経済と教育の対話―システムから見た政策の失敗

開催日 2017年7月12日
スピーカー 熊平 美香 (未来教育会議実行委員会代表)
モデレータ 糟谷 敏秀 (経済産業省経済産業政策局長)
ダウンロード/関連リンク
開催案内/講演概要

高度経済成長を支えた日本の教育は、大きな転換を迫られています。新しい教育は世界との繋がりを持ちながら、日本と世界の持続可能な発展に寄与するものでなければなりません。そのために、今、経済界は教育に何を求めるのかを明確にすべきです。そのためには、我々が今どこに立っていて、どこに向かおうとしているのかを正しく認識する必要があります。

未来教育会議では3年間に渡り、官民、ソーシャルセクターのマルチステイクホルダーが集まり教育課題を解決するために、教育の未来と企業・社会の未来の繋がりを理解することに挑戦してきました。ドイツ、オランダ、デンマークにも視察に行き、日本と世界の違いも見てきました。その結果、我が国では社会や経済界と教育との対話が行われずにいた、または、行われても失敗していたことが明らかになりました。新しい時代に向けた一貫した経済・教育政策なしに、あるべき社会・経済の姿を実現することはできません。「主体性」のない社会が、組織を超えたビジョンを共有し、困難に立ち向かうことは不可能だからです。

本セミナーでは未来教育会議で得た知見を皆様に共有し、経済と教育の対話に挑戦したいと思います。

議事録

未来教育会議について

熊平美香写真本日お話したいことは、一貫した経済と教育の政策なしに、あるべき社会や経済の姿を実現することはできないということです。未来教育会議の活動に基づき、一貫した経済と教育の政策が何を意味するのかをお話させて頂きます。

2014年に、全ての人が21世紀を幸せに生きるために、未来の「社会」「企業」「教育」の在り方をマルチステークホルダーで共に考え、共にアクションを起こすプラットフォームとして、未来教育会議を発足させました。

子どもたちが本来の力(主体性、創造性)を開花することを阻害する教育システムを変える必要があります。教育に関係する人たちは、それぞれの立場で誰もが真摯に教育に取り組んでいますが、部分最適になっていて、結果的に教育システムの崩壊を加速している現実も見えてきました。目指す社会のイメージがばらばらで、課題に対する対症療法が積み重なり、教育現場への指示や負荷が増えた結果、教育システムはますます複雑化し、子どもたちへの負担も拡大しています。

文科省、教育委員会、校長、先生、保護者、塾関係者、教育NPO、企業など、子どもと社会をとりまくマルチステークホルダーの皆様と対話を繰り返す中で、一貫した教育政策を実現するためには、教育ビジョンを、誰もが、「未来の社会」「未来の人」「未来の教育」の3点セットで語れる社会を実現する必要があると強く感じています。

未来教育会議のアプローチと成果

未来教育会議は時代の求める教育を正しく捉えるために、4つのアプローチを取っています。1つ目は、マルチステークホルダーです。2014〜2016年の3年間のプロジェクトに、多くの企業やNPO、JICA(国際協力機構)、自治体、大学の研究者、大学生が参加しました。2つ目は、システム思考です。今起きていることを個別の現象として捉えるのではなく、現象の原因となるシステムを捉えようとしました。3つ目は、リフレクション(内省)です。他責や自分たちの思い込みで考えるのでもなく、問題となっているシステムの中の自己を振り返るアプローチを取りました。4つ目は、世界との繋がりです。善い未来を考える上で、世界・地球の視点を持つことが重要だと考えました。

こうした4つのアプローチを基に初年度の2014年度は「2030年未来教育シナリオ」の作成、2015年度は「2030年未来企業シナリオ」の作成、2016年度は「複雑系時代における経営と創造」アクションプランの構築を行いました。この活動から見えてきたことを報告します。

