グローバル・インテリジェンス・シリーズ

デジタル化する新興国 ー 共創パートナーとしての日本の可能性

開催日 2021年9月1日
スピーカー 伊藤 亜聖(RIETIファカルティフェロー / 東京大学社会科学研究所 准教授)
コメンテータ 藤澤 秀昭(経済産業省通商政策局総務課長)
コメンテータ 河合 真衣(経済産業省通商政策局南西アジア室 室長補佐)
モデレータ 渡辺 哲也(RIETI副所長)
開催案内/講演概要

デジタル技術の進化で新興国の姿は劇的に変わりつつある。中国やインド、東南アジア諸国などでは最先端技術が実証的に次々と導入されている一方、雇用悪化や監視システムの強化など負の側面も懸念される。そうした状況の中、日本が果たすべき役割が問われている。本セミナーでは、『デジタル化する新興国 先進国を超えるか、監視社会の到来か』の著者で東京大学社会科学研究所准教授の伊藤亜聖氏を迎え、日本が新興国にとって「共創のパートナー」になり得る可能性について考えた。伊藤氏は、日本企業がDXを海外に展開していき、新興国の「共創のパートナー」になるためのポイントとして、プラットフォーム企業や地場企業との差別化、事業を現地に落とし込むための工夫の2点を挙げた。

議事録

デジタル化時代の日本の役割

世界各国を訪問してきた中で、デジタル化が新興国の生活を大きく変えていると強く感じたことがありました。2019年の夏、インドを訪れたとき、Uberのグローバルアプリを使ってライドシェアサービスの三輪車を呼んだところ、短距離移動の手段としてとても便利だったのです。デジタル化自体がグローバル、ユニバーサルに変化していると感じました。

しかし、地域経済は産業構造や発展段階もさまざまであり、社会課題も多様です。その結果、ユニバーサルなデジタル化と、かなり固有な地域経済という掛け算の結果、それぞれでデジタル化が起きていると強く感じました。ここに学術的な面白さがあり、ビジネスチャンスもたくさんあるのではないかと思いました。

デジタル化に関しては、この5年ほどでさまざまな議論がなされてきました。デジタル技術の直接的な効果として、プラットフォーム企業の台頭、自動化技術の普及などがあり、さまざまなプラスの効果を生んできた一方で、寡占化や情報統制といったリスクも指摘されています。そこで、拙著『デジタル化する新興国』では次の2つを提案しようと考えました。

まず1つは、新たな概念の提案です。1980年代、アジアでは工業化が進み、新興工業国論というものが出てきました。典型的なのがアジアNIESのシンガポール・台湾・香港などです。そして今、各国が政策の上でデジタルにかなり力を入れつつある中で、仮説としての「デジタル新興国」というラベリングができないかと考えたのです。

しかし、アジアNIESとデジタル新興国を対比すると、アジアNIESは経済発展を遂げたのに対し、新興国がデジタル化すると労働市場が非常に脆弱化、流動化するかもしれませんし、空間的範囲の違いもあります。アジアNIESには密な生産ネットワークやサプライチェーン、産業集積地があり、滞りなく貿易を成り立たせるための協定も結ばれてきましたが、デジタル化の場合は空間を平気で飛び越えてしまいます。そう考えると、デジタル新興国は空間的な制約を取り払ってしまった方がむしろクリエイティブなのではないかと思います。

第2の提案は、新興国がデジタル化する時代に、日本にはどんな役割があるのかという点です。製造業が中心だった時代は、まさに日本は工業先進国でした。しかし、デジタルにおいて日本の手元に見るべきものが何かあるかというと心もとないですし、日本はデジタル後進国だと言い切る人もいます。この状況の中で何ができるのかを考えることが必要だと思います。

