開催日 | 2024年5月16日 |
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スピーカー | 吉田 昭彦(国際通貨基金(IMF)アジア太平洋地域事務所長) |
コメンテータ | 中島 厚志(RIETIコンサルティングフェロー / 新潟県立大学北東アジア研究所長) |
モデレータ | 相田 政志(経済産業省通商政策局 企画調査室長) |
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開催案内/講演概要 | 国際通貨基金(IMF)の「世界経済見通し(WEO)」では、世界経済の成長ペースは緩やかではあるものの、経済活動は底堅く推移しており、見通しのリスクはおおむねバランスが取れているとしている。その上で、各国に求められる政策対応として、インフレのスムーズな着地のための適切な金融政策、財政バッファー再構築のための財政健全化、中期的な成長力強化のための構造改革、分断化や気候変動に対処するための多国間協力などを挙げている。本セミナーでは、IMFアジア太平洋地域事務所長の吉田昭彦氏を迎え、世界・アジア太平洋地域の経済見通し、政策課題、そして産業政策に関する最近のIMFでの議論について報告いただいた。 |
議事録
世界経済の見通し
まず、経済概観ですが、ヘッドラインのインフレは徐々に落ち着いてきており、実質GDPも総じて順調な回復を続けています。2023年の世界経済成長は約3.2%、2024年、2025年も同程度の成長を見込んでおり、上下のリスクはおおむねバランスが取れている、としています。そのような中、IMFは短期の優先政策として、インフレの落ち着きを確保した上で財政余地を広げる努力をすべきであると提言しています。
2022年の秋ごろに発表された世界経済見通しの時点の予測と実際の成長率とインフレの乖離を見ると、先進国と途上国で明暗が分かれており、成長率が落ち込む上にインフレが高まった結果として民間消費も弱い、という低所得開発国の一人負け状態であったことが分かります。
米国やユーロエリアの先進国は、ウクライナ侵攻以降に政策金利の引き上げを始めました。インフレが高まるタイミングに後れを取って金利を引き上げたことから実質金利は下がったわけですが、これが経済成長の下支えになった反面インフレの退治にはてこずったとも言えます。それと好対照なのがブラジルやチリなどの新興国で、こちらは割と早いタイミングで金利の引き上げを行った結果、実質金利があまり下がらずインフレの沈静化も早かったと言えます。
世界各地で起こっている地域紛争はサプライチェーンに不具合を来し、インフレにも影響を及ぼします。現時点ではガザ紛争の影響による運送コストの高まりはそれほどではありませんが、スエズ運河経由の貨物量の減少と喜望峰回りの貨物量の増加が、運送コストの高まりを通じて今後インフレに寄与していく可能性のある要因として注目されます。
エネルギー価格は2022年の終わり頃から低下基調にあります。主な要因は、非OPEC加盟国の供給能力の拡大や天然ガスの生産増加によって、想定したほど原油価格が高まらなかったためです。
インフレ期待については、コア・インフレーションも短期のインフレ期待もだいぶ収まってきており、長期トレンドに収斂しつつあると思います。インフレの要因を見ると、米国では労働市場のタイト化がインフレの大きな要因になっていますが少し緩んできている兆しがあります。欧州・英国ではエネルギー価格上昇等の価格転嫁が主な要因でしたが、エネルギー面のショックが薄らいできていることに伴い、インフレも直近ではおおむね低下してきています。
ただし、世界中で公的債務が高まっており、米国と中国が財政悪化という意味でも世界の先頭に立っているような状況です。また、低所得国の歳入に占める利払い費の割合も高まっています。こうした国々では歳入を増やそうとしても簡単には増やせないので、非常に懸念される状況です。
今後の見通し
先進国では中央銀行が軒並み金利を引き上げていましたが、ようやくこれが利下げ方向に転じようとしております。2024年は先進国の財政収支の改善が見込まれていますが、2024年は各国で選挙が多い年と言われており、ベースラインの見通しよりも財政刺激が増える可能性もあります。
2023年の世界経済成長率は3.2%でしたが、おおむね同程度の成長が続く見通しになっています。2000年-2019年の平均の成長率が3.8%ですので、これに比べて低い水準での成長が続くということになります。地域別ではサブサハラ・アフリカの成長率が上がってきており、これまで成長を引っ張っていたアジアの新興国との差が収斂しつつあります。
