消費インテリジェンス-ビッグデータで消費を科学する-

開催日 2013年7月3日
スピーカー 西山 圭太 (経済産業省 大臣官房審議官(経済産業政策局担当))
モデレータ 高田 修三 (経済産業省 大臣官房審議官(製造産業局担当))
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開催案内/講演概要

ビッグデータ時代の到来は、消費データの戦略的な活用を通じてマーケティングに根本的な変化を起こす可能性があり、企業にとって消費者理解の総合力(消費インテリジェンス)が問われる時代になる。他方、これまで日本企業はシェア重視で、結果的に安値競争に陥ってきた。今後はマーケティングを重視し、消費者のセグメンテーションとターゲティングを行うことで、より収益と顧客発のイノベーションを重視する戦略に転換する必要がある。これは、いわば「ミクロの脱デフレ」の実現でもある。

今般、経済産業省の「消費インテリジェンスに関する懇談会」において、こうしたビッグデータ時代における企業の戦略転換の必要性と、国全体として「消費を科学する」ためのエコシステム、競争政策面での規制緩和等について議論し、報告書をとりまとめた。本講演では、この報告書について、担当審議官である西山圭太氏が解説する。

議事録

ミクロの脱デフレ

西山 圭太写真ビッグデータの時代の中で、消費のとらえ方、あるいは消費行動そのものが大きく変わろうとしています。それは企業の戦略にも影響を及ぼすと同時に、現政権の大きな目標であるデフレ脱却を実現するため、ミクロの構造の改善が必要になってきています。

そこで、「消費」を経済政策の1つの柱とすべきではないか。「脱デフレ」のためには、企業行動の改革も必要ではないか。ビッグデータの時代が到来し、消費データの戦略的価値が高まっているのではないか――といった問題意識が生まれてきました。さらに、ビッグデータやその活用は、経済学の「市場」についての理解にも変更を迫っており、「消費」という切り口がさまざまな問題の1つの核になるものと考えられます。

デフレから脱却するためには、国内外の消費市場を中長期的に開拓していく必要がありますが、企業は共通の課題に直面しています。人口が減少する国内市場では、消費者1人当たりの購買額(客単価)を向上するために、価格とは独立した価値を提供することによって、その対価を得ていくしかありません。ところが、シェア維持のための持久戦と安値競争の悪循環にあるのが実態です。

グローバル市場では、消費者が極めて多様なことから、きめ細かな消費者理解に基づいた商品を投入する必要があります。しかし実際、マーケティングなきグローバル展開が行われている場合が多いと思います。これまでのシェア確保や売上増といった「量的拡大」から、付加価値を提供しながら適切な価格と収益を確保し、魅力的な商品開発とイノベーションや人材に対する投資、賃上げにつなげる「質的成長」という戦略転換がなければ、脱デフレはおよそ実現不可能です。

消費構造の変化と価値創造 ~消費者理解から始まる脱デフレ

80年代まで、消費者が望む商品、目指す生活像は比較的共通していました。古くは「三種の神器」に象徴されますが、共通項として、その時代は「すべての消費者に喜ばれる」「機能がよく安価なもの」を提供することで、経済は好循環してきたわけです。したがって、他社との競争軸は機能と価格に集約し、シェアの確保と競争力を同一視することができました。

ところがバブル崩壊後、消費者の望む製品は多様化し、目指し憧れる生活像も多様化してきました。もはや日本人皆が欲しいものはなくなり、どういう特徴の人が、どういうものを望んでいるか。つまり、ターゲティングやセグメンテーションといった発想が求められる時代になりました。「消費者購買動向調査」(平成22年4月)では日本の消費者の「こだわり」の要素比較を行いましたが、「信頼できる」「安心できる」が「低価格」を上回っています。

「消費インテリジェンスに関する懇談会」で行われたアスクルの岩田社長による講演では、ペーパータオルを例に、廉価品を投入しても高価格製品の売り上げが落ちる事態にはなっていないことが示されました。

また日本の企業戦略の問題点として、八方美人的な商品企画、新製品・ブランド過多、サプライチェーンを通じた安値志向、消費者理解と消費データの軽視、グローバル市場の多様性についての理解不足、マーケティング(部門)軽視、人材不足などが浮き彫りとなっています。

