開催日 | 2025年1月16日 |
---|---|
スピーカー | 森川 正之(RIETI特別上席研究員(特任)/ 一橋大学経済研究所特任教授 / 機械振興協会経済研究所所長) |
コメンテータ | 井上 誠一郎(経済産業省大臣官房審議官) |
モデレータ | 千賀 達朗(RIETI研究員(特任)/ 慶應義塾大学経済学部 准教授) |
ダウンロード/関連リンク | |
開催案内/講演概要 | 近年、金融危機、大規模自然災害、パンデミックといった世界規模の不確実性ショックが頻発しており、内外における政治的不確実性が高まっている。不確実性は古くから経済学の重要な研究テーマだったが、最近は経済予測や経済政策の分野でも重要なキーワードとなっている。本セミナーでは、『不確実性と日本経済: 計測・影響・対応』 (日本経済新聞出版社)を上梓された森川正之RIETI特別上席研究員に、不確実性に関する経済分析の急速な進展を踏まえつつ、日本経済における不確実性についての研究結果の解説、および先行き不透明感が高まる中で将来を展望するためのヒントを提示していただいた。 |
議事録
不確実性とは
世界金融危機、東日本大震災、コロナ危機、ロシアのウクライナ侵攻や中東情勢の緊迫化など、不確実性ショックが頻発する時代になっています。この不確実性(“uncertainty”)という言葉は、生産性と並ぶ重要なキーワードで、それを定量的にどうとらえるかが非常に重要です。
『不確実性と日本経済』は、不確実性に関する内外の研究を鳥瞰し、日本経済の不確実性について統計データや独自の調査を通じて分析したものです。不確実性をどのように定量的に計測するのか、それが経済活動にどう影響するのか、それにどう対応すべきかを分析・考察することを目的としています。
経済学者のフランク・ナイトが「リスク」と「不確実性」を区別して以来、確率分布を定義できるものが「リスク」、定義できないものが「不確実性」という区別がされてきました。
しかし、最近の経済学の研究論文ではリスクも含めて不確実性と表現されることが多く、確率分布が定義できないものには「ナイト流不確実性」「純粋の不確実性」“ambiguity”といった用語が用いられています。
不確実性とマクロ経済
不確実性は本質的に主観的なものなので直接観測するのが難しく、いろいろな代理変数が開発されてきました。使う変数によって動きは異なるものの、世界金融危機、東日本大震災、コロナ危機の時に不確実性が高くなっていることが観察できます。
日本が毎年作成している「政府経済見通し」を事後的な実績値と比較すると、予測にかなりの上方バイアスがある、つまり実績が下振れする傾向が見られます。これは民間のエコノミストの予測も同様で、マクロ経済予測には不確実性があることを示しています。
多くの研究が、不確実性ショックはGDP、工業生産、投資、雇用にマイナスの影響を持つことに加えて、生産性上昇につながる投資や新陳代謝を抑制する可能性があることを示しています。さらに需要の不確実性はサービスセクターの生産性を低下させる、あるいは非正規労働への依存度を高めるなど、経済成長にもマイナスの影響を持つことが示唆されています。
経済成長率の見通しには楽観バイアスがあり、政府債務が増えていく一因であるという指摘もあります。不確実性が高いときは企業や家計の反応が弱まり、通常の景気対策の有効性が下がるため、経済政策は不確実性自体を下げる政策と組み合わせて実施していく必要があります。
各国で「経済政策不確実性指数」が作られていますが、この指数が高まると、GDP、生産、投資、雇用に負の影響を持つことが指摘されています。政策や制度の変更・改正だけでなく、エンフォースメントや法解釈の予測可能性を高めて不必要な不確実性を作らないことが企業や家計の前向きの行動を促す上で重要です。
財政政策の不確実性の高まりは実体経済にマイナスの影響を与え、社会保障制度の不確実性は消費・貯蓄行動やポートフォリオ選択、経済厚生に影響することが分かっています。また、政府規制の不確実性は企業活動にマイナスの影響を持ち、労働市場制度の不確実性は生産性や正規雇用にマイナスの影響を持つことを多くの研究が明らかにしています。
不確実性と企業行動
経済産業省が公表している「製造工業生産予測調査」をもとに実績値の下振れ、上触れを見ると、世界金融危機、東日本大震災、コロナ危機の時に予測値よりも実績値が大幅に低くなっていることから、予測時点で不確実性があったとも解釈できます。