2030年教育の未来シナリオ

2014年度の活動で明らかになったことは、21世紀スキルを「画一的」に学ぶのが、今の学校の姿であるということです。今の学校は、先生が教え込み、生徒が受け身的に学ぶという「指示」と「評価」で動く形で設計されており、子どもたちの興味関心や学習スタイルなどが画一であることが前提となっています。

しかし、21世紀の学校では、生徒が主体的に学び、先生には機会と環境を提供するファシリテーター的な役割が求められます。そこでは「主体性」と「内省」を核にした自律的学習が進んでいて、子どもたちの多様性が前提です。

教育の未来シナリオを描く中で、21世紀の教育を実現するためには、子どもたちの多様性を前提とした学校教育へのシフトが不可欠であることが明らかになりました。

2014年度の活動では、社会と教育は双子であるという、もう1つ重大な気付きがありました。画一的なのは教育だけではなく、社会も画一的だということです。大人の社会にも指示命令、業績評価、主従関係、画一的な仕事・マニュアル、個人の裁量権のなさがあって、教育は、社会の姿を投影しているということに参加者たちは気付きました。教育が変わるためには、社会や企業が変わる必要があることが明確になりました。

21世紀スキルを画一的に学ぶ学校は、「新学力観」と「授業の存在意義」という観点から非常に深刻な問題を抱えています。

新学力観は、1991年の学習指導要領改定により導入されました。特徴は、関心・意欲・態度の強調と、自ら学ぶ意欲と社会の変化に主体的に対応できる能力を求めることです。昭和62年の教育課程審議会の答申では、「これからの学校教育は、生涯学習の基礎を培うものとして、自ら学ぶ意欲と社会の変化に主体的に対応できる能力の育成を重視する必要がある」と述べられています。しかし、こうした素晴らしい理念は、残念ながら画一的に子どもたちを指導・管理する学校では実りませんでした。

21世紀のスキルを「画一的」に学ぶ学校では、関心・意欲・態度の評価が高校受験の内申書に反映されることになりました。その結果、子どもたちは評価のために関心・意欲を示し、行動するようになり、本来は自律的学習者を育むためにつくられた新学力観が、結果的には生徒の主体性を奪うという逆効果を招いてしまいました。一貫性のない教育観に基づく政策は、成果に繋がらないのみならず、逆効果をもたらすことを認識する必要があります。

すでに、21世紀の社会を実現しているオランダでは、子どもたちを自立的学習者に育てるために、関心・意欲・態度を評価するのではなく、子どもたちに、リフレクションを求めます。自らの学びを振り返り、誇りに思うことは何か、苦労したところはどこか、次に同じことを行うとしたら何を変えるのか、という問いに、オランダでは、小学1年生でも答えることができます。日本も、自立的学習者を育むために、画一的に子どもたちを指導・管理・評価する学校の発想を切り替える必要があります。

もう1つ、授業と学力保障の観点での問題も起こりました。先生は、学級崩壊を避けるために、中間層を対象に授業を行うことが正しいとされています。その結果、小学校では、授業が簡単過ぎると感じている13.4%の児童と、授業が難し過ぎると感じている15%の児童が同じ教室で学びます。それだけの数の子どもたちが、自分にとって価値のない授業時間を過ごしているのです。

さらに、子どもたちの心に与える影響も気になります。勉強のできる子どもたちは、授業を通して学ぶ意欲を高めるどころか、つまらない学びの経験を積んでしまいます。そのような中では、人の話を聴く姿勢や考える力・主体性を育むことはできません。自分の意思を持つことよりも、先生に従うことが大事であるという教育は、縦社会における主従関係や、受身に指示に従う習慣を身に付ける訓練の場となっています。

一方、勉強ができない子どもたちは、授業中、自分は頭が悪いのだと考えざるを得なくなり、学習意欲や自己肯定感、自己効力感を失っていきます。このことは、日本の若者の自己肯定感や自己効力感の低さにもつながっていると思います。

