グローバル・ジハードの台頭: 思想と運動

開催日 2015年2月27日
スピーカー 池内 恵 (東京大学先端科学技術研究センター准教授)
モデレータ 岡田 江平 (経済産業省通商政策局中東アフリカ課長)
開催案内/講演概要

フランスのシャルリー・エブド紙襲撃事件や、イラクとシリアで猛威を振るう「イスラーム国」の現象を、どのように理解すればいいのか。ここでは「グローバル・ジハード」の概念を用いて、世界各地で生じてくるイスラーム主義過激派の多様な行動や事象を統一的に理解する。近代のジハードの思想の形成と発展が、分散型のテロを主要な手法とする組織原理を生み出したとともに、「アラブの春」による中東諸国の動揺が、世界各地の「統治されない空間」に集まるジハード戦士による大規模な組織化・武装化を可能にした。グローバル・ジハードのメカニズムの解明により、今後のテロ対策や、中東政策へ、一定の指針を導き出すことを目指す。

議事録

イスラーム国の来歴

池内 恵写真「イスラーム国」という現象は、2001年の9・11事件以降をみることで大部分が説明できます。9・11以降、米国が中心となって対テロ戦争を国際政治・安全保障政策上の最重要課題とし、特殊部隊・諜報機関の活動に加え、これまでになかった超法規的送致などが実施されてきました。それによって世界中で追い詰められたイスラーム主義の中でも特に世界規模でのジハードを掲げる勢力は、分散型の脱中心的な組織となり、自発的参加を促す動員メカニズムに変わりました。そして2004年末辺りまで、ジハードをグローバルに展開するための組織論の確立に有力な思想家たちが力を注ぎました。

2004年の段階では、ローン・ウルフ(一匹狼)型のテロと領域支配が想定されていましたが、当面はローン・ウルフ型に専念しようという議論がなされました。そしてイラク戦争によって、領域支配の核となる混乱した状況が生まれてきたわけです。

「アラブの春」で開かれた戦線

『イスラーム国の衝撃』の第4章では、「アラブの春」によって「イスラーム国」とその関連組織が台頭するための有利な条件が各国で生まれる過程を描いています。イラク戦争以降の状況で生まれたアル=カーイダは、隣国シリアに聖域を見出すことで力を増しました。さらに現在も、リビアやシナイ半島(エジプト)などで「イスラーム国」を名乗る勢力が出てきており、アラブ世界全体で同じような状況が広がっています。つまり単にイラクとシリアの特殊な運動に留まらず、より普遍的な問題へと発展してきたわけです。

比較政治学上、「アラブの春」以降の当面の帰結として挙げられるのは、「中央政府の揺らぎ」です。それによって多くの周辺国で「統治されない空間」が出現しました。さらに周辺領域における混乱が結合し、地域に紛争が拡大する現象をもたらしています。

また各国の政権が揺らいだ後の政治プロセスを見ると、もう1点重要なことがあると思います。それは「イスラーム主義穏健派の台頭と失墜」という一連のプロセスです。イスラーム主義のこれまでの歴史を遡ると、その重要性がわかります。イスラーム主義には常に「制度内改革派」と「制度外武装闘争派」(制度そのものの正当性を認めず武力を用いて破壊する勢力)という2種類の運動が競合し、路線闘争してきました。その状況が長く続いてきたにもかかわらず、たった1~2年の間に突然決着がついてしまったわけです。

たとえばエジプトでは、2011年の政権崩壊の際、ムスリム同胞団は後から相乗りし、それまで政治参加を阻害されていたために、唯一クリーンで組織化された勢力として選挙民の評価を得て、勝利を収めました。しかし、ムスリム同胞団出身のムルスィー大統領はたった1年でクーデターによって失脚し、議会も司法の不思議な判断によって次々と解散に追い込まれました。

これまでの制度内改革派(穏健派)と制度外武装闘争派(過激派)の対立は、既存の制度に対する態度が明確に分かれています。過激派は、おもに2種類の論法で反対していました。1つは、そもそも現在の近代的な国家や民主主義の制度は、イスラーム法に則って不法である。つまり、イスラーム法は神が下したものであるが、近代国家の法はそうではない。民主主義で人間が選んだ人間が議会で法をつくるのは、神が下した法に従って生きていくというイスラーム教の考え方に真っ向から背いているととらえているわけです。

もう1つは、既存の制度への参加を軍や官僚機構が認めないことへの反発です。さらに、政治を介さずとも、近代的な学問や経済発展などを通じてイスラーム的な価値を実現できるといった議論も近代にはあることはあったのですが、過激派はそれも含めて、政治や社会の制度内での参加を否定しました。ビンラディンの右腕といわれたアル=カーイダのザワーヒリーは、イスラーム主義の穏健派がなぜ間違っているかを詳細に記した本を何冊も書き、政党もNGOも経済発展を通じた改革も学問や信仰への専念も、いずれも解決ではない、と1つ1つ批判しています。

