Evidence Based Policyと統計

開催日 2014年6月2日
スピーカー 竹内 啓 (東京大学名誉教授/明治学院大学名誉教授/日本学士院会員)
モデレータ 小西 葉子 (RIETI上席研究員)
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Evidence Based Policyとは政策の計画、実施、評価が客観的な根拠に結びついて行われることと意味する。その最も重要な根拠を提供するのが統計である。しかし変化する社会の中で時々の政策課題に対応するには、統計は機動性を持たねばならず、このことは統計に要求される安定正、継続性と矛盾する面がある。しかしより重要なことは、政策当局、更には政治家、エコノミスト等が統計の必要性とその適切な利用について理解することであり、統計部局と政策部局との間のコミュニケーションが保たれることである。

議事録

政策立案における統計データの必要性・有用性

竹内 啓写真Evidence Based Policy とは、客観的な根拠に基づく政策を意味します。これは、ごく当たり前のことのようですが、実際の世の中ではそうでもありません。客観的な根拠とは、「政策の前提となる事実認識」「政策とその効果を結びつける論理」、そして「政策のコストと効果の関係」の3つが客観的に、数字で示されている必要があります。

そのとき統計は、事実認識と政策効果の測定、そして予測のために重要な役割を果たすわけです。逆にいえば、公的統計の目的は、Evidence Based Policy の基礎になる情報を提供することだと思います。

ところが、政策課題は時とともに変わります。たとえば不況期や好況期など、統計は、変化する政策課題に適応した適切な情報を提供しなければなりません。そのためには統計の機動性が要求されるわけですが、本来、統計には安定性、包括性、継続性が求められるため、機動性とは矛盾します。

しかし、統計に機動性を持たせるために、必ずしも新しい調査を行ったり、新しい統計を作成したりする必要はありません。既存の統計を再編成・再集計したり、行政記録や登録データを適切に編集することで、必要な情報を得られることも少なくありません。

重要なことは、政策立案における統計データの必要性・有用性を認識することです。明確な数字に裏付けられた議論をするべきであり、データがなければ取ってくる必要があります。ところが現実には、その認識がないままに政策が立案、決定、実行され、結果として莫大な無駄を生ずることも稀ではありません。

さらに、そのデータは、客観性、信頼性が担保されている必要があります。そのためには、政策立案者が自ら作ったデータを用いることは避けるべきでしょう。本来、データの客観性について、第三者が一度は審査すべきです。

機動的な統計のためには

問題として、現在の予算・人員の制約は厳しく、統計関係部局が、統計情報に関する要求に機動的に対応できる余力はほとんどありません。統計関係部局は、現存する統計体系を維持し、その質の向上を図ることで手一杯で、しかもその中で絶えず「効率化」が求められるため、臨時の仕事をする余裕はないのです。

現在の分散型統計制度の下では、1つの統計部局が他省庁の業務に介入することは困難で、他省庁の政策作成に協力するのは難しい状況です。そのため、統計部局を持たない省庁では、政策作成のための統計情報を十分集めることは極めて困難になっています。本来は、分散型統計制度の根本的見直しとともに、統計関係の人員、予算の大幅な拡充が必要ですが、現状では困難です。

しかし、少なくとも新政策の策定にあたって、総予算の一定部分を調査費とし、その中で統計データ作成のための費用を確保すべきでしょう。そして統計関係部局に委託することで、新政策のために機動的な対応をすることが可能だと思います。新しいことを始めるには、まず統計が重要だという根本認識を持っていただきたいところです。

震災被害についての統計作成の必要性

統計が機動的に対応すべきであった顕著な例として、東日本大震災に対する復興政策が挙げられます。震災直後から復興政策が論じられ、そのための予算が決定されましたが、19兆円という額が、十分な根拠も示されることなしに決まってしまいました。

本来は災害の状況をまず把握して、何のために何がどれだけ必要であるか、単に予算金額だけでなく、人員・資材も含めて計算し、それに基づいて復興計画とその予算を決定すべきでしたが、現実には、そうした総合的な計画がなされないまま予算は決定され、支出されてしまったわけです。