画一的な教育の改革は、従来の教育で保障しなければならないはずの学習保障の観点からも限界が来ていますし、子どもたちの心に与える影響を考えても、重要な課題だと思います。

2030年社会と企業の未来シナリオ

2015年度の活動では、2030年の社会と企業の未来シナリオを描きました。ベースシナリオを作成するに当たり、不確実かつインパクトが大きい要素として、企業の「ものさし」と「働き方」の2つを選びました。企業経営の「ものさし」では、従来の経済的価値(財務指標、自己資本利益率、株主重視など)を「画一」と定義しました。社会的価値、持続可能性、自然資本、中長期視点やマルチステークホルダーの視点が企業のものさしに加わることが、「多様」の定義です。「働き方」については、いわゆる日本型の雇用慣行(終身雇用、年功序列、新卒一括採用など)が「画一」を意味し、ダイバーシティ、ジョブ型ワークスタイル、リモートワーク、テクノロジーの活用などが「多様」の定義です。

「ものさし」「働き方」がそれぞれ「画一」か「多様」かによって、4つのシナリオが考えられます。シナリオ1「両方が画一」の場合は「三すくみシナリオ」で、失われた半世紀に向かいます。シナリオ2「ものさしが画一・働き方が多様」の場合は「個の台頭シナリオ」、シナリオ3「ものさしが多様・働き方が画一」の場合は「企業の目覚めシナリオ」で、企業が持続可能な経営にシフトしていきます。

そして、シナリオ4「両方が多様」な場合が「クワトロ・ヘリックス・シナリオ」です。クワトロ・へリックス(四重らせん)は、産官学民(企業、行政、アカデミア、市民)の4つのステークホルダーが問題解決に関わりながら、共にイノベーションを起こしてく社会のことです。大きな社会変革を目指すのであれば、このシナリオに沿って進んでいくことが必要になります。

日本でも産官学民の連携が進んでいるところもたくさんありますが、2つの大きな違いがあります。第1に、クワトロ・へリックスでは、徹底した課題認識の共有が大前提であるということです。課題認識がはっきり共有されれば、ビジョンはおのずと形成されます。もう1つは、全ての人々が主体的に関わっていることです。受身的にぶら下がる人や組織は存在せず、多様な立場の人々が、上下の関係ではなく全員がそれぞれ違う役割を担い、課題解決やビジョンの実現に向かっていきます。この2つが、今の日本の産官学民連携とは異なる点です。

複雑系時代の経営と創造

2016年度は、「複雑系時代の経営と創造」という観点で活動しました。その中で明確になったのが、本日のテーマである経済と教育の対話の必要性でした。

2003年に経済協力開発機構(OECD)が、変化・複雑・相互依存という時代認識に基づいて、世界の教育改革を提唱しました。その前提には、若い人たちが未来に挑戦していくための準備が果たして十分にできているだろうかという課題認識がありました。変化・複雑・相互依存の時代には、自分の力で分析し、推論し、自分の考えを意思疎通できること、生涯を通して学び続ける力を身に付けていることが重要であるが、その力をこれまでの教育では子どもたちが身に付けることができないと考えました。

同時に、未来の社会についても、持続可能な成長を実現する社会、多様な人々が安心して共生できる民主的な社会を目指し、その社会を創れる人々を育てる教育の実現を目指しました。この2つのことを実現するためには、これまでとは違う教育が必要であると結論づけたのです。

冒頭に教育と社会は双子であると申し上げましたが、ヨーロッパでは、持続可能な成長を実現する社会へのシフトも教育改革と並行して進んでいました。日本では、昨年スタートしたESG投資(環境・社会・企業統治)ですが、によれば、2016グローバル・インベストメント・レビューによると、ヨーロッパでは、すでにESG投資が半数以上となっています。

