開催日 | 2024年11月14日 |
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スピーカー | 長岡 貞男(RIETIプログラムディレクター・ファカルティフェロー / 一橋大学名誉教授) |
コメンテータ | 菊川 人吾(経済産業省イノベーション・環境局長) |
モデレータ | 関口 陽一(RIETI研究調整ディレクター・上席研究員) |
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開催案内/講演概要 | イノベーション機会の拡大とイノベーションによる課題解決への認識の高まりを背景に、近年、世界的に研究開発投資が拡大する中、日本産業のイノベーション能力は低下しているとの指摘もある。本BBLウェビナーでは、今年2024年7月に『日本産業のイノベーション能力』(東京大学出版会)を上梓された長岡貞男RIETIプログラムディレクターに、イノベーションの中核にある研究開発の実態について、各国との比較を交えて紹介いただいた。浮かび上がる日本独自の課題に対し、政策支援や国際連携の強化、多様な発想を育む環境の整備が求められている。日本が再び競争力を取り戻すための、あるべき方向性について議論を行った。 |
議事録
停滞する日本の研究開発
まず、国際的に見た日本産業の研究開発パフォーマンスについて説明します。近年、AI、バイオ技術、量子コンピューターなど、革新的な技術が次々に登場し、イノベーションへの機会を生み出す一方で、解決すべき課題も増えています。このために世界的には研究開発投資の急激な拡大が起きています。米国の研究開発費は、2010年代の10年間で実質的に約50%も増加しました。この勢いに対して、日本はデフレ経済やリーマンショック後の経済環境の悪化を背景に長らく研究開発費が停滞しています。特に情報通信分野での投資が停滞し、韓国・台湾・中国の東アジア3カ国と比較して、重要な特許の獲得シェアは大幅に低下しました。
スピード・国際性・サイエンス活用
研究では、こうしたパフォーマンスの低下の背景にある日本の研究開発能力を評価するために、発明に至るまでの「先行技術からのスピード」、「グローバルな知識や人材の活用能力」、そして「サイエンスの利用度」という3つの指標を用いて日本の研究開発能力を海外と比較・評価しました。
まずスピードについては、1980年代の日本は、先行技術を出発点として、新たな技術課題を解決する発明を早く生み出して世界をリードしていました。しかし、近年ではスピードにおいて欧米諸国にもキャッチアップされつつあります。また東アジア3カ国では研究開発のスピードは飛躍的に向上しており、日本を上回りつつあります。
次にグローバルな知識や人材の活用能力についてですが、そのために重要である国際的な発明チームの構築頻度が高まっていない点も日本の課題です。例えば、英国やドイツでは欧州統合の影響もあり、発明に外国在住の発明者が参加する割合が近年非常に高くなっている一方、日本ではその割合がわずかに増加したに過ぎません。
最後に、日本企業はサイエンスを活用した発明の割合が欧米企業と比較して小さいのが現状です。サイエンスの進展を活用することが、技術開発の独自性や技術進歩への貢献の大きさの重要な源泉となっていますが、こうした機会を日本企業は欧米企業と比較して十分活用していません。
以上は全産業を平均した場合の日本産業の特徴ですが、産業分野間の重要な差もあります。「ソフトウェア・コンピューター」、「医薬・バイオ」、「自動車・部品」の3つの産業別に見ると、例えば、科学技術文献の引用数には大きな差があり、サイエンスが発明に貢献する程度において産業間の大きな差があることが分かります。ソフトウェア・コンピューター分野では米国が圧倒的な競争力を持っていますが、この産業分野では研究開発におけるスピードでも米国企業は日本企業を上回っています。一方、日本産業の国際競争力が高い自動車分野では、サイエンス活用の度合いでも米国産業に劣位ではありません。
日米市場における発明パフォーマンスへの影響
こうした知識活用の程度が発明パフォーマンスに与える影響を分析すると、日本企業は先行技術から新規発明へのタイムラグが短く迅速性に優れることが、その発明パフォーマンスを有意に高めていますが、その効果は日本市場と比較して米国市場では大幅に小さいことが分かります。一方、米国企業はサイエンス活用の水準が高く、特に米国市場でのその効果が非常に高い点が特徴です。さらに、日本の発明は特許文献や競争者を起点とする割合が高く、そのため同じ発明への潜在的な競争者の数が多いのに対し、米国の発明は独自性を重視する傾向が見られ、発明への知識源と競争の質は密接に関連しています。
また、米国企業は大規模な発明チームや海外知識の活用の水準で日本企業より水準が高く、またその発明パフォーマンスへの効果は米国市場でより大きいことも分かります。なお、外国発明者の参加は、チームメンバーの専門の多様性、海外知識の活用の効果がありますが、コーディネーションコストを増大させる面もあります。
