グローバル・インテリジェンス・シリーズ

日本の地経学戦略とインド太平洋

開催日 2022年7月14日
スピーカー 片田 さおり(南カリフォリニア大学国際関係学部教授)
コメンテータ 杉之原 真子(フェリス女学院大学国際交流学部教授)
モデレータ 佐分利 応貴(RIETI国際・広報ディレクター / 経済産業省大臣官房参事)
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開催案内/講演概要

日本の対外戦略は、21世紀に入り中国の台頭、アジア諸国の発展、国内経済の成熟化のもとで、かつての重商主義から国家主導のリベラルな戦略へと大きく転換した。本セミナーでは、2022年6月に『日本の地経学戦略 アジア太平洋の新たな政治経済力学』(日本経済新聞出版)を出版した片田さおり南カリフォルニア大教授を招き、ご講演をいただいた。本書では、日本の対アジア経済政策の大きな分岐となった1990年代以前と以後における変容を歴史的・制度的な観点から捉え、貿易・投資や、通貨・金融、対外援助に関わる領域を概観したうえで、インド太平洋の枠組みにおける日本の新戦略を地経学の観点から考察した。さらに、米中対立が深まる中、アジア太平洋の未来を左右する機軸国家として重要性を高める日本は、どのような役割を果たすべきなのかを論じた。

議事録

対外政策で自由主義へかじを切った日本

2022年6月、私は日本経済新聞出版から『日本の地経学戦略』という本を出版しました。2020年にコロンビア大学出版会から出した『JAPAN’S NEW REGIONAL REALITY』の日本語版です。

この本は、安倍晋三元首相が2013年に米国で「JAPAN is BACK」というスピーチを行った話から始まります。日本は2010年代初頭までの20年近くの間、国際的な場であまりイニシアティブを取らず影が薄かった状況に対し、その後、特に対外経済政策を通して存在感を高めたわけです。奇しくも安倍首相は、お若いころ南カリフォルニア大学に1年間留学されており、今回の狙撃のニュースにロサンゼルスのメディアでも、多くの悲しみが報道されております。

2017年に米国のトランプ政権が発足後3日目に脱退した環太平洋パートナーシップ協定(TPP)を、日本の新たなイニシアティブでその後1年ちょっとで復活させ、米国以外の11カ国で発効させました。日本はこの20〜25年でいろいろな政策を決定してきましたが、特に安倍首相の8年間の功績が大きかったと思います。

この本の問題提起は3点あります。まず1点目に、日本がいかにしてアジア太平洋における自由主義の経済秩序の救世主としての役割を担うようになったのか。2点目に、この四半世紀に日本の地域経済戦略はどのようにシフトしてきたのか。3点目に、これは日本での出版の際に加えた論点ですが、特に2020年代のアジア諸国や米国の外交の変化に対して日本がどういった戦略を取ってきたか、です。

21世紀に入って日本政府は、自国経済の成熟に対応して対外政策で自由主義へとかじを切りました。ここでは、この変化が自国経済の変化に対応していることが大きなポイントです。もちろん地域のパワーダイナミクスの変化も大きく影響しており、経済的に台頭する中国とのパワーバランスを保つために、日本は国際的な「ルール作り」を地経学の戦略として取ったのです。

日本の地経学戦略

地経学戦略は比較的新しいコンセプトです。国際政治経済学において、D.ボールドウィンが1985年に提唱した「エコノミック・ステイトクラフト」(対外経済政策による国益の追求)というコンセプトが最近また注目されているのは、それこそ経済相互依存などが武器化され、経済制裁などが頻繁に使われるようになってきたこともあるのですが、その裏には米中のライバル関係が非常に顕著となり、中国の経済政策が、米国等が押してきた国際秩序にチャレンジするものであったことも大きく影響していると思います。

その結果として、国際ルールと秩序設定の戦場である世界経済において、地経学戦略が重要になったことが2020年代に入っての非常に目立つトレンドだと思います。私は、地経学戦略とは「経済・政治上の優位性の確保を目的とした国・政治による経済手段の行使」であると考えています。そこで重要になるのが政府と企業の関係であり、企業の経済行動に政府がいかに影響を及ぼせるかが重要になります。

