運と偶然の経済学 ー 占いからパンデミックまで ー

開催日 2020年4月23日
スピーカー 植村 修一(経済・ビジネス評論家)
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人生に運はどう影響するのか? 出世を決める「マタイ効果」とは? 昨年「運と偶然の経済学」(日本経済新聞出版)を上梓されたリスクマネジメントのエキスパート植村修一先生(日本銀行出身、元RIETI上席研究員)をお招きし、パンデミックとリスクマネジメントについてお話をいただきます。

議事録

本日は「運と偶然の経済学ー 占いからパンデミックまで ー」と題するお話をさせていただきます。

まずはじめに皆さんへの質問です。あなたは、(A) 運や偶然性、無作為(ランダム)と、(B) 必然性や因果関係、パターンのどちらを重視しますか。

おそらく大半の学問や研究は(B)を求めることを通じ、世の中に存在する不確実性を減らし、先行きに対する予見可能性を高めようとしているのでしょう。

しかし、日本銀行時代以来長年にわたって「リスク」やその管理について見てくる中で、実は世の中には偶然に左右されることが多く、無理に予想したりコントロールしようとすることがかえって事態を悪化させる、それには謙虚さと柔軟性を持って対処する必要がある、と思うようになりました。現実問題として、人は日常生活の中でときに「あれっ」とか「うっそー」と思うような偶然に出会い、それに引きずられることがよくあります。そこで私は昨年10月、運や偶然について考察する書籍を出版しました。

本日はこの内容のうち、RIETIですから経済に関する部分を中心にお話します。さらに補足として、出版当時全く予期していなかった今回の新型コロナウィルスの問題、それに関連してリスクマネジメントのあり方や、今後の経済学の方向性について私見を述べたいと思います。

まず、人はなぜ偶然の出来事に惹かれるのでしょうか。

一つは、偶然が時に長く記憶に残るような心理的インパクトをもたらすだけでなく、現実にその後の人生を変えることがあるからです。例として就職や結婚があり、私自身もそうでした。

二つ目は、偶然を偶然のままで終わらせることに対する「居心地の悪さ」があります。人間は性(さが)として物事に理由や意味づけ、パターンを求めたがるといわれます。太古の昔、草むらがガサッとすると肉食動物が接近しているのではと警戒することに起因すると書いているものもありました。

その結果として、偶然の出来事をかつては天や神の意志と結び付け、それを先取りするための占いやクジ、縁起物やご利益を大事にしました。そこで使われるのは、単なる偶然ではない「運」という概念です。

さらに、偶然や運を楽しむためのギャンブルを発明し、近代になってこれが「確率」概念の発明とその応用につながります。すなわち大数の法則や中心極限定理などがそれあり、偶然を飼いならすためのリスクマネジメントの発達をもたらしました。

一方で、人は「偶然」や「運」に騙されやすい存在でもあります。ギャンブラーの錯誤、ビギナーズ・ラック、ホットハンドの誤謬、平均(平凡)への回帰、前後即因果の誤謬、見せかけの相関、交絡因子の存在などがそれに関係します。ホットハンドの誤謬というのは、よくスポーツ界で言われますが、たまたま良い結果が出たとき自分はツイているからそれが続くと思い込むことです。これについては実証結果をもとに賛否両論があるのですが、スポーツ(及び多くの人間行動)は、マイケル・モーブッシンが『偶然と必然の方程式』でいったように、「運と実力の連続体」といえそうです。

ランダムな事象も、ある特定のタイミングに集中して発生することはあり、「ポアソン・クランピングと呼ばれます。レジ待ちや道路の渋滞などに見られる現象で、その確率分布が「ポアソン分布」と呼ばれるものです。

偶然の出来事に対処するために人はよく「直感」(「直観」)というものに頼ります。それが有効かについて、ダニエル・カーネマンら行動経済学者は、ヒューリスティクスと呼ばれる心理的バイアスの存在に気をつけるようにと言います。もっとも、ゲーリー・クライン『決断の法則』にあるように、現場における意思決定においてときにプロの直感(直観)が重要な役割を果たすことがあり、カーネマンもそのことを認めます。

