22世紀の公共政策

開催日 2023年1月20日
スピーカー 成田 悠輔(RIETI客員研究員 / イェール大学助教授)
モデレータ 佐分利 応貴(RIETI国際・広報ディレクター / 経済産業省大臣官房参事)
開催案内/講演概要

世界はデジタル化が進み、さまざまなデータが計測・予測可能となりつつある。RIETIの客員研究員であり、テレビ・ラジオ等でも多彩な活躍を広げる成田悠輔イェール大学助教授は、多様なアルゴリズム生成データを用いて反実仮想予測の研究を進めており、『22世紀の民主主義』(2022)では、政治や選挙の世界でもアルゴリズムによる政策決定やよりよい行政サービスの提供が可能であるとの考えを述べている。本セミナーでは成田氏を迎え、デジタル化によって社会の計測可能性が高まる中、公共政策はどのように進化していき、エビデンスに基づく政策立案(EBPM)は今後どうあるべきなのか、持論を展開いただいた。

議事録

EBPMは社会に定着したけれど

公共政策の未来像を考えると、デジタルやデータ、エビデンスを使った政策は今後非常に大事になると思います。エビデンスに基づく政策立案(EBPM)は日本でもここ10年、20年で注目を集めるようになり、特にコロナ禍を経て日本社会に非常に定着したように思います。

同時に、コロナ禍そのものは泥沼化し、EBPMやエビデンスに注目は集まったけれども、それによって政策が本当によりよくデザインされたかというと、よく分からないのが正直なところだと思います。EBPMの中身はほぼ純粋に「資料の山」で、大量の分析らしきものが行われているけれど、その山のような書類が本当に私たちの社会を良くしているのか、政策を良くしているのかと聞かれると、よくよく考えると誰にも分からないという、ちょっと便秘状態のような現状が今の日本におけるEBPMではないかと。

そんなとき、私はたまたま『イーグル・アイ』という映画を見ました。イーグル・アイ(鷹の目)とは、米政府が国土を監視するために開発した監視用のAIのことです。作品中ではイーグル・アイが大統領の違憲行為を目撃し、大統領暗殺を企てる筋書きになっています。

この映画を見て、ここに描かれている世界は実はEBPMそのものなのではないか、データやエビデンスに基づく公共政策や国家の在り方の、とても分かりやすいバージョンなのではないかと気付きました。『イーグル・アイ』で描かれているのは、データやエビデンスに基づく政策や意思決定の絶えざる循環であり、AI的な、政策機械的な世界なのです。

そこでは、私たちが生活する中で生成されるデータが監視センサー網を通じて政策機械的なものに入力され、そのデータを処理した政策機械が実行すべき政策を決定し、その政策をモノのインターネット(IoT)化した街を使って実行するという循環が、人間をほとんど介さずに常時自動実行されています。

興味深いのは、この世界像は決して突飛なSF的なものではなく、構成する個々の要素技術は今の社会にすでに存在しているという点です。とはいえ、現状の社会はこうした未来像には程遠く、至るところで動脈硬化が起きていて、データが現場にしかなかったり、都合の悪いデータは日常的に隠ぺい・改ざんが行われていたり、人間たちが密室やさまざまなお店に集まって、ごにょごにょと話し合いながら、貸し借りを解消しながら物事を決めている。「イーグル・アイ」はまだまだ遠いといえるでしょう。

ウェブサービスから公共領域へ広がる「イーグル・アイ」的世界

ただ、この「イーグル・アイ」的な世界像は、ごく一部の世界では実現しつつあります。われわれがスマホやパソコンを通じて使っているウェブサービスは、実は「イーグル・アイ」的な循環になっていて、過去に何を買ったのか、買ったものについて満足だったのかといったデータがあり、プログラムやコードが各ユーザーにどんな商品を推薦するか、どんな値段を付けるか、どんな商品を開発するかを勝手に考えて実行しています。

私自身もファッションのオンラインショッピングなどいろいろな事業者と組んで、サイト上における商品の陳列や推薦のためのソフトウェアを開発してきましたが、それだけでは特定の事業者の特定の営利事業に貢献しているだけなので、社会にも広くその果実を還元できないかという問題を考えています。

こうした政策機械的なものはウェブビジネス全般で使用されているほか、ハイテクの製造業やゲーム業界でも幅広く使われています。その裾野は医療や教育、場合によっては司法・警察にまで及んでいくと考えられ、人の生死や国の行く末に関わる領域にまで広がっていくと考えられます。

医療や健康の分野ではすでに革命が始まっていて、実際ここ5年ほどでわれわれの体にはいろいろなセンサーやデジタルデバイスが着けられ、体の状態に関するデータが抽出されています。例えば寝不足のときに「昼寝をした方がいい」とか、心臓発作の予兆が心拍数などに表れたら「今すぐ病院行った方がいい」といったメッセージがごく普通に出されています。