地経学戦略は、国際関係理論上いろいろな位置付けがなされていて、Developmental State(国家主導の開発主義国家)の理論にに対しても非常に示唆を与えるものだと思っています。また、地域主義と競争によるルールの拡散についても示唆を与えるものと考えられます。

旧来型の日本の地経学戦略は、日本が世界第2位の経済力を保ち米国と貿易面などをで競っていた時代に形成された、二国間主義を中心としたインフォーマルなもので、ルールにあまりのっとらないような「埋め込まれた重商主義」を取っていたのが特徴です。それが1990年末以降、国家主導のリベラルな地域戦略へと変化しました。この新たな戦略の基本的な特徴としては、地域主義、制度化されたルール、制度の構築、グローバルスタンダードの推進が挙げられます。

そこで拙書では、旧来型からリベラルな地域戦略へとどのように変化したのか、「貿易と投資」「通貨と金融」「開発と対外援助」という3つの分野に絞って、構造が二国間から多国間へ、関与がインフォーマルからフォーマルへ、基本的な価値観が重商主義からリベラルへと変遷した過程と原因を分析しました。

「貿易と投資」は漸進的に変化をしてきました。旧来型で最も特徴なのが日米貿易摩擦であり、その当時アジア太平洋経済協力(APEC)においても日本は自由主義的なアプローチに抵抗していました。ところが、1990年代後半以降、新しいアプローチを取るようになり、経済連携協定(EPA)交渉に始まり、日中韓投資協定や東アジア地域包括的経済連携(RCEP)などへと移行していきました。もちろんその行程では貿易・投資ルールの確立が非常に重要となります。CPTPPの発効は日本がイニシアティブを取ったものであり、また、日欧や日英のEPAも締結されるに至りました。

「通貨と金融」では、跛行(はこう)的な変化を遂げました。旧来型では円の国際化への抵抗など、閉鎖的側面が前面に出ていましたが、新しいアプローチではチェンマイ・イニシアティブ(CMI)のように日本がうまく主導権を握って地域に広がる制度を作ったところもあれば、円の国際化のようにうまく進まない分野もあって、分野によって変化に違いが生まれました。

「開発と対外援助」は、旧来型からの二国間の経済協力が今でも主流なのですが、グローバル・スタンダードとしての質の高いインフラ投資や法制度整備支援などで国際的イニシアティブを取っていることが日本の強みとなっています。

アジア地域内での経済力シフト

なぜこのような戦略的シフトが起こったのかを考える際、まず、東アジア地域内における経済力バランスが変わったことは大きな要因です。日本と中国の経済力が東アジアの中で占める割合は大体常に70%台後半なのですが、1989年ごろは日本が非常に大きな割合を占めていたのに対し、その後中国が台頭して日中のバランスが逆転しました。米国にとっても中国の台頭は非常に脅威であり、その中で日本がアジア太平洋地域でどう活躍していけるのかが戦略的に重要になりました。

もちろん米国は、市場開放や経済安全保障、ルールに則った経済秩序を常に促進してきました。TPPは脱退しましたが、それでも知的財産権の保護や汚職に対する規制などルールベースの制度形成を米国は常に追求しています。

一方、中国は、経済の武器化の方向に進んでおり、資金力を利用し、いろいろな形での影響力の展開や市場操作、国営企業の優位性などを用いた海外進出が多く見られます。その中で日本は、機軸国家としての重要な役割を担うようになってきたと考えられます。

国内の政治経済を見ると、官民の経済におけるプレゼンスの変化、特に民間企業の成長とともに政府と民間企業のバランスが変わってきており、昔、Developmental Stateと妙名された時のように、政府が常にリードできた状況が失われました。

もう1つの大きな象徴は、日本企業が海外にどんどん進出していったことが挙げられます。1985年のプラザ合意以来、製造業を中心に海外における生産比率が上がっていきました。

さらに、経産省の通商白書にあるとおり、特に2010年代に入って、かつて貿易大国であった日本が投資大国へと変わっていったことも戦略的に大きな影響を及ぼしました。つまり、日本企業の活躍の場が国内中心、輸出中心から、それこそアジア地域全体、そして世界規模なものに変わっていったと言え、経済政策へも大きく影響したと思います。

