インドでなぜ労働力不足が生じるのか

開催日 2013年9月20日
スピーカー 内川 秀二 (日本貿易振興機構 アジア経済研究所 新領域研究センター長)
モデレータ 青木 幹夫 (経済産業省 通商政策局 南西アジア室長)
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インドでは増大していく労働人口に見合っただけの雇用が創出されていない。そのために、失業と半失業が重要な問題となっている。GDPに対する比率では僅か18%しか占めていない農業が全就業者の半分以上を占めている。農村部には依然として半失業者が滞留している。その一方で、工業地帯では多くの経営者が労働力不足を指摘している。そこで、なぜこのような事態が生じるのかを調査結果をもとに考察する。

議事録

長期的観点からみた経済成長

内川 秀二写真インドは1991年に経済改革を行い、輸入代替工業化からグローバリゼーションへ徐々にシフトしてきました。GDP成長率(1991-2011年度)をみると、この20年間の平均成長率は6.7%です。これを20年間続けると実質GDPはほぼ4倍になることが見込まれ、とくにサービス業が急速な成長を遂げています。また成長率は最高で9.6%、最低でも4.0%となっており、比較的安定した経済成長を継続してきたといえます。インドの第3次産業といえば、ITを中心としたビジネス・サービスが想像されると思います。しかし実際には、国内向けが非常に多くなっています。

2011年度からは、インド経済の成長に陰りがみえてきました。インド統計局は、2012年度のGDP成長率は5%と発表しています。主要産業の四半期ごとのGDP成長率をみると、とくに製造業が激しく変動しており、2011年第3四半期からは0%に近い水準となっています。2005-2007年度に3年連続で9%を上回る成長を遂げた頃、製造業を中心に投資ブームが過熱化しました。2010年頃にはインド経済の投資ブームが終わり、とくに製造業において過剰投資が顕在化してきました。

サービス業は、まだ比較的順調な経済成長を続けているものの、徐々に下がってきています。貧困層を含めて所得が上がり、国内物流の増大に伴い商業・運輸業が成長しました。またこの20年間に、都市近郊の開発が急速に進展しています。大都市あるいは地方都市においても、かつて原野だったところにアパート群やモールが建設されるなど、新しい都市が生まれています。 生活水準の上昇に伴い、教育・医療への支出も増大しています。ITおよびIT関連産業は、グローバリゼーションの中でインドが世界へ向けてサービス輸出することで急成長してきました。

産業別GDP構成の変化

1993年度と2009年度の産業別GDP構成を比較すると、農業の比率が29%から18%に下がっています。そして、サービス業の比率が半分以上を占めるようになりました。一方で、製造業の比率は16%から15%と変化がみられません。製造業は20年間、平均成長率7%を着実に継続してきましたが、インド経済全体が成長する中で相対的にGDPに占める比率は拡大していないということです。

次に、1993年度と2009年度の産業別就業者構成を比較すると、2009年時点においても農業の比率が53%と高い状況にあります。つまりGDPに占める比率がわずか18%である農業に、就業者構成では半分以上を占めているわけです。これが何を意味するかというと、まだ農村に過剰労働力が滞留しているということです。サービス業は高い成長を遂げてきましたが、就業に一定の教育水準を要求される部門が多く、雇用をそれほど増やしません。製造業は10%から11%と、やはり変化がみられません。建設業は、3%から10%に拡大しています。

製造業でなぜ労働力不足が生じるか

日系企業の経営者に聞くと、インドでは労働力が不足していると言います。また地方都市のアパレル企業の経営者も、労働力不足を指摘しています。しかしインド全体でみると、深刻な半失業の問題があり、その背後には貧困があります。この矛盾する現象を、どのように説明すればよいのでしょうか。

労働力不足には、「熟練労働力の不足」と「単純労働力の不足」があります。前者の場合は、これまで教育水準が低かったことや、社内でのトレーニング不足がおもな要因といえます。後者は、出稼ぎ労働者の流入が労働力需要の増大に追いついていない現象と考えられます。

インドの統計には「組織部門」と「非組織部門」があります。組織部門とは、動力利用の場合は就業者数10人以上、未使用の場合は20人以上の工場を指し、工場法が適用されます。サービス部門では、基本的に従業員数10人以上の会社は組織部門とみなされています。

