円の実力と日本企業の通貨戦略

開催日 2024年5月10日
スピーカー 佐藤 清隆(横浜国立大学大学院国際社会科学研究院長教授)
コメンテータ 相田 政志(経済産業省通商政策局企画調査室長)
モデレータ 関口 陽一(RIETI研究調整ディレクター・上席研究員)
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開催案内/講演概要

2011年に1ドル75円台となった円ドル為替レートは、2022年には1ドル150円台まで下落した。この間、円の実質実効為替レートは1970年代初めの水準まで低下(減価)しており、円の実力は大きく低下したと指摘されている。果たして円の実力は本当に低下したのか。大幅な為替変動に直面する日本企業は、どのように為替変動に対処しているのか。本セミナーでは、昨年(2023年)RIETIでの研究成果をまとめた『円の実力:為替変動と日本企業の通貨戦略』を上梓された横浜国立大学の佐藤清隆教授から、国際通貨としての円の実力と日本企業の採るべき通貨戦略について解説いただいた。

議事録

円の減価要因

昨年(2023年)の12月に、RIETIからのご支援により、RIETIブックスとして本を出版することができました。本日は、円の実力の低下、貿易赤字、第一次所得収支と為替レート、そしてサービス収支の動向について触れていきます。その後、日本企業の為替リスク管理体制とともに、円は国際通貨としてどの程度の実力があるのかということを説明させていただきます。

過去20年において、日本は先進国の中でも大きな為替変動の影響を受けています。例えば、輸出価格を輸入価格で割った交易条件が悪化しています。輸入価格が輸出価格を上回った状況下では、1単位の輸出を行っても、輸入1単位分を賄えないことになります。

日本は円安になると輸出の増加以上に輸入による支払額が増え、交易条件が悪化するということが統計上明らかになっています。マクロで見ると、円安は日本経済にマイナスの影響を及ぼすことが分かります。

2022年の交易条件の悪化には原燃料価格の上昇も大きく影響しており、輸入額が大幅に膨れ上がりました。また、過去20年で初めて、円安局面で輸出価格が上昇しました。これは資源エネルギー価格の高騰によって企業の生産コストが上昇した結果、輸出企業が価格を引き上げる行動を取ったのではないかと考えています。

2021年から22年にかけて、円の実力が低下したと盛んに指摘されるようになりました。円の実質実効為替レートが1970年代初めの水準まで大幅に低下(減価)したためです。しかし、名目実効為替レートで見ると、現在の状況は2005年の水準から2割程度の低下にとどまっています。

実質実効為替レートが大幅に低下しているのに、名目実効為替レートはそれほど低下していないのは、日本の物価が外国と比べて極端に低いからです。物価の低さにはさまざまな事情がありますが、賃金が低いと購買力も低くなり、経済成長率も上昇しません。こうした日本経済の実力低下が実質実効為替レートの低下に反映されているということを強調しておきたいと思います。

貿易収支の悪化とその背景

日本が今直面している貿易赤字は、輸出数量が伸びないことが原因の1つだと考えられます。2011年から12年に1ドル70円台後半の歴史的な円高水準が続いたため、日本企業が輸出行動を大きく見直した結果、円安になっても輸出数量が伸びないという構造的な変化が起きたためです。

日本の貿易赤字の最大の要因は、資源エネルギー価格の高騰にあります。原油価格および資源エネルギー価格が高騰する状況下、資源の輸入国である日本の輸入額は大幅に増加しました。いまだに1バレル80ドル前後で原油価格が高止まりしている点は、貿易収支改善を目指す上での懸念材料となっています。

日本の輸出物価指数と為替レートを見ると、契約通貨ベースの輸出物価は2010年前後からほぼ横ばいなのに対して、それを円換算した円ベースの輸出価格は大きく上昇しています。外貨建ての輸出比率が高ければ、為替レートが減価することで円換算後の輸出価格が上昇するため、輸出企業にとってはメリットが大きいことが分かります。

契約通貨ベースの輸出物価が長く横ばいを続けているのは、日本企業が輸出先市場での販売価格を変えない輸出価格設定行動を取ってきたためです。経済学ではPTM(Pricing to Market)行動と呼ばれるもので、日本の輸出企業でよく見られる価格設定行動です。