冒頭申し上げたように、人は物事にパターンや理由付けを求めたがる結果として、単なる偶然に誤った解釈をしたり、大げさに「奇跡」と持ち上げたりします。そのことを憂慮した英国の統計学者デイヴィット・ハンドは『「偶然」の統計学』において、一見とても起こりそうにないことも現実には起きることを確率論でもって説明します。以下彼が挙げる理由です。

① 不可避の法則~可能なすべての結果を一覧にまとめられるなら、そのうちどれかが必ず起こる。
② 超大数の法則~機会の数が十分にたくさんあれば、どれほど珍しいことでも起こりうる。
③ 選択の法則~恣意的な選択を行うことにより、確率は好きなだけ高くできる。
④ 確率梃子の法則~状況をわずかに変化させるだけで確率は大きく変わりうる。
⑤ 近いは同じの法則~十分に似ている事象は同一事象とみなされやすい。

このように考えると、災害や事故に関し「滅多に起りえない、自分は大丈夫」と思うこと(「正常性のバイアス」)は禁物であることがわかります。

次に、ビジネスの成功、不成功にどこまで運や偶然が絡むのかという問題です。これについて松下電器(現パナソニック)の創業者松下幸之助は、「成功は自分の努力ではなく、運のおかげである。」と語っています。もちろん、これは謙遜ですが、おそらくは偶然の要素も何がしかあったであろうこと、そして何より幸之助の謙虚な人柄がビジネスの成功に繋がった可能性を窺わせます。

「成功企業」を取り上げた本は多数あります。代表的なものが、トム・ピーターズ、ロバート・ウォーターマンによる『エクセレント・カンパニー』と、ジム・コリンズ、ジェリー・ポラスによる『ビジョナリー・カンパニー』です。後者については、コリンズが続編を数多く出していますし、前者についても、最近トム・ピーターズが『新エクセレント・カンパニー』を出しました。個人的にはこれらの書は大変面白いし参考になると考えますが、こうした成功企業を取り上げる書については、かねてから批判があります。

すなわち、多くの選ばれし企業がその後困難を迎えたこと(例:HP、GE)、それは結局、執筆時点でその企業が輝いていたことによる、結果ありきのサンプル選びであり、そこには生存者バイアス、ハロー効果、後知恵のバイアスなどが働いているのではないか、という指摘です。

本来ならば「ランダム化比較試験」による成功の秘訣の解明が望ましいのでしょうが、ビジネスを実験するわけにはいきません。

このような、ビジネスの世界でも見られる「平均への回帰」の理由については、ダニエル・カーネマンが『ファスト&スロー』で「ビジネスの成功、不成功には運が働いている」とし、フィル・ローゼンツワイグは『なぜビジネス書は間違うのか』において、それは単なる運ではなく、市場経済のダイナミズム、すなわちイノベーションの模倣や応用に基づく競争がもたらす当然の帰結とします。

さらにマイケル・モーブッシンは『偶然と必然の方程式』の中で、平均への回帰の速度は、業種や競争条件によって異なり、高度なテクノロジーや寿命の短い製品を扱う企業は、需要が安定的で日用品的な製品を扱う企業より回帰が早いとします。たしかにHPとP&Gを比べると、そう思えます。

そのテクノロジーや寿命とも絡みますが、ビジネスの成功をもたらすイノベーションや作品の大ヒットに「偶然」の要素が働いていることはよく知られています。ペニシリンやポストイット、『アンネの日記』や『ハリー・ポッター』などがそうです。こうした偶然が多く生まれることは、企業や業界の文化とも関係がありそうで、ポストイットを発明した3Mの「15%ルール」は有名ですし、グーグルの元CEO・会長のエリック・シュミットは著書『How Google Works』の中で、「原始スープ」のような同社の企業文化の中で数々のイノベーションが生み出されたと書いています。

もう少し社会全体に目を向けると、『ウイナー・テイク・オール』の著者ロバート・フランクは、近著『成功する人は偶然を味方にする』の中で、デジタル化が拍車をかける「ひとり勝ち市場」(例:GAFA)では偶然の力が強まるので、政策的配慮が必要と書いています。これは、人生における「マタイ効果」(=富める者はますます富み、そうでない者との格差が広がる。社会学用語)が強まることを意味します。

