IMF世界・アジア太平洋地域経済見通し:生活費危機への対処

※資料の引用は、IMFのサイトに掲載されているオリジナル原稿からの引用とし、出典元を記載してください。

開催日 2022年12月7日
スピーカー 鷲見 周久(国際通貨基金(IMF)アジア太平洋地域事務所 前所長・特別顧問)
スピーカー 吉田 昭彦(国際通貨基金(IMF)アジア太平洋地域事務所長)
コメンテータ 中島 厚志(RIETIコンサルティングフェロー / 新潟県立大学国際経済学部教授)
モデレータ 佐分利 応貴(RIETI国際・広報ディレクター / 経済産業省大臣官房参事)
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開催案内/講演概要

世界経済は、予想以上に大幅に減速している。国際通貨基金(IMF)が10月に公表した「世界経済見通し(WEO)」では、今般の記録的なインフレを受けて成長率の見通しを引き下げた。また、リスクとして金融政策当局がインフレ抑制に向けての政策判断を誤る可能性や、米ドルのさらなる増価、金融環境の世界的なタイト化による新興国市場の過剰債務の拡大、中国経済の減速などを挙げて警鐘を鳴らしている。今回のセミナーではIMFアジア太平洋地域事務所前所長の鷲見周久氏を迎え、最新のWEOの報告内容に基づき、世界・アジア太平洋地域の経済見通しや中期的な課題について展望し、政策目標として、インフレのコントロール、脆弱層に焦点を絞った財政政策、気候非常事態への対処などについて議論した。

議事録

鷲見:
今回を含めて過去11回にわたり、国際通貨基金(IMF)が公表している「世界経済見通し」について説明する機会を頂戴したことを大変ありがたく思っております。私の後任である吉田に対しても引き続き同様のご愛顧を頂戴できればと思います。

吉田:
12月1日付で鷲見の後任としてIMFアジア太平洋地域事務所長に就任しました。本来であれば私が今日の講師を務めなければならないのですが、移行期ということで今回は鷲見からご説明させていただきます。今後は私がきちんとこの役割を果たしたいと思っておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。

3つの逆風にさらされる世界経済

鷲見:
今回の講演の副題として「生活費危機への対処」と掲げていますが、食料品・エネルギーなどの価格上昇を受けて、世界的にインフレが高進しています。これから冬に向けて、所得が比較的高くない人たちへの打撃が懸念され、さまざまな手当てが必要と考えられます。

こうした危機の背景として、世界経済は3つの逆風にさらされています。1つ目に、世界的なインフレの高進を受けて各国の中央銀行が積極的に金融政策の引き締めに向かっています。2つ目に、ロシアのウクライナ侵攻によってエネルギー・食品の市場が非常に混乱しています。特に欧州ではロシアへのエネルギー依存度が高く、ロシアからのエネルギーの輸出の状況によってさらに市況が大きく動き得ます。3つ目に、新型コロナウイルス対策のロックダウンと不動産市場の減速が要因となり、中国の成長に急ブレーキがかかっています。

これを受けて、最新の「世界経済見通し」では、2022、2023年の成長率を下方修正しました。また、世界的なインフレが進む可能性が高いと見ています。

下振れリスクとしては、金融政策の引き締めが不十分であればインフレが継続してしまい、引き締めが過剰な場合には景気後退となるので、非常にバランスが難しい点が挙げられます。また、新興市場国・途上国においてコロナ対応に伴う積極的な財政支出の結果、過剰債務が発生しています。これに加え、各国の金融引き締めによる金利上昇やスプレッドの拡大の結果、利払い負担が増加することで途上国がさらに資金調達難に陥る可能性もあります。

そこで求められる政策目標ですが、政策当局としてはまずインフレをコントロールすることが求められます。金融政策を締め過ぎず、緩め過ぎず、難しいナローパスを進まなければなりません。