業種別に見ると、製造業の中でも特に機械系の製造業は生産予測が難しいことが分かります。また、財別には資本財、企業規模別には小規模な企業で不確実性が高いという特徴があります。
投資行動への影響を見る上で標準的な理論がリアルオプション効果です。投資の多くは固定費を伴い、一度投資するとそれを元に戻せないという不可逆性があるため、wait-and-seeメカニズムが働くと言われています。このほか予備的貯蓄効果や金融摩擦効果も、投資へのマイナスの影響を持つメカニズムです。
不確実性が高いときは業況が悪い傾向があるので、分析する際にはその度合いをコントロールした上で不確実性の影響を取り出す必要があります。そうした研究の多くは、不確実性が高まると設備投資が抑制されることを示しています。
研究開発投資への影響は設備投資ほど明瞭ではなく、これは成長オプション効果という逆のメカニズムが働くためだと解釈されています。不確実性によりM&Aは減少し、正規労働者の採用を抑制する動きが雇用保護の強い国では強まり、キャッシュ保有を積み増すなどの企業行動がいろいろな研究で指摘されています。
不確実性の影響:家計、労働者、グローバル視点
家計が直面する政策の不確実性について一般国民に不確実性の高い政策が何かを聞くと、年金、医療・医療保険、介護保険、消費税が挙げられました。これらの政策は生活への影響も大きく、特に社会保障制度関係の先行きの見通しを改善することが個人の不確実性を低減させる上で重要だと考えられます。
多くの研究が、マクロ経済の不確実性は消費にマイナスの影響を与え、将来の所得や雇用に対するリスクが貯蓄を殖やす行動につながることを指摘しています。それらはコロナ危機の時に税還付や給付金といった政策が消費喚起策としてあまり有効でなかった一因とも考えられています。
グローバルな不確実性は実体経済にネガティブな影響を与え、特に貿易や直接投資で顕著なことがさまざまな研究で示されています。こうした不確実性を低減するためには、WTOルールや自由貿易協定へのコミットメントが効果的であることを示す研究が多数あります。
不確実性への対応
不確実性への対応として、3点挙げています。1点目は、不確実性ショック自体の発生を回避することです。特に、政府や政治が不必要な政策不確実性を生まないようにすることが企業や家計の前向きの行動、そして投資や消費行動を促す上で重要です。
2点目は、不確実性の影響を軽減するための仕組みとして事業継続計画の作成、保険制度や先物市場の充実・活用と並行して、政府の対応余力を平時に確保しておくことが大事です。
最後の3点目の対応として、不確実性の動向を継続的にモニタリングするとともに、ビッグデータやAIなども活用して予測精度を高めることが重要です。
コメント
井上:
本書は、不確実性の概念、不確実性の計測方法、さらに不確実性がマクロ経済、企業、家計にどのような影響を与えるか、について広範な研究成果を平易かつ簡明に解説されており、有用な知見が豊富だと感じました。巻末の参照文献には400本近い論文が掲載されており、詳しく知りたい方は関心ある論文に当たることができるという意味で、本書は水先案内人の役割もあると思いました。
私自身の観点から、特に学びになった2つの点をご紹介させていただきます。1点目は、不確実性が貿易に与える影響です。為替レートのボラティリティが貿易に及ぼす影響の有無については、有るという分析もあれば、無いという分析もあり、総括すると、影響は確定的でないのだそうです。それはなぜなのかについて、為替には先物市場があり、ヘッジ手段が確保されていることもあるのではないかという解説も、なるほどと思いました。
2点目は、経済産業省「製造工業生産予測調査」に基づく分析です。企業の生産予測に対する生産実績は平均的に、平時でも下振れ傾向にあるものの、実は上振れ企業も結構ある、ということです。下振れ企業の期間平均値が約14%であるのに対して、上振れ企業は約12%であり、合計で2.4%の下振れとなっているそうで、私にとって大きな気づきとなりました。
最後に、1点、質問させていただきます。森川さんは長年、生産性の研究もされており、かつ、RIETIの所長を務められるなどマネジメントもされ、大変ご多忙な中、不確実性の研究でも400本近い論文をフォローされ、どうしたらそのようなことができるのか、と思っております。そのコツのようなものがあるのであれば、ご教示いただければと思います。
森川:
いただいたコメントに関して、まず為替レートのボラティリティが高いときは中央銀行による為替市場への介入が正当化されています。為替レートの激しい変動が実体経済にマイナスの影響を持つという考え方が前提になっています。ただ、その影響についてははっきりしていないというのが現状での知見だと思います。
先物市場でのヘッジなど為替レート変動に対応する手段が昔に比べて開発されているので、特に先進国の企業の場合には影響があまりないのではないかと感じています。
次に、生産予測については、平時でも上振れする企業と下振れする企業がかなりあるので、相殺すると変わらないといったことが起きるわけです。その両方をネットではなくてグロスで見ることが不確実性を測る上で重要だという問題認識で分析を行いました。
私の本は、参照文献リストがかなり長い方と思うのですが、これは私が小宮隆太郎先生と一緒に仕事をした経験が関わっていて、先行研究をきちんと紹介することは大変重要なことだと思っているので、そのようにしています。
研究者は先行研究を丹念に見た上で、自分の研究がどれだけ新しいかをアピールする必要があるので、多くの研究者がそういった努力をしていると思います。論文を読む際にはイントロダクションとコンクルージョンをまず読み、必要に応じて中身を丁寧に読むというケースもあります。
質疑応答
- Q:
-
不確実性の効果や影響の大きさ、またその対応の仕方は、企業の属性や政策担当者によって異なりますか。
- 森川:
-
企業のタイプによって不確実性自体が異なります。一般的に、製造業はサービス産業よりも不確実性が高く、特に機械産業や情報通信系の製造業で高い傾向にあります。これは国際貿易に直面している企業が多いからだと思います。
企業規模別に見ると、予測誤差などで測った不確実性は大企業に比べて小規模企業の方が高い不確実性を示すデータが多いです。これは大企業の方が先行きを予測する上で多くの資源を投入できることに起因するのではないかと考えています。
影響の大きさについては、不可逆性の高いタイプの投資を中心にしている企業や産業は影響を大きく受けやすく、中古市場で再販売できるようなタイプの投資をしていれば、影響は小さいと思います。
- Q:
-
モノカルチャーの組織よりもダイバーシティのある組織、あるいは本社機能の規模など、より良い組織はありますか。さらにリスクマネジメントの観点で、保険等を買って内部化することは正しい手法でしょうか。
- 森川:
-
ダイバーシティが高ければいろいろなオプションを考えられるといったメリットや、権限移譲を行っていて分権的な企業のレジリエンスが高そうに感じますが、実証研究に基づいてこうだと言えるほどの研究はおそらくあまりない状況です。ただ、この点は今後の研究を進める上で非常に重要な視点だと思います。
- Q:
-
過去の日本経済のパフォーマンスを考える上で、不確実性の高さやリアルオプションといったメカニズムはどれだけ重要なのでしょうか。
- 森川:
-
不確実性の影響は主に景気循環に対してなので、長期にわたって生産性の上昇率が低くなったことに対して、不確実性の直接の影響はあまりないのではないかと思います。ただ、不確実性が高い状況が長期化または頻発すると、将来の生産性上昇に結び付く投資が抑制されることで、結果的に生産性上昇率を押し下げる可能性はあります。
さらに、大きなショックによって成長率が下がる履歴効果 (ヒステリシス)を通じて、その先の成長率を下方に屈折させることはメカニズムとしてあり得ます。ただ、長期的な経済停滞と不確実性の関係はそれほど強くないのではないかと考えます。
- Q:
-
補助金政策ではなく、人々の主観に働きかけるようなビジョン政策が大事なのではないでしょうか。
- 森川:
-
目標を示すことの有効性はそのサイズによると思います。政府の示す目標が信頼性の高いものであれば主観的な不確実性を低減する効果がありますが、現実的には経済見通しにも非常に大きな予測誤差があるので、マクロの数値目標が人々の期待あるいは不確実性を直接引き下げる効果はそれほど期待できないのではないかと思います。
一方、少し小さいレベルやセクターでのビジョンは、企業の参入や投資がしやすくなるといった効果が出てくる可能性はあります。例えば、介護ロボット市場の展望を具体的な政策とともに示すと有効かも知れません。目標やビジョンがその裏付けとなるクレディブルな政策とパッケージになっている場合に効果が出やすいと思います。
この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。