インド太平洋戦略

こうした変化の中、2010年以降のインド太平洋の戦略はどう発展していったのでしょうか。ここで重要なのは、インド太平洋がルールに基づく経済秩序を守るための場であるということだと思います。大きく言えば、インド太平洋というコンセプトが柔軟な地域の枠組みを作り、その中でcoalition(同盟)を結ぶベースになっていることがとても重要です。それこそQUAD(日米豪印)や米国のイニシアティブによるインド太平洋経済枠組み(IPEF)などの、ルールをベースにした秩序を作るためにいかに仲間を増やすかということが、インド太平洋の枠組みに独特な利用価値です。

もちろんその中で、中国も含めたサプライチェーンをある程度カバーする自由貿易の枠組みであるRCEPは発効しているのですが、それと同時にCPTPPへの加盟を中国や台湾が申請しており、ある意味でルールベースのオーダーを作るための基礎を日本が支えているともいえます。

また、COVID後に重要となるサプライチェーン強靱化へのイニシアティブは、日本とインドと豪州が主導していますし、非常に興味深いのは、日本が唱えた「質の高いインフライニシアティブ」がインド太平洋の枠組みを基にどんどん広がっている点です。Build Back Better Worldという米国のイニシアティブも、欧州連合(EU)のグローバル・ゲートウェイも、全て日本の「質の高いインフライニシアティブ」をベースにしていることは大きな意義があると思います。

そうはいいながらも今後のCOVID以降のチャレンジにおいては、債務など重要なサステナビリティの問題も生じているので、インド太平洋の枠組みが、今後どういった形で関わっていくのかが重要になると思います。

地経学戦略は大きなチャンス

日本の対外政策を考える上で地経学戦略がチャンスになり得るというのが私の主張です。エコノミック・ステートクラフトは必ずしもネガティブなものではなく、これを使ってどういった形で自国を優位に位置付けていくかということを考えていくのが、地経学戦略の一番大きなキーだと思います。

その中で、米中が競争を繰り返しているときに、日本が機軸国家として、ウエートをどちらかに置けるような国家として、非常に大きな影響力を与えられるという利点があると思います。日本が素晴らしい経済成長を遂げて、今はある意味で成熟した経済国家として存在しているときに、この経験を中国に対しても有効的に活用できるし、米国にとっては、米国の力がある程度衰えた状況でアジアと対峙しようとする際には、日本の支持は非常に重要になるでしょう。戦略的主体としての成熟した開発主義国家という日本のアイデンティティを大切にして、それをうまく使っていくことでこれからのチャンスをつかめるのだと思います。

ただ、問題も多々あり、中でも経済安全保障の問題はこれからもどんどん加速することは間違いありません。そうした中で日本がどういった形でルールをベースにグローバリゼーションを維持し、経済にとって重要な自由主義的なシステムを壊すことなく、自国の経済の安全を守るかというバランスは非常に難しい問題だと思います。

また、いろいろな国内体制の問題、企業の運営の問題、内部留保の問題、もう少し大きくいえば分配の問題が注目される中で、日本も昔からのシステムでうまく機能しないものを破壊し、新しいものを作っていくことはかなりのチャレンジだと思います。

新しいイニシアティブがそれなりに今の世の中に合った形でいろいろクリエイティブに提示されていますが、昔からのものを変えずに上に乗せていくだけではなかなかうまくいきません。それを根本的に変えるpolitical will(政治的意志)が試されていると思います。と同時に、コロナ後の財政問題などもある中で、国の補助だけに頼らずに企業をどういった形で誘導するかという問題がこれから重要になってくると思います。

コメント

杉之原:
広範な政策分野にかかわる詳細な事例研究をもとに、日本の日本外交にかかわる従来の受け身なイメージを転換して、「公共財としての制度の構築」を目指す日本の姿を描いたご報告をありがとうございます。

まずお聞きしたいのは、日本の地経学戦略というときに、「日本」あるいは「国家」とは何を指すのかということです。やはり大きな転換点になっているのは安倍政権、小泉政権といった長期政権です。小泉政権はFTA推進にかじを切りましたし、安倍政権が日本の経済外交政策におけるプレゼンスをかなり高めたことは間違いありません。これはただ単に両長期政権を担った首相の個人的なリーダーシップによるものなのでしょうか。それとも、官僚機構や各政権といった日本の制度の中でこうした戦略が徐々に埋め込まれていったのでしょうか。

