開催日 | 2024年4月5日 |
---|---|
スピーカー | 小泉 秀人(RIETI研究員(政策エコノミスト)) |
モデレータ | 関口 陽一(RIETI上席研究員・研究調整ディレクター) |
ダウンロード/関連リンク | |
開催案内/講演概要 | 能力主義・実力主義に通底する公平の理念の下に、先進諸国は先天的な格差を是正する政策を推進してきたが、現在その思潮にあらがう形でポピュリズムの台頭をみる。RIETIの小泉秀人研究員・政策エコノミストは、平等なスタートラインから競争をした場合、人の能力や功績はどの程度運に影響されるのか、といった問いから、モーターのくじ引き制度を持つ「ボートレース」に着目し、後天的な運によるバタフライエフェクト的な影響の積み重なりを実証していく。後天的な運の影響を定量的に実証したことにより、過度な自己責任を追及する能力主義社会の限界を認識し、また結果に対する運の介在を認めることでより寛容な社会を目指す政策的含意を持つ。 |
議事録
能力主義にあらがうポピュリズムの台頭
本講演「能力と功績のどれくらいが運によるものか?」において、私は、後天的な運の影響を「ボートレース」を使って定量的に実証します。その際、論文本体では言及できていない思想的、政策的含意について、説明をしていきたいと思います。
まず本研究の出発点となる現代社会への問題意識として、2022年の芥川賞受賞作、砂川文次による『ブラックボックス』から象徴的な場面をご紹介します。主人公はフリーランスの形態で勤務するバイクメッセンジャーですが、自転車で配達中に高級外車にひかれそうになり転倒した際に、猛烈な怒りを覚えます。自由だが不安定な生活の中、結果で自分が判断されてしまう社会に対して、主人公が怒りを暴発させる瞬間が小説では繰り返されます。
この能力主義とか実力主義に対する不安と怒りの表出は、トランプ氏の支持獲得に見られるようなポピュリズムの台頭にも通底するものがあります。なぜ、世界各地でポピュリズムが台頭してきているのかという問いに対して、マイケル・サンデルは著書The Tyranny of Merit: What's Become of the Common Good? 邦題『実力も運のうち 能力主義は正義か?』の中で、己の能力・実力だけで判断されてしまう現代の能力主義社会において、落ちこぼれた人たちの怒りの噴出がポピュリズムの原動力となっていると、とらえています。
資本主義社会に根付く能力主義とは、生まれや性別、人種などの先天的な要因で差別せず、実力だけでその人を判断するという意味で公平性を持つとともに、結果に対して各人に自己責任を要求する厳しいシステムでもあります。先進諸国では、皆が同じスタートラインに立ち競争する、平等で公正な社会を目指そうと、ここ数十年、差別の撤廃や、いわゆる親ガチャのような先天的な運で決まった格差を是正していこうという流れがありました。差別されてきた人々に優先して機会を提供する「アファーマティブアクション」、また所得税において、高所得者に高い税金を払ってもらう累進課税制度を採用して福祉を充実させることで富の再分配を行っています。
私の論文は、この現代社会の諸相を考える際、皆が同じスタートラインに立って、よーいドンで、純粋に実力だけで勝負した場合、結果はどれだけ運に左右されるのだろうか、という問いに立脚しています。
後天的な運が持つ影響は?