ここでビジネスの成功不成功に関係して、よく世間を騒がせる「不祥事」について簡単に触れます。ずばり不祥事は、偶然のものか必然のものかという点です。

不祥事に関し第三者委員会の報告書で指摘される共通の要因があり、それは、組織風土の問題とガバナンス(組織統制)の不備であり、仮にこうした問題を抱えているならば不祥事が起きるのは必然といえます。この点各企業・組織は、客観的な目で自らを点検する必要があります。その際、他で起きたことは自分のところでも起きる、これまで起きなかったとすればそれは「たまたま」だという謙虚な発想が必要といえます。

運や偶然、確率に関する本で必ず取り上げられるテーマのひとつがギャンブルで、もう一つが投資とくに株式投資です。もちろん、それらの本の著者や私が、「株はギャンブルだから」といって投資に背を向ける人と同じ考えというわけではありません。では、その株価やその背景にある経済は予測できると考えるべきでしょうか。

株価は予測できない、すなわち結果的に運や偶然に影響されるとする理論に、効率的市場仮説、ランダム・ウォーク理論、行動ファイナンス理論などがあります。ただしその根拠には大きな隔たりがあり、とくに効率的市場仮設と行動ファイナンス理論は、市場や市場参加者が合理的であるか否かという点について真っ向から対立します。

一方、エコノミスト、アナリスト、ストラテジスト、名称はともかく実に多くのプロフェッショナルが株価の予測やそれに繋がる作業に従事しており、また、株価を予測するための手法として、アノマリー(経験則)、テクニカル分析、ファンダメンタルズ分析などがあります。ただし、そもそも予測はできないという論者を含めいかなる立場にせよ、 市場は複雑すぎて予測が困難であるという点において異論はないと思います。

では現実に市場運用をする際、市場に身を委ねるパッシブ運用と、自らの裁量で動くアクティブ運用のどちらが有利でしょうか。この点、ファンドの運用成果に平均への回帰が働くことはかねてより指摘されており、であるがゆえに、コストも考えるとパッシブ運用が有利とする論者が多くいます(例えば、バートン・マルキール『ウォール街のランダム・ウォーカー』)。面倒くさがり屋の私が投資するとすれば、やはりパッシブ運用を選びますが、投資家によるコーポレートガバナンス、投資に対するモチベーション、日本の特殊事情(バブル崩壊の履歴効果)をどう考えるか、といった問題があり、全体としてパッシブ運用をすべきとまではいえないと考えます。

株価の予測が困難な局面の典型がバブルです。そのバブルは、偶然の事象で予測不可能でしょうか、必然のものとして予測可能でしょうか。

いったんバブルが発生すればその崩壊は必然といえます。しかし、ドットコムバブルの崩壊に警鐘を鳴らしたロバート・シラーのような例外はありますが、そもそもバブルの認知は難しく、昨年のアメリカの株価についても、もはやバブルとする説もあれば、企業収益や経済の状況を考えればバブルではないとする説もありました。

金融政策についても、最近修正を迫られつつあるとはいえ、バブルは弾けて初めてバブルとわかるので、弾けた後の積極的かつ迅速な対応が重要だとするFedビューがあり、一方で、バブルが生成してからでは遅い、中央銀行は一般物価だけでなく資産価格にも気を配る必要があるとのBISビューの決着はまだついていません。これについては、要はマクロ経済政策運営においてどこまでリスクマネジメントの視点を持ち込むかということであり、BISビューにシンパシーを感じる人たちが、物価2%上昇をひたすら目指す日本銀行の量的・質的金融緩和に批判的であることは言うまでもありません。私もその一人です。ただ、後に述べるコロナショックで、事態は一変しつつあります。

次になぜ中央銀行を含む専門家の経済予測は当たらないのか、という疑問を取りあげます。そもそも当たらないという指摘はかねてよりあり、例えば、 IMF Working Paper “How Well Do Economists Forecast Recessions?”(2018年3月)では、1992~2014年の63カ国の成長率予測を検証し、公的機関と民間部門が等しく景気の過熱や後退を予測できていないと結論づけています。

専門家の経済予測が当たらない理由ですが、一般論として、適合的な期待形成、自信過剰のバイアスや確証バイアスの存在が考えられます。

また、ウィリアム・シャーデン『予測ビジネスで儲ける人々』や、マーク・ブキャナン『市場は物理法則で動く』のように、経済などの社会システムが「複雑系」であることを軽視しているとの指摘があります。

