令和5年版労働経済白書:持続的な賃上げに向けて

開催日 2023年12月1日
スピーカー 古屋 勝史(厚生労働省 政策統括官(総合政策担当)付 政策統括室労働経済調査官)
コメンテータ 鮫島 大幸(中小企業庁事業環境部取引課長)
モデレータ 佐分利 応貴(RIETI上席研究員 / 経済産業省大臣官房参事)
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開催案内/講演概要

厚生労働省は、9月29日に「令和5年版 労働経済の分析」(労働経済白書)を公表した。74回目の公表となる今回の労働経済白書は、「持続的な賃上げに向けて」をテーマとして、賃金について多角的に分析を行った。わが国の賃金がこの四半世紀に伸び悩んだ理由を明らかにするとともに、賃上げが個々の企業・労働者や社会・経済全体に及ぼす好影響についての分析も行った。また、企業の価格転嫁状況と賃上げの関係、転職やスタートアップと賃金の関係、さらに最低賃金制度と同一労働同一賃金の効果についても掲載している。本講演では、白書作成に中心的な役割を果たされた厚生労働省の古屋労働経済調査官から、白書のポイントについて解説いただいた。

議事録

労働経済の推移

今回で74回目となる労働経済白書は、2023年9月29日に公表し、賃金と価格転嫁の関係や賃金と結婚の関係性等をさまざまなメディアでもご紹介いただいたところです。本白書は、第1部で2022年の雇用情勢や賃金の動きをまとめ、第2部でわが国の賃金が伸び悩んできた理由と賃上げの影響を明らかにしています。

まず、第1部の2022年の労働経済についてです。育児休業制度等の充実により女性の正規雇用者数が増加していることを背景に、雇用情勢は持ち直しています。しかし、全ての産業で不足超となり、人手不足感が高まっているところです。

職業によって求人・求職の状況に差はありますが、コロナの影響で減っていた転職は3年ぶりに増加に転じています。労働時間は2年連続で増加していますが、長期的には減少傾向で推移しているところです。名目賃金については全ての月で前年(2021年)より増加しているものの、物価上昇により実質賃金は減少しています。

そうした中、2022年は、一般労働者およびパートタイム労働者の所定内給与、所定外給与、特別給与のいずれもが増加し、現金給与総額は32.6万円と、感染拡大前の2019年を上回る水準となりました。また、2023年の民間主要企業の賃上げは30年ぶりの高い水準の賃上げ率を達成するなど、賃上げに向けた希望の持てる動きも出てきているところです。

賃金の現状と課題

続いて、第2部です。持続的な賃上げに向けて、賃金の現状と課題についてご説明します。1970年代から1990年代前半までは、1人あたり名目賃金も1人あたり名目労働生産性も上昇していますが、1990年代後半以降は、労働生産性の伸びが賃金の伸びを上回っています。

白書では、1990年代後半は、賃金の伸びの停滞が消費等の停滞につながりかねないという懸念があり、2000年代前半は、フリーターや就職氷河期等の雇用の安定が課題となり、2010年代には、多様な働き方やワークライフバランス等に世の中の関心事が移るといったような変化を分析しています。

わが国の1人あたり名目労働生産性、名目賃金は、四半世紀にわたりほぼ横ばいの水準で、物価を加味した実質値で見ると、労働生産性は他国並みに上昇しているものの、賃金は伸び悩んでいる状況です。

その要因として、労働時間の減少や労働分配率の低下等が1人あたりの実質賃金を引き下げているのが見て取れます。労働時間の減少は、各企業の時短の取り組みに加えて、働きやすさを求めるパートタイム比率の増加が関係しています。労働分配率の変化においても、日本はOECD諸国内で大きく低下していることが分かります。

賃金が伸び悩む5つの要因

今回、賃金が伸び悩む理由として、企業の利益処分、労使間の交渉力、雇用者の構成変化、日本型雇用慣行の変容、そして労働者ニーズの多様化の5つを挙げて分析を行いました。

まず1つ目、企業の内部留保は上昇しており、労働政策研究所・研修機構(JILPT)のアンケート調査でも、内部留保を増加させたい企業ほど、不透明感が高まっていると回答しており、将来の見通しの低さが企業をリスク回避的にさせ、企業が賃上げに踏み切れなかった可能性があると考えています。

次に、2つ目の労使間の交渉力の変化ですが、企業の労働市場の集中度と賃金の関係、労働組合の加入率と賃金の変化、賃金引き上げ等の実態調査を基にした分析によると、企業の市場集中度が高く、労働組合加入率が低いほど、賃金水準が低い傾向を示しています。

