2025年大阪・関西万博シリーズ

未来の教育を考える—デジタルネイチャー時代における人間とテクノロジーの共生

開催日 2025年7月14日
スピーカー 落合 陽一(メディアアーティスト / 筑波大学准教授 / 2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)テーマ事業プロデューサー)
コメンテータ 中室 牧子(RIETIファカルティフェロー / 慶應義塾大学総合政策学部 教授)
モデレータ 池山 成俊(RIETIコンサルティングフェロー / 経済産業省 商務・サービス政策統括調整官)
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開催案内/講演概要

大阪・関西万博でひときわ注目を集めるのが、メディアアーティストで筑波大学准教授の落合陽一氏が手がけるパビリオン「null²(ヌルヌル)」である。鏡面で覆われたその建物は、物理世界とデジタル世界が融合する「デジタルネイチャー」というビジョンを体現している。本セミナーでは落合氏を迎え、新たなテクノロジーがもたらす学習体験や認知プロセスの変容、身体性や感覚を伴った学習の重要性について、メディアアートやヒューマン・コンピューター・インタラクション(HCI)の事例を交えて考察した。また、「null²」をはじめとする社会実装例を通じ、人間とテクノロジーが持続的に共生するための新たな教育デザインの可能性を議論した。

議事録

「null²」のコンセプト

私は生成AIの研究を2015年ごろからずっとしていて、最初は人間とAIの協調がテーマだったのですが、最近は生成AIとAIエージェント(人間の介入なく自律的にタスクを実行するシステム)がどうコラボしてモノを作るのかという研究が中心となっています。

私がプロデューサーを務める大阪・関西万博のパビリオン「null²(ヌルヌル)」についても、そうした研究に多くの時間を割いてきました。人間が今まで築いてきた記号的なものや文明がAIによって変わろうとしている中、われわれが持っているものは一体何なのか、人間が持ってきたものはほとんどnull(何もない状態)になってしまうのではないか、しかしそれでも人間は何か作るだろう、その楽しみ方とは一体何なのか、ということは全世界的に非常に大きなテーマになっています。

デジタルネイチャー時代における教育

われわれが最近よくパラダイムとして言っているのは、AI時代になったときに、今までは人間が機械と協調して作るのが自然と人・計算機の関係だったのですが、計算機が自動で作るものを機械が見て選ぶという関係性になると、ほとんどデジタルネイチャーからの収穫物を得ている状態に近づきます。従って、こうした世界においてどう人を教育していくのかが非常に重要なテーマとなっています。

特に重要だと思うのは、最適化と道具のつなぎ込みの問題は終わる可能性が高いということです。例えば研究で使うような難解なプログラムも、適当な指示出しでAIが書けるようになります。そうなると、何かを最適化して道具がそれによって動くという問題は終わる可能性が高く、課題の方が重要になります。何を解きたいか、解いた課題が理想の状態とどう違うのかを言語化することの方が大切になるのです。

「null²」のテーマであるデジタルネイチャー(計算機自然)は、物理的な世界とデジタルの世界が相互に浸透して融合した結果、人間にとって新しい自然が生まれる状態であり、自然と人工の区別がつかなくなった状況を指します。コンピューターに普通に話しかけて、コンピューターからぽんと物が出てくるのが普通になった状態を、人間はほぼ自然だと考えると思うのです。

そうすると、人間にとって自然だと思うものがどんどん拡張され、やがて来るデジタルなものと物理が融合した自然はきっとデジタルネイチャーと呼ばれるようになるし、例えば音楽をがんばって作らなくても、AIに「音楽を適当に作って」と言えばスピーカーから自動的に鳴り出すのが普通になるでしょう。そのときに世界はどうなるのかを考えることが重要だと思います。

コメント

中室:
生成AIを使っていてつくづく思うのは、生成AIにお願いしたいことをちゃんと言語化しないと動かないということです。そして、生成AIをうまく動かすためのプロンプトやオーダーの出し方を最適化する形で人間自体がアコモデートしようとしています。それは今までわれわれが受けてきた教育と随分方向が違うように思うのですが、既存の教育がついていけている印象はありますか。

