開催日 | 2025年2月10日 |
---|---|
スピーカー | 福永 一郎(日本銀行調査統計局参事役(企画調査担当)) |
コメンテータ | 井上 誠一郎(経済産業省大臣官房審議官) |
モデレータ | 深尾 京司(RIETI 理事⻑ / 一橋大学経済研究所 特命教授・一橋大学 名誉教授) |
ダウンロード/関連リンク | |
開催案内/講演概要 | 1990年代以降の日本経済は、デフレ脱却と経済成長の回復が長年の課題とされてきた。日本銀行が2025年12月に公表した「金融政策の多角的レビュー」では、デフレの背景として慢性的な需要不足に加え、供給側の要因も物価を押し下げた可能性が指摘されている。本セミナーでは、同レビューに深く関わった日本銀行調査統計局の福永一郎氏を講師にお迎えした。グローバルな物価変動の要因や潜在成長率と物価・賃金の関係について解説いただくと同時に、日本の物価変動要因を正確にとらえ、国内外の供給要因を踏まえた、適切な金融政策や経済産業政策の必要性が説かれた。 |
議事録
日本銀行「金融政策の多角的レビュー」
日本銀行(以下、日銀)が2024年12月に公表した「金融政策の多角的レビュー」は、日本がデフレに陥った1990年代後半以降、過去25年間にわたる各種の金融政策の効果や副作用について、多角的な観点から約1年半かけて検証したものです。この間に、私自身の個人名論文を含め、46本の論文が公表されたほか、意見交換等、さまざまな取り組みが行われました。また、レビューには企業向けの大規模なアンケートの実施や外部有識者の講評を取り入れた点が特徴的で、批判的な意見も含めた外部の視点を交えることで、金融政策の有効性や課題がより明確に浮かび上がりました。
日銀の金融政策は経済の需要面に働きかけるものですが、特に最近では実際の物価動向への供給面の要因の影響が大きいこともあり、物価安定のためには、需要と供給の両方向からの分析が欠かせません。本日は、供給要因が物価に与えた影響を中心に、多角的レビューのポイントや個人研究を交えて説明します。
過去25年の振り返り
まず、過去25年を振り返ると、デフレの主因として「需要不足の慢性化」が挙げられます。
加えて、グローバル化やIT革新による物価下押し圧力など、供給面の要因も挙げられます。2013年からの大規模な金融緩和でデフレ状態は脱却したものの、インフレ率は物価安定目標の2%には達しませんでした。その後、2020年代に入り、人手不足や輸入物価上昇などにより、企業の賃金や価格設定に積極的な動きが見られるようになり、2%を超えるインフレが3年くらい続いています。
2013年以降の金融緩和は一定の効果を上げましたが、副作用として、生産性の低い企業の滞留につながった可能性なども指摘されており、供給面へのプラス効果とマイナス効果については明確な結論が得られていません。現時点では、全体としてみれば経済にプラスの影響をもたらしたと評価されますが、今後、金融仲介機能や市場機能などで副作用が顕在化する可能性には留意が必要です。
先行きの金融政策への含意
ゼロ金利制約の下で行われた国債買い入れのような非伝統的な金融政策手段には効果の不確実性や副作用も伴うため、今後もしこのような手段をとる場合には、そのベネフィットとコストを比較し、慎重に判断する必要があります。また、2%の物価安定目標は今後も維持すると結論付けていますが、その理由の1つは、経済にマイナスのショックが起きた際にもゼロ金利制約に直面しないよう、一定ののりしろを確保する必要があるためです。
グローバル化と日本の物価変動
以下では、私の個人研究について説明します。まず、国内外の時系列データを用いて構造VARモデルを推計し、日本の消費者物価(CPI)の変動を国内外の要因に分解した結果を紹介します。