新興国が工業化する時代に必要とされてきた一連の政策パッケージ(教育・技能、インフラ、金融、制度)と比べて、デジタル化の時代に求められるパッケージは大きく変わりました。工業化の場合は土地をならし、水を引き、ガスや電気を持ってきて、港も整備する必要がありましたが、デジタルの場合は、通信インフラこそ整備するものの、個人番号制度自体が1つのインフラになることもあるし、デジタルのためのインフラはフィジカルなインフラとは異なるレイヤーで動いていきます。そこでも国際競争が繰り広げられているわけです。

共創パートナーとしての日本へ

新興国ではデジタルの社会実装に向けたトライアルがいろいろと行われています。日本にとっては、アンテナを広げてそうした可能性を共に実現し、ビジネスとして事業を獲得し、あわよくば日本にもノウハウを還流させることが必要ではないかと思うのです。

この観点からは、いろいろな可能性が考えられると思います。最も分かりやすいのが、新興国のスタートアップに投資するアプローチです。日本で一番過激にこうしたアプローチを行っているのはソフトバンク・ビジョン・ファンドであり、サイバーエージェントやLINEも中国に拠点を置いて元気なスタートアップの情報収集をし、上手くいけばアーリーステージで投資するなどしています。

その他にネットワーキングやマッチングも必要になるでしょう。在タイ日本大使館が実施したEmbassy Pitch(エンバシーピッチ)や、日本貿易振興機構(JETRO)のグローバル・アクセラレーション・ハブ事業のように、新たな協力の機会を探る必要があるかもしれません。また、インドの生体認証の要素技術には、日本のNECの精度が世界一だということで深く入り込んでいます。

ですから、新興国がデジタル化する上での屋台骨を支えていく部分は、日本企業の中にも探せばあるかもしれません。ただ、全体像がよく見えないし、ベストプラクティスがよく分からないのも事実ですので、私自身もさらに整理していきたいと考えています。

ここまではポジティブな面でしたが、一方でネガティブ面において日本にできることがあると思います。デジタル化は工業化とは異なり、労働市場を流動化させるという一面も視野に入れていく必要があります。例えば、スキル形成のためにデータサイエンス教育をサポートしたり、データに関する規制が強くなり過ぎないようにしたり、人工知能活用に関する最低限の共通了解を得たり、ネガティブの面でも日本政府としてやるべきことは多いと私は思っています。

ADX事業の事例

新興国におけるデジタルの社会実証事例として取り上げたいのが、経済産業省が2019年に立ち上げたアジア・デジタルトランスフォーメーション(ADX)事業です。日本が資金・技術・ノウハウ・ネットワークを提供し、デジタル技術を活用することでアジア新興国の課題を解決し、日本にも還流させる取り組みです。

中でも「日ASEANにおけるアジアDX促進事業」が大きく、2020、2021年度に計40件の実証実験が採択されています。分野も医療・ヘルスケア・介護(10件)、観光・モビリティ(9件)、農業(7件)が多く、非常に多様な分野でトライアルが目指されているといえます。

1つ目の事例がパラマウントベッド株式会社です。インドネシアで介護産業のDXを展開しようとしています。「眠りSCAN」という、介護用ベッドにセンサーを入れて見守りを行うサービスは日本でも採用実績があり、睡眠状態、心拍数、呼吸数などを非接触で測ることができるほか、それらを基に日誌を自動作成することもできます。これをインドネシアで普及させ、高齢化が進む東南アジアの介護施設に日本のソリューションを入れようとしています。

2つ目の事例は、スタートアップ企業のサグリ株式会社で、タイで農業のDXを展開しようとしています。この会社では蓄積された衛星情報を用いて、機械学習によって耕作放棄地を把握するアプリを展開しており、これと似たソリューションを使って、タイのコメ農地のデジタル地図化に向けた実証実験を行っています。サグリはインドも開拓し、さらにアフリカも目指しているといわれています。タイ政府に利便性をどこまで伝えられるかが課題ですが、ソリューションとしては非常にはっきりしているので、ポテンシャルはあると思います。