このような長い闘争を経て、不意に現れた「アラブの春」による政治的な自由化によって既存の制度に参加して政権に就く事が可能になった上で、結局短期間で追い出されてしまうという現実に直面した穏健派の信頼性は失墜し、逆に制度外武装闘争派の主張は、一定数から支持され、信頼されるようになりました。「アラブの春」以降の政治プロセスの中で、「過激派の言うことは正しかった」と感じる人が増えてきたわけです。

さらに、シリアやイラクのように宗派主義的に社会の分裂がある国は、一層自らのアイデンティティの拠りどころを宗派コミュニティに求め、集団間の対立を激化させます。4年経った現段階において、「アラブの春」は、このような帰結をもたらしました。

対テロ戦争の圧力が強い現在、ジハード主義者がかろうじてできることは、先進国のシンボリックな場所でなるべく組織を作らずにローン・ウルフ型のテロを断続的に実行することで、現象としてジハードの運動を維持することです。それに加えて、アラブ諸国の混乱で、領域支配を実現していくための条件も整ってきたことになります。

イラクとシリアに現れた聖域――「国家」への道

とくに、その条件が大規模に整ったのがイラクであり、シリアでした。アル=カーイダの発端はイラク戦争後の混乱にあったわけですが、「アラブの春」によって隣国のシリアが揺らいだことで、イラクの組織にとっては国境を越えた向こう側に聖域が生まれたことになります。

「イスラーム国」は、元来イラクの国内問題を発端に出現し、隣接した地域が中央政府に「統治されない空間」になったことによって勢力を伸張させる機会を得ました。その顕著な例が、昨年6月のモスル陥落です。まさにイラクでの紛争の過程で、やや弱体化したイラクのアル=カーイダがシリア東部のラッカなどで力を蓄え、電撃作戦でイラク北部へ攻め入りました。それによって、イラクの広い地域がイスラーム国の支配下に置かれたわけです。

各国のローカルな紛争は地域的な揺らぎの中で増幅され、そこにジハード運動の理念に基づいたグローバルな動員がなされ、義勇兵のような存在が現れました。そういった義勇兵は欧米メディアの関心を高めるため、「イスラーム国」側にとって国際的な宣伝に好都合です。このように、メディア上に実態以上の存在感が生まれるメカニズムを注視するべきでしょう。

多くの場合、グローバル・ジハードが実際に影響を行使するのは中東であって、アラブ諸国の政治にどのような影響を与えるかが重要となります。すると、それはアラブ政治の個別の国の文脈に左右されます。イラクとシリアの「イスラーム国」にとっては、イラクの国内状況が基本的な決定要因となります。

具体的には、2003年にサダム・フセイン政権が米国によって打倒され、2005年に新体制が発足しました。それが現在のイラクの政治体制ですが、新体制を定めた憲法制定信任投票では、宗派や民族によって賛成と反対がはっきりと分かれています。宗派や民族といった生まれつきの属性によって現体制の支持・不支持が決定する以上、何度選挙をしても人数の多い勢力が常に勝つという構造は変わりません。

2005年12月に行ったイラク現体制の憲法案に対する信任投票では、スンナ派が多数を占める4県のうち3県が圧倒的多数で反対、残る1県も反対は48%に上りました。それ以外の14県では圧倒的多数が賛成しています。

特定のエリアで極めて強い反対があるという状況は、現在まで変わっていません。そして、イラクとシリアのイスラーム国が2014年6月に領域支配を急激に拡大したのは、憲法信任投票で住民の多数が反対した4県だけでした。こうした文脈をみると、逆にいえば、このエリア外で同じようなスピードで領域支配が広がることはないと考えられます。

ジハード戦士の結集

イラクとシリアでのイスラーム国の急激な勢力伸張は、単に各国のドメスティックな問題にはとどまらず、ジハード戦士とされる義勇兵が多く集まっているところが重要な要素といえます。その中で欧米出身の戦闘員が多くいることは確かですが、その割合は正確に見るべきであって、メディアの報道はバランスを欠くものといえます。

「イスラーム国」の指導的な構成員の中核はイラク人やヨルダン人です。「イスラーム国」はもともと「イラクのアル=カーイダ」を名乗って台頭したのですが、その幹部はイラク人とヨルダン人によって構成されていました。イラク戦争後にフセイン政権の勢力が加わったほか、シリアの反アサド政権活動グループも加わり、チュニジアやエジプトなどアラブ諸国から義勇兵が集まって、次々と相乗りされていった経緯があります。中核が土着の人々であることも重要な点です。

割合として、およそ50%がアラブ人、25%はトルコや中央アジアのイスラーム教徒が占めており、残りが欧米のアラブ系・ムスリム系移民の子弟です。移民コミュニティに過激思想が浸透しているのが問題であって、欧米人の改宗者は数えるほどしかいません。移民コミュニティを除けば、欧米や日本の若者が大挙してイスラーム国に集まっているという現象は、基本的にないわけです。今後、過激派に関与している人物についてパスポートの取り上げなどによって義勇兵の流入を抑制できると考えられますが、イラクやシリアそのものや中東・中央アジアなどから来ている75%については、あまり変わらないという現実もみておくべきでしょう。