また、パンデミック期にとられた、迅速・広範な財政施策から、脆弱層へと効果的に対象を絞った財政施策に再調整することが必要です。そのためには、デジタルトランスフォーメーション(DX)も含め、政府におけるさまざまな施策や能力向上が求められます。ITを活用し、給付金等の支援を困っているところに迅速に届けられる仕組みを作らなければなりません。

これらに加えて、気候非常事態への対処が必要です。欧州ではロシアからのエネルギー供給が削減されたこともあって危機感が強いですが、日本人の感覚はまだまだ希薄な感じがするので、注意しておく必要があるでしょう。

最近の動向

世界ではインフレの高進を受けて、金融の同時発生的な引き締めが2021年頃から進んでいます。それによって、経済活動の先行指標は軒並み悪化しており、製造業PMI(購買担当者景気指数)は多くの国・地域で下落しています。スプレッドも2022年は前年より上昇傾向にあり、特に新興市場国・発展途上国の上がり方が大きくなっています。

ウクライナ侵攻の影響に関しては、食品・燃料の卸売価格の上昇は2023年に入って少し落ち着くと見られます。なお、天然ガスや石油に関してはウクライナ侵攻前の2021年あたりから上昇傾向にありますが、これは、SDGs等の流れを受けた化石燃料に対する投資控えを反映した動きであると考えられます。

これに加え、ウクライナ侵攻以降、ロシアのパイプライン経由のガス供給が急激に減少しており、エネルギーに対する欧州の危機感が高まっています。日本は幸いLNGなどの長期契約があるため、それほどエネルギー価格が上昇せずに済んでいますが、それによって危機感が随分失われている感じもします。時間を稼いでいる間にしっかりとエネルギー政策の転換を図る必要があるでしょう。

今後の見通し

2022年10月の「世界経済見通し」では、2023年において、ユーロ圏の成長見通しを大きく引き下げました。世界全体でも7月と比べて0.2ポイント減、先進国でも0.3ポイント減となっています。途上国・新興市場国の平均も同様に0.2ポイントのマイナスです。一方、中国は2021年の8.1%から、2022年が3.2%、2023年が4.4%ということで、急減速しています。ロシアも、制裁を受けているので当然マイナスになっています。また、一次産品輸出国についてはエネルギー価格高騰に支えられて堅調、他方で低所得途上国については成長率を下方修正しました。

アジアはコロナ前、世界の成長エンジンとして経済成長の6~7割をたたき出していましたが、コロナによってその勢いは急に止まってしまいました。上海発の荷物の引き受けコストや輸送コストが上昇したり、コロナの影響で荷卸しの労働者が不足したりして、世界中で供給が滞った結果、価格上昇だけでなく、部品不足によって製造ができないということも多く起こりました。

従ってアジアは、コロナ前に見通されていた成長のパスには到底及んでおらず、地域として一番大きな損失を被っていると言えます。これからグローバリゼーションが巻き直されるかどうかによって、アジア、日本の成長は大きく左右されるでしょう。

「世界経済見通し」では、今後2年ぐらいの間に世界の3分の1程度の国が少なくとも2四半期にわたってマイナス成長を経験する可能性が高いと見ています。1人あたりGDPの成長予測も2022年にやや低下し、そこから少しずつ改善していくのがベースラインですが、場合によっては下振れするリスクもあると思っています。ただし、2020年のときのようなマイナス成長にはならないと見ています。

リスク

今後のリスクとしては、新興市場・途上国における過剰債務の問題が挙げられます。リスクの発生源になりそうなものとしては、パンデミック期間のさまざまな支出によって増加した債務、食品・エネルギー価格の上昇による支出増加、先進国の金利上昇による借入コストの上昇、投資家のリスク回避に伴う資本逃避の加速、ドル高による対外債務負担の増大などがあります。また、G20を中心として、新興債権国を交えた債務調整枠組みをいかに構築していくかが重要な課題となっています。

また、もう1つのリスクとして挙げられるのは、中国経済の急激な減速です。主なリスク要因は不動産セクターで、不動産会社の株価(ハンセン指数)やドル建て社債の価格は、2021年の半分の水準となっています。この1年少しの間に、不動産会社の市場評価が半減しているのです。