さらに、政府経済見通しが極端な例としても、そもそも多くの予測作業が計画を立てる上で必要とされる「予測のための予測」になっている可能性があります。第2次大戦中、気象予測に携わった若き日のケネス・アローが、1カ月先の予測の精度はランダムな選択と変わらず無駄だから止めるように進言したのに対し、軍は、司令官もそのことはご存知だが計画立案のためには予測が必要だと回答した話が伝えられています。

では一般論として、どのようなタイプの人が予測に向いているのでしょうか。アメリカ政府機関の大規模な予測トーナメントにも参加したフィリップ・テトロックの『超予測力』によれば、歴史学者アイザー・バーリンの分類でいうハリネズミ型よりキツネ型が予測においては有利とし、前者が思想信条や理論を重視するのに対し、後者が「知的好奇心」「積極的柔軟性」「確率論的思考」などで優れているとします。

以下は関連する先人たちの言葉です。

「社会科学者は、線的な、したがって予測可能な現象というニュートン的な見解を、自然科学がそれを放棄しつつあるにもかかわらず、20世紀を通じて持ち続けてきた。」(歴史学者ジョン・ギャディス『歴史の風景』)

「私にとって、社会や自然における物事の運び方についての知識は、曖昧性という雲の塊を伴っている。歴史的不可抗力にしろ、大がかりな外交上の陰謀にしろ、あるいは経済政策上の極端な見解にしろ、数々の甚大な不幸というものは確実性への信念から生じてきている。個人や社会に大きく影響を及ぼす政策を展開する場合には、その帰結を予測することは不可能であるから、注意が必要である。」(ケネス・アロー)

以下、経済以外の分野です。

自然科学に関し「必然か偶然か」という問題提起に絡めて取り上げた話題には、カオス理論とバタフライ効果、自然選択の理論(変異+選択=進化)、生命の誕生と「大絶滅」、人類の進化、ニュートン力学と量子力学、地球外生命体の存在などがあります。そのうちから二つの話題をご紹介します。

ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』では、数百万年前人類の系統がチンパンジーの系統からわかれてから長期に亘って複数の系統の人類が併存した後、ホモ・サピエンスが唯一生き残ったのは、遺伝子の突然変異がもたらした「認知革命」(新しい思考とコミュニケーション手法)によるものであり、偶然の結果であると書かれています。

また、ニュートン力学の決定論的な世界(ちなみにフランスの数学者ピエール・シモン・ラプラスはあらゆる時代のあらゆる出来事が予測可能だと述べ、その世界観は「ラプラスの悪魔」と呼ばれます)と異なり、ごく微小の物質(「量子」)の世界では、その位置と運動量を同時に測定することはできず、「確率的」にしか与えられないことが20世紀に入り、ハイゼンベルクによって示されます。その不明瞭さを認めたがらないアインシュタインが記した有名な言葉が「神はサイコロを振らない」です。

次は歴史です。クラウゼヴィッツ『戦争論』には「偶然と不確実性は、戦争におけるもっとも一般的な、そしてもっとも重要な要素である」という言葉があります。その1例です。

最近、百周年を記念して出版ブームとなった第1次世界大戦(1914-18年)を巡っては多くの偶然や不確実性があり、サラエボでオーストリア=ハンガリー帝国皇太子夫妻の車が、休憩している暗殺者の目の前で偶然停まったこと、実は戦争自体どの為政者も望まなかったものであること、最初から出口戦略を欠いた戦争であったこと、戦争終結に「スペインかぜ」が影響したこと、などがわかっています。

歴史を見る上で因果関係やストーリー性を重視し過ぎると、ハロー(後光)効果や生存者バイアス、「前後即因果の誤謬」に陥るリスクがあります。 前述ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』には、西暦306年にコンスタンティヌスが帝位についたとき、東方の1宗派に過ぎないキリスト教が国教に選ばれることを予想した者はいなかったとし、キリスト教の拡がりを決定論(必然)で考えることは、「後知恵のバイアス」だとします。 いずれにしても数々の歴史上の出来事が偶然によってもたらされたことは間違いなく、それが歴史の面白さといっては言い過ぎでしょうか。