3つ目の事例が、株式会社エルムで、ブルネイで農業のDXを展開しようとしています。鹿児島の中小企業で、コンテナ型の自動栽培システムを作っているのですが、システムをどこに持っていくかと考えたときに、生鮮野菜の42%を輸入に頼っているブルネイに着目しました。

日本企業DX海外展開の潜在力

こうして考えてみると、日本企業のDX海外展開の潜在力には大きく2点が挙げられると思います。

1つは、差別化です。プラットフォーム企業とも差別化しなければならないし、地場企業にしかできないことをやっても勝てないので、国内で先行展開した業界・用途特化型のソリューションに1つの答えがあるのではないかという気がしています。

もう1つは、事業の落とし込みの工夫です。業界・用途特化型ソリューションを東南アジアやインドに広げようとすると、結局は足腰を使ったドブ板営業にならざるを得ないと思うのですが、そのためには医療なら病院・介護施設、中古パーツの市場なら修理工場、漁業なら漁民というふうに、現場とのインタラクションまで考えていかなければならないと思います。

恐らくこの2点が現時点で論理的に考えられるポイントですが、むしろ現場で実際にやっておられる方はもっといろいろな知見があるのではないでしょうか。

新興国がデジタル化すると考えたときに、日本の企業・政府の役割はまだ自明ではないし、ベストプラクティスもよく分かっていませんが、日本企業が蓄積してきたノウハウや作り込んできたサービスを試す取り組みは何となく可能性を感じさせるものがあります。

RIETIは研究所ですので、関連することを1点だけ申し上げると、政策介入効果を把握する上で、採択案件・非採択案件でその後のパフォーマンスを分析・比較することも、エビデンスに基づく政策決定(EBPM)あるいはフィードバックを行うためには積極的に考えていく価値があるのではないかと思います。

質疑応答

Q(藤澤):

ASEAN等との産業協力は、転換期にあるのではないかと強く思っています。ASEANでは、先生もおっしゃっているデジタル新興国の動きも顕著ですが、やはり最近感じるのはコロナの影響です。遠隔で物事を進めなければならなくなり、いや応なしにデジタル化を進めなければならない状況となりました。

そういう中で、日本企業も新たな勝ち筋を作っていかなければなりません。その際、ポイントが3つぐらいあると思っています。1つ目に、ADX実証事業についてのご説明にもあったとおり、ASEANが直面する様々な社会課題に対して、ビジネスを通じてどんなソリューションを提供できるのかという点です。ADX実証事業では、必ずしも日本企業がこれまでASEANでビジネス展開してきた分野ではないところも含めて、かなり広がりを持っているように思います。

2つ目に、工場のラインを立ち上げだけでなく、レジリエンスをどう確保するか、サプライチェーンを環境問題や人権問題に対応する形でどうバージョンアップするかということも、ASEANと一緒に考えていくべきテーマだと思います。

3つ目に、デジタルデバイドという言い方をよくしますけれども、取り残される低所得者層や地方にも向き合っていかなければならないと思っています。

これら3点の切り口で勝ち筋を作っていくことが、日本として果たせる役割をビビッドにしていく上でとても大事だと思っています。そのためには、地場や第三国とも連携していくことも必要だと思いますし、ビジネスの展開の仕方も変えていくことが求められると思っています。

Q(河合):

おっしゃるとおりインドはデジタル分野で先進的な取組を進めています。先進国としての立場というより、相手国から学び、協力し合う共創パートナーとしてのアプローチを進めていく必要があると考えています。

差別化や事業への落とし込みの工夫が求められるという点に関しては、現地の企業と組んだり、現地の社会課題に解決策を提示したりするようなビジネスが成功しやすいと考えております。インドの社会課題としては、農村部の貧困や医療アクセスといったものがあると認識しており、アジアDX補助金ではこうした社会課題に沿う事業が採択されています。