そうした流れがどんどん広がって、公共領域に政策機械の力が広がっていった先には、22世紀のEBPMとでも呼ぶべき非常に単純な世界像が待っているのだと思います。人々に関するデータを生成するチャンネルも、意思決定を実行するためのチャンネルも、PCやスマホのような装置だけでなく、人間の体内や街中に張り巡らされるような無数のセンサーやデバイスが担うのでしょう。

民主主義の将来像

『22世紀の民主主義』では、選挙がアルゴリズム化して、政治家がネコのような存在になることで十分になるのではないかという未来像を描いてみました。

そもそも民主主義と呼ばれるものは何でしょうか。もちろんこれは雲をつかむような概念で、100人の方がいたら100通りぐらいの回答があるでしょうが、民主主義とは何かという問いへの1つの回答は、「人々の民意に関するデータをうまく変換して行う何らかの社会的な意思決定」といえるのではないかと思うのです。

例えば、現在の選挙は、投票データが人々の民意を表すデータだと仮定して、これに多数決のルールや選挙制度などを当てはめれば当選者や政権担当政党が決まります。ただ、選挙を用いた民主主義の実行は数百年前から支配的な手法であることを考えると、社会が大きく変化して技術環境も情報環境もまったく別世界になったにもかかわらず、選挙に基づく民主主義だけを使っているのは、「時代遅れの慣習に従った民主主義」にすぎないのではないかという気もするのです。

だとするならば、社会や技術の変化に応じて制度も適切に滅びて、次の形に進化していくのが自然でしょう。選挙はもちろん人々の価値観や目的意識を見つけるための1つのチャンネルなのですが、それ以外にも大量のチャンネルが生まれていると思うのです。

例えば、街中で政治家の街頭演説を見たときに、人々が顔をしかめたのか、心拍数が上がったのか、無反応だったのかというデータが大量にたまっていき、これをうまく組み合わせれば、政策課題ごとにある種のエビデンスに基づく目的発見ができる可能性があるのではないでしょうか。そして、課題ごとの目的が発見されて定義されてしまえば、最適な政策をそれぞれ見つけることができると思うのです。それによって、どの政治家が好きかとかどの政党が好きかという過度に単純化された課題設定を経由しなくても、民意データから直接的に政策決定を行える可能性があるとも考えられます。

その意味で、データ民主主義とは、EBPMやエビデンスに基づく政策の拡張ともいえます。データやエビデンスが人々と国家の間の循環に貢献するための方法には少なくとも2つあって、1つはデータやエビデンスに基づいてどの政策手段を実行するのが最善なのかを発見することです。つまり、手段改善のためにデータやエビデンスを使う方法であり、これはEBPMに当たると思います。

それ以上に重要なのは、政策目的を見つけるための装置としてのデータやエビデンスです。伝統的に政策目的の発見は、選挙や世論調査、現場で声を集めることによって行われてきましたが、今の社会ではSNSで声を上げることを超えて、人々の心身の反応をとらえるための方法が大量に生まれており、それを使わない手はないと思うのです。つまり、EBPMだけでなく、エビデンスに基づく目的発見を行うという、無意識データ民主主義が可能になると思います。

目的発見まで含めた政策形成過程全体が機械化・自動化されれば、未来にはもしかしたら政治家の存在は必要なくなるかもしれません。例えば米国アラスカ州のある市では、首長選に出馬した候補者たちが気に入らなかった住人たちが、「スタッブス」というネコの名前を投票用紙に記入する運動を展開したところ、スタッブスが最多得票を獲得し、この市は正式にスタッブスを名誉市長に任命したそうです。このケースは、現代社会に対する風刺や皮肉ととらえることもできます。

実は政治家というのはほとんど要らないのではないか。もしかしたら最終責任を担う総理や大臣のような存在は必要かもしれませんが、ごくごく普通の議論と実務を担うような人間はだんだんと要らなくなって、ネコに政治家を任せて人間はゲームでもしながらアルゴリズムが物事を決めてくれるのを見ていればいい、非常時にだけ介入すればいいという社会もあり得るのではないかと思います。

データ民主主義に立ちはだかる壁

ただ、足元を見ると、データ民主主義には巨大な壁が立ちはだかっています。それは、政策の現場である自治体にそもそもデータがないという問題です。自治体が年単位でしか物事を変えられないような現状では、データを生成するにも限界があります。

