開催日 | 2024年11月29日 |
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スピーカー | 吉田 昭彦(国際通貨基金(IMF)アジア太平洋地域事務所長) |
コメンテータ | 中島 厚志(RIETIコンサルティングフェロー / 新潟県立大学北東アジア研究所長) |
モデレータ | 森井 一成(RIETIコンサルティングフェロー / 経済産業省通商政策局 企画調査室長) |
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開催案内/講演概要 | 国際通貨基金(IMF)の「世界経済見通し(WEO)」では、世界経済について、今後も安定した成長とインフレ低下が見込まれるものの、政策面での不透明感が高い中、金融市場におけるボラティリティーの急上昇や地政学的緊張の継続など、リスクは下振れ方向に傾いているとしている。こうしたリスクに対応するには大胆な政策転換を行うとともに、多国間協力の一層の強化が求められる。本セミナーでは、IMFアジア太平洋地域事務所長の吉田昭彦氏を迎え、最新のWEOの概要および政策課題についての解説の他、同時期に公表されたアジア太平洋地域経済見通しの分析内容についてもご紹介いただいた。 |
議事録
世界経済の動向
世界経済の実質成長率は3%前後でなだらかに推移しており、インフレは一時期の高まりから落ち着き、順調に低下してきていると言えます。しかし、先進国はおおむねコロナ前の水準に回復しているのに対して、新興国や低所得国は依然としてその傷跡がまだ残っているようにうかがえます。
インフレが収斂しつつある中、インフレ低下に伴う成長率の落ち込みや失業率の高まりはさほど見られません。これは、コロナ禍およびコロナ後の一時的な供給側の制約・障害が解消するにつれてインフレ率が低下したためです。
財とサービスに分けてインフレを見ていくと、米国を除いたサービス価格は足元で高止まりしており、インフレ低下の今後の見通しに若干の懸念が残ります。また、サービス価格に応じて財の価格が低下してきていた傾向が足元では停滞していることから、財からサービスへの消費のシフトが進む可能性があります。購買担当者景気指数 (PMI)を見ても、財の生産地は新興国にシフトしており、先進国ではサービスが好調な一方で、製造業は伸び悩んでいることが確認できます。
労働市場に目を配ると、米国やカナダは安定してきたものの、日本では逼迫している状況です。インフレによる購買力の目減りを挽回するかのように、各地域ないし構成ごとに賃金も順調に上がってきています。労働コストの増加が企業の利潤を圧迫する可能性が懸念される中、米国や欧州では、労働コスト増加を利益によって吸収できている様子がうかがえます。
政策面では、名目金利の上昇に伴って住宅ローン金利や銀行の貸出金利も上がっており、金融引き締めの意図が達成されているように見受けられます。その結果、需要の過熱はある程度抑えられていると言えます。
財政政策については、プライマリーバランスの改善が見込まれていたにもかかわらず、実際には財政が緩んだ様子が先進国において顕著に見られます。特に米国は2024年にかけて利払い費の歳入に占める割合が上昇し、低所得国と並んでその比率が高くなっています。
新興国に目を向けると、エジプト、ナイジェリア、エチオピアなどの通貨下落が顕著であり経済が不安定になることが懸念されます。また、短期借入に依存する国々も増えており、今後の債務持続可能性に暗雲を投げかける構図が見て取れます。
貿易に関しては、貿易比率が対GDP比で低下するまでには至っておらず、ほぼ横ばいです。ただ、内容をより詳細に見ると、米中対立などを受けて、ブロック間での貿易は停滞傾向にあり、この先、冷戦期のような経路をたどるとなると、世界経済全体にとってネガティブな要因になることが懸念されます。
世界経済の見通し
経済見通しを作る上でコモディティ価格は経済的な前提要因の1つですが、その実際の動向を予測することは非常に難しいのが実情です。金利政策に関しては、米国は利下げペースが若干早まり、日本はより高いレベルまで利上げが続くと分析をしているものの、全体的にみると、米国、ユーロ圏、日本のいずれにおいても前回の公表時から見通しはほぼ変わっていません。
先進国では、2024年以降、比較的順調に財政の改善が進むと予測され、見通し通りに進んだ場合、2029年までにプライマリーバランスの赤字はおおむね半減する見込みです。一方、新興国および途上国では、財政政策は緩和傾向を示すと考えられています。
2023年の世界全体の成長率は約3.3%でしたが、2029年には3.1%程度になる見通しです。先進国のグループの成長率は2024年も2025年も1.8%と予想され、緩慢な成長が続くとされています。
一方で、新興国・途上国は2024年も2025年も平均4.2%の成長を維持する見込みで、先進国よりも高い成長率が予測されています。先進国のインフレ率は2025年に2%程度に落ち着く見通しです。新興国は先進国に比べてインフレの低下が若干遅れているものの、目標との乖離は縮小しています。
経常収支について、貿易は対GDP比であまり増えておらず、またコモディティ価格が落ち着いていることもあり、足元ではそのバランスが保たれてきていると言えます。
