気低迷の中で過少消費構造が顕在化しています。

2024年の世界経済は3.3%と底堅く成長しましたが、米国の成長にかなり依存しており、2025年4月の関税引き上げもあって各種経済見通しを押し下げています。また米国の通商政策不確実性指数は、3月にコロナの時期をはるかに上回る水準まで上昇しました。

国際経済秩序は重層的な構造変化に直面しています。昨今の貿易摩擦や保護主義の台頭だけでなく、過剰生産能力・過剰依存のリスク、経済安全保障の認識の拡大、世界的なパワーバランスの変化とグローバルサウス諸国の存在感の高まり、さらにはデジタル化やグリーン移行などの実体経済の変化に対して各国が多様な対応をしていることが不確実性を高めてきました。そのような状況下で直近に起こった事象が関税ショックであったと考えられます。

4月の米国の関税引き上げは歴史的規模の引き上げ幅であり、国際通貨基金(IMF)の試算では、米国の実効関税率はブロック経済化が進んだ1930年代を超える水準になっています。またトランプ政権が問題視しているのは二国間の貿易赤字ですが、米国の貿易赤字に占めるシェアで、中国はトランプ政権1期目までは非常に高かったものの、その後は低下傾向にあり、メキシコやベトナムが上昇傾向にあります。

世界の経常収支には周期的な増減が見られ、米国の経常赤字(対世界GDP比)は世界金融危機後に減少したものの、足元で増加傾向にあります。また、米国の財政赤字(対米国GDP比)も増加しており、「双子の赤字」が拡大しています。マクロ経済の持続性という観点では、このグローバル・インバランスは重要な論点と考えられます。

中国ショック(中国からの輸入急増が各国の雇用や賃金に与えた悪影響)の度合いは、各国の産業や貿易構造などで異なりますが、欧州委員会のフォンデアライエン委員長が最近の演説で「チャイナショック2.0」という言葉を使ったように、欧州連合(EU)や日本の産業構造は中国と類似度が増しており、新たな中国ショックが過去と異なる影響を及ぼすことは十分に考えられます。

中国はコロナ後に景気が低迷し、過少消費構造が顕在化して、輸出単価が下落しつつ輸出が拡大するデフレ輸出と言える現象を見せています。さらに直近では、米中対立の結果として米国向け輸出が減っている中で、東南アジア諸国連合(ASEAN)やインドへの輸出が増える、貿易転換が見られています。

中国の産業発展が変える貿易投資

中国の製造業は過去30年、前例のない速さと規模で生産能力を拡大してきました。中国の製造業付加価値(2020年)は1995年比で18.5倍に増加しています。業種別では、伝統的に中国が強い繊維や窯業土石等だけでなく、最近は電気機器、一般機械、自動車なども大きな付加価値シェアを占めています。

中国の成長は、少なくとも2010年代半ばまでは民営企業が牽引してきましたが、直近は「国進民退」の動きがあり、国有企業が持ち直しています。同時に、中国政府の産業政策の支出も非常に大規模と推計されています。

今回の白書では、中国の産業発展のメカニズムに焦点を当て、中央政府の産業政策と地方政府間の競争、さらに市場の特性としての規模の経済が、業種ごとに異なる役割を果たしつつ産業発展を実現してきた姿を提示しました。

中国の産業発展を理解する上でのキーワードとして専門家の間で議論されているのが、規模の経済(生産規模の拡大に伴い、生産費用が低減すること)です。その働きは産業によって異なりますが、産業政策と規模の経済、あるいは国の政治経済システムと市場レベルでの特性がどう結び付いているかがひとつの焦点になると思います。

こうした産業発展も背景に、中国はこの30年、次々と新たな業種の輸出品目を創出してきました。パソコン、携帯電話、半導体、自動車、蓄電池と順次、規模の経済が形成され、輸出を拡大しました。また近年は、ASEANや一帯一路沿線国への直接投資が拡大しています。そうした中、規模の経済が、国際的な負の外部性や中国国内の事業環境の悪化を生じている面があります。

