大学改革が目指すもの

開催日 2012年12月7日
スピーカー 濱田 純一 (東京大学総長)
モデレータ 山城 宗久 (RIETI総務ディレクター)
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開催案内/講演概要

大学改革をめぐる議論がまた盛り上がってきている。秋入学構想の提起は、それに一役買ったかもしれない。今回の改革論議の背景には、急速なグローバル化や日本の経済・社会の沈滞状況を突破する力を、大学、大学が生み出す人材に期待している向きも強いように思われる。しかも同時に、大学の教育研究予算を削りながら、である。頼れる確実なものが無くなってくると教育に期待する、あるいは責任を負わせるというのは、世の常である。それらを承知の上で、いま大学に何が出来るのか、何をしようとしているのかをお話ししたい。

議事録

大学改革の基本的なスタンスと行動シナリオ

濱田 純一写真大学改革の基本的なスタンスは、「当たり前と考えてきた仕組みや考え方を疑うこと」と、「社会の変化と連携しながら改革を進めていくこと」の2点です。「当たり前を疑う」という、ある意味学問の原点といえる姿勢を持つことが大学改革にも必要だろうと思います。

私が総長になって以来、「行動シナリオ」という10の柱から成る一種のアクションプランを作って取り組みを進めてきました。教育、研究、国際化、社会連携、財務、ガバナンス等色々ありますが、今日はこれらの中でも特に大学の活動の最も原理的な部分である研究と教育を中心に、大学改革の一端に触れていきたいと思います。

研究者の国際化

東京大学を例に見た場合、研究の競争力を伸ばしていくための1つの大きな課題は、研究者の多様性をどう生み出していくかというところにあると考えています。研究者の国際化の問題、女性教員の問題、若手教員の問題の3点についての取り組みをお話します。

東大の場合、外国人研究者の割合は6%程度です。これは常勤以外の教員も含みますので、定員の割合ではもう少し下がります。単純に数字だけをみますと、マサチューセッツ工科大学(MIT)では14%、オックスフォード大学では20%、スイスの連邦工科大学(ETH)では60%が外国人教員です。世界の有力大学が外国人教員を多数雇って競争力を生み出してきたのと比べ、東大が主には日本人だけでここまでやってきたのはすごいといえます。しかし、これからも同じやり方で良いかというと、そうではないでしょう。

外国人教員を雇う1つの理由は、非常に優れた能力の外国人教員を即戦力にするということです。そのときに問題となるのが平均給与です。アメリカの有名大学から教員を連れてこようとすると、給与は東大の教員の1.5-2倍以上になります。戦略としては、クロス・アポイントメントなどの方法で、外国の大学で働きながら東大でも働いてもらうことで人件費を抑える工夫をしていくことなども考えています。もう1つは、ある程度優秀な外国人教員を採用することです。日々の研究の中で異なった発想や理屈で刺激をしてくれる人がいるというのは、意味があることだと思います。アクションプランでは、2020年に10%位という数字を出しています。理工系では2-3割は必要かもしれません。ただ、基軸は日本人でやっていくことになると思います。

当たり前といえば当たり前ですが、教員は自分より少しでも低い能力の教員を採ることに抵抗感を持っています。個人の業績をベースとした評価でいえば、自分と同等もしくはより優れたレベルの人間を採るというのは基本の考え方ですが、組織として多様性の中で互いに刺激し合う環境を作るという意味では、研究業績が少しは低くても違った能力を持った人であれば刺激になるケースもあり得ます。外国人教員の雇用ではこういう発想も必要と思いますが、この問題は心理的ハードルとしては小さくありません。

女性教員をどう増やすか

東大では現在の女性教員比率である10%を20%に上げるための取り組みを進めています。今のところ助教の女性比率は高いのですが、上にいくほど減少しています。文系の場合は、時間が経てば現在助教である女性が准教授や教授になることで解決されそうではあります。しかし理系の場合は、実験等も含め勤務形態が不規則で拘束時間も長くなります。短期的な競争も非常に激しいものがあります。そういう中で女性は、途中で仕事を諦めたり、もう少し緩やかな職務に移動していくというケースもあるようです。

したがって、意識的に女性を増やすということを考えないと、研究環境でのジェンダー的な多様性はなかなか生まれません。女性にもっと活躍してもらうため、保育施設や業務上の配慮など色々な工夫はあります。同時に、女性研究者の優先採用枠についてもしばしば議論をしていますが、なかなか踏み切れません。ここでは、個人の飛び抜けた業績を重視するだけではなく、研究環境が多様になるという意味合いも評価し女性研究者を増やすのかが論点です。大学の運営者としては、多様性のある研究環境を通じて中・長期的に大学のパフォーマンスを上げていくとの観点から考えていかなければならない課題だとの理解で、改革に取り組んでいるところです。

このように優秀な外国人教員や女性教員を増やしていくこと、また、成績や業績評価に基づく客観性・公平性という観点からみて良い教員を増やしていくということは重要です。同時に、組織全体から生み出される活力という目で考えると、これまでのような意味での客観性・公平性にどこまでこだわるのかという点も、これからの組織運営で考えていかなければならないだろうと思っています。