求められる政策転換
これらの見通しに対する上振れリスクと下振れリスクを見ると、実質GDP成長率に関しては、下振れリスクが上振れリスクを上回ります。金融政策に起因するものとしては、金融引き締め効果が遅れて出現する可能性、それによるネガティブな影響が考えられます。
財政関係では、新興国・途上国におけるソブリンのデッドストレスの強まり、中国の不動産不況が他国に与える影響、コモディティ価格の再急騰、保護主義的な政策の広がり等が下振れリスクとして挙げられます。それに比べると上振れリスクは、先進国での投資の強まり、構造改革の機運上昇と数が少なく、下振れリスクのほうが目立つ状況になっています。
こうした見通しおよびリスクへの対策には、財政・金融などのマクロ政策と構造改革との両面でのアプローチが必要です。金融政策に関しては、IMFは「Integrated Policy Framework」を通じて、為替政策における具体的な政策処方箋を用意しています。それぞれの国の実情に合わせて必要に応じた対策を行い、為替市場の変動に対処すべきとしています。加えて、現在の対GDP比債務水準がこれ以上悪化しないために、各国に求められる財政改善について述べています。
構造改革については、改革に伴う痛みを和らげるような政策を併せて実施すべきで、例えば公共歳出の増加が考えられると思います。世界経済見通しの第3章では、構造改革に向けて国民の支持を得るためのコミュニケーションや戦略、さらにステークホルダーエンゲージメントに関する提言も行っています。加えて気候変動対策はマクロ経済学的にもポジティブな効果を期待できると述べています。こうした世界規模の課題に対応するためには、国際的に協働した取り組みが不可欠です。
アジア太平洋地域の経済見通し
今回公表された「アジア太平洋地域の経済見通し」では、国の発展段階に応じた有効な政策を導くために、試行的に分析を行っています。アジア太平洋地域では、セクターを超えたリソースの移動が労働生産性の向上に大きく寄与している点が特徴として挙げられます。
一般的に、所得が高くなると製造業を中心とする第2次産業の割合が高まり、やがてはサービス産業に移行していきます。その移行に伴って生産性が高まることが予測される一方で、サービス業の生産性は必ずしも製造業を上回るわけではないという認識もあります。
分析を行った結果、サービス業の中でもファイナンスやビジネスサービスといった分野では製造業の平均よりも労働生産性が高いことが確認できました。リソースをこうした高生産性のサービス分野に振り向けることができれば、潜在的な成長率の向上につながる可能性があるという示唆が得られました。
一方で、アジア太平洋地域では、他地域と比べサービス業の貿易開放性が決して高いとはいえず、今後、サービス貿易をより開放的にしていくことが、セクター間のリソース移動によるメリットを享受しやすくするために必要だと思います。
コメント
中島:
今の世界経済は製造業の低迷が低成長の大きな要因となっています。一方で、新興国の世界輸出に占める割合は、コロナ禍を除いて過去最高を記録しています。その背景には、グローバルバリューチェーンの進展に加えて、EVあるいは太陽光発電等に代表される新興国の急速な産業高度化と輸出競争力の向上が挙げられます。
特に中国は、供給側に重点を置いた経済対策によって足元でも工業生産の高い成長率を維持しています。その一方、先進国の工業生産は、物価高、金融引き締め策、需要低迷、そして産業競争力の低下が重なり、2年近くにわたり前年比でマイナス傾向にあります。
また、日米英とユーロ圏の雇用者数の推移を見ると、労働力人口全体では2000年以降5,200万人余り増えているものの、製造業においては約1,200万人減少しました。これには、新興国の製造業品目の輸出伸長やグローバルバリューチェーンの進展によるものばかりではなく経済のサービス化などが影響していますが、製造業に依存してきた地域などでの雇用減少は保護主義を後押しする要因にもなっています。
グローバル化は世界経済に恩恵をもたらします。その中で、新興国台頭による先進国での保護主義の拡大を防ぐためには、先進国がイノベーションで工業製品の差別化を図るとともに、経済のサービス化促進あるいは自由貿易協定を活用して、製造業競争力の回復と雇用維持を図ることが急務になっています。
ここで、吉田様へ3点質問をさせていただきます。1点目は、世界経済の減速の下で保護主義的な政策を掲げるトランプ政権が成立したことに対して、日本はどのように対応すべきなのか。2点目は、2024年の日本経済の低成長の要因、そして安定成長を実現するための課題と対応策についてご見解をお聞かせください。3点目は、現在のAIブームや環境対応が世界経済に与える影響について、ご教示いただければと思います。
吉田:
1点目ですが、バイデン政権下でも第一次トランプ政権下で取られたやや保護主義的な政策が踏襲されていた面もあるので、新たに始まるというよりこうした傾向が一層加速する可能性としてとらえることができます。分断の回避や保護主義の拡大を抑制するためには、その不利益、副作用、リスクに関する注意喚起を行う他、政策受容可能性を高めるためのコミュニケーション戦略などの分析や提言が必要だと思います。また、日本としては経済の開放性を保ちつつ、有事でもマクロ経済の安定性を維持するための自衛措置を講じることが重要であると言えると思います。