本の最後には、結論として「偶然を利用するための10の法則」を掲げています。

法則1 ギャンブラーの誤謬(そろそろ次は)に陥るな。
法則2 長い目で見れば「平均への回帰」はよく起きる。ビジネスにおいても。
法則3 偶然の出来事はよくあること。無理な意味づけやパターン化は控えること。
法則4 直感にはバイアスがつきもの。ただし蓄積された経験や情報に裏打ちされた直感は信じてよい。
法則5 ホットハンドを信じていいかどうか、冷静に考えろ。
法則6 因果関係を考えるときには、見せかけの相関や交絡因子、前後即因果の誤謬やサンプル・バイアスに気をつけろ。
法則7 成功は実力でなく運、不祥事は偶然でなく必然と思え。
法則8 複雑なものは予測できない。謙虚さをもって洞察力を磨け。
法則9 宇宙や生物、そして歴史も偶然が作り出す。
法則10 偶然のチャンスを活かして人間関係、そして人生を創造する。

法則10は自分の人生を振り返ってつくづく思うことであり、多くの方に賛同していただけると思います。

以下は本日のための補論です。

まず、今回のパンデミックを偶然の出来事とみるべき否かということです。

年初に新型コロナ・ウイルス禍を予想した者はいません。ちなみにイアン・ブレマー率いるユーラシア・グループが年初に公表した『2020年世界10大リスク』では、上位をアメリカ大統領選挙や米中対立などが占めました。その後3月に急遽、新型コロナ・ウイルス問題を含めた改訂版を出すことを余儀なくされます。

しかし、感染症のリスクについてはかねてより警鐘が鳴らされています。

古くはジェフリー・チョーサー『カンタベリー物語』(14世紀)、のちにアルベール・カミュ『ペスト』(1947年)がこの感染症を扱っています。ウィリアム・マクニール『疫病と世界史』(1976年)やジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』(1997年)などは、感染症がいかに文明の興亡に影響を与えたかを明らかにします。ちなみにジャレド・ダイアモンドの最新刊『人類と危機』の翻訳本は、私の今回の本と同じ出版社から同じ日(昨年10月25日)に出されました。これは全くの偶然です。

以下は、石弘之『感染症の世界史』(2014年)の指摘です。

① 今生きている人は過去繰り返された感染症大流行でたまたま生き残った「幸運な先祖」の子孫である、
② 人類は感染症の原因となる微生物と絶え間ない「軍拡競争」を繰り広げており、人類が技術進歩によって一時的な勝利を収めたかに見えても、微生物も自らの遺伝子を残すべく、薬剤に対する耐性を持つよう進化する、
③ 人類の移動とともに病気が拡散する、
④ 地球に住む限り、地震や感染症から完全に逃れることはできない、
⑤ これまでも何度となくパンデミックの震源地となった中国が、アフリカと並んで今後も感染症発生リスクが高い。

結局、今回のパンデミックは必ずしも偶発的事象とはいえず、(タイミングはともかく)起こるべくして起きた必然のものと言えなくもありません。すなわち、黒い白鳥(ブラック・スワン)というより、リスクが軽視されてきた灰色のサイ(グレー・リノ)というわけです。

パンデミックの今後を考える上で参考になるものを二つご紹介します。

一つは専門的な解説書として、ジョンズ・ホプキンス大学「パンデミック病原体の諸特徴」(2018年)です。日本経済新聞でも取り上げられましたが(3月24日)、様々なウイルスの特徴とパンデミック抑止に向けた8つの勧告がなされています。

二つ目は一般向けの書として、 ネイサン・ウルフ『パンデミック新時代』(2011年)です。パンデミックをもたらす病原体の正体とその現場を生々しく紹介した上で、「パンデミックはランダムな現象なので予測や防止は無理」と考えるな、まずはリスク・リテラシーの向上を、と説きます。