このような企業行動が続いてきた帰結として、安値競争と価格決定力の低下が起こってきました。サイモン・クチャー&パートナーズジャパンの国際比較調査(2012年)では、日本が75%と、最も高い頻度で価格競争に参加していることが明らかになりました。そして、参加している価格競争を仕掛けたのは誰かを問うと、94%は「競合が仕掛けた」と答えています。

「売り上げと利益のどちらを重視するか」では、日本企業はグローバルに比べ「利益重視」の割合が低く、「売り上げやシェア重視」の割合が高くなっています。また、インフレ率を2.5%と仮定した場合の値上げの可能性については、38%が「値上げをしない」と回答し、「インフレ率未満で実施する」が29%、「インフレ率と同等かそれ以上で実施する」は33%となっています。

海外市場で日本企業が値上げできないのは、昨年まで続いた円高傾向も理由の1つでした。しかし「通商白書」で価格決定力指標の日独比較をみると、為替の影響と無関係に、日本の工業製品の価格決定力が下がっていることがわかります。つまり日本企業は、国内外ともに利益を確保できるビジネスができていない状況にあるといえます。

消費者ニーズの変化については、日経新聞(6月30日付)掲載の対談で、伊藤元重氏(東京大学大学院教授)が「これからは価格を上げても売れる付加価値や新しい要素を盛り込んだ商品を作れるか。企業の本当の力が試される。ある意味での知恵競争、戦略の競い合いになり、それができる企業が生き残ることになるはずだ」と述べ、鈴木敏文氏(セブン&アイホールディングス会長)は、「そもそもデフレ経済が続いた要因として、メーカーや流通業も責任は大きい。それは高度経済成長時代から続いていた、「値段を下げれば売れる」という成功体験があったからだ」と指摘しています。

ビッグデータ時代の到来とマーケティング

ビッグデータの特徴として、端的に巨大なデータを扱えるようになるため、サンプルではなく全体を見渡した分析が可能となります。SNSで発信されたデータも多く含み、構造化されていないデータも活用できるようになりました。それによって仮説や先入観に縛られず、相関関係やセグメンテーションを発見することが可能となります。

SNSは、消費者が消費の経験や評価等について気軽に発信・共有できる手段であると同時に、共通する嗜好をもつ人同士がコミュニケーションを行うことで、一定数の消費者が共通してもっている価値を浮かび上がらせ、コミュニティの形成を強化する可能性があります。企業側からみれば、新たなセグメンテーションの発見・維持につながり、結果として顧客発の商品開発やイノベーションが起こりやすくなると考えられます。

消費インテリジェンスは、「消費者理解の総合力」と定義することができます。消費データのバリューチェーン(ビッグデータ)ができると、消費インサイトのエコシステム(コモンインサイト)が働き、個別企業のマーケティング戦略が進化(統合型スマートマーケティング)します。それが再びビッグデータを充実させ、消費インサイトが豊富になり、マーケティングが最適化されるという循環ができます。つまり、消費者の嗜好を正確に計算する能力を、社会全体で高め続けている状況といえます。

ビッグデータのバリューチェーンが発達している米国では、消費データの「相場」が成立しているようです。フィナンシャルタイムズ(6月13日付)によると、消費者1000人分当たりの価格として、基礎情報(年齢・地域等)は50円、購買履歴は135円、自動車の購入を検討中と思われる消費者のデータは211円、新居を購入したばかりの消費者のデータは8500円となっています(1ドル=100円換算)。

消費者理解を深めようとすると、自社製品に関する消費者の行動のみならず、自社が提供していないジャンルの商品やサービスに関する消費行動、さらには、消費以外の側面を含めたライフスタイル全体を生活者として包括的にとらえる必要があります。そうなると、各企業が自前主義で取り組むには無駄が多く、日本全体としての競争力向上になりません。

また大企業ならば独自の取り組みが可能ですが、中堅以下の企業では難しく、消費インサイトを活用できないまま海外へ出て行かざるを得ません。とくに「生活者」のレベルで、消費インサイトを企業間で共有する仕組みを立ち上げる必要があります。

世界に類をみない高齢化が進みつつある日本は、ある意味で高齢化の世界史的実験の最中といえます。日本の高齢化と消費行動についてのインサイトを蓄積・共有化することは、中国や米国といった他国の高齢化の際に活用できるなど、大きな価値があります。