2点目ですが、2024年の実質GDP成長率が低い見通しになっているのは自動車生産の混乱をはじめとする一時的な要因が作用しているためであり、2025年はベース効果によって実質GDP成長率が高まる可能性があります。一時的な要因よりも中期的な視点での分析がより重要だと思います。持続的な成長には、出生率向上のための施策の強化、女性のさらなる活躍の場の推進、格差是正に向けた財政政策の実施、スタートアップ・イノベーション加速のための政策、あるいはグリーントランジション・デジタルトランスフォーメーションを推進する政策、労働市場の流動性を高めるような施策等について、IMFとしてより効果的でプラクティカルな提言をしていくことが必要だと思っています。
3点目のAIなどの技術革新についてはIMFでも非常に関心を持って研究しているところです。EVの普及により気候変動対策も含めたポジティブな効果の期待など中長期的な明るい要因になりうると見ています。AIの普及によって職を失う人々が新たな職に移行できるようにトレーニングやスキルの供給を後押しするとともに、技術革新が成長率に及ぼす影響の定量的な推計を確立するなど、引き続きIMFとしても調査と分析を進めていきたいと思います。
質疑応答
- Q:
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中国経済の成長鈍化が地方財政およびASEAN地域経済に及ぼす影響や、中国経済の見通し、特に不動産投資、地方財政、金融セクターの現状と見通しについてについて、どうご覧になっていますか。
- 吉田:
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中国の不動産投資の見通しについて、IMFとしては適切な政策対応があれば中期的には克服可能だとみているものの現状ではまだ十分ではないと見ており、今後適切な政策対応を通して、国民の不安を払拭することが必要であるとみています。
IMFでは、中国の中長期的な成長率が1%低下した場合、ASEAN諸国にとっては約0.3%の成長率の下押し要因になると試算しています。足元では4%半ばの成長と見込んでいますが、中国経済の他国への波及は大きいので、IMFとしてもその動向を注視しています。
- Q:
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米国の政府債務は下振れリスクに含まれないのでしょうか。トランプ政権は国際分業体制にどのような影響があると見ていますか。
- 吉田:
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IMFの報告書「Fiscal Monitor」では、米国が財政状況を懸念すべき国のリストの上位に挙がっていますし、米国の債務状況につき懸念をもって注視しています。国際分業体制は世界のマクロ経済にも影響を及ぼします。IMFはマクロ的な影響を中心に分析する機関ですので、関税政策のような2国間の貿易収支への影響については、WTOなどの機関の見解も参考にしながら、マクロ経済全体への影響を注視しています。
- Q:
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インドの世界経済に対する動向をどのようにとらえていますか。政治的にもBRICSの影響力が増える中で、グローバリゼーションはより強力になっているのではないでしょうか。
- 吉田:
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インドは堅調な成長見通しを示し、マクロのパフォーマンスは良好だと思います。ただ、経済構造がサービスに偏っていることや、金融面における規制などビジネス環境における課題も多いため、それらに対応していけば、より潜在的な力を発揮することができると考えています。途上国の存在感の高まりは、多様性を通じた世界経済の頑健性強化にもつながるという意味で歓迎すべき面もありますが、国際通貨システムが依然としてドルを中心に運営されている現状を踏まえると、それが先進国以外のシステムによって代替されるまでにはまだ時間がかかると思います。
- Q:
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最後に、追加スライドのご説明をお願いいたします。
- 吉田:
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10年ほどの歴年数値の推移を俯瞰したデータを見たいとのご要望を受け、追加スライドを用意しました。これは成長率とインフレ率について、世界全体、先進国、新興国・途上国を比較したものです。成長率はさほどばらつきが見られない一方で、新興国・途上国のインフレ率は平均よりも顕著なばらつきが確認されました。この分析結果は私にとっても参考になるものでして、ご指摘いただいたことに感謝いたします。
この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。