ここで危機のたびによく目にする言葉である「リスク」に関する概念整理をしておきましょう。

リスクとは、一般に辞典では、「危険」とか「損害や損失が発生する可能性」と定義されています。

一方、20世紀前半の有名な経済学者フランク・ナイト(1883~1946)は『リスク、不確実性および利潤』(1921年)において、 不確実性のうち測定可能なものをリスク、測定不可能なものを「真の不確実性」(=「ナイト流の不確実性」)と呼び、両者を区別しました。そして、真の不確実性の下で意志決定する企業家への対価が利潤であるとしました。今日、経済学ではこの区分が一般的になっています。一方、東日本大震災の後、日本で一気に広まった言葉が「想定外」です。

畑村洋太郎の『「想定外」を想定せよ』では、こう書かれています。

「人間は何かものを考えようとする時に、これについて考えるという領域を決める。この領域を区切る境界を作ることが想定だ」
「プロジェクトでは、各自が勝手に境界線を引くわけではなく、皆が納得するように、制約条件の仮定をおく。すなわち、様々な制約条件を加味した上で境界を設定することが、想定だ」
「したがって、その範囲を超えた領域である『想定外』は起こりえないのではなく、確率は低いかもしれないが、起こる可能性はある」
「起こる可能性が0%でない限り、起こるときには起こる」

自然災害、金融危機、パンデミックのいずれにも通じることです。

次に、ナイトの厳密な定義とはリスクが異なりますが、いわゆる「リスク管理」とそのあり方について述べます。

何か事件・事故があると、リスク管理に失敗したと評されますが、リスク管理が難しいのは、一言でいえば、インセンティブ(誘因)がないからと考えます。具体的には、

第一に、 心理的なモチベーションがない、すなわち「もっと楽しいことを考えたい」のに加え、「そんなことを言っていると本当にそうなってしまうぞ」ととらえがちだからです。とくに日本の組織においては、「場の空気を読め」と同調圧力がかかりやすく、厄介です。 第二に、心理的だけでなく、経済的なモチベーションも低いからです。リスク管理ではリターンが得られず、コストがかかるだけという誤解が蔓延しています。

第三に、リスクの非対称性と呼ばれる、リスクは現実にならないと認識されない、したがってリスクの顕在化を未然に防ぐリスク管理が評価されにくいというジレンマがあるからです。金融機関を始め、組織のリスク管理部署で働く人共通の悩みです。

以上のインセンティブ問題に加えて、先にナイトが定義した「測定可能な領域」と「測定不可能な領域」の境界があいまい、かつ絶えず変化する、という事実に対する認識が不足していることが、リスク管理の失敗に繋がります。

また、正常性バイアス、自信過剰バイアス、確証バイアスなど心に潜むバイアスが、想像力の発揮や合理的判断を阻害します。

リスク管理そのものは、リスクを認識し、これに対処するという単純なことです。その際、「守るべきものは何か」という発想からリスクを認識することが必要で、リスク管理とは、「大事なものを守る」ことであり、これが真のインセンティブとなります。大事なものとは、食で言えば安全、金融で言えば信用であり、新型コロナウイルスについては人の生命なのでしょう。それを考えることで、やるべきことの優先順位がつきます。

とくに優先順付けが重要になるのは、危機の管理です。

危機管理のポイントですが、”Bad news first”の徹底、危機対応マニュアルや業務継続計画(BCP)の策定、訓練やシミュレーションの実施といった日頃の備えに加えて、シナリオ分析、ストレステスト、イベントツリーやフォールトツリー解析などにより、起こりうる危機をあらかじめ分析しておくことが重要です。

危機が起きてからの対応ですが、保守性の原則、すなわち「最悪の事態」を想定した迅速な対応が求められます。楽観的期待は論外として、様子を見ながらによる対策の逐次実施はその効果を減殺します。結果として対策が過大だった、オオカミ少年だったといわれようが、その方がいいのです。

さらに、リスク管理、危機管理を効果的に行うためには、普段から組織全体としてリスク・コミュニケーション、すなわち、リスクに関する情報の共有や認識のすり合わせ、そのための、管理部署と現場の双方向によるリスクの洗い出しが必要です。

このように考えたとき、いざというとき存続自体が問われる民間企業やその構成員に比べ、公的機関や公務員に、リスクに対する意識やリスク・リテラシーが不足していることを憂慮します。公的機関は、組織横断的・統括的なリスク管理部署の設置などリスク管理体制を強化することに加え、政策面でも、施策のリスクを十分考慮に入れることが必要です。証拠に基づく政策形成EBPMならぬ、リスクに基づく政策形成、いわば“RBPM”( Risk Based Policy Making )という考え方があってもいいのではないでしょうか。