アジア周辺国のうち、ASEAN諸国は全方位の対外方針を維持して成長していますが、特に輸入では中国への依存度が高まっています。また、対ASEAN直接投資では日本のシェアが下落し、中国・香港が上昇しています。韓国は、輸出と直接投資が顕著に米国にシフトしています。インドは保護主義的な産業政策をとっており、中国からの直接投資はほぼゼロですが、中国からの輸入は大きなシェアを占めています。アジア周辺国は一様に、輸入の50%以上を中国に依存する品目が非常に多くなっています。

新たな産業政策とその国際的な影響

近年、デジタル化、グリーン移行、サプライチェーン強靭化といった国際アジェンダの議論が進展し、こうした取り組みと産業発展を結び付ける新たな産業政策が打ち出されています。世界のサービス貿易は、デジタル関連サービスが牽引して財貿易以上の伸び率になっています。グリーン移行に関しては、その鍵となるバッテリーや電気自動車(EV)、太陽光、風力などで中国が製造能力の大きなシェアを占めています。また、その上流にある重要鉱物の精錬・加工でも中国が大きなシェアを押さえています。

こうした動向を踏まえて、産業政策と国際経済秩序の関係が議論されています。産業政策と通商ルールの関係については、長らく国際的な議論が積み重ねられ、一部は通商ルールに反映されてきました。戦前のブロック経済化に対する反省から関税および貿易に関する一般協定(GATT)が成立し、貿易自由化と同時に、恣意的な差別を制限することがルール形成の大きな主眼となりました。また、その対象分野は、水際の輸出入規制だけでなく、補助金や製品基準、政府調達などの分野にも拡大してきました。

他方、冷戦後にさまざまな政治経済体制や発展段階、政策方針を持つ国々がWTOに加盟したため、想定外の問題も生じています。その対処のためにWTOのルール形成が期待されましたがなかなか進まず、市場歪曲的措置や経済的依存関係の武器化等の根本的な問題への対処が依然として求められています。

こうした流れと軌を一にして、冷戦後のグローバリゼーションの基盤となったワシントン・コンセンサスに対する問題提起がされるようになりました。実体経済面の変化に対応するために提唱された新しい産業政策は、市場と政府を二項対立ではなく補完的に捉え、狭義の市場の失敗だけでなく幅広い政策目標を重視し、ターゲティングにとどまらない競争政策等の水平的政策を活用することが特徴であり、実際に欧米の政策にも反映されています。こうした中で、変化する国際経済構造の中でのルールの公正さが、改めて問われているのだと思います。

わが国の貿易投資構造

わが国の国際収支を見ると、財輸出は数量ベースで漸減してきています。主要先進国はいずれも、中長期的に世界輸出に占めるシェアを落としていますが、日本は特に減少割合が大きくなっています。そうした中、イノベーションを通じて高付加価値製品の輸出を拡大することが大きな目標です。

サービス貿易はWTO協定上、4つのモードに分類されますが、近年は5つ目のモードとして、財に中間投入されるサービスの付加価値に着目すべきという議論があり、例えばデザインサービス、ソフトウェアサービスなど、モノに含まれるサービスの競争力創出が大きな政策的観点になると考えられます。

またコンテンツ産業がコロナ禍を経て拡大し、世界市場も非常に伸びています。コンテンツ産業では財貿易、サービス・ライセンス取引、対外直接投資が国境を超えて複合的に行われるので、そのことを踏まえて支援していく必要があるでしょう。

グローバルサウス諸国との共創も重要です。日本はASEAN諸国と強い信頼関係を築いてきた経験があり、今後も各国の新たな社会経済課題を共に解決する共創を通じて、ウィンウィンの関係を築くことが求められます。

対外直接投資に関しては、収益の半分超が配当環流しており、先進国と比べても遜色のない水準です。さらに、現地で再投資される収益は消えてなくなっているわけではなく、ストックとして蓄積されています。ストックに対する収益率は中長期で増加傾向にあり、将来の収入源になっているといえます。加えて、海外投資は単純な配当だけでなく、海外のイノベーション力の取り込みや、経済安全保障・サプライチェーン強靭化に資するか等の複合的な観点で考える必要があるでしょう。

