電子書籍のある世界

開催日 2014年9月4日
スピーカー 藤井 太洋 (作家)
モデレータ 山根 啓 (前内閣官房知的財産戦略推進事務局次長)
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開催案内/講演概要

2012年から13年にかけて、日本でも楽天KoboとAmazon Kindle、Google Play、そして音楽流通の世界を一変させたAppleのiBooks Storeが相次いで参入してきた。出版不況が叫ばれる日本でも、書籍の姿が大きく変わろうとしている。専用端末やスマートフォン、PCなどのスクリーンで読む電子書籍に加えて、出版社を通さずに書籍を売るセルフ・パブリッシングも始まり、TPPの影響で著作権をはじめとするルールも、安泰ではいられなくなっている。
急速に変わる状況を、セルフ・パブリッシングから商業デビューしたデジタルボーン作家、藤井太洋氏が紹介する。

議事録

はじめに

藤井 太洋写真1971年、私は奄美大島という小さな島に生まれ、国際基督教大学への入学を機に上京しました。途中で芝居にはまって大学を中退し、劇団の立ち上げにもかかわりましたが、その後、製版会社に入社しました。ちょうどアナログからデジタルへと印刷工程が移行していた頃で、写植や版下からDTP制作など、さまざまな印刷に関する実務経験を得ることができました。非常によい時代の変わり目に、社会人を始めることができたと考えています。

その後、コンピューターソフトウェアをつくる会社に9年ほど勤務していたとき「Gene Mapper」という小説を書き、セルフ・パブリッシングをしました。なかなか書く時間がとれなかったのですが、昼休みや通勤電車の中でiPhoneを使って少しずつ書き溜めたものです。このとき定価500円で販売し、実質的な電子書籍元年といえる2012年にKindleの文芸小説部門で販売数第1位となりました。

7月末に販売を開始したのですが、年末まで売上部数は、4000部でした。年間では2万部程度になるペースだと思いますが、今は、こんな部数では到底1位になれません。電子書籍の市場は、この2年間ほどで10倍ほどにも膨らんでいる印象があります。もういくらやっても1位にはなれませんが、急成長する市場の始まりに遭遇できたのは嬉しいことです。

2013年4月、早川書房から「Gene Mapper」の紙の本が出版された頃、体を壊してしまったこともあり、会社を辞めて専業の作家として活動するようになりました。今年2月には、第2作目の「オービタル・クラウド」を発行し、好評価を得ている次第です。小説を書き始めたのは、実は2012年の「Gene Mapper」が初めてでしたが、何とかやってこられたのは、ちょっと変わった大きな体験だったと思っています。

電子書籍の現在

今、新刊書籍の約2割が電子化されて、Kindleや楽天Koboをはじめ、さまざまな電子書籍ストアで販売され始めています。米国でも商業出版物の電子書籍が発売されている割合は2割程度ですから、それほど少ないわけではありません。過去作品の電子化もどんどん進んでいますので、それほど悪くない立ち上がりだと考えています。

また米国と異なり、日本では電子書籍のフォーマットがほぼ固まってから各ストアがオープンしました。優れた製作用のツールも普及しており、ニュートンやナショナルジオグラフィックといったグラフ誌でも素晴らしい電子書籍が出始めています。表現力については、どんな種類の本でも電子書籍として出版できる環境が整ってきたといえます。

ほとんどのストアには、デジタルペーパー専用リーダー、スマートフォン、タブレット、PCなど、インターネット接続できるほぼすべての端末でアクセスすることが可能です。昨年の国内出版市場は1.8兆円といわれていますが、電子書籍の売り上げは1800億円を越えたという見方もあり、ようやくガラケー時代の電子配信型書籍を越える水準となりました。出版社が発行する電子書籍の市場が健全に育っていることがわかります。

電子出版行為者の状況として、大手出版社は続々と電子書籍を出しており、紙の本の発売からほぼ1カ月遅れで電子版が出るというスケジュールが定着してきました。従来とほぼ同様のフローで電子書籍流通に口座と担当者を持ち、データを提供しています。

中小/地方出版社は、制作費用を越える売り上げが見込めないことから、参入のハードルは高い状況が続いていますが、個人はKDPやiTunes、楽天Koboなどのセルフ・パブリッシングチャネルへ登録し、出版を実施しています。また、政府などの公的機関、シンクタンクなどの私的機関については、白書の電子出版はPDFの公開や販売などで非常によい取り組みを行っている機関もありますが、まだ限定的といえます。