貿易赤字でありながら経常収支黒字を可能にしているものとして、第一次所得収支の大幅な黒字があります。この第一次所得収支はその大半が海外にとどまるため、容易に円安が解消しないという指摘があります。しかし、第一次所得収支の約3分の1は日本に還流しており、2023年時点では、この還流分で貿易・サービス収支の赤字を十分カバーできている状況です。

また、サービス収支においては、旅行収支の回復と知的財産権等使用料の増加が顕著な一方で、近年、デジタル収支の赤字が懸念されており、その動向は今後も注視が必要です。

日本の貿易における建値通貨の選択と企業の為替リスク管理

日本の貿易建値通貨の比率は円建てよりもドル建ての方が大きく、とりわけ輸入はドル建てで取引が行われています。アジア向けの日本の輸出において、円建て、ドル建て、相手国通貨建てのどの通貨が使われているかを分析したところ、輸出額が大きい日本の大企業はドル建てを中心に行っている一方で、中小企業は円建て取引のウィエイトが大きいことが分かりました。

では、日本企業が為替変動に対してどのようにリスクヘッジを行っているかというと、日本の為替リスク管理体制はかなり保守的です。グローバルな為替管理統括会社を設けて効率的に為替リスク管理を行っている日本企業は非常に少なく、4分の3以上の企業が、日本の本社にだけ為替リスク管理の人員を配置しています。

ただし、生産販売ネットワークをグローバルに構築して、現地の子会社と企業内貿易を盛んに行っている大企業は、「リインボイス」を使ってグループ全体の為替リスクを管理する体制を敷いています。

リインボイスとは、例えば、アジアで活動する日系現地法人から北米の日系現地法人に財を輸出する場合、その財は直接アジアから北米に輸出されますが、商流上はアジアの現地法人が本社に販売し、本社が北米の現地法人に販売するという、本社経由の輸出・輸入取引のことです。本社はこのリインボイスを通じて利益を回収することを目的としているのですが、グループ全体の為替リスク管理という点では、日本の本社に為替リスクを全て集約し、現地法人を為替リスクから解放する仕組みとして機能しています。

近年、日本の本社と中国の現地法人との貿易では人民元建て取引が増えていますし、ASEAN諸国の現地法人との貿易でもASEANの現地通貨建て取引は増えています。しかし、日系現地法人は、中国を経由しないアジア域内取引において人民元をほとんど使っていません。

また、現地法人には生産拠点のほかに販売拠点もあります。販売拠点は本社から財を調達して、それを現地あるいは近隣諸国に販売するわけですが、このときに調達と販売で使用する通貨のミスマッチが起こり、日系現地法人の販売拠点が為替リスクを大きく負っていることも分かっています。

政策的インプリケーション

為替変動への対処としては、日本の輸出数量を伸ばすことが非常に重要です。懸念されるのが原油価格の動向ですが、クリーンエネルギー等への転換は喫緊の課題ですし、日本企業の生産性および競争力の向上が極めて重要だと考えています。

日本企業の通貨戦略に関しては、中小企業への為替レートの影響、あるいは通貨選択に関する研究がまだ立ち遅れており、今後さらに研究を深めていく必要があります。最後に、アジアは「ドル圏」と「人民元圏」のどちらかというと、依然としてドル建て取引が圧倒的に大きい状況です。日系現地法人の人民元建て貿易は、中国とアジア諸国の間の貿易以外ではあまり増えていません。

コメント

相田:
今まさに世界が注目している円安を切り口として、日本経済が直面しているマクロレベルでの構造的課題、そしてミクロレベルでの企業の行動について、大変分かりやすくご解説いただき、体系的に理解することができました。

貿易動向を見ている立場としては、貿易収支が赤字に振れやすい構造になっており、交易条件トータルとして見たときに、輸出・輸入物価がマイナスの方向に効いているとともに、輸出数量が伸びていかない部分に強い課題意識を持ちました。

世界経済の構造が大きく変化する中、同志国間でサプライチェーンを再構築する動き、さらにはサプライチェーンの国内回帰の機運が高まるなど、潮目の変化が見られ始めています。こうした流れを持続的な輸出競争力の強化につなげられるかといったところが、1つの大きな注目点になっているところです。

また、デジタル赤字の拡大基調に関しても、国富の流出にとどまらず、レジリエンシーの確保の観点からも、サービス収支の赤字の解消は急務であると思っています。さらに、企業間貿易では交渉力の差で通貨選択の形態が異なってくること、特に中小企業においては円建て取引が多いといったところは、非常に興味深い点かと思います。