あらためてOECDの提唱している21世紀の教育の指針となる「キー・コンピテンシー」(主要能力)を見てみると、産官学民が連携して未来の社会を実現するクワトロ・ヘリックスを支える力であることがわかります。キー・コンピテンシーは3つのカテゴリーに分かれていて、カテゴリー1「相互作用的に道具を用いる」では、基礎となる学力をしっかり持つことに加え、その知識を使って問題を解決する力と、テクノロジーを駆使してイノベーションを起こす力を掲げています。カテゴリー2「異質な集団で交流する」では、利害が対立する人たちと協働するために必要な力を掲げています。カテゴリー3「自律的に活動する」では、変化する環境の中で自らがアイデンティティをしっかり持ち、世の中に貢献していく人になることが掲げられています。

ドイツのクワトロ・ヘリックス

平成28年12月にスタディツアーで訪れたドイツでは、クワトロ・ヘリックスの実践事例を見ることができました。ドイツでは、国家戦略インダストリー4.0を実現するために、クワトロ・へリックスに取り組んでいました。

我々は、クアトロ・ヘリックスの実践例としてドイツ連邦産業連盟(BDI)の話を聞く機会を得ました。そのプレゼンテーションのはじめに紹介されたのは、世界のトップIT企業はアメリカ中心で、EUもドイツも大敗という現実でした。トップIT企業31社に含まれるEU企業は5社のみ、26社がアメリカの企業であるという説明がありました。この結果について、ドイツは国家としての振り返りを行い、次のIT革新の時代にはアメリカに負けないという決意と覚悟をビジョンに現したのが、ドイツの国家戦略インダストリー4.0だというのです。

この戦略を通じOECDのキー・コンピテンシーの要の力であるリフレクションを、ドイツの大人たちが実践していることがわかりました。ドイツは、自国のIT産業の過去の失敗を直視して、その上で、自らビジョンを描き、前進しようとしています。

インダストリー4.0を実現する上で必要な課題認識についても説明を受けました。インダストリー4.0への到達度を評価したドイツの実態調査によると、製造業の58.2%が全く準備さえできておらず、投資資金、スキル不足、標準化、セキュリティ、経済的メリットなどに多くの企業が課題を感じているということです。

ビジョンとその実現に向けての課題が共有されている点が、クワトロ・ヘリックスと日本の産官学民の連携の決定的な違いです。何のためにインダストリー4.0に取り組むのか、国家戦略を実現するためには国民1人1人が理解する必要があります。現状の課題を直視し、可視化することで、これから何をすればよいかが明確になります。現状とありたい姿のギャップがこれほど大きい現状においても、課題を可視化することができるのは、国家としてインダストリー4.0に向かう覚悟とビジョンが共有されていることが前提となります。

そして、課題の中心である中小企業の支援についても、真摯に取り組みが始まっていました。ドイツは日本と同じくほとんどが中小企業です。中小企業は能力的にも経済的にも力不足なので、いかにインダストリー4.0に向かう環境をつくるかが最大のテーマになっています。

ドイツ視察を通じ、産官学民のクワトロ・ヘリックスがインダストリー4.0には不可欠であると、あらためて認識しました。2013年に業界団体単独によるインダストリー4.0プラットフォーム事務局が立ち上がり、本格的に検討が始まりましたが、業界団体の枠を超えた産官学民の連携が必要であることがわかり、2015年に連邦教育研究省、連邦経済エネルギー省、労働組合、大学・研究機関をメンバーに加えて、新体制でのインダストリー4.0プラットフォームがスタートしたと伺いました。

もともと本視察の目的は、ドイツのインダストリー4.0を通して技術革新のあり方について学ぶことでした。しかし、視察を通して、ドイツの国家戦略であるインダストリー4.0の具現化には、技術革新のみならず、OECDのキー・コンピテンシーが提唱する批判的なスタンスでリフレクションする力や、複雑な課題を解決するために産官学民が協働する力が、不可欠であることがわかりました。