その結果、今になって、災害復興とほとんど無関係な事業に多額の支出がなされる一方、真に必要な費用は大幅に不足したり、あるいは制度上の不備や人員・資材不足のために予算の大部分が残されてしまったりしていることが明らかになりました。そして19兆円では不足だとして25兆円に増額することとなったのです。このような状況によって、莫大な無駄が生じているといわざるを得ません。

もちろん災害対策では、災害の全貌が明らかになるより先に早急に実施されるべきものもありますので、それについての費用などはとりあえず応急に支出した上で、あとで作られる総合予算の中で調整すればいいでしょう。重要なことは、震災について被害の状況と復興(必ずしも復旧ではない)の必要性を総合的に判断し、総合的かつ効率的なバランスのとれた復興計画を、客観的なデータに基づいて作成することなのです。残念ながら、そのような努力はほとんどなされていません。

実は、私は震災直後から、震災被害についての統計作成の必要を感じ、そのための概念整理を試みました。すなわち震災被害は、まず人的被害と物的被害に分けられます。物的被害は、さらにストックの被害とフローの被害に分けられます。また直接被害以外に、間接の被害(交通の遮断、停電、サプライチェーンの混乱などの影響)があります。

これらを地域別、産業別、さらに公的部門と私的部門に区分して「震災被害統計」あるいは国民経済計算に付随する「震災被害特別会計」として、体系的に編集すべきであると考えた提言も試みました。

復興予算については、一定のビジョンの上に総合的な計画を作成し、その上で具体的な詳細は、各自治体や省庁に委ねてもいいでしょう。各自治体や部局の主体性・自主性も大切です。しかし、全体としての総合的なプランやビジョンがなければ、予算の奪い合いになってしまうことは避けられません。

震災被害統計を作成するために、とくに大規模な調査は必要ないと思います。震災の被害については、各省庁・地方自治体、あるいは各業界団体などで多くのデータが集められているので、まずはそれらを広く収集し、その内容を吟味し、体系化することが必要です。その上で、不足している部分や欠けている部分を特別調査によって補えばいいわけです。

そのために、どれだけの予算が必要になるかははっきりしませんが、復興予算の0.1%(190~250億円)も要しないことは明らかです。それによって、復興予算のうち最低10%以上の無駄を省けたことでしょう。Evidence Based Policyにおいて、重要なところでデータをきちんと集めることに予算を使えば、その費用対効果は大きいのです。

Evidence Based Policyの基礎として

現在の問題でいえば、放射能除染について国が全面的に責任を持つことになったといいますが、そのために、どれだけの財政支出が必要になるのか、よくわかっていません。そもそも最初に汚染の状況を全面的かつ包括的に調査して、除染の必要額を推定し、除染費用を計算した上で予算を定めて、初めて「国が責任を持つ」といえるはずでしょう。そうでなければ、新たな汚染箇所が見つかるたびに、ずるずると対策費が増えてしまう危険性もあります。

現在、最も望まれることは、政策論に統計データが必要不可欠であることを、政策省庁のみならず政治家やエコノミスト、ジャーナリストが認識し、理解することです。統計関係者もまた、そのことを広く世間に訴えるべきでしょう。また最近、ビッグデータが注目されていますが、数字さえあれば統計として使えるわけでもありません。

長く統計に関わってきた者として、日本の公的統計の質が関係者の努力によって維持されてきたことは評価しますが、統計がEvidence Based Policyの基礎として十分活用されているかについては、疑問に思うことが多いのが現状です。どういう数字が役に立つかということに関しては、米国や英国などは機動的に対応できる能力があると感じます。

いくらよい統計を作っても、それが有効に利用されなければ意味はありません。統計として整合性や精度をいくら高めても、それが政策目的に有用な情報でなければ価値がないのです。統計関係者の側も、政策目的に必要な統計がどういうものであるかについて、もっと関心を持つ必要があるでしょう。そして、政策部局と統計部局との間のコミュニケーションがより深まること、また両者を媒介する何らかのシステムが作られることが求められます。

質疑応答

Q:

より精緻な法執行のために既存の統計データを利用したくても、目的外使用とみなされ難しいのが現状です。既存データを再構成して統計を機動的に利用するために、現状の国内法、制度の問題について、ご意見をうかがいたいと思います。

A:

統計の目的外使用の問題は、ご指摘のとおりだと思います。行政情報や業務記録を統計目的に利用することに対する障害という問題もあります。米国や英国では、原則として、統計目的のために行政情報を利用できます。日本では、情報を持つ側が許可すれば利用可能という状況にあります。

プライバシーの観点からいうと、ビッグデータも使い方によっては相当のプライバシー侵害になる恐れがあります。現行の制度にはそれなりの理由はありますが、不自由な部分も大きいため、もう少し自由にしてもいいと思います。政府が持っている情報を、うまく利用するための制度を考えていく必要があるでしょう。たとえば薬の副作用情報をうまく収集・活用すれば、相当有益なシステムができるはずです。

Q:

成長力が鈍化する中、これまで近代経済を支えてきた「企業」という経済主体のあり方が今後も有効なのか、疑問を感じているところです。そのことについて、お考えをうかがいたいと思います。

A:

この20年間、経済成長率が停滞したことは確かですが、それが本当に何を意味するのかは、はっきりしないところがあります。たとえば第3次産業が拡大している中で、とくにサービス産業や金融の実質GDPとは何なのか。どうも、よくわからないわけです。

現在のシステムの下で、企業は儲からなければ困るわけですが、しかし、それ以外はあり得ないのか――。そういう議論を、最近はしなくなった傾向があると思います。昔は社会主義思想がありましたが、どうも社会主義はうまくいかないことがわかると、今度は何でも金が儲かればいい、金が儲かるかどうかが最も重要な指標となっています。

ある程度、それで世の中が動いているのは仕方のないことですが、他の指標がないかのような議論になったのは、困りものだと思います。一方で、単なる清貧主義、「我慢のすすめ」といった考え方にも賛成できません。ある程度、楽な生活はできるべきでしょう。では、どの程度が適当なのかは難しいところですが、現在の「金儲け主義」に対抗する思想がないことは問題だと思っています。

Q:

歴史と統計とのインタラクションをどのように考えるべきでしょうか。「歴史と統計」について、お話をうかがえればと思います。

A:

中国には世界で唯一、人口統計の長い歴史があります。中国では今後、日本以上のスピードで高齢化が進む可能性もありますが、1人っ子政策を緩めても、そう簡単に回復はしないだろうと考えています。人口が安定していく中で生活が改善されていくことが望ましい状態ですが、そのような国はあまり見当たりません。世の中が安定すると人口は伸びすぎ、戦争や災害で混乱すると急減することは、中国の歴史的な人口統計が示しているとおりです。

欧州では、ペストの大流行で人口が大きく減少しました。そして人口が減った後は、実質賃金が2倍程度に跳ね上がりました。つまり人口と資源とのバランスが回復して、近代の発展が始まったといえます。

日本、中国、欧州の各国で急速に人口が減り続ける中で、人口と資源のバランスをとりながら安定させていくことは、世界的な課題です。中国がうまく人口の問題について軟着陸できれば、中国3000年来の歴史の課題を解決することであると同時に、世界にとっても重要な意味があります。

いまだにマルサスの亡霊に憑りつかれ、資源や環境の観点で人口は過剰であるという議論が多いわけですが、社会を安定させることが大事です。あまり急速な経済成長は安定と矛盾しますから、中国はそろそろ休むべきという気がします。もちろん絶対水準はまだ低いため、止まるべきだとは思いませんが、毎年2桁近い成長は異常だと思います。

私は、統計制度は、カナダのような「集中型」のほうがいいと思っています。米国や英国は「分散型」ですが、かなりの部分が商務省に集中するなど、「集中型」のような面があります。日本は純粋な「分散型」になっています。

「集中型」のメリットとして、省庁を超えた統計が作りやすく、全体的な研究部門を持つことができます。研究部門は当然、持つべきであり、ヒューマンリソースの面でも、集中的に養成する必要があります。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。