印刷と本

印刷という行為の始まりは古く、インダス文明にはすでにハンコ、つまり印章がありました。また、紙が使われていた東アジア圏では、西暦400年頃から木版による経典の印刷が行われていました。ちなみに法隆寺に収蔵されている「百万塔陀羅尼」は、西暦700年頃に木版で印刷されたものといわれ、現存する中で世界で最も古い印刷物といわれています。

1455年には、グーテンベルグの「42行聖書」が印刷されました。これは文字1つ1つの型を組み換え、再利用可能な「活字」を初めて利用したものです。揺籃期の印刷本という意味でインキュナブラと呼ばれていますが、大文字と小文字のスタイル分けなどは、ほとんど意識されずに書かれています。羊皮紙に手書きされた写本と同じスタイルで、ピリオドもカンマもなく、改行もほとんどありません。つまり、印刷ではあるものの手書き写本のコピー化であったといえます。

これを改革したのがアルド・マヌーツィオです。グーテンベルクの42行聖書から遅れること半世紀の1494年、ベネツィアにアルド印刷所が創設されました。彼は現代の「本」のフォーマットを作ったといわれており、見開きの両面印刷にページ番号が打たれるという革命的なことが起こりました。段落の始まりを大文字にして小文字でつなぎ、単語の間にはスペースを入れる。さらにカンマやピリオド、標準活字(ローマン体)や装飾活字(イタリック体)も彼の本で始まっています。

大判の印刷原紙を折って断裁する折りには、今もマヌーティオが考案した手法が使われています。サイズが小さくなったことで、本を持ち歩くことができるようになり、文字が小さく、そして単語区切りなどで読みやすくなったことで、それまでの音読に代わって黙読するという文化が生まれました。このように、アルド・マヌーツィオが現代の本を作ったといっても過言ではありません。

「底本」ありきの電子書籍

翻って考えると、電子書籍といっても、紙の本を作るために使ったデータを利用しているという点で、インキュナブラの時代とほとんど変わっていない状況です。あと数年すれば変わっていくと思いますが、今のところは、紙の本を「電子化」するという位置づけです。

ワークフローをみても紙ありきです。DTP用のデータをコンバートするため、たとえばWebサイトやWord、そして電子書籍リーダーが本来表示できる漢字が、途中の過程で乱れてしまうケースが多々見られます。漫画でも、コンピューターで描いている場合、セリフの部分はテキストとして入力するわけですが、電子書籍はそれを画像として処理してしまいます。こうしたワークフローは、改革の余地が大きいと考えています。

そして、紙ありきのビジネスモデルは深刻な問題です。作家になってから、「電子書籍と紙の本、どちらで売れたほうが嬉しいですか」とよく聞かれますが、難しいところです。私の作家としての収入のほとんどは紙の本から得られているのです。なぜなら、紙の本の場合は印刷された瞬間に印税が発生しますが、電子書籍は売れた分しか収入になりません。電子書籍の収入だけで生活する未来を考えると、作家も編集者も、出版社もモチベーションが上がらない状態になっています。こうしたビジネスモデルからも、早く脱却できればいいと思っています。

新たな読書体験

これからの読書体験として、まず電子書籍は「紙の本」を越えてほしいと考えています。電子書籍は、ほとんどが買ったストアの本棚からしか読めませんが、携帯電話のナンバーポータビリティのように、せめてストア間を移動できれば電子書籍の価値は高まります。現状では、電子書籍を販売しているストアが事業をやめる場合、ユーザーは自分の本棚にアクセス不可能となる恐れがあります。ソニーは昨年、北米から電子書籍ストアReader Storeを撤退した際、ユーザーが楽天koboに乗り換えることで、購入済みタイトルを再びダウンロードできるようにしました。これによって、電子書籍に対する信頼を保ったわけです。

現在、国内には40社ほどの電子書籍ストアがありますが、その中で継続的に利益を出せているのは、おそらく4~5社しかないでしょう。他の30社以上では、これから合併や事業譲渡、廃業などが起こってくると思いますが、その際、ユーザーが購入した書籍が読めなくなるようでは、電子書籍の普及は望めなくなります。ユーザーの資産(本棚)を他社へ移行できる仕組みの整備について、官庁からの後押しも欲しいところです。

まずは「紙の本」を越えた上で、電子書籍には、ソーシャルリーディング(読者のレビューや注記による交流的書籍体験)といった楽しみも生まれてくると考えています。また、日本の事業者は「法律で許されていなければやらない」という体質があり、検索や引用のできない「本」がライブラリの多くを占めています。このままでは、海外の「禁止されていなければやっていい」という文化の人たちにどんどん浸食される気がしますので、挑戦しているところを応援していきたいと思っています。