情報通信産業における日本企業の競争力低下には、この産業内の垂直分業の進展の影響も重要です。企業が自社でその製品の生産販売に加えて、それに必要な部品も内製する「垂直統合企業」が産業の主要なプレーヤーであった状況とは異なり、CPU、OSなど汎用的な中間財の供給については、規模の経済を活用した専業企業が成長し、同時にこうした企業の財を購入して最終財を生産する企業が多数新規参入を行いました。結果として、研究開発は汎用技術の専業企業に集中するようになり、垂直統合企業は大きくシェアを減少させました。日本の多くの企業は垂直統合型であり、この変化に直面してきました。
今後の政策と経営に向けた論点
以上を踏まえて、今後の企業経営・政策支援に向けた5つのポイントを紹介します。
1点目は、「日本企業のサイエンス活用能力を高める」ことです。産学連携を効果的に行うにも、企業側の研究能力が鍵となります。このため、企業は課程博士の採用を積極的に進め、大学も論文博士の認定をより積極的に行うべきではないでしょうか。論文博士は、課程博士と同様にサイエンスの活用力が高く、大学の研究を企業のイノベーションに生かす頻度も高いことが分かっています。
2点目が「先端性、独自性が高い企業研究への政府支援の強化」です。このような研究は不確実性が高いものの、技術発展への波及効果が大きく、またそうした研究の実施が企業のサイエンス吸収能力を高めることでイノベーション力を強化する効果も期待できます。大学等における萌芽的な研究への支援強化も、将来の産学連携のシーズとなるため重要です。
3点目は、「知識と市場を世界に求める」ことです。研究開発の成果や人材育成は世界的に広がっている中、これらを活用する上での最大の障壁は言語力です。英語での発信や交流能力を高めることが必要です。また、国際標準化もグローバルに知識と市場を活用するための重要な手段です。国際標準化により、それを活用した研究開発が提案国の内外で盛んになることが分かっています。
4点目が、「多様なアイデアの検証機会の拡大」です。従来の政府のプロジェクトは、補助金や委託費が交付されたプロジェクトの成果が重視されてきましたが、今後は民間企業や大学、国公立研究機関が持つシーズを試す機会も増やす必要があります。例えば、米国のSBIR(Small Business Innovation Research)では、段階的に資金が提供され、研究開発投資の実行可能性を検証する第1フェーズには多数の企業が参加をしています。この第1フェーズが重要な経済成果をもたらしているという研究もあります。
日本でもサポーティングインダストリーという制度があり、これはかつては法認定と補助金の2段階で構成されていました。補助金を受ける企業は法認定企業の5分の1程度でしたが、面白いことに、補助金を交付されなかった企業でも、認定の前から特許出願を大幅に増加させる傾向が見られました。このような二段階の選抜メカニズムは多くの企業のアイデアの検証を促す上で有効で、政策手段として積極的に活用すべきでしょう。
5点目は「ビジネス、グループの新企業育成機能の活用」です。日本ではスタートアップ促進が重要課題ですが、スタートアップが持続的に参入・成長するには、人材流動性、VCからの資金供給などが一定のクリティカル・マスを超える必要があり、そのための政策努力が不可欠です。
こうした政策の一環として、ビジネスグループにおける子会社の活用および分社化による分権的なガバナンスも重要でしょう。多様な研究開発の機会をビジネスグループのシナジーも活用しながら追求できる可能性があります。さらに、産業の垂直分業の進展に対応するため、企業の完全な垂直分割も有効な手段です。完全な独立性を獲得することで、幅広い顧客を獲得しやすくなり、垂直分業の利益を発揮しやすくなります。
コメント
菊川:
経済産業省では、今年2024年7月から産業技術環境局を「イノベーション・環境局」に改組し、イノベーション全体としてとらえる政策を推進しています。その中で、以下のようなことを課題としてとらえ、政策的アプローチを模索していきたいと考えています。
過去30年の日本のデフレ環境ではコスト削減に重きを置かざるを得ない状況が続きましたが、最近は民間企業の設備投資や賃上げが進んできており、これを維持強化しつつ、そして継続させていくためにもサイエンスの研究開発に資金を回し、新たな製品やサービスに投資していく循環を生み出すことが課題です。
博士人材の育成に関しては、文部科学省と経済産業省で共同の研究会を立ち上げ、大学と企業の双方が博士人材を育成・採用・活用できる仕組みづくりを進めています。企業ではジョブ型雇用が進み、特定能力を持つ人材への処遇も見直されています。研究開発の拠点が海外に移っている現状なども踏まえると、国内の基礎研究能力低下が懸念され、論文数で見ると日本がかつて上位を占めていた分野も減少しました。オープンイノベーションと経済安全保障の観点から国内での研究体制の強化が重要とされる中、本日は、日本の優れた大学や研究機関を活用する方法について示唆を得ました。