消費者理解の進歩は、消費者にどういう便益をもたらすのでしょうか。まず、単に安いものを求めているわけではない消費者に対し、「価格とは独立の価値の積極的な提供」ができるようになります。SNSの活用にみられるように、「消費者からの積極的な発信・参加と顧客発のイノベーション」も見込まれます。その結果、「メーカーと流通の新たな関係構築とイノベーションの促進」「脱デフレへ向けた好循環の実現」「在庫ロスなど社会的な非効率の排除」「価格透明性の向上」と考えられます。

では、消費インテリジェンスは「市場」の理解をどう変えるのでしょうか。消費行動に関するデータの解析が可能になる結果、企業は価格・販売量以外のさまざまな要素が消費行動に与える影響を織り込みながら、戦略的に行動できるようになります。そうなると、伝統的には明示的に取り扱いにくかったさまざまな非価格要素が、経済主体の行動にどう影響を与えているかということについて、従来よりも容易に観察・モデル化することが可能になります。

また、消費者個人の行動・反応の解析が可能になる結果、one-to-one marketing が実現される可能性が高まることで、製品と価格の差別化が徹底され、「一物一価」の原則が成立しにくくなります。

ビッグデータの活用によって、特定の仮説に縛られずさまざまな相関関係が観察可能になることで、合理性の仮定からは導かれない、消費者のさまざまな行動パターンについて具体的にモデル化し、それを企業戦略に織り込むことも可能になります。近年勃興しつつある行動経済学のアプローチとして、ダニエル・カーネマンの理論で考えると、システム2(時間をかけて論理的に行われる認知と判断)のみならず、システム1(瞬時に行われる直感的な認知と判断)についても、具体的なデータ解析に基づきモデル化が可能になるかもしれません。「市場の実像」の解明に、さらに近づくことが予想されます。

消費インテリジェンスと競争政策

競争政策上の論点として、1)現行の競争政策が価格とは独立の価値を発信しブランドを構築するという企業戦略を阻害していないか。2)消費者理解や消費データの価値が増す中で、消費データを保有・収集しやすいポジションにいる「プラットフォーマー」の競争政策上の位置づけをどう考えるか。この2つが挙げられます。

「消費インテリジェンスに関する懇談会」の報告書では、「流通取引慣行ガイドライン」(独禁法の運用指針)の見直しを提言しています。非価格制限行為規制と価格制限行為規制の双方について、欧米並みに、具体的な見直しの検討が進められるべきであると指摘しています。

よくある誤解として、「メーカーが勝手に価格を決められるようになる」のではなく、メーカーと流通が価格や価格以外の条件について合意することが現在は違法のため、場合によっては合意しても違法になる範囲を狭くすることで、メーカーと流通が協力し、価格以外の価値を主軸としたブランド戦略を立てやすい状況をつくるということです。もちろん、消費者が受け入れなければ淘汰されることになります。

同じように、「価格競争ができなくなる」ものではなく、安値で競争するのはメーカーや小売の自由です。「政府主導で民間取引慣行を見直すものだ」というのも誤解で、民間主導であるべき取引条件の設定に、欧米と比較して過度に介入している現在の独禁法の運用を見直すというものです。

今後、ビッグデータの構築にあたっては、個々の企業の努力を支えるエコシステムが必要になります。そこで、消費インサイトの共有化、商品コードの標準化、人材育成などの機能を包含した「消費インテリジェンス・プラットフォーム(仮称)」のような議論が求められます。

シンガポールでは、2012年3月に「シンガポール・アジア消費インサイト研究所」が活動を開始しています。シンガポール経済開発庁の下に設置され、実務はNanyang Technological University(NTU)が担っています。「アジアの消費者」に関する知見のハブとなることを目標としており、既にユニリーバから「アジアにとっての美」というプロジェクトを受託しているようです。

「複数国、全世代、全カテゴリー(multi-country, all-demographics, all-categories)」というアプローチでの「アジア消費者価値に関するトレンド・セグメント調査」が検討されており、まさにビッグデータを見通した上でカテゴライゼーションすることに結びつくものだと思います。

質疑応答

Q:

公共財ではないビッグデータを共有化するために、たとえば競争政策によって独占させないなど、世界的な潮流についてご見解をうかがいたいと思います。

A:

政府がデータそのものを国有財産にするといったことではなく、商品コードの標準化や、一定の匿名化を前提に個人情報の共有化を進めるためのルール作り等ができると思います。個人情報が含まれていないインサイトに関しては、企業が互いに共有・交換できるような場ができればいいと考えています。日本ではまだ難しい段階ですが、米国では既にマーケットができ上がっています。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。