新たな執筆体験

今、投稿型の執筆プラットフォームがいくつも立ち上がっています。中でも「小説家になろう」や「エブリスタ」のような投稿型サイトに投稿される作品は、かつてのケータイ小説サイトを質・量ともに越えています。副業から正業へ転換する作家も複数存在し、心強い状況になってきました。

Web文化を色濃く持つ企業では、マイクロコンテンツからのテキストコンテンツ発信機能を持ち始めています。代表的なものとして、コンテンツ主体のメディア「Medium」や1件あたりで課金可能な「note」などが始まっており、こうしたエントリー単位での記事本位のプラットフォームから、本当の意味でのスクリーンリーディングが生まれて来てほしいと思っています。クラウドファンディングのようなスタイルの企画なども、出てきたら応援したいと考えています。

質疑応答

モデレータ:

完全なセルフ・パブリッシングの場合、従来は書店などが行っていた編集作業やプロモーション活動は、どうされているのでしょうか。

A:

私は、一般的にWeb上でダウンロードソフトウェアを販売する際と同じようなスタイルでプロモーションを実施しました。まず、マーケティングの基点となるホームページを開設し、TwitterやFacebookなどを通して導線を作っていきました。グーグルのリスティング広告も、かなり使いました。ただ、数百部を越える販売数は、口コミやレビューなど他者による紹介の力がなければ難しいと思います。

Q:

電子書籍における知的財産権の見通しについて、ご意見をうかがいたいと思います。

A:

中期的には、米国型の知財の管理方法とどのように向き合っていくかが重要になってくると思います。著作権や特許に対し、違う考え方を持つ人たちが日本に入ってきて活動するケースが増えると考えています。個人的には、同じ考え方のほうが楽に決まっているので、米国型の知財のあり方、運用の方法、法の理念を、徹底的に身に着けていきたいと考えています。

Q:

電子書籍化が進めば紙を使わなくなり、環境保護につながるとお考えでしょうか。

A:

紙の消費量はおそらく増えますので、エコになるとは思っていません。コンピューターが生まれてから世の中の紙の消費量は増え続けていますし、まったく減る傾向がないためです。

Q:

電子書籍は、ジャンルや書きぶりといった面で、紙の本に比べて、どのような特徴があるのでしょうか。

A:

現在、立ち上がりつつある電子書籍のマーケットで、私の書くSFというジャンルは、紙の本よりも明らかに売れる比率が高くなっています。一般的な文芸市場ではマイナーなSFですが、電子書籍のマーケットではトップ100のランキングの1割ほどをSFのレーベルが占める時期もありました。

その理由は明らかだと思います。まず、一般的にはまだ高い電子書籍を利用するためのハードルを、SFを好むような方々が簡単に越えていったということがいえるでしょう。たとえばクレジットカードをWebサイト登録しておくことに抵抗がない、Twitterなどを通して情報が大量に流れてくることに抵抗がない、Amazonや楽天でよく買い物をする、といった習慣を持っている方の中にSF読者が多いというのは不思議なことではありません。

「小説家になろう」や「エブリスタ」のような投稿型サイトは、無料のため若者が多いのですが、そこではライトノベルのレーベルから販売されているようなジャンルのものが7割以上を占めています。ただ、まだ揺籃期です。これから電子書籍が広く読まれるようになってきたときを想像していえることは、1つ。紙の本と同じような構成になるとは限らないということだけです。これから何が流行るかは予測できません。

日本には私小説という文学の形態があり、その流れを汲んだ純文学というジャンルが一定の地位を占めています。これは、たまたま初期の新聞小説において、明治から大正期を過ごした若者たちや、彼らの精神的な支柱となった作家が書いた作品が数多く掲載されたからでしょう。ですから、電子書籍によって文学ジャンルの考え方が変化してくると、中心がずれてくる可能性はあると考えています。映画やアニメなどで展開されるエンターテイメント作品の普及はより大きくなると考えてはいます。

書きぶりについては、これは人それぞれですね。私の所見でしかありませんが、だんだん装飾的な文章を嫌うようになっているのではないかと思います。特に自己出版作品には顕著に現れている気がします。そして、これは電子書籍とは関係ありませんが、小説を書くスピードや編集のやりとりのスピードはどんどん速くなっていくことでしょう。それが速くなるほど、編集者や市場からの意見を反映するタイミングが増えていき、より加速度的に平易な文章が増えていくと思います。実際に、私は直すたびに漢字が減っていきます。それに、「わたし」や「ぼく」などの部分でひらがなが使われている作品も増えていますね。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。