続いて、3つ目の雇用者の構成変化についてです。産業構成、勤続年数、パート比率の割合を1996年で固定した試算値、そして賃金の寄与度を見ると、雇用者の構成変化が賃金に影響を与えた可能性が見て取れます。2012年以降は、いずれの産業でも中小企業を中心とした賃金変化要因による効果が高まり、中小企業における賃上げが全体の伸びを牽引しています。

4つ目の日本型雇用慣行の変容に関しては、「賃金構造基本統計調査」の個票を使って、生え抜き正社員の賃金の長期的な推移を見ていきました。生え抜き正社員の割合は、高卒、大卒共に低下傾向にあり、また、役職付きの割合や彼らの賃金への効果もマイナスに転じています。学歴・企業規模別に見た生え抜き正社員の賃金カーブは、どの層でもフラット化している一方で、コーホート比較では、若い世代を中心に賃金は上昇傾向にあります。

最後に、5つ目の労働者のニーズの多様化です。ハローワークの求人・求職のデータを示していますが、この四半世紀において、女性や高年齢層の労働者の割合が増加しています。女性や高年齢層は希望賃金が低い傾向にあり、賃金が低くなりがちな事務的職業や運搬・清掃等の職業を希望する割合が高くなっています。

賃上げによる好影響

賃上げによる好影響について見ていくと、人手不足が深刻化する中、フルタイムの求人条件においては、最低賃金よりも5%以上高い求人賃金設定や、完全週休2日制、ボーナス支給がある求人が被紹介確率にプラスに作用している一方で、時間外労働のあるものはマイナスに影響しています。また、賃上げは、企業においては既存の社員のやる気向上に効果があるとともに、労働者にとっても仕事への満足度の向上や、生き生きと働けるようになるといった影響が示されています。

マクロの視点では、フルタイムの定期給与と特別給与が1%増加すると、おのおの0.2%、0.1%の消費を増加させる効果があり、それに伴って生産額が約2.2兆円、雇用者報酬が約0.5兆円増加すると見込まれています。

また、相対的に年収が高いほど結婚確率が高くなり、正規雇用が結婚確率を引き上げる効果も見受けられます。こういった点を踏まえると、少子化対策等も含め、若年層の賃上げや雇用の安定は、希望する人の結婚を後押しする観点からも重要です。

持続的な賃上げに向けて

続いて、JILPTで実施している、企業の賃上げ状況を調査したアンケート結果についてご紹介させていただきます。1万社を対象に、2,500社から回答を得た結果、2022年においては、9割超の企業で何らかの賃上げを実施していることが分かっています。1人あたりの定期給与や1人あたりの夏季賞与は、増加した企業の方が減少した企業よりも多く見受けられます。

売上総額が3年前と比べて増加した企業ほど、賃上げを実施している傾向があり、また、売り上げ増加を見込む企業で賃上げを実施した割合が高くなっています。そんな中、売り上げが芳しくない企業でも、ベースアップや賞与を合わせると、6割から7割程度の企業で賃上げにご協力いただいているところです。

価格転嫁の状況については、転嫁が8割以上できている企業の割合は転嫁が2割未満の企業よりも高く、賃上げもできている傾向がある反面、まったく転嫁できない企業が3割に上ります。価格引き上げによって販売量が減少する可能性や、販売先・消費者との今後の関係を重視した姿勢が、転嫁しづらい理由として挙がっています。

また、多くの企業で年齢や勤続給のウエートを以前より低めている中、職能給、成果・業績給、役割・職責給、職務給のウエートを高めていく意向が見られ、特に若年層の賃金の引き上げに取り組んでいる様子が見受けられます。

労働生産性向上に向けた取り組みとしては、事業・販売力の強化、働き方改革による時間短縮、業務プロセスの見直しが多く、景気対策を通じた企業業績の向上や税負担の軽減といった、自発的に賃上げできる環境整備のために必要な政策が行政への要望として挙がっているところです。

スタートアップ、転職、正規雇用転換が賃金に及ぼす影響

近年、わが国は、後継者難により倒産する企業も増加していることから、新規開業も重要となっています。一般的には、創業10年未満の企業をスタートアップ企業と定義していますが、サンプル数を確保するため、先ほどのアンケートを15年未満の企業にまで拡張して分析を行いました。その結果、15年未満の企業は、それ以上の企業よりも賃上げ率や1年後の成長見通しが高く、賃上げにも積極的な姿勢が見て取れます。