そこで質問させていただきたいのですが、グローバリズムの大きな変容は、今後、わが国企業の通貨選択にどのような影響を及ぼすのでしょうか。構造的な円安基調に歯止めをかけるには、どのような課題があるとお考えですか。

佐藤:
サプライチェーン構造の変容に対して、日本がどのようなスタンスを取るかだと思います。欧米を中心とするサプライチェーンの中に入っていくのであれば、ドル建てあるいはユーロ建てが増えていきます。

一方で、日本にとって最大の貿易相手国はアジアです。今のところ、アジアではまだドル建て取引が多いですが、中国の振る舞いによってアジア域内のサプライチェーンがどのように変わってくるかが日本にとっては極めて重要になります。ですので、日本が、円、ドル、アジア通貨の3つの通貨を対象に、どのように為替リスクをマネージしていくかが重要になっていくと考えています。

また、注目すべきは中小企業のリスクマネジメント対応ですが、中小企業がなぜ円建て輸出を行えるのか、その理由はまだ明らかになっていません。次の研究課題として詳しく検討していきたいと思っています。

構造的な円安基調に歯止めをかけるには、国内の生産性を回復させて、伸ばしていくことです。その結果、日本の経済力を反映して円が強くなり、徐々に円が投資家たちに選択されるようになります。金融政策の動向以外に日本経済が実力を高めていくことは必須であり、そうすれば最終的に実質実効為替レートも円高に振れていくことになると思います。

質疑応答

Q:

急激な円安が進む中、日本企業が円建てでの取引を回避するような動きは出ているのでしょうか。為替レートの変化と建値通貨選択との関連について、どのような分析をされていますか。

A:

現時点では、急激な円安進行によっても建値通貨は変えず、価格そのものを戦略的に調整する行動が取られていると思います。これは非常に重要なので、積極的に分析を進めて、論文あるいは一般の方も読めるような媒体で発信していきたいと思っています。

Q:

円安は生産性等の要因が大きいと認めた上で、現在あるいは2023年から24年頃の為替レートに対する内外金利差の影響をどのように位置付けますか。

A:

内外金利差は為替レートを決定する上で重要な要因として間違いありませんが、アセット・アプローチに従うと、外国為替市場の参加者・投資家が将来の為替レートをどのように予想するかという、もう1つの重要な要因があります。例えば、日本よりも米国経済の方がより魅力的な投資先だと多くの投資家が考えるようになると、さらに円が売られることになります。日本企業が競争力を高め、日本全体の経済力を引き上げ、経済に対する明るい展望が描けるような状況にならなければ、投資家は見向きもしてくれない状況になってしまいます。

Q:

輸出数量が減少する反面、足元で輸出価格の上昇が見られるのは、日本企業の競争力や価格支配力の強化を示すものと考えられるでしょうか。

A:

2022年の世界的に異例な資源エネルギー価格の高騰が生産コストを引き上げ、その結果、やむを得ず輸出価格が徐々に上がっている状況かと思います。ですので、私は、価格支配力が高まったから輸出価格が上がったとは考えておりません。

Q:

日本の中小企業の輸出が円建てで行われているのは、海外に販売拠点を設けず、商社に円建てで輸出してもらうことで為替リスクを引き受けてもらっているのではないでしょうか。

A:

ご指摘いただいたような状況は十分にあり得ると思います。もしそうだとした場合、中小企業は商社に対してかなりの手数料を払って、不利な状況に置かれていると解釈できるかもしれません。ですので、中小企業は国際貿易におけるリテラシーをもっと高めていく必要がありますし、それはまた日本政策が中小企業を支援するときの1つの対象になり得ると思います。

Q:

交易条件の改善や国内雇用確保のために、経済産業省は中小企業の国内設備投資をもっと支援し、昭和型の海外輸出支援に改めて力を入れるべきではないでしょうか。

A:

支援は重要ですが、やはり中小企業も競争力を高めなければいけません。金融リテラシーをしっかりと身につけ、自社の輸出競争力で輸入業者と交渉し、それなりの価格付けをして輸出するというところまでできると、本当の意味での支援になると思います。そうした形で中小企業の生産性を高める支援は非常に重要だと思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。