また、このような過激な行動をとる背景には、「イスラーム国」がイスラーム教の終末論を用いて信奉者を集めている点があります。アラブ世界では、1990年代末に終末論が流行しました。これについては私は2002年に『現代アラブの社会思想 終末論とイスラーム主義』(講談社現代新書)で取り組みましたが、当時は、それがどのような政治的帰結をもたらすのかはわかりませんでした。それから20年が経ち、終末論を軸に過激な行動主義を主張する人たちが新たに出てきたわけです。

質疑応答

モデレータ:

アラブやアフリカの中で、歴史的にも欧州に近く、人の往来も活発な地域に「統治されない空間」ができてしまったことで、「イスラーム国」がグローバル・ジハードを実践しているというお話でした。そこで、シリアかイラクのどちらか一方でも「統治された空間」にすれば、ある程度の抑制が可能ということでしょうか。

A:

対象をより的確に認識することによって対処策もより的確になると考えられます。そのご指摘は、私も同意できるところです。グローバル・ジハードという理念がありながらも、基本的にはドメスティックな、リージョナルなものが提供している機会をどのように狭めていくかがポイントとなります。

とくに「統治されない空間」を誰が埋めるかが問題となりますが、1つの可能性としてトルコ、サウジアラビア、エジプトといった地域大国が主体性を持ち、中東地域における「統治されない空間」を埋めていくべきだという議論が成り立ちます。もう1つは、既存の国家を再び強くするということですが、私自身はその両方をやっていくしかないと思っています。

地域大国が役割を担うというのは、域外大国である米国の意志が弱くなっている現状において必然的といえます。一方で、地域大国が宗派主義的に勢力を拡大することで、むしろ宗派対立を煽って問題の根源になってしまう実態もみられます。

そこで、一時的には地域大国の事実上の権限を認めつつ、既存の国家を再び強めるしかないと考えられるわけです。だからといって、シリアのアサド政権はそういう主体なのか、アサド政権に代わる主体がいるのかを考えると、主体を見出すのは簡単ではありません。ただ既存の国家の枠組みを前提につくり直すしかないと、私は思っています。

Q:

「イスラーム国」の台頭と米国の覇権の希薄化が中東情勢に及ぼす影響は、日本のエネルギー政策にどのような影響を及ぼすとお考えでしょうか。

A:

「イスラーム国」に限らず、中東情勢が混乱するとリスクが高まるといわれます。では、「イスラーム国」がリスクを高めたといえるでしょうか。「イスラーム国」が出現したことによって、国際的な原油市場に混乱が生じたという事実はありません。ですから、中東が混乱すると国際市場に石油が流れなくなるということは、ほぼ間違いだと思います。

ただし、日本にはまた別の問題があります。これまで米国中心の秩序があって、それが希薄化するとどうなるかという議論にもかかわりますが、米国一極支配のもとでは、ゾーンディフェンスで均等に守っていけばよかったわけです。ところが米国の覇権が及ばなくなるとマンツーマンディフェンスになり、弱いところにリスクが集中することになります。つまり日本にとって、中東のエネルギーに直接関与できる主体の敷居は高く、プレミアムを余分に支払って買ってくるという仕組みになると思います。今後、エネルギーに関与できない主体はプレーヤーとして認められないような選別が起こることも考えられます。

モデレータ:

原油価格は下がっており、それが「イスラーム国」の財政にもマイナスになっている面があると思います。米国のコミットメントの変化はあると思いますが、いざとなれば座視しているわけにもいかないでしょう。それよりも中東では、人口が増加しSNSなど個人の情報通信手段が発達していることが大きな影響を与えているように思います。

Q:

イスラーム国の持続可能性として、現状、領域支配しているところで市民の支持を受けているのでしょうか。また資金源について、コメントを頂きたいと思います。

A:

「イスラーム国」はある種の民族浄化を行い、限られたエリアで自分たちと属性を同じくする人々だけの枠組みをつくろうとしています。その意味では、迫害される人々が膨大な数に上る一方で、それ以外の人たちからは消極的であれ支持されていると私は考えています。

「イスラーム国」には、大規模に原油を掘削して密輸している事実はなく、それまで存在していた経済の上に立っているのが実態です。ですから人質誘拐のビジネスが重要な資金源となっており、経済状況は急速に衰退していることが予想されます。遅かれ早かれ経済が行き詰まる過程で、市民からの支持は低下していくことでしょう。ただし問題は、アサド政権をはじめ「イスラーム国」があってもいいと考える勢力が存在することです。また、「イスラーム国」は国際社会による経済制裁を受けた形になっていますが、経済制裁を受けると国民は苦しみながら政権に依存を深め、かえって政権が持続する傾向もあります。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。