先生から、政策介入効果の把握について事業側のパフォーマンスの比較というお話がありましたが、どういった要素について比較することが有益とお考えでしょうか。

A(伊藤):

順当に考えると、事業化には3~5年ぐらいかかると考えられるので、そのタイムスパンで見たときに、実証実験の後にマーケットインできたかどうか、政策支援を受けた企業と受けていない企業を比較することが一番シンプルではないかと思います。

Q:

なぜ日本はデジタル化で遅れたのでしょうか。日本は政策面で何をすべきだったのでしょうか。

A(伊藤):

2000年代以降に生じた産業構造の転換、とりわけモジュラー化の中で、日本企業がそれまで強みとしてきた垂直統合型のビジネスが通用しにくくなったという説明はあり得るのではないでしょうか。逆に言うと自動車産業のように高度な擦り合わせ型の産業は引き続き競争力があるのだと思います。

Q:

中国の習近平主席が提唱し始めた「共同富裕」にはいろいろな解釈がありますが、現地企業も高収益は駄目だと警戒している中で、日本企業への影響はどうお考えですか。デジタル分野でも規制が進んでいますが、中国の民間主導で進んできたイノベーションにはどう影響すると思われますか。

A(伊藤):

私も中国はデジタル化によって大きく変わるであろうと感じています。すなわち、2010年代まではある意味野蛮なボトムアップの世界だったのが、2020年代はかなり規制が強化されて、より設計されたトップダウンのデジタル化になるかもしれません。先立って出された教育産業への規制は確かにかなり衝撃的であり、政策的な不確実性が高まっていることは事実だと思います。

Q:

日本企業と中国企業の協力の可能性と、海外展開も含めたDX分野での協力の可能性をどう見ていますか。

A(伊藤):

大いにやるべきだと思うのですが、米中競争がこれだけ激化する中で、一定の天井は出てこざるを得ないと思います。ただ同時に、さまざまな協力は進んでいて、日本政府は経済安全保障一括推進法制定に向けて動いていると思いますが、そこを1つの足場にしながら考えていかざるを得ないでしょう。チャイナリスクには途上国リスク、二国間の歴史問題リスクに、さらに地政学的なリスクが加わりつつあり、チャイナリスクが変貌していることははっきり申し上げられると思います。

A(藤澤):

中国企業との関係においては、いろいろな観点で考慮すべき要素が存在するのは確かだと思いますから、そのあたりはどう向き合っていくのかということが課題になるでしょう。他方で、特にプラットフォーマーの進出という点で中国企業の存在感は非常に大きくなっていますので、そういった点も踏まえて日本企業のビジネス展開を考えていくことも重要ではないかと思います。さまざまな中国企業のASEAN展開状況もよく見て、コラボレーションも考えていくことが必要な気がします。

Q:

中国の政府・企業はインドのマーケットをどう見ているのでしょうか。

A(伊藤):

中国企業は、インドには巨大なポテンシャルがあり、非常に大きなビジネスチャンスがあると見ていたと思います。それが2020年の国境紛争以降、インド側がアプリの制限をしたりしてかなり情勢が変わってきました。ですので、中国企業にも地政学リスクが降りかかっているのです。事業拡大を考えたら、こんな対立はない方がいいということはたくさんあると思います。

Q:

ビジネスモデルに関してですが、片やプラットフォーマーがいて、片やローカルな企業がいるその間で、日本企業はどう競合していけばいいのでしょうか。

A(伊藤):

ここはまさに知恵を絞らねばならないところです。日本でやっていないことを海外でいきなり行うのはなかなか難しいだろうと感じています。やはりプラットフォーム企業が得意な、本当にスケールのある、AIそのものやアルゴリズムそのものの競争になると厳しいのではないかと見ています。ここから先は、手元にお持ちのさまざまな事業と、新興国でのニーズの両方を視野に収めながら考えていただくことが必要でしょう。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。