1990年代後半にデフレに陥った頃には国内需要要因などが物価の下押し要因となりましたが、その後、2010年代まで海外供給要因が継続的に物価を抑制していました。特に2013年以降の金融緩和による物価押し上げ効果は、海外供給・需要要因の押し下げ効果によってほぼ相殺されていました。しかし、コロナ後には海外供給要因が逆に物価上昇に寄与するようになりました。
海外供給要因の背景としては、中国を中心とする新興国の供給力拡大がコスト低下圧力をもたらしたことが挙げられます。2000年代には先進国と新興国の賃金格差が大きく、安価な輸入品が物価を押し下げました。2010年代以降は賃金格差の縮小やリーマンショックの影響でこの圧力は弱まりましたが、日本では依然として輸入品やグローバルバリューチェーンを通じたコスト低下効果が継続しました。2020年代には、グローバル化の変容やエネルギー価格の高騰が物価上昇要因となりました。
海外要因が日本の物価変動に持続的に大きな影響を及ぼしてきた可能性、そして近年、その方向性が変化してきている可能性を、この分析結果は示唆しています。
潜在成長率・需給ギャップと物価変動
次に、国内要因による物価変動を評価するうえでは、マクロ的にみた需要と供給のバランスが物価変動に影響するという「フィリップス曲線」に沿って解釈するのが基本です。その分析道具である「潜在成長率」と「需給ギャップ」によりますと、90年代初め、潜在成長率に表れる総供給と実際の経済成長率に表れる総需要の両方が落ち込みましたが、総需要の落ち込みの方がより大きかったので、需給ギャップがマイナスになり、デフレが始まった、と解釈することができます。
しかし、その後長らくデフレが続いた背景では、より複雑なメカニズムが働いていた可能性も考えられます。供給面と需要面の間で双方向の相互作用が働き、例えば持続的な供給トレンドの低下とそれに伴う人々の成長期待の低下が、設備投資や住宅投資の需要減退を通じてデフレ圧力の継続につながった面もあったと考えられます。こうした相互作用もあって、日本では他国と異なり、需給ギャップとインフレ率だけでなく、潜在成長率とインフレ率も連動しながら低下していました。また、成長期待とインフレ予想は、2013年にインフレ目標が引き上げられるまでは連動しながら低下していましたが、その後は成長期待が低迷したままインフレ予想だけが高まっています。これらの関係をどう解釈するかは、今後再びデフレに戻る可能性などについて考えるうえでも重要と思われ、今後の研究課題として残されています。
労働生産性と賃金・物価の関係
次に、労働市場を通じた生産性と賃金・物価の関係についての考察です。潜在成長率とも関係の深い労働生産性のトレンドを見ると、1990年代初頭に大きく低下し、その後1%程度で低迷しています。また、日本の一人当たり労働生産性の水準は欧米より低く、近年では韓国にも追い抜かれています。
実質賃金と労働生産性の伸び率を比較すると、両者はおおむね連動していましたが、賃金の伸びが生産性に比べて抑制されてきました。これは、生産性の伸びが賃金を押し上げる一方で、労働分配率の低下と交易条件の悪化が賃金を抑制していたことによるものです。労働分配率の低下は企業の利益増加に対応し、交易条件の悪化は海外への所得流出を意味します。
また、ユニット・レーバー・コスト(雇用者報酬を実質GDPで割ったもの)の近年の伸びは、名目賃金が5%くらい伸びていた1990年代前半と同程度まで高まっています。当時は名目賃金の上昇を生産性の上昇で吸収して、販売価格にはあまり転嫁していませんでしたが、労働生産性の伸びが落ちている現在は、名目賃金の上昇がより物価上昇圧力につながりやすい状況になっています。このように、国内の供給要因、つまり生産性の伸び悩みは、海外供給要因とは逆に物価上昇圧力として、これまで徐々に高まっていました。それが最近のインフレ局面において、顕在化したとみることもできます。
経済産業政策の視点から
以上をまとめると、潜在成長率や労働生産性、および海外経済の供給面の動きが、さまざまな経路やメカニズムを通じて日本の物価変動に影響してきたといえます。