転職に関しては、転職前後の賃金を比較すると、転職から2年後には3年前と比べて年収が増加する確率が高まり、転職後に賃金が伸びる可能性を示しています。転職年に賃金上昇が見られないのは、ボーナス査定等の影響や、新しい職場で能力が発揮しづらい部分もあるため、転職者向けの支援も重要であると考えています。また、非正規雇用労働者が正規雇用転換した場合、年収が増加するとともに、キャリアの見通し、成長実感、自己啓発を行う割合も高まるという結果が出ています。

政策による賃金への影響

2023年10月1日から適用された最低賃金は、目安制度が始まって以来、初めて1,000円を超える水準となっています。賃金引き上げがパートタイム労働者の賃金分布に与える影響をシミュレーションすると、最低賃金が1,000円、1,200円と上がった場合に、最低賃金+75円以内のパートタイム労働者の割合が大きく上昇するのが見て取れます。こういった最低賃金の引き上げの影響は、低賃金層だけにとどまらず、下位10%の賃金を0.8%、中位層でも0.7%の引き上げ効果をもたらします。

続いて、同一労働同一賃金についてですが、正規雇用労働者と非正規雇用労働者の時給比は、勤続年数が長くなるほど拡大する傾向にあります。こういった中で、同一労働同一賃金の施行による効果をEBPMの観点から分析したところ、2019年から2020年の期間で、正規・非正規雇用労働者の時給差に10%程度の縮小が見られ、また、非正規雇用労働者への賞与支給事業所の割合を5%程度上昇させた可能性が示唆されました。

本白書は、厚生労働省のホームページで公開していますが、市販版に加えて、分かりやすさを念頭に置いて作成した動画版を厚生労働省のYouTubeチャンネルでも公表しています。厚生労働省としても、引き続き働く皆様の立場に立って、持続的な賃上げに向けて取り組みを進めていきたいと考えています。

コメント

鮫島:
私からは、中小企業の賃上げの現状、その理由、そして対策についてご説明します。中小企業の赤字率は約6割にのぼり、労働分配率は8割、小規模に至っては9割という状況です。賃上げは長期的な固定費となるため大きな経営判断ではありますが、2023年は中小企業でも3%、4%の賃上げが実現されています。

しかし、価格転嫁ができずとも賃上げを実施した企業も少なからずあることがデータからも分かっていますし、物価高に直面している従業員の生活のため、あるいは人手不足に苦しむあまり、やむにやまれず賃上げをした中小企業が多いと考えています。

経済産業省の調査結果でも、売り上げの減少や顧客離れへの危惧、さらに価格の上昇分を発注者に転嫁するという慣行がないことが、価格転嫁に踏み切れない理由として挙がり、2割程度の企業でまったく転嫁できていない、もしくは減額されているという状況です。

価格転嫁を推進すべく、政府においても、2023年11月29日に「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」を公表したところです。内閣官房および公正取引委員会のホームページでも掲載していますので、ぜひご覧いただき、いかにこれを自社の取引方針に取り組むかをご検討いただけますと幸いです。

質疑応答

Q:

大企業の方が労働分配率は低く、賃上げ率も高いように思います。長期間GDPが伸びていないわが国では、パイを大きくしない限り賃金は増えないのではないでしょうか。

古屋:

経済成長と賃金は一体ですので、パイを増やすことは大事です。中小企業は価格転嫁の面で弱く、付加価値が得られていないために生産性が若干低下してきているので、さらなる賃上げに向けた支援が重要だと考えています。

Q:

労働生産性が上がらない部門でも価格転嫁を行う場合、コストプッシュインフレになってしまうのではないでしょうか。

古屋:

賃金上昇には労働生産性の向上が基本としてあると考えていますが、コスト削減に加えて、付加価値を高めることで見合った利益が得られるような好循環を作り、賃金を上げていくことが重要です。

Q:

転職の1年目に年収が増えない背景には、ボーナスや福利厚生の制限、あるいは有給休暇の日数も関係していますか。

古屋:

そういった細かい部分も影響しているのではないかと思いますので、さらに私どもとしても研究を進めていきたいと考えています。

Q:

最後に、一言ずつメッセージをお願いいたします。

鮫島:

中小企業が雇用の7割を支えていますが、とりわけ難しい労務費の価格転嫁について、大企業の方々にもご対応いただきたいと思います。

古屋:

厚生労働省としても、引き続き関係省庁と連携しながら、働く人の立場に立って取り組みを進めてまいります。今回の分析の報告が、持続的な賃上げに向けて皆様のご理解を深める一助となれば幸いです。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。