製造業就業者のうち80%は非組織部門で就業し、比較的教育水準も低く、賃金の低い状況にあります。労働契約も不安定なため、出稼ぎ労働者を中心として劣悪な条件のもとで長時間労働を強いられています。この非組織部門には伝統的家内工業も含まれています。付加価値をみると圧倒的に組織部門のほうが高く、1994-2005年の間で2倍以上に伸びています。

組織部門における雇用なき成長

インドにおいて、製造業の成長を牽引してきたのは組織部門であり、労働力を実際に吸収してきたのは非組織部門であったといえます。インドでは、この組織部門における雇用が伸び悩んできたわけですが、その理由として、従業員100人以上の企業に適用される労働争議法の影響による抑制が指摘されていました。また、インドの企業が賃金上昇のために資本集約的技術を選択してきたため、あるいは産業構造が資本集約的産業にシフトしたため、といった議論もありました。

しかし必ずしも、労働争議法の影響が労働者数全体を増やさない原因にはなりません。また賃金の上昇も、長期間続いているわけではありません。雇用と実質賃金の動向をみると、1990年代半ばの投資ブームで労働者数は増大しましたが、その後、投資ブームが収束する中で、労働者数は減少します。

そして2004年度以降、第2次投資ブームによって労働者数は急増しました。 とくに2000年代後半に労働者数が急増しているのが、インドの組織部門における特徴といえます。賃金は経済成長に伴って右肩上がりで上昇し、2004年以降は、賃金が伸びているにもかかわらず労働者数も増加しています。ですから、賃金の上昇のために資本集約的技術を選択するという議論は成り立ちません。

インドでも規制緩和が行われ、派遣労働者の比率は2003年度に24.6%でしたが、2009年度には32.8%へ拡大しています。デリー近郊の自動車部品企業を調査したところ、多くの企業において、経費節約(社会保障費の負担を回避)と労使紛争(ストライキ)対策のために、技能を必要とする工程を除き派遣労働者を積極的に活用していました。派遣労働者は、OJT(On the Job Training)で最低限必要な技能を習得します。都市近郊では、製造業を含む非農業就業機会が増大しています。

単純労働力の源泉

単純労働力について、私たちは2つの地域で実態調査を実施しました。パンジャーブ州ルディアーナーは、アパレルの産業集積地であると同時に、自転車・自動車部品の産業が伸びている地域です。タミル・ナードゥ州ティルプルは、おもにアパレル産業が急速に伸びている地域です。比較的、単純労働力が重要な供給源となるアパレルの産業集積地であり、かつ工業化の影響を分析するために、大都市ではなく中都市を調査地に選びました。

インドではとくに農村部において、カーストと所得分配がある程度比例しています。農業労働者は、農繁期に自作農や小作農の作業を手伝うことで収入を得ており、不可触民といわれ社会的にも経済的にも農村の底辺にいます。

しかし、こうした構造は時代とともに変わってきています。とくにカーストの高い人々が地主の場合、彼らは自分たちで働こうとはしません。子どもたちが高学歴で一定の仕事に就けば、彼らは農村から都市へ移ります。そして、自分たちの土地を比較的裕福な自作農に売ります。すると自作農の比率が高まり、インドの農村や社会構成そのものが変わりつつあります。かつては地主が力を持っていた地域でも、自作農にあたる人々が政治的な力を持ち始める現象がみられます。その一方で、農業労働者が貧困層であり、カーストも低いという問題は今でも続いています。

近郊農村では、元土地なし農業労働者が工業労働者として工場に通勤しています。教育を受けた人たちは、工業労働者よりも収入の高いサービス業に従事することになります。遠隔地では、通勤が不可能なため農業労働者は農業に就業しますが、農業の機械化が進展し、農業労働者への労働需要は縮小しています。

ルディアーナー近郊農村における調査結果では、土地なし層の製造業からの年間家計所得は4万7358ルピー、大規模土地所有者の製造業からの年間家計所得は8万3060ルピーでした。大規模土地所有者の子どもたちは、高等教育を受けて経営者やエンジニアとして製造業に従事しており、単純労働者として製造業に就業している元農業労働者よりも格段に高い所得水準にあります。農村近郊では、製造業に就業する単純労働力の供給源として、農業労働者が中心になっていると考えられます。