金融政策においては、「物価の安定」を目的に主に需要面に働きかける政策を運営する上でも、供給面の動向は常に把握しておく必要があります。そして、供給面と物価・賃金の関係については、双方向で多面的に検討すべきです。
なお、経済産業政策は供給面に直接働きかけることができるため、物価にも大きな影響を及ぼし得ることを付言させて頂きます。「経済産業政策の新機軸」でも、ミクロとマクロの経済政策を一体的に運営する重要性が強調されています。
例えば、公正取引委員会の下請法や価格転嫁の円滑化に関する各種の施策は、デフレ脱却にも寄与する、金融政策にはできない取り組みといえるでしょう。経済産業政策は金融政策と異なり、複雑な目的が絡み合っているため、ポリシーミックスは容易ではありませんが、さまざまな経済産業政策の目的を遂行する際に、物価安定との関係をどう位置付けるかなどについては、今後議論を深める余地があるかもしれないと思っています。
コメント
井上:
日銀の「金融政策の多角的レビュー」は、アンケート調査なども駆使されて分析をされており、さらに外部有識者の講評も掲載され、まさに多角的なものとなっています。今後の金融政策を考える上でも、EBPMという観点でも、非常に意義深いものととらえています。
福永参事役からは、「供給面に直接働きかけることができる経済産業政策と金融政策の間で、ポリシーミックスはどう働くか?」、「経済産業政策の目的を遂行するうえで物価の安定の 位置づけは?」という論点の提起をいただきました。これらの点について、私の個人的な見解となりますが、コメントをさせていただきます。
経済産業政策は、主に供給サイドに働きかけるものであり、日銀の金融政策は主に需要サイドに働きかけるものですが、両者を結び付けるキーワードは「賃金と物価の好循環」だと私は考えています。賃金が上昇すれば、家計は価格転嫁を受け入れやすくなり、実際に価格転嫁が進みます。同時に、物価上昇が生じれば、実質賃金が目減りしないよう、物価上昇を反映した賃上げを行おうとします。このように、賃金と物価には相互作用があります。
経済産業政策は、GX、DX、健康社会の実現など多岐にわたりますが、総じていえば、持続的に実質賃金が上がる経済の実現を目指し、国民生活を豊かにすることがミッションであると理解しています。GXなどの潜在需要を喚起するとともに、賃金を持続的に上げていくことが、家計が消費を増大させることにつながり、そうした需要が牽引をする形で、経済成長とともに物価が安定的に上昇する構造をつくることができる、と考えています。
もっとも、経済は、景気が過熱することもあれば、その反動で景気後退が深くなることもあります。経済産業政策が持続的な賃金上昇を目指す中で、こうした変動に対応しつつ、物価を緩やかに、安定的に上昇させることが大切です。日銀の金融政策は、その点で重要な役割を果たします。
以上のとおり、経済産業政策と金融政策の連携により「賃金と物価の好循環」を実現していくことが必要です。経済財政諮問会議は経済産業大臣と日銀総裁がメンバーです。こうした会議などを通じ、経産省と日銀が連携をしながら取り組むことが重要だと考えています。
最後に、福永参事役に1点、質問をさせていただきます。日本の実質賃金が低迷している原因として、交易条件の悪化や労働分配率の低下などが挙げられます。それらと表裏一体ともいえますが、非正規雇用の増大という労働市場の変化の影響も考えられます。非正規雇用の増大が賃金、さらには物価に与えた影響について、ご見解をお聞かせいただければと思います。
福永:
まず賃金と物価の好循環についてお話しします。海外の中央銀行との会議では、賃金と物価のスパイラル的な上昇はむしろ悪循環とみなし抑制すべきものとされます。日本も1970年代には賃上げを抑制するために政官労使が協力する局面もありました。しかし現在の日本においては、適切な政策連携を図りながら賃金上昇を促進すること、すなわち賃金と物価の好循環が目指すべき姿と考えられます。