最後に、政策と関係が深い経済学の今後について述べます。危機のたびに既存の経済学の有効性が問われ、新たな考え方が台頭します(例:戦前の大恐慌とケインズ理論)。その後、平時が長引くと揺り戻しが起きます(例:戦後の新自由主義)。

リーマンショック以降の動きを振り返りましょう。

「なぜこれほど大きな問題に誰も気づかなかったのですか」。これは2008年11月、LSEを訪れた際エリザベス女王が発した有名な疑問です。

主流派経済学が想定するのは、「合理的な経済主体」や「一般均衡」という概念であり、これらを基に、数値化された理論やモデル(最近では、DSGE<動学的確率的一般均衡>モデル)に疑義を唱える向きが増加しているように思います。最近では、金利ストラテジストという実務家である森田長太郎氏が『経済学はどのように世界を歪めたのか』(2019年)を出版しました。同じく主流派経済学の想定に違和感を感じてきた私にとって共感するところが多い書でした。

また、この間行動経済学が台頭し、2017年ノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラーの「ナッジ」(軽く肘で突く)理論が欧米で公共政策でも応用されるようになりました。

今回のコロナショックについてですが、需要と供給がともに瞬間蒸発した経済に対し、少なくとも主流派経済学からタイムリーに有効な処方箋が示されているとは思えません。

今後、経済学は、これまでの想定に欠けていた「デジタル社会化」の要素を取り込みつつ、現実社会のニーズに対応するため、「ディシプリンの学問」から「領域の学問」へと進んでいくのではないでしょうか(例:教育経済学、医療経済学、環境経済学など)。少なくとも、財政金融政策頼みのマクロ経済学の低迷は避けられないと思います。

そして全体として他の学問分野(例:政治社会学、歴史地理学、人類学、気候学、生命科学)との共生、融合が進んでいくでしょう。 ロバート・シラー “narrative economics”(2019年)では、静態的な既存の行動経済学とは異なり、伝染病のウィルスと同じく、進化変異しつつ人々に広まり、その価値感や行動を急速に変えていく現象を取り扱っていますが、その中で、疫学を含む他分野の研究を広範に取り上げています。最近ニュース番組でよく目にする感染症の拡散モデルがそのひとつです。ちなみに、ドットコムバブル崩壊の時と同じく、パンデミックという危機の直前に本書が出版されたのは、偶然がなせる業なのでしょうか。

ただし、かつての「複雑系」に見られたごとく、日本においては、縦割り的な大学や学会との兼ね合いで、学際的な研究が進むのは難しいと思われます。なぜなら、それを可能にするためのポストやモチベーションがないからです。この点、私はRIETIのようなシンクタンクが果たす役割が大きいと思っており、その今後の発展と成果に期待しております。

ご清聴ありがとうございました。

質疑応答

Q:

RIETIがシンクタンクとして、リスクや運と偶然を考えながら、どのような役割を社会で果たしていくべきか、アドバイトを頂けますでしょうか。

A:

ある分野を突き詰め計量実証分析等を示していく、それも重要なのですが、もっとふわふわとしたところでも良いので、問題提起を活発に行なっていかれるのが良いのではないかと考えます。研究現場では、ふわっとしたものを出すことは評価されないなどためらいがあると思いますが、私はRIETIのようなシンクタンクがもっと積極的に「もっと自分たちでも考えろよ」と言われるぐらい問題提起したり発信していけば良いのではないかと考えています。

Q:

まさにさきほど先生がおっしゃったように、ディシプリン(Discipline)、分野にこだわることなく「領域」として、新しい社会問題に対して、シンクタンクのような自由な組織が、学問の枠を超えて新しい学際的なプラットフォーム・領域を束ねるような役割となることが期待されているという理解でよろしいでしょうか?