人の功績に対する運の影響を抽出するために、私はバタフライエフェクトといわれる、最初小さかった差が大きな差になっていくというメカニズム、その正のフィードバックループに着目しました。例えば1回テストがヤマ勘で当たり良い点が取れた時に、友達から褒められ「勉強を教えて」と頼まれる。すると、それがたまたまだったとしても、その「機会」が、教えるためにはもっと勉強をしなくてはという「努力」につながる。「幸運」な出来事が、「成功」に結び付き、その成功体験が、自分の「自信」になり、また同時に成功することで注目も浴び「機会」が増える。偶然の小さな幸運が成功体験のループにつながり、後の結果をどんどん膨らませていくという正のバタフライ効果が生じるわけです。
このような後天的な幸運のバタフライエフェクトを、定量的に実証しようとする場合、遺伝子とか家庭環境のような初期属性の違いが障害となります。同じスタートラインに立った後の運の効果を測定できた方が、先進的社会が目指す差別のない社会に近い設定となりますが、このような実験環境は現実社会には存在しません。そこで、私は今回、後天的な運だけを抽出できる実験環境として、ボートレースに着目しました。
「ボートレース」のくじ引きルールと分析結果
ボートレースを使った理由はいくつかあります。1つにはスポーツとして純粋に実力主義・能力主義的な社会を体現し、勝ち負けがはっきりしているために定量的に測りやすい点です。またボートレースはその開催頻度から、時系列で高頻度のデータが取れ、運のダイナミックスを頻繁に追えるという点で、小さな差の積み重なりを測定する際に有用です。
また、数あるスポーツの中でボートレースを選んだ何よりの理由は、運の指標になる「くじ引き制度」があるためです。モーターボートのエンジンには個体差があり、その性能の差がレースに影響しますが、ボートレースでは公平になるように、くじでモーターをランダムに選手に割り当てるといったシステムを採用しています。そのため、デビュー初期に運よく性能の良いモーターに当たったレーサーと、そうではないレーサーに分けることが可能で、その2つのグループの結果の推移をたどり、勝ち星と賞金獲得額の差をまとめました。
まず分析結果をご紹介しますと、平均して4年間の累計で、運が良かったグループとそうでないグループを比較すると、男性レーサーにおいては1位獲得数で約69%、賞金獲得額に関しては48%もの差がつきました。運が良くなかった人たちの中で、実力がなかった人はやめていくことになるので、コントロールグループの平均が上がるというバイアスがかかる中、この結果は実に驚くべき差です。
また、運が良かったグループの方がそうでないグループに比べ、G2以上のグレードの高いレースに出場機会が多くなり、さらにスタート時点でどれだけインコースに入るかというリスクを取る傾向が見られました。初期の非常に小さな差、デビュー初期の半年の大体7、8回に、少し運が良かったことによる差が、時間をかけて機会や自信、リスクを経て、どんどん広がっていったということが分かります。論文の総括としては、能力や属性などの個人の特性を超えて、同じ差別のない状態でスタートしたとしても、「後天的な初期の運」によって、後の結果に大きな差が生まれてくる、という点を定量的に示すことができた点がこの論文の大きな貢献と考えています。
本論の政策的含意
関連研究としては、先天的な運を扱ったものに、例えば比較年齢効果(relative age effects)、早生まれと遅生まれの子で出てくる初期値の差がその後どういった影響を及ぼすかといった研究があります。また、後天的な出来事の影響を扱った研究もあり、昔のスペイン風邪の長期的影響に着目したものなどもあります。こうした関連研究に対して、本論は、何事においても結果は運に多分に影響され得ることを示した点で、人の仕事の成果を実力ととらえ、その人を判断するという能力主義的な物差しの限界を示す政策的含意を持つと考えています。
例えば、高所得者層に高い税率をかける議論において、才能に対する高い課税率は不公平だという実力主義に基づく意見に対しては、「後天的な運」の影響が実証できるので、努力のきっかけも含めて、もう少し謙虚になってみようという知的な促しができる。同様に、途中で脱落をしたり、コースアウトした人にも、全てを自己責任と考えて卑下する必要はないと、自信を取り戻させる社会作りにつながると考えています。