国際情勢を踏まえた通商戦略の方向性

最後に、今後の通商戦略の方向性ですが、国際経済秩序が揺らぐ中でも自律性・不可欠性をしっかり確保し、グローバルサウス諸国をめぐる競争の激化、DX・GXの進展の中で輸出・海外投資を伸ばし、海外市場を開拓して、日本の付加価値を最大化することが最重要課題になると考えます。

そのための方向性として、3つの柱を立てています。第一に、国際社会の信頼できるパートナーであり続けることを明確にし、各国とウィンウィンの関係を積み上げつつ、国際経済秩序の再構築に取り組むなど多層的な経済外交を展開することです。

第二に、いかなる秩序においても、世界の課題解決を通じて付加価値を最大化することです。国内投資の増強などを踏まえた輸出市場の確保・多角化や、対外投資を通じたグローバルサウス諸国との共創などを通じて、日本企業の高付加価値を支援したいと考えています。

第三に、保護主義が台頭し、過剰生産・過剰依存のリスクが高まる中、自律性の強化や技術等に関する不可欠性の確保を目指し、同志国との政策協調や国内制度整備、経済安全保障上重要な事業の海外展開支援など、内外一体の取組を進めていきたいと思います。

質疑応答

Q:

「チャイナショック2.0」といわれる時代に、日本の対応はどうあるべきなのでしょうか。

森井:

今や欧州や日本も中国との産業の類似度が上がっており、競合関係は過去と比べれば確実に高まっていると思いますし、中国が規模の経済を利用して輸出を続けている限りは新たなチャイナショックが起こる可能性は十分あると思います。足元の各国の貿易措置動向も踏まえると、特定国に輸出が集中する可能性は高まっているので、貿易データをしっかりと観察していく必要があるでしょう。

Q:

日本は共著論文の数や研究ネットワークの面で遅れているという指摘がありますが、日本はどのようにして挽回すればよいのでしょうか。

森井:

いろいろなところで国際的な研究ネットワークをしっかり張ることは重要であり、最近では国内の半導体産業を支援する中でも国際的な研究連携をセットで行う施策も展開していますが、日本の大学・企業の研究開発部門の国際化はしっかり進める必要があるでしょう。

Q:

今回白書で分析されたことも踏まえて、日米間の合意やトランプ政権の関税の影響についてどう考えればよいでしょうか。

森井:

直接的なお答えは難しいですが、一般論としては、日本に対する関税の直接的な影響だけでなく、第三国に対する関税が日本企業のグローバルなサプライチェーンにどのように影響するかということや、第三国に対する関税が貿易転換によってむしろ日本からの輸出を有利にすることもありますし、大国の関税は当該製品の国際価格を押し下げて他国消費者の購買力を高める等の間接的な効果もありますから、多面的な検討が必要だと思います。

Q:

中国の過剰生産能力の問題を根本的に解決しないと国際貿易の緊張は解消されないのではないでしょうか。

森井:

1980~1990年代の日米貿易摩擦では、日本企業が米国や東南アジアその他の国に直接投資を通じて展開し、貿易投資の自由化によってみんながウィンウィンになる状況が生まれました。他方、現在の中国は欧米への投資は多くなく、欧米としても安全保障上の理由も含め中国からの投資を歓迎しない面があるので、日本と同じようなシナリオを想定できないところが今回の難しさなのだと思います。中国の規模の経済が起こす問題に対しては、いろいろなルール形成もあるでしょうし、短期的にはWTO協定上認められた措置を講じていくこともあるでしょうし、総合的に対処していかざるを得ないと思います。

Q:

製造業の空洞化、あるいは最近では国内回帰の議論がありますが、サービス貿易も含めた観点からはこの問題についてどう考えればよいでしょうか。

森井:

製造業自体が、ただモノを作り、その品質を競う構造から、そこに載せられるソフトウェアやサービスの付加価値が競争力の源泉となる構造に変わってきています。従って、貿易投資以前に、今の製造業に求められている付加価値を高めることがまず大原則なのだと思います。その上で、日本国内に高付加価値機能を残しながら、海外ともしっかりと連携するのが理想的な方向性だと思いますし、サービスの付加価値はそこで重要な役割を果たすと思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。