その影響が大きく出ている1つが教育政策の文脈でしょう。教育現場ではPC 1人1台政策が本格的に実行されましたが、その先にある構想は、デジタル装置を教育の実態を知るための窓口として使うことによって、教育内容の改善や個別最適化を図ることだと思うのです。しかし、それをやろうとすると、個々の生徒や学校にデータがたまるだけでは不十分で、自治体や教育企業の本部などの単位でデータを集約し、さまざまなタイプの生徒や学校に適した教員や教材を測定するというEBPM的なことをしなければなりません。

ただ、そうしたデータ集約が至るところでできていないのが現状です。異なるところから出てきたデータを接合するのは困難であり、マイナンバーのようなものを使うとしても法律で用途が規定されていたりしてさまざまな壁が立ちはだかっているのが現実です。

私自身も子どもたちに関するデータベースを構築するプロジェクトに関わっていますが、そうしたデータが生成されれば、ミクロなレベルで子どもたちに関する政策設計をデータに基づいて行えるようになると思います。例えばそれぞれの生徒や家庭について、彼らの属性や行動履歴、出欠状態などのデータを自治体レベルで使えるようになれば、不登校や虐待、いじめなどの発生傾向をつかむことができるかもしれません。

そうすれば、人間がいろいろな現場に出ていかなくても、データだけに基づいて困難を抱えている子どもたちを見つけ出し、積極的にサポートを提供できるようになるでしょう。そうした未来像に向けて、データ集約とセキュリティー、プライバシーの壁を適切に乗り越え、大きな問題の発生しないデータを自治体レベル、企業レベルで構築することが課題だと思っています。

いったんEBPMは忘れた方がいい

データと公共政策の関係を考えると、いったんEBPMは忘れた方がいいと思っています。なぜなら、現存するデータでEBPMっぽいことをすると、取りあえずさまざまな政策効果を測ってみたという報告書や論文や議事録が大量に作られるだけだと思うからです。

むしろ長い目でデータやエビデンスを使った政策決定を考えるならば、議事録や報告書を全部取っ払って、無人化された政策立案と実行の自動化・機械化を目指すことが大事だと思います。そのためには、研究者の分析よりも、アナログ過ぎる政策現場をデジタル化・データ化していくという準備作業が大事でしょう。

そう考えると、EBPMを旗印として掲げる前に、政策のデジタル化がまず第一歩であり、行き着く先のビジョンはEBPMではなく「イーグル・アイ」的な世界像であると認識することが重要だと思います。

さらには、政策が実現すべき目的や価値自体をデータやエビデンスに基づいて見つけるような、エビデンス・ベースド・ゴールメイキングに基づく22世紀の民主主義的まで到達すべきであり、デジタル化という短期の目標設定と、22世紀の民主主義という長期の目標設定という二段構えが必要だと考えます。

質疑応答

Q:

アルゴリズムを決めるのは誰なのでしょうか。アルゴリズムのデータは現状のデータのままでいいのでしょうか。

A:

現状、世の中の重要な問題に使われるアルゴリズムのほぼ全てが民間企業のソフトウェアだと思うのです。これを変えるのは現実的には非常に難しいので、開発されたものを一定の目的のために使うには、公開基準を設けることが必要だと思います。

データはマジョリティー側のデータほどたまりやすく、そのデータを活用するとマイノリティー側に対する差別・偏見を助長する場合も多々あります。ですので、差別・偏見がないという条件を満たしたアルゴリズムでなければ人間の一生を左右するような意思決定には使用できない方向に規制をかけていくことも重要でしょう。

Q:

22世紀において、GDPには基づかないような新たな幸福の指標は出てくるのでしょうか。

A:

長い目で見て大事になってくるのは、指標の状況がどうなっているかということよりも、人間が幸せな生活を送って大往生できるか、社会全体が豊かな文化や歴史を築いていけるかということであり、将来的にはそうした超長期の幸福や繁栄を何らかの形で予測できると面白いのではないかと思っています。過去の文明の栄枯盛衰に関するデータベースから、安定してうまくいっている社会や国家の特徴をあぶり出し、その方向に社会の価値観が変わっていくことはあり得ると思います。

Q:

官僚の仕事はこれからどうなるのでしょうか。

A:

官僚の仕事は、信じられないぐらいの無駄と不合理と非効率性の固まりだとよく聞くので、明らかになくなった方がいいものをなくしていくことは着々と起きるのではないでしょうか。そもそも国会という物理的な場所に政治家が大挙して集まって議論する慣習が無駄とも考えられるので、政治の効率化やデジタル化と官僚業務の効率化やデジタル化は切っても切り離せないので、同時に議論しなければいけないのではないかと思っています。

官僚の方々を見ていて、自分と同世代の官僚があまり生き生きしている感じがしなくてつらそうなので、官僚の仕事がなくなっても皆さんの幸福度にはあまりダメージはなく、むしろプラスの影響があるもしれないという不謹慎なことも思ったりしています。官僚の皆さん、がんばってください。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。