先進国の経済成長率は、2024年が1.7%、2025年が1.8%と、おおむね2023年並みの成長が続くと見ていす。新興国・途上国は平均4.2%程度の成長率で、2024年、2025年も安定的な成長を続けると予測しています。
世界全体のヘッドライン・インフレーションは、2023年の6.8%から、2024年には5.9%、2025年には4.5%と、着実に低下してきています。コア・インフレーションもいずれ元の水準に戻っていくことが見込まれます。インフレターゲットを導入している国も、2022年、2023年頃から比べると、乖離が狭まってくる見通しとなっています。
貿易面については、今後5年間は貿易がGDPの57%を占める割合で推移すると見ています。貿易の増加率は2024年が3.0%、2025年が3.3%と、やや緩慢な増加量を見込んでいます。経常収支の不均衡は縮小傾向にあり、対外収支の不安のリスクが落ち着いているのは歓迎すべきことと言えます。
現時点で、世界全体の今後5年間の成長見通しは3.1%です。例えばコロナ直前の2020年1月の見通しは3.6%、世界経済危機が起こる直前の2008年4月頃の見通しは4.9%、2000年から2019年の実績成長率の平均は3.8%ですので、いずれと比べても今後5年間の中期見通しは低い水準となっています。この水準ですと、これからキャッチアップしていこうとする低所得国にとっては難路になると言えます。世界平均の1人あたりの実質GDPは、世界経済危機の頃の3.9%に対し足元では2.1%と落ち込んでおり、中期の経済見通しの低下にも大きく寄与しています。
世界経済のリスクと対応すべき課題
今回の見通しでは、成長下振れのリスクは後退し、インフレは低下基調としているものの、上振れ・下振れの可能性がかなりあるので、少し幅を持って見ていただく必要があります。
具体的な下方リスクとしては、
- 地域的な紛争などによるコモディティ価格の再上昇
- インフレの長期化
- 不動産市場の混乱などを背景とする中国経済の緩慢な回復
- 過度に急激な財政引き締め
- 政府の信認低下を背景とする改革モメンタムの低下
といった項目を挙げる一方で、上方リスクについては、
- 選挙を背景とする短期的な財政刺激
- 労働供給増加によるインフレ低下などによる、想定より早い金融緩和
- AIによる生産性向上
といった項目を挙げています。
これに対して政策の優先課題としては、
- インフレを鎮静化させてソフトランディングを確保すること
- 財政改善を進めるにあたっては、漸進的、持続可能な形で進めるともに、中期的な信頼に足る財政再建計画を立て、広く周知すること
- 成長力向上のための構造改革
- 気候変動に対応するための包括的なツール
- 分断を緩和し、国際通貨体制を強靭化するためのさらなる国際協調
といった項目を挙げています。
ご参考まで、今回の世界経済見通しの中で分断について扱ったボックスをご紹介します。
世界を米国寄りのブロック、中国・ロシア寄りのブロック、それ以外のブロックの3つに分けて、ウクライナ侵攻が始まる前後で貿易の落ち込みを見てみると、経済ブロック内での貿易の落ち込みはブロック間の貿易の落ち込みに比して小さく、かつ戦略的な分野(化学・機械分野)の落ち込みは全体の平均よりも少ない様子が見て取れます。
補論:産業政策に関する最近のIMFでの議論(参考:Industrial Policy is Back But the Bar to Get it Right Is High (imf.org))
かつては自国産業を育成しようとする新興国・途上国がその主役だった産業政策ですが、最近は、先進国での実施が増加しています。目的については、経済安全保障や気候変動の対応といった、一昔前とは少し毛色の違った措置が増加しています。
IMFはこれについて注意喚起のメッセージを出しています。産業政策は資源の最適配分を妨げる恐れがあると同時に、報復を招きやすいこと、そして特定の利益集団に取り込まれる恐れがあることから、その適用については慎重であるべきだと指摘しています。
この産業政策について、IMFの持つ役割を3つ挙げています。1点目は、さまざまなデータを集めて有益な分析を提供し、マクロ経済にとっての産業政策のインプリケーションを示すことです。2点目は、現在行っている各国別のサーベイランスにも産業政策の観点を取り入れていくことです。そして3点目として、世界貿易機関(WTO)とも連携しながら多国間の対話を促進していくことです。こういった切り口からIMFでもさまざまな検討を始めています。
コメント
中島:
今回の見通しで付け加えたいのが、中国、米国に加えてインドが世界経済の押し上げに寄与しているという点です。新興国の中でも、インドは中間所得層の拡大と投資の増加が相まって、目立つ存在になってきています。