さらに最近のAIの有用性の議論と重ねて思想的含意の裾野を広げておきます。Kanazawa et. al (2023) に、タクシー運転手の経験の差をAIがどう埋めるかいう点に着目した研究がありますが、ここに行けばお客さんをすぐに拾えるとか、こういう経路だと最短でたどり着けるなどの経験の差は、AIを活用することによって縮まりました。つまり、AIは高スキル層を代替し、経験、教育という人的資本の格差を是正するのに有用になり得ると考えます。
最後に、この論文の思想的注意点として、今回実証したように、結果が運に左右されるということは、自分の意志や努力では変えられないというような運命論的な考え方に通じかねないですが、私はスピノザの『エチカ』のように自由意志を完全否定する立場を取るものではありません。むしろ私は「グッドハートの法則」の立場、つまり、ある指標を用いて何かを変えようと試みる際に、人はその指標を知った瞬間に自分自身の行動を変えるので、指標として機能していたものが良い指標ではなくなる、という見解に立ちます。つまり、この研究の結果を知った時点で、「運がこれだけ左右するのだから、どうしようもない、努力しなくていい」などの考え方にくみするものではない点、強調しておきたく思います。
質疑応答
- Q:
-
まず分析について、モーターの幸運な割り当ては、特にどういうレーサーに影響を与えるものでしょうか、トップレーサーになる人か、あるいは平凡なレーサーでしょうか。
- A:
-
分布の効果ということで、実力があるグループ、中間グループ、ないグループに対しての影響の分析をしたところ、一番影響があったのは努力を重ねる中間層でした。
- Q:
-
ボートレースで、どのレーサーが、エンジン性能が高いボートを使ったのかというデータは開示されていますか。
- A:
-
はい、「BOATRACEオフィシャルウェブサイト」に公開されています。
https://www.boatrace.jp/ - Q:
-
選手の体格の差は、影響はありますか。
- A:
-
ランダムに割り当てられているので、運が良かったグループとそうでないグループ、体重も身長もほぼ同じです。ただ、もともと痩せている方が有利なスポーツなので、今後、分析を検討したいと思います。
- Q:
-
ボートレースではレースの際に割り当てられるコースも影響するそうですが、いかがでしょうか。
- A:
-
ボートレースでは安全性への考慮から、例えば新人選手は一番外のレーンでスタートする慣習となっています。ですからコースの影響はあると思いますが、その上で、モーターの采配・割り当てはランダムなので、運が良かったグループとそうではないグループとで、レーンの違いは問題になりません。
- Q:
-
運をどのように認識させるのかという点に、政策が関与する余地があるように思いました。例えば、悪いモーターが当たった人が自分の成績が悪いのは運のせいであって実力ではないと正確に分析できていれば退出しないのではないでしょうか。
- A:
-
はい、まさに「グッドハートの法則」の言っている、認識があればその人が行動を変える可能性があるという点です。最初の運が悪かったせいだと冷静に見られたら、また結果も変わってくるわけで、その通りだと思います。
- Q:
-
社会の在り方について、ご研究から資本主義の生み出す格差社会を是正するために初期設定をもっと平等にすべき、例えば、教育の無償化とか、北欧のセーフティーネットのような手厚い福祉社会が望ましいという結論にはなりませんか。
- A:
-
この点は難しいですね。先天的な運と後天的な運というのは、代替関係といわずともどちらかが大きくなったらどちらかが小さくなるという傾向は考えています。目指す社会の方向性としては相反するものではありませんが、この論文から直接、北欧の福祉政策を支持することにつながるということはありません。
- Q:
-
成功者は運と努力の双方あってと、その功績に対して高税率をかけることには心理的な障壁や抵抗感があるような気がしますが、いかがでしょうか。
- A:
-
マイケル・サンデルやジョン・ロールズの指摘するように、努力することも親ガチャで決まっているのではないだろうか、という見解があります。私自身は、努力を否定するわけではないですが、努力につながるまでの運による成功、機会、自信へのつながりを鑑みると、努力の結果生まれた最終的な自分の今の状況や結果に対して、どれだけ自分が値するかいう点に一石を投じたいと。過度な自己責任論もおかしいし、過度に自分が値すると誇るのもどうだろうかと思います。努力のきっかけには幸運な出来事があるという点が重要です。
この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。