A:

ディシプリンの学問というのは、一般的にどこでも通用するような大きな理論や考え方ですが、それぞれの分野で、実際問題として役に立つ、そういう研究が期待されていると思います。経営学は一般に領域の学問と言われています。大学は基本的にディシプリンでやっていきますので、教育でも気候変動でもいいのですが、シンクタンクにはそれに近い分野を突き詰めていくことを期待したいと考えています。

Q:

大きなテーマを広げることでさまざまな智を集約することを期待頂いていると思っております。ありがとうございます。もう1つの質問ですが、まさに先生がおっしゃったリスクに基づくリスク・ベースト・ポリシー・メイキング(RBPM)に関しては、実際のところは予算要求や既存の制度のため「考えは確かに素晴らしいが実現は難しい」という話も出てくるかもしれないのですが、その点に関して何かアドバイスをいただけますでしょうか。

A:

実際問題として、リスクベーストでの政策形成は難しいと考えています。今日の話でもありましたように、モチベーションがないからなんですね、はっきり申し上げると。政策を打ち出そう、予算を取ろうというときに、いやこれにはこういうリスクがあるんです。それが大丈夫か、だったら辞めろ、という意見になりかねないので、そこは難しいとは思うんですけれども、でもそこはリスクと合わせ技でいろんなことを考えていかなければいけない、今そういう時代に入っているんだとそういうふうに考えています。

Q:

大きなテーマを広げることでさまざまな智を集約することを期待頂いていると思っております。ありがとうございます。もう1つの質問ですが、まさに先生がおっしゃったリスクに基づくリスク・ベースト・ポリシー・メイキング(RBPM)に関しては、実際のところは予算要求や既存の制度のため「考えは確かに素晴らしいが実現は難しい」という話も出てくるかもしれないのですが、その点に関して何かアドバイスをいただけますでしょうか。

A:

実際問題として、リスクベーストでの政策形成は難しいと考えています。今日の話でもありましたように、モチベーションがないからなんですね、はっきり申し上げると。政策を打ち出そう、予算を取ろうというときに、いやこれにはこういうリスクがあるんです。それが大丈夫か、だったら辞めろ、という意見になりかねないので、そこは難しいとは思うんですけれども、でもそこはリスクと合わせ技でいろんなことを考えていかなければいけない、今そういう時代に入っているんだとそういうふうに考えています。

Q:

ありがとうございます。まさにそういう意味では、リスクマネジメントはトップダウンでということですね。

A:

おっしゃるとおりです。これはトップダウンでないといけません。

Q:

このような事態を踏まえて、これから日本がリスクリテラシーの高い社会に上から下までなっていくことが求められるということですね。

A:

はい、それを期待しています。

Q:

先ほどの話で冒頭にマタイ効果のお話があったのですが、これはなかなか耳慣れない言葉ですけど、どのような意味なのでしょうか。

A:

マタイ効果というのはアメリカの社会学者ロバート・K・マートン − オプション取引に関してブラック・ショールズ方程式の証明でノーベル経済学賞を受賞したロバート・マートンのお父さんです − 彼が生み出した言葉なんですが、聖書のマタイの福音書からとった言葉で、金持ちはますます金持ちに富み栄え、そうでないものと格差が広がっていく。これは現実問題としておきていることで皆さんも感じてもらえることではないかと思っております。いろいろな組織に入るとき、彼と自分はもっと対等な関係だったはずだと、それが今や…ということだと思うんですね。何故そういうことがおきるのかということについて、まあ色々ありますが、1つは優先的選択といわれるものがあって、あるポジションにたまたま就いた、そうするとそのことでその人のところにいろんな仕事とか情報が集まってくる。そういう地位が地位を呼ぶみたいなところがあって、どうしてもいったん格差がつくと差が開いてくる可能性があるんですね。だから政策的には当然、税制的には累進課税その他でなんとかしようとしていますし、いろんなやり方があるとは思いますけれど、世の中そういうことがあるんだ、特にビジネスの世界ではGAFAの一人勝ちみたいな世界になっているんですが、デジタル社会化のなかで、ともすれば勝っている企業はますます富み栄え、そうじゃない企業との間に差が開いていく。それをどう考えるのか、今後我々が真剣に向き合っていかなきゃいけないと考えています。

Q:

ありがとうございました。新しい社会が新型コロナの前と後で格差が広がってしまうのか、あるいはこういったマタイ効果をみんなが認識するようになって格差を是正する方向に進むのかということを考えていく必要があるということですね。

A:

はい、そうです。

Q:

ありがとうございました。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。