次に、労働市場の変化として、非正規雇用について述べます。近年では正規・非正規間の賃金格差が縮小傾向にあり、労働市場の構造が変化しつつあります。統計上は見えにくい部分もありますが、労働力調査の非正規雇用者比率は上昇傾向が頭打ちになっています。直近では、非正規雇用よりもむしろ正規雇用の方が、労働需給が逼迫している状況です。ただ、非正規雇用者の賃金上昇率が上がっているとはいえ、水準としてはまだ当然非正規の方が賃金は低いです。キャッチアップの過程ということで、今後もこの構造はしばらく継続すると見ています。
質疑応答
- Q:
-
構造VAR分析において最近のCPIの上昇要因がどうなっているか教えてください。
- 福永:
-
2021年以降、海外要因が物価上昇に大きく寄与しました。特に、グローバルサプライチェーンの寸断や供給制約により、コモディティ市場の需給逼迫が発生しました。スライドで示したCPIは生鮮食品とエネルギーを除いたものですが、エネルギー以外の素材価格の高騰や、エネルギーから他の品目の価格への波及効果は含まれています。
推計期間を直近まで伸ばしますと、海外要因の寄与は縮小してきていますが、完全にはなくなっていません。輸入物価は下がりつつあるものの、過去からのラグ効果により海外要因の寄与がまだ残っています。その一方で、国内要因の寄与は大きくなりつつあります。特に、ユニット・レーバー・コストや国内賃金の上昇、そして金融政策の影響が物価を押し上げています。日銀は緩やかに名目金利の利上げを行っていますが、実質金利は低下していますので、金融政策要因は物価押し上げ方向に働いています。以上のように、直近では海外要因よりも国内要因の方が物価上昇を主導する構造へと変化しています。
- Q:
-
政府と日銀のデフレ認識の違いの原因は何でしょうか。
- 福永:
-
政府サイドの人に聞かないと分かりませんが、様々な論点がある中で、需給ギャップがプラスにならない限りデフレ脱却とは見なさないという考え方があると思います。確かに日銀が公表している需給ギャップの推計値はまだマイナスです。しかし、日銀の需給ギャップの推計値を下押ししている資本投入ギャップには、需要不足ではなく人手(労働供給)不足によって資本稼働率が低く抑えられている影響も含まれており、この点を考慮すると実勢としての需給の逼迫度合いはすでにプラスになっている可能性も考えられます。このあたりをどう評価するかによっても認識は違ってくると思います。
- Q:
-
大規模な緩和期に日銀が株式購入に踏み切りましたが、今回のレビューにおいて、この政策をどう評価していますか。
- 福永:
-
効果はあったと考えていますが、コーポレートガバナンスへの影響などの留意点も指摘されています。
- Q:
-
低生産性企業、いわゆるゾンビ企業の問題についてどうお考えですか。
- 福永:
-
多角的レビューでの分析によると、大規模な金融緩和のもとでも、銀行等の資金支援で延命された可能性がある企業が増えていたわけではありませんでした。個別企業の生産性の分布を見ると、生産性の低い状態が続く企業が相応に存在しており、これらの企業の存続に低金利環境の継続が影響した可能性はありますが、それ以外にも補助金などの各種支援策や制度面の影響もあったと考えるべきでしょう。さまざまな要因が相まって資源配分のゆがみにつながっていた可能性が考えられます。
- Q:
-
賃金交渉および賃上げ率自体についての見解を教えてください。
- 福永:
-
現在の局面においては、賃上げの定着が重要と考えています。また、名目賃金が上がるだけではなく、物価を上回る賃上げによって実質賃金も上昇することが、今後の経済成長のためには必要でしょう。
この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。