怖いのはこれが金融セクターに飛び火することです。中国の場合、建物が出来上がる前に買い手が銀行ローンによって建築代金を支払い、そのお金によって最後の仕上げをするのが一般的なビジネスモデルだったのですが、不動産会社の資金繰りが厳しくなると、受け取ったキャッシュを今現在の建物の完成に使うのではなく、支払いが遅れている建物の資金に回すことで、工事がどんどん後送りになってしまい、いつまでたっても引き渡しができないどころか、工事が始まってすらいない場合もあります。こうした背景から、借りたローンの返済を拒否することも見られており、銀行が貸し倒れするリスクが高まってしまいます。

これが金融機関の不良債権増大まで波及すると、不動産セクターを超えて大きな問題になるでしょう。中国で過去に景気が軟化した際にも金融機関の不良資産が問題になったことはあったのですが、7~8%という経済成長によって分母がだんだん大きくなることで問題の比重が小さくなり、全体としてマネージするような解決方法をとってきました。しかし、経済成長が3%程度となると、成長して問題から逃れる従来の方法は厳しくなります。政策当局や金融界がきちんと対処していくだけの力があるのかどうかがこれから試されることになるでしょう。

その他にパンデミック再燃のリスクもあります。新型コロナワクチンの接種率はアフリカが最も低いのですが、接種率が高いその他の地域も慢心は許されません。ウイルスはワクチンで対応しにくいものだけが生き残りますから、世界のどこかでウイルスが自由に増殖することを許す限り、新たな変異株の出現によってパンデミックが再燃する可能性が残ります。しかし、冷蔵チェーンが確立できていないアフリカでワクチンを流通させることは難しく、こうした公衆衛生のインフラが少ない地域での普及が課題となります。この問題はコロナ対応に限ったことではなく、公衆衛生の全体的底上げという幅広い問題として、世界が一緒に対処していかなければならないでしょう。

政策の優先事項

政策としては、物価安定に向けた道筋を維持する必要があるとともに、パンデミック期間中のような広範な支援から、脆弱な人たちに対象を絞った支援に切り替える必要があるでしょう。

国際的な資本フローに関しては、自国市場に厚みがある場合には為替相場での調整を許容すべきですが、市場に厚みがなく、投資家が一斉にお金を引き揚げ得る場合は、介入も1つの選択肢となるでしょう。

債務調整の枠組みに関しては、中国やインドなど新たな債権国が増えてきた中で、G20を中心とした新たな枠組み作りに向けた合意形成が重要な課題となります。

気候変動に関しては、2050年カーボンニュートラルという目標は国内で非常に野心的な目標だと受け止められているものの、各国がそうした思い切った施策を全部行ったとしても温暖化抑制効果は限定的であり、目標は依然として低く、行動も遅過ぎるように思います。このあたりは日本にいると危機意識を感じにくいことかもしれません。

補論:日本の賃金動向について

何回か前のセミナーで、なぜ日本の賃金が上がらないのかという質問を頂きましたので、それについてお答えしたいと思います。

1990年以降、G7各国の賃金水準が上昇しているのに対し、日本だけが伸びていません。日本の失業率は世界で最も低く、労働需給が引き締まっているにもかかわらず、賃金が上がっていない要因は何か、というものです。

日本の労働分配率や労働生産性が低い、という議論がありますが、統計上は必ずしもそうなってはいません。そうした中で賃金が上がらない要因の1つは、やはり労働参加が増えていることです。労働参加が増えると、賃金が低い人の割合が増えるため、全体としての平均値は上がっていないように見えることになります。

また、働き方改革等もあって日本人の1人あたりの労働時間が随分短くなっていることから月給換算ではあまり増えていないように見えるのですが、時給換算では増えているのです。