世界経済分断の動きは、資本の移動、サービス、人的交流、技術全般にわたって進んでいます。足元では、世界経済のレジームがブレトン・ウッズ体制、グローバル化から資本・人材・情報の移動まで規制する新たな経済秩序に変わってきています。このような分断が進む状況では、世界的に物価は当面落ち着かない可能性があると見ています。
また、米国を中心にITや生成AIを含む関連産業が勢いよく伸びてきています。加えて、主要国の知財投資も増加傾向が拡大しており、ChatGPTと平仄を合わせて、さらなる技術の進展が見られるところです。
そこで、吉田所長に3点ほど質問したいと思います。1点目は、世界経済における上振れ、下振れの振れ幅可能性が従来より大きくなっていますが、これをどのようにご覧になっているかについて伺いたいと思います。2点目は、分断やデリスキングの進展に対するIMFの見解と対応策について教えてください。最後に3点目として、円安状況を踏まえて、日本は今後どのようにして経済を立て直す必要があるのか、この点をご教示いただければと思います。
吉田:
1点目ですが、見通しを作るにあたってリスクヘッジをしておくというエコノミストの常と、成長率の見通しを暦年で出すことによる変動の影響も多少あります。一方で、不確定要因の拡大を背景に、全体的に見通しが悲観的になる傾向が出てきているのではないかという議論もIMFの中ではあります。われわれの見通しにどのような兆候や癖があるのかという点においても不断に見直しをしていく必要があると思っています。
2点目の分断の進展は、マクロ経済に大きな影響を与え得る要素であると見ています。短期的には漁夫の利を得るような国があるかもしれませんが、長期的にはみんながルーザーになる可能性があるというのがIMFの分析です。元々IMFは経済の混乱が戦乱を招いたことへの反省から設立されたので、分断に対処するための方策を考えるということは、組織の原点に立ち返るような話で、引き続き分析を提示していくとともに、分析ツールの充実化にも取り組んでいかなければならないと思っています。
3点目の為替の関係ですが、一般論としてはIMFが為替レートについて直截にアドバイスすることはありません。成長力を上げることが基本的には王道の答えであり、成長力強化のための構造改革として、やるべきことは大いにあるということを直近の対日レポートでも指摘しています。
質疑応答
- Q:
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3%という長期的な世界経済成長率の見通しを打破する材料は、AIと米中対立の解消しかないのでしょうか。
- 吉田:
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AIと米中対立の解消は起爆剤になり得ると思いますが、経済成長率を高めるためには構造上の問題があります。民間の自助努力はもちろんのこと、労働市場の柔軟性を強化し、女性の参加を促すような政策やイノベーションを促進する産業政策、ビジネス環境の改善についてもIMFは提言しています。
- Q:
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各国の過度な産業政策に対して、IMFは4条協議(注:国際通貨基金協定第4条に基づく加盟国との二者間協議)などで指導を行っているのでしょうか。
- 吉田:
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指導というよりは、評価ですね。近年、いろいろな国で新しいタイプの産業政策が出てきているので、産業政策がマクロ経済にどんな影響を与え、どのようなインプリケーションがあるかという評価を行っていこうとしています。
- Q:
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中国経済の先行きについて、不動産バブルの崩壊をどの程度のインパクトとして見ていますか。
- 吉田:
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中国経済において、不安定な不動産市場によるインパクトは非常に大きいと見ているわけですが、今後の政策次第によっては、大きな悪影響を避けることはまだ可能だと思います。中国全体の吸収力の大きさや財政セクターとの関係といった日本の不動産バブルとの重要な違いもあるので、必ず日本と同じ道をたどるわけではありません。現状、打つべき手が全て打たれているわけではないので、改善の余地は十分あるとIMFは指摘しています。
この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。