出稼ぎ労働者調査

ビハール州からの出稼ぎ労働者にとって、工場での就業は、農業労働者や建設労働よりも所得が高く安定した仕事といえます。しかし貧困州の農村の最底辺層は出稼ぎに行くリスクを負担できないため、小作農の中で低所得層の人々が出稼ぎに行くことが多くなります。

ルディアーナーでの調査では、出稼ぎ労働者の家族が土地を所有しているケースは78%を占めることがわかりました。出稼ぎ労働者は1年のうち概ね10~11カ月間ルディアーナーで働き、残りは農村部に戻ります。また、ルディアーナーへの出稼ぎ労働者の46%が村の農業にも従事していました。ティルプルでは州内から移動し、家族とともに定住している労働者が多く、カースト間の暴動や農業の疲弊によって離村し、ティルプルに定住している人も多くいます。

労働市場のミスマッチ

単純労働力の不足はどのように起こるのか――。その原因として、農村で得られる所得と出稼ぎに行ったときの所得を比較すると、農村に留まったほうがいいメリットがいくつかあります。インドの各州政府は、貧困対策として食糧を低価格で供給しています。日本にもかつて食糧管理制度がありましたが、インドにおいても米や小麦は政府が一旦買い取り、それを貧困層へ低価格で供給する制度があります。またインフラへの投資が増大し、ビハール州などの貧困州でも建設業による労働力需要が増大しました。タミル・ナードゥ州では、農村部も含めて労働力不足が生じています。

つまり、労働市場のミスマッチが起きているために、単純労働力が不足していると考えられます。貧困州(ビハール州など)からの出稼ぎは、急増する労働力需要に見合うだけ増大していません。また農業労働者や小作農は、教育水準が低いため単純労働力に限定されています。工業労働者を増やすためには賃金の上昇が必要です。

むすび

インド経済の長期的課題として、労働力人口の増大に見合った雇用の創出が挙げられます。一部の地域・産業で労働力不足が指摘されていますが、インド全体では、依然として失業・半失業が深刻な状況です。労働力市場は地域と社会・経済的階層で細分化されており、たとえば製造業のような汗を流して働く仕事を、高いカーストの人々は嫌がる意識が残っています。社会的な制約として、所得や教育水準が低く、カーストだけ高いような人々が工場へ就業できない状況があります。

いまだ農村部の最底辺層は出稼ぎのリスクを負担できず、低価格の食糧を得るために、村に残ることを選択する状況もあります。その一方でインド政府や州政府は、選挙対策として農村開発や貧困対策が不可欠となっています。農村開発が進むほど、農村での非農業雇用機会が生まれ、そこで余剰労働力が吸収されるため、出稼ぎに行かなくなるという1つの矛盾もあるわけです。

質疑応答

Q:

地域的な問題として、労働者の州を越えた移動が制約される、あるいはカーストの関係で住みづらいといった状況はあるのでしょうか。

A:

インドは多民族国家であり、地域によって言語が違います。そのため、これまで北から南への移動は少ない傾向がありました。移動してから言葉を覚えることもありますが、一定の言語の障壁はあるといえます。

Q:

日本のおよそ10倍の人口があるインドには、ITや国内向けサービス業だけでなく、やはり工業、輸出産業が必要だと思います。1991年の経済改革から20年あまり経っている中で、もはや大躍進は期待できない気もしますが、ご意見をうかがいたいと思います。

A:

インド政府は、雇用の吸収を含めて製造業の重要性を指摘していますが、製造業への投資はまだ十分行われていません。輸出向けでは、すでに大きなシェアを持っている中国企業に対抗できる競争力を持つことはなかなか難しく、それが今インドの直面している問題だと思います。

Q:

パーキャピタの所得および賃金を比較すると、インドの賃金は中国に比べて高い水準にあるため、賃金を上げる以外にも施策はあるように思います。どのようにお考えでしょうか。

A:

JETROの統計で出ているのは、比較的所得の高い組織部門の賃金平均だと思われます。インドは大企業と零細企業の賃金格差が大きく、統計の賃金が高いからといって、インド全体の工業労働者の賃金が高いとはいえません。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。