日本人がどんどん貧しくなっているとか、日本は後進国だという悲観論はさまざまありますが、統計を見るときには統計の裏側も見ることが大切だと思います。

コメント

中島:
現在の世界経済は、石油ショック時に似ていると言えます。石油ショック時はドル安に動き、それを補填するために石油輸出国機構(OPEC)が原油価格を引き上げたのに対し、今回はドル高でエネルギーの多様化も進んでいるので状況に異なるところはありますが、エネルギー価格高騰や急激な金融引き締めなど類似点も多くあります。当時も今もエネルギー価格高騰や資源供給制約への積極的対応が必要であり、それが産業競争力と経済安定に寄与すると考えられます。

第1次石油ショックの1973年に政府が出した石油緊急対策要綱では、大変な危機感の下、石油・電力の1割使用節約や総需要の抑制策、物価対策の強化が行われました。積極的に社会構造の転換を図ることで、石油ショックが終わってみれば産業競争力が強化され、安定した経済成長を実現しました。

現在は、とりわけ欧州が当時の日本のような状況にあります。ロシアからのエネルギー供給を断たれ、石油ショック当時に近い状況で必死に対応しています。EUは電力の1割節約を図っており、まさに当時の日本の石油緊急対策と同じようなことを行っています。この点では、今の大変厳しい状況を乗り越えると、EUの環境対応や産業競争力の向上が石油ショック後の日本のように図られる可能性もあります。エネルギー不足への危機感は異なりますが、日本も同じように努力していくことが必要ですし、それがEUの産業競争力向上に劣後することなく、日本経済の安定にもつながると思います。

質問が2つあります。1つは、現在の主要国の金融政策の急激な転換は、物価高騰に対しては適切であっても、これまでの金融緩和で膨張してきた金融資産に対してはどのような影響があるのでしょうか。世界的な金融システムの不安につながる懸念はないのでしょうか。

もう1つの質問は、現在の状況は省エネ型産業への転換など抜本的な経済・産業政策を打つことが経済安定、産業競争力強化に結びつく局面のように見えますが、そうだとすると日本は今どのような対策を打つことが必要なのでしょうか。

鷲見:
1点目について、金融資産価格は上がりもすれば下がりもするので、重要なのは、資産価格の下落をもたらさないことではなく、資産価格が下落したとしても金融システムに不安を生じさせないことです。銀行システムはリーマンショックの教訓から資本バッファを厚くしてきましたし、不動産価格の下落に対してさまざまな防衛線も準備しているので、金融システムの不安につながることはないと思っています。そうはいっても、マーケットの動きは予想を超える場合があるので、今までの備えに安住せず、しっかりと状況を見ていく必要があるでしょう。

2点目について、今般のエネルギー価格高騰について言えば、既存の仕組みなど日本がさまざまな幸運に守られた結果、比較的痛みを感じずに済んでいますが、今の間に欧州以上の対策にしっかり取り組まないと、日本だけが取り残されてしまうリスクは十分あると思います。

質疑応答

Q:

主要アジア国(中国、インド、インドネシアなど)の赤字財政をどのように見ておられますか。

A:

それほど心配していません。十分な政策バッファを持っていると思いますし、債務レベルも彼らの外貨準備と比べて特に懸念に及ぶような状況ではないと思います。

Q:

米国経済は割と堅調に推移すると思うのですが、いかがでしょうか。

A:

米国は、見かけ上、失業率が低下していますが、背景には他の国々と異なり労働参加率が顕著に下がってきていることがあり、それが懸念材料だと思います。加えて、必要とされる労働の質と、供給できるスキルがマッチしていません。日本と同様に、リスキリングが非常に重要な課題だと思います。

Q:

日本のインフレ対策に関して、どう見ておられますか。金融引き締めの必要はないのではないでしょうか。

A:

各国が引き締めたから日本も引き締めるという話ではなく、各国が自国の状況に応じて適切に判断すべきものと考えています。IMFの日本に対するさまざまな政策提言などを見ても、今の日本の金融のスタンスは適切であると判断しています。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。