それから、リベラルな国際秩序の根底にある価値観は、政治的リーダーに深く根付いているものなのでしょうか、それともレトリックなのでしょうか。今後重要となってくるインドや韓国との関係は、今後のリベラルな経済秩序と民主主義の関係を考えたときに、どんなインプリケーションを持つのでしょうか。

日本は今や貿易国であるとともに対外投資国であり、グローバル・バリューチェーンの一員として投資分野のルール整備に利益を持つことは明らかです。今後は投資分野のルール整備に重点を置くべきということは、片田先生のご著書の中でも非常に明確に示されています。一方で、貿易政策においては、CPTPPも含め農業への保護は依然残っています。

その上で、今後重要になってくるデジタル分野や環境分野については日本はどちらかというと立ち遅れていて、これらの分野でルール整備を日本が主導できるのかというのは気になるところです。

また、リベラル戦略が狭い意味での日本の安全保障にどのような点で貢献するのかということもお聞きしたいと思います。

現在、主要国では産業政策に再び光が当たり、経済の武器化も米中を中心に進められています。しかし、それをやり過ぎるとむしろ経済的な力を損なってしまうので、日本は今後もリベラル戦略との両立を図ることが課題だと思います。

リベラル戦略はどちらかというと、中国も日本が推し進めるリベラルなルールの中に取り込むことを目指すという面がある一方、中国への依存を減らすデカップリングの必要性も指摘されていて、両立するのはなかなか困難です。そうした国際環境の中で日本はどう進んでいくのか、複雑な国内事情を抱える米国と歩調を合わせていくことができるのかということもお伺いしたいです。

片田:
私は「国家」のことを政権と行政機関を中心にとらえており、日本の国内制度の変化が重要だったというのが私の論点です。それをうまく使うためには長期政権の方が向いているというのは確かで、そのポリシーが影響するのはもちろん企業であり国民だと思います。

リベラル戦略の日本の安全保障への影響に関しては、ルールベースを持った相互依存を安全に保つことが日本の安全保障にとって一番のプラスになると思っています。

デカップリングに関しては、米国が内向きになればなるほど日本のリーダーシップやイニシアティブが重要になります。米国がこれまで作ってきた大きな経済秩序を維持することよりも、その中でcoalitionを作って、日本の国益を守れる形でルールを作ることが重要でしょう。

質疑応答

Q:

マルチのルール作りに関して、実は日本人が思っているよりも日本ははるかに重要な役割を果たしてきたということでしたが、それはやむなく対応しているのではないでしょうか。米中に挟まれて思うようにリードできないということはありませんか。

A:

もちろん日米関係では米国の押しつけは存在し、アジアとの関係でも米国の影響は大きかったのですが、形としては常に二国間でした。しかし、近年の日本とアジアの関係はマルチであり、米国に押しつけられるものばかりではなかったと思います。米国がアジアに関与する中で、言いたいことだけ押しつけていてはうまくいかないことは分かってきていると思うので、日本がアクターとして米中間をうまく調節していくことを考えられる時代になったと思っています。

Q:

日本を「成熟した開発主義国家」と定義されていますが、これは国際的に共有された考えでしょうか、先生のオリジナルでしょうか。

A:

日本が「成熟した開発主義国家」として先端を行っているという論点は、いろいろなところで話されています。

Q:

アフガニスタンやウクライナを見ても、多民族国家においては強力な権威に基づく統治はルールベースのグローバル社会に劣後していないようにも思います。この点はどのようにお考えですか。

A:

ルール形成はこれからもずっと重要であり、その中で秩序やnorm(規範)のようなものを作っていくことが必要だと思います。

Q:

日本の政治学、行政学はなかなか日本の政治過程を十分分析できていないので、米国のアカデミックな方々が日本の政治分析をすることに大変期待したいと思うのですが、その可能性はありますか。

A:

米国では実際のことと擦り合わせていくことに重きが置かれますが、日本では詳細な分析に重きが置かれるので、両方の視点を擦り合わせていけば素晴らしいものができるのではないでしょうか。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。