SBIRについては、われわれも日本版SBIRの第1ステージを強化する重要性を認識していますが、第2、第3フェーズを設けるといった議論も出ています。本日ご説明のあった米国の成果研究結果との比較を踏まえ検討していく必要があると感じました。また、企業間連携や技術開発の促進を目的として、大企業もSBIRに関与し、中小企業やスタートアップと連携する仕組みを模索中です。韓国のように、リスクの高いフロンティア技術への支援を重視する方針を採るべきか、支援分野に濃淡をつけるべきかについても課題があると思っています。
「スタートアップ育成5か年計画」から2年がたち折り返し点を迎えつつある中、スタートアップはGDP約10兆円を占める重要な経済プレーヤーへと成長しました。NEDO懸賞金活用型プログラムも始まりました。また、大学発の基礎研究を基盤とするスタートアップも増加しています。また、大企業からスタートアップへの転職も活発です。基礎研究を核とするスタートアップが多様な人材に支えられ、成長する流れが構築されつつあると感じています。
歴史的に、基礎研究は国が担い、応用は企業が担う構図でしたが、1990年代には日本の大企業も活発に基礎研究に取り組みました。しかし現在また、企業による基礎研究が縮小しています。一方、米国ではGAFAMなどの大企業が基礎研究に再び注力しています。日本でも産学官が連携して基礎研究とその投資を強化する時期に来ているのではないかと考えています。
質疑応答
- Q:
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民間企業だけで解決は難しく、政府の役割が重要です。どのように進めるべきでしょうか。
- 長岡:
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研究開発投資は設備投資に比べて低調で、特に戦略的な方向性が欠けていると感じています。過去のデフレの影響で、研究開発の基盤が弱くなった部分もありますが、最近は資金力が戻りつつあり、研究開発へのリスク負担力も確保できています。ただし、重要なのは人材の確保や事業戦略の整備です。大学や国研の研究能力を高めつつ、企業と大学連携を強化し、長期的な視点でサイエンスベースの投資を進めることが重要です。また、SBIRについては、第1フェーズの重要性を認識し、政府は補助金や賞金を活用しつつ、金銭的な補助のみに頼らない仕組みづくりを行うとよいと思います。
- Q:
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外国人材を研究プロジェクトで活用する際、多国籍チームにすることの影響はありますか。
- 長岡:
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外国の発明者がどの程度参加しているかも研究しています。チームが大きくなり、外国の知識を活用できるというポジティブな面がある一方、コーディネーションコストがかかることも分かっています。国際的なコラボレーションが常に良い結果を生むわけではなく、コストと利益を総合的に見て判断する必要があるでしょう。
- Q:
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国際標準化はどのような方針で進めるべきでしょうか。
- 長岡:
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米国では、民間企業の標準が良いものと認められれば、ANSIの標準に採用されるというような場合があります。日本でも、標準自体が公の場で議論されるよりも前に、企業が国際的な評価を得るような取り組みを行っていくことが重要だと考えています。
- Q:
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最後にメッセージをお願いします。
- 長岡:
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経済産業省にイノベーションを見渡す新たな司令塔が設けられたことは非常に重要だと思います。イノベーションにはまだ解明されていないことが多い状況ですが、イノベーション力強化への政策的重要性は高まっており、政策形成に貢献できるように、RIETIでも努力をしていきたいと思います。引き続き皆様にご協力いただければ幸いです。
- 菊川:
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現在、イノベーションに関する政策は官民共に重要な局面にあると感じています。経済産業省だけでなく、文部科学省や内閣府など政府全体での議論が進んでおり、来年度は科学技術に関する国家的な計画に関する議論が本格化します。RIETIなどのアカデミアと協力し、貢献していきたいと考えています。
この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。