日本でも、問題解決力や協働力の重要性は謳われていますが、ドイツの実践事例と比較した時に、キー・コンピテンシーが欠如していることは明らかです。キー・コンピテンシーは、不確実で複雑な時代において、持続可能な経済と民主的な社会を実現ために必要な力です。この力を子どもたちが身に付けることができる教育を実現するためには、まず、大人がその力を習得し、実践することが求められます。失われた20年は、大人がその力を持っていなかったことを示しています。それは、なぜ日本では産官学民の社会変革が実現できないのかの理由でもあり、潜在的には失われた半世紀となる要因でもあります。ドイツを視察し、教育と経済が密接に関わっていることを改めて認識しました。人々のあり方が変わらなければ、社会は変わりません。その人々を育む力を教育は持っています。教育が変わらない限り社会は変えられないし、経済発展はないということを、ドイツの視察を通して実感いたしました。

経済と教育の対話

わが国では教育改革がばらばらに進められており、このままでは社会や経済の発展と結び付かないことは明らかです。現在進行中の教育改革が成果に繋がるためには、教育に関わる多様なステークホルダーが現状の課題とビジョンに関して共通認識を持つ必要があります。

そもそもビジョンが合意されていない中でアクションが進むため、適切なリフレクションや改善を定期的に行うことも非常に難しく、その結果、行きすぎた一元論で改善という破壊に陥ってしまうことが危惧されます。教育は社会全体が関わって創っていくものなので、産官学民の連携(クワトロ・ヘリックス)が必要です。みんなで教育を良くしていこうとする動きもありますが、今の教育の課題が不明確であり、ビジョンが共有されていない中で、一貫性のある改革を実現することは不可能です。

社会全体が変わらないと実現しない変革テーマについては、全て産官学民が四重らせんで取り組むクワトロ・ヘリックスの考え方が必要となります。クワトロ・ヘリックスは、日本における第4次産業革命の実現においても、教育改革の実現に際しても必要な考え方です。異なる立場や組織の人たちが連携して変革を推進することができる社会をつくるために、OECDが提唱するキー・コンピテンシーを子どもたちが育める教育を実現しなければ、失われた半世紀はやがて1世紀となってしまいます。

皆様には、ぜひ経済と教育の対話の場を創っていただきたいと思います。そして、教育をシステムとして捉え、持続可能な経済と社会課題の解決と教育の関係を明らかにすること、働き方・生き方が根本的に変わる時代に即した人材の在り方や人材育成を考えること、学校教育と生涯学習を結び付けることを一緒になって考えていければと思っています。

これからは、1つの会社に生涯勤めるケースは減り、学校教育を終えて社会に出ても、再び学び直さなければ社会人として機能しない時代になるともいわれます。学び直しが個人のリスクにならない社会にしなければ、人生が非常に不安定なものになります。そうならないように、学校教育と生涯学習をもう少し丁寧に結び付けて、一生の学びについても議論する必要があると思います。

質疑応答

Q:

これから社会に開かれた教育課程を実践していく上で、課題はどこにありますか。

A:

地域に開かれることは非常に良いことだと思います。一方、人の教育観は、3つのパターンで形成されることが多いです。3つのパターンとは、(1)自分が教育を受けてよかったと思う教育、(2)受けられなくて残念だったと思う教育、(3)大人になってもっと早く学べばよかったと思う教育です。そうした思い込みだけで子どもたちにいろいろな人が関わるのは、いかがなものかという懸念があります。子どもや人の教育に関わるすべての人が、リフレクション(内省)し、自己の教育観を客觀視する必要があります。その上で、学校と連携し、子どもたちに必要な学習機会を、地域社会や企業が支援する環境を整備することが大事です。

Q:

ビジョン形成を、国や地域、小学校や中学校の各段階でどのように考えるべきでしょうか。

A:

自分のアイデンティティや存在理由とつながっている、地域の中で学ぶことはとても素晴らしいと思います。郷土愛を育むことも素敵なことです。また、地域に貢献するような大人になってほしいという地域の思いが教育観になっていくのもとても良いことだと思います。一方で、国のビジョンに沿った教育もあると思うのです。それは、どんな地域にも、どんな国にも、共通して必要なものだと思うので、そういうものと地域によって特徴的なものとを分けても良いのではないでしょうか。OECDのキー・コンピテンシーも、どんな職業に就く人であっても共通して最低限必要なものと定義していますので、それはそれとしてあっていいと思います。

Q:

21世紀型教育を進める動きは、公立学校でもこれから進んでいくと思われますか。

A:

21世紀スキルについての高校の取り組みは、非常に良い方向に向かっていると思います。公立も私立も良い方向に進んでいます。

Q:

企業の4つのシナリオで、シナリオ1からシナリオ4に進むには、3や2を経由するのでしょうか。それとも、1から4に進むしかないのでしょうか。

A:

1からすぐに4へ行くわけではないと思います。既に2も3も起き始めています。そこからどうやって4に向かうかという問題だと思います。たとえば2の場合、起業を目指す個人や社会問題の解決に取り組む個人が、大きなイノベーションを起こせない時、経済的自立が困難になり、社会保障の負担がさらに増えるというシナリオもあり得ます。その結果、危機感が高まり4に向かうこともあるのではないかと思います。

Q:

経済と教育の関係において、採用以外にどこに接点があるとお考えですか。

A:

経済界が欲しいのは結果です。採用にも直結しているので大学、その手前の高校の課題が最も見えやすいことから、経済界の要請は、大学や高校の教育改革に焦点が当てられています。しかし、たとえば自分の意見を言う力は、小さいときから徐々に育まれていく力だということを経済界は理解して、小学校などの早い段階からの教育に視点を広げていなければ、求める人材を手に入れることができないことを認識すべきです。

Q:

戦後日本では、産業界の求めに従って画一的教育が行われてきたと思いますが、それをどう変えるかということについて、先例があれば教えてください。

A:

日本の教育は、今でも世界で非常に評価されています。とくに厚い中間層をつくることが必要な途上国には、モデルとして注目されています。しかし、日本は工業化社会のリーダーを他の国々に引き継いで、次のさらに高い付加価値を生む国にならなければなりません。ですから、こういう議論をすると、日本の教育は悪くないという話が必ず出てきますが、変えなければならないのも事実で、変えるべきことと変えなくていいことのビジョンが共有されていなければなりません。

先例として、オランダの教育を事例に挙げさせていただきます。オランダの小学校では、教育内容を学年で区切っておらず、公教育でも、個人の発達に合わせた学習が行える仕組みになっています。小学校卒業試験があり、卒業時点での到達レベルは決められていますが、1年から8年(オランダは幼稚園年中から小学校)の間に到達すればよいという仕組みです。発達の早い子どもは、先に進むことが許され、発達の遅い子どもも、自分のペースで学びます。

Q:

21世紀型スキルの教育は、多様なスーパーマンをつくろうとする教育で、たしかにGDPなどにとってはいいことかもしれませんが、人々の幸せという観点からはどのようにお考えですか。

A:

人々が幸せな社会をつくっていきたいという大前提は私も同じであり、幸せの在り方にはいろいろあるということにも異論ありません。その上でOECDは、教育の前提となる幸福を、(1)経済的自立、(2)政治への参画、(3)安全保障、(4)人とのつながりの4つと定義しています。

21世紀型スキルの教育は、必ずしもスーパーマンをつくることではないのです。むしろ、みんなで力を合わせて問題解決や創造に取組む力を求めています。

日本人は、1人1人が優秀でも、集団になると力を発揮することができません。21世紀は専門性の深化が進み、誰も1人では問題を解決できない時代でもあります。1人のスーパーマンではなく、自分の個性と強みを知り、協働する力を持つ個人が活躍する時代です。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。