落合:
私の中ではついていけている感はまったくないのですが、高等教育に関してはついていけているように思います。小中高では教員がカリキュラムを自由に変えるのはかなり難しいですが、私は大学の講義で普通に「今学期はVibe Codingで全部講義しよう」と言って、プログラムをAIに言って書かせたりしています。そうしたことは大学ではできますが、小中高では入試制度や学習指導要領が変わらない限り難しいでしょう。

もちろん補助教材としてAIを使うことはできますが、ゴールが異なります。今までは職能を育てることがゴールでしたが、今はその人が作り出したい世界観を育てることが教育になりつつあります。その世界観を育てるのは、今までの大学教育では博士教育で行っていたのですが、それが前段階に移ってきたという感じがしています。

中室:
学習指導要領の話が出ましたが、学習指導要領は何のためにあるかというと、全国の学校教育をなるべく均質化するためです。みんなが質の高い教育にアクセスするために、毎時何を教えるかを手堅く決めているのが学習指導要領の在り方であり、それが質を担保してきた面もあるのですが、逆に教育の在り方を窮屈にし、トライ・アンド・エラーを許容できなくなってしまっています。

落合:
それに関して、私が好きな随筆家の寺田寅彦は著書『日本人の自然観』の中で、自然と人間を分けない方がいいのではないかと述べています。人間側はホモ・サピエンスといわれたときからそれほど変わっていないのに対し、文明側が勝手に進歩したときに文明をどう位置付けるかという中で、寺田はもう1つ面白いことを言っていて、「神秘的体験をしたことのない宗教家の言葉は全然響かない」と言うのです。つまり、教育者としてはちゃんと感動した体験をすることの方が大切なのです。

従って万博についても、人がちゃんと感動して、将来こんなものを作りたいと思わせるようなものをいかに早く埋め込むかによって方向性が決まるので、今回の万博を開催して本当によかったと思っているのです。

中室:
技術に人が感動することは確かにあると思うのですが、恐れることもあるでしょう。私が小学校時代、学校でシャープペンシルを使うのを禁止されていたのですが、それはシャーペンを使うと頭が悪くなるからだというのです。つまり、新しい技術が出てきたときの人間の最初のリアクションは感動よりも恐怖だと思うのです。学校は結構保守的で、新しい技術を取り込むことに抵抗があり、自然と人間を対立させる傾向があると思うのですが、どうでしょうか。

落合:
終わらない近代として多分そういうことをずっとやっているのだと思うのですが、それに流動的に対応できるのが高等教育機関の強みだとすると、大学教育におけるPh.D.教育は非常に重要だと思います。

10の25乗もの学習投入量があるAIは、現在は大学院生より賢い程度なのですが、全ての人間よりも賢くなるタイミングはいつかというと、2027年あたりなのです。現在の1年生が3年生になる頃には大体の問題が解決しているし、仮に2030年になったとしても今の1年生が6年生になる頃には解決しているので、そうしたときの教育上のアプローチはどうなるのかということは考えています。

大学院教育の場合は新しいものを解決できることで研究がどんどん進むので、取りあえず研究が終わりきるまではがんがんやってしまおうというノリになっていますが、それを横目に2030年までに小中高の教育をがらりと変えるのは難しいので、高校と大学の間に大きなギャップが生じると思います。

質疑応答

Q:

これまでの教育は問題解決に必要なスキルを教えてきたわけですが、そうした解決の部分をAIが代替する中で、今後の教育は興味や好きという価値を重視した教育にもっとフォーカスすべきではないでしょうか。

落合:

おっしゃる通りだと思います。人類の歴史を見ると、20世紀後半に人口が爆発し、特許やコンピューターネットワークもあって情報が爆発したため、大抵の発明は近代以降に起こっています。そうしたときに、予想外の方向にサイエンスを発達させる人が最も貴重なのです。その上で、幼少時に好きなものを大人になるまで持続できるかが非常にチャレンジングな課題であり、興味の方向性が集約されるのではなく、みんながそれぞれ別のことをやった方が面白いので、そこのバランスは大切だと思います。

中室:

好奇心を育てるためには探究学習が重要であり、オープンエンドのクエスチョンをすることが重要ですが、クエスチョンをするには体験して考えないといけません。小学校で最近プールの授業をしないところが増えていますが、そうなると泳ぎを経験しない子が増え、泳ぐことが好きなのかどうかが分からなくなると思うので、私は小学校のときにはなるべくいろいろなことが経験できた方がいいと思います。

落合:

民藝運動の濱田庄司はエッセイの中で、小さい頃は自然の風景を眺めているだけで物理現象も自然と付き合うための方法も分かっていき、自然と対話する中で感性を育んでいったと述べています。それは都市構造の中ではなかなか得られ難いでしょう。そういうものを全身でどう触れられるかが重要だと思うのです。

万博が面白いのはそこですね。動画では分からないことを物理世界で体感して見せるということを、10歳ぐらいまでにいかにやり尽くすかがキーワードだと思っています。年を取ってからでも遅くはないので、始めようと思ったら全身でそれをやることが大切です。

Q:

日本人学生たちの目の輝きを取り戻す教育にはどんな方法があるのでしょうか。

落合:

今までに誰かがやっていたことをまねするのではなく、新しいジャンルを開拓していけば毎日が楽しくてしょうがないはずなのです。そこが今の子はもったいないと思うのですが、それをできるようにするワークショップを行うと目が再び輝き出すので、時代に対する自己効力感を高めてあげるといいと思います。

Q:

在日宇宙人のような落合さんは、今の自分の人生の目的は何だと自覚されていますか。

落合:

人間の作った構築物全体の重量は植物の資源量を2018年ごろに逆転しています。それが今、コンピューターにつながりつつある中、地球上にあるコンピューターの方が生物全体よりも大きいと考えると、これはもはやデジタルネイチャーといえるでしょう。私はデジタルネイチャーについていろいろ考えてきたのですが、1970年ごろに提唱されたSINIC(サイニック)理論では、人間は最適化社会、自立社会を経て自然社会になると考えられていて、自然社会はデジタルネイチャーであるともいえると思います。この自然観の中で生きるとやがては自然が発展する社会ができると思うのは、意外と風土が作ったナチュラルな考え方なのかもしれません。

Q:

AIが作り出すものを楽しむためには結局AI並みの能力を身に付ける必要があるのではないでしょうか。

落合:

最強の消費者になることがとても重要で、それは最強の創造者になるよりもハードルが高いのです。今はコンテンツを無限に取れる時代ですから、消費しないともったいなくて、これは結構キーだと思うので、なるべく最強の消費者を目指すのは良いと思います。

Q:

都会の子どもたちはゲームなどいろいろなコンテンツで自然を体験しますが、実際に自然に行けば虫に刺されたり、夏暑かったり、マイナスの部分がいろいろあるわけです。先にバーチャルで素晴らしい自然体験をした子たちにリアルを届けるときに、そうしたハードルをどうすればいいのでしょうか。

落合:

マインクラフト砂場問題ですね。マイクラで砂場を先に体験すると実際に砂場で遊ぶのがおっくうになるという問題があるのですが、バーチャルはきっかけを作ってくれていて、バーチャルの方が絶対に現物が欲しくなるのではないでしょうか。ですから、参入障壁が下がったと思えばいいと思うのです。

中室:

子どもは意外と賢くて、マイクラ砂場と本当の砂場は違うことをちゃんと理解していると思います。ただ、例えば水に触れたり、砂場遊びをしたり、幼少期に実際に体験させることはとても大事で、先に実体験をしてバーチャルで触れることによってこの両者は違うと感じると思うので、幼少期の体験はなるべく豊かなものであるべきだと思います。

Q:

今回の万博を通じて未来の教育に向けて発信したいメッセージがあればお願いします。

落合:

博覧会は生のものが結構見られるのでいいと思うのですが、注意深く受け取ってほしいのです。パビリオンを歩いていると、この国にこの木は生えていないだろうというようなことがよくあるので、何が本当に生のものなのか、消費者として見ていくと意外と面白いと思います。

パビリオンがこれだけたくさんあると自分の好きなものが見つかりやすいので、自由に比べていただいて結構ですし、発信していただいていいと思います。日本人は暗黙知文化ですが、褒めるだけでは改善もされませんし、良くないと思われることは良いと思われることと同様に重要です。

分かりやすいメッセージを出しているところもあれば、何回咀嚼しても理解できないパビリオンもあるので、味わい深くずっと考えるのもいいと思います。クリエイターが生で作ったものを体感できるという点では、万博で好きなものを見つけた子が15年ぐらい後に面白いものを作ってくれたら日本としては成功でしょう。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。