若手教員

研究財源はプロジェクト指向になってきています。つまり、短期で使えるお金は比較的増えているのですが、中・長期的に必要な研究財源や大学全体の財源が不安定化してきているということです。その結果として、若手教員に安心して研究に携わってもらえる環境が損なわれてきています。これを反映し、博士まで進学する学生が、特に理系で減少する傾向を見せてきており、待遇の改善や研究ポストの魅力のアピールを行っています。また、定員削減や定年の延長によって、組織が全体として高齢化してきているため、業績審査を厳しくしたり、高齢者への異なった雇用形態を検討したりすることで、若手研究者のポストを生み出す工夫を続けています。若手教員はやはりパフォーマンスも高いですし、引用頻度の高い論文もよく書きますから、大学全体の競争力向上のため力を入れています。

よりグローバルに、よりタフに

今取り組んでいる秋入学、学事暦の改革との関係で言えば、これからの学生の育て方は、「よりグローバルに、よりタフに」という目標で進めています。グローバルについては人により色々な考え方があります。私が言っているのは、グローバルとは確かに英語を含め外国語でコミュニケーションができるということですが、それだけではなく、自分が今まで生きてきたものとは違った生活、習慣、価値観、考え方とぶつかり、そういうものを場合によっては取り込み、それらにどう対応していくかというような力をつけていくことだと思います。大雑把に言えば、世界の人々の知恵を自分のものにしていくことがグローバル化なのだと話しています。

グローバル化というと、国際的に活躍できるような人材を育てるという話しにすぐ繋がるのですが、必ずしもそれだけではありません。先ほど言いましたように、グローバル化とは知恵や工夫の幅を広げるということですから、そういう力は学生たちがこれからの国内・地方で活躍するための力にも当然なっていくだろうと考えています。こうした知恵の引き出しが多い方が良いというのは、変化していく時代、あるいは見通しにくい時代の求めるところでもあろうと思います。

タフさというのは要するに、コミュニケーション、粘り、チャレンジ精神ということです。コンクリートのような固さでガンガン通していくようなタフさというのは、かつてはそれで良かった時代もあったのかもしれませんが、今はそうではなくなってきています。こうしたタフさがないと、自分が持っているせっかくの知識を社会で力にすることができないということです。

タフさを鍛える為に、大学の中で知性を磨くということはしっかりとやってもらいながら、くわえて、さまざまな社会体験、地域体験、国際体験をやってもらおうと考えています。秋入学を提案したときに、高校を卒業してから9月に大学に入るまでの半年間をどう使うのかという話しが出たのですが、私はそれを人間的なタフさを身につける最初の機会にしてもらいたいと考えました。受験勉強で培ってきた知識というものが世の中で必ずしもそのまま通るわけでない、または役に立つわけではないという経験もしてもらうことが、これから大学で主体的な姿勢で勉強していく上で意味をもつだろうと思います。

まだ秋入学への移行が決まっているわけではありませんので、現時点では夏休み期間などを利用したボランティア活動や、町づくりや市民教育への参加をメニューとして提供しています。来年の4月からは新しいプログラムも用意しています。フレッシャーズ・リーブ・イヤープログラム(FLY)というもので、合格した新入生に最初から1年間休学を取ってもらい、さまざまな社会経験、地域経験、国際経験をしてもらうというものです。休学中も大学としてサポートしていく予定です。これは大学で勉強をしようとする学生たちに、主体的な課題意識を持ってもらうことを目的としています。そういうタフさを身につける機会を、学生たちにどういう形で提供していくのかということも、大学改革の課題です。

秋入学議論へのアプローチ

先ほどの入学までの半年間の使い方の議論で、18歳の若者が本当に自主的に責任を持ってその期間を使いこなせるのだろうかという話しも出ます。私は「当たり前を疑う」という意味で、18歳の若者に対する前提を問い直してもいいだろうという気がしています。18歳といえば結婚をできる年齢ですし、海外では徴兵制に直面する国もあります。日本でも働いている若者もいるわけですから、半年を上手く過ごせないほどに未熟だという決めつけを本当にしていいのかというところは、若者にではなく、日本社会のあり方として問い直す必要があるだろうと思います。秋入学は1つの例ですが、新しい制度を考えるときに、ある前提を置いてそれは変わらないものとしてやりくりしようとすると、どうにも動けなくなります。そういう前提の部分から考え直してみることで時代の変化は起きると思いますし、それは大学改革の際にも必要なことだろうと思っています。

秋入学の議論は時代の変化に対する取り組み方も示唆しています。大学が学事暦で入学を4月から9月に移せば、それが秋入学だと思われていることも多いのですが、決してそうではありません。社会システムとしての秋入学は、学事暦が変わるということであると同時に、半年間をしっかり過ごせるような若者の育て方ができるような社会なのかどうか、あるいは、秋に卒業する若者たちが国家試験や就職などをスムーズにできる社会なのかを問うことでもあります。また、その中で社会体験や国際経験をどのように評価できる社会なのかというような、社会全体の仕組みの変化が一体になってこそ、秋入学という社会システムが実現できるのだと思います。

大学の教育改革あるいは研究財務、人事などの改革の場面では、どうしても技術的な議論が多くなってしまいます。そういうときに、当たり前と思ってきたものをそのまま使うほうが思考の効率上も制度の流れもスムーズで良いのですが、必ずしもそれでは上手く対応できない時代になってきているということも考えながら、大学としても改革を進めています。また、学事暦のことでもお話しましたように、社会の動きや変化と一体になって進めなければいけないことがたくさんありますので、大学と社会が今まで以上に連携を取っていかなければいけないと思っています。

質疑応答

Q:

東大の研究教員の多様化に関連し、同大出身以外の教員を入れることも考えておられるのでしょうか。

A:

東大の場合、学部から院まで全て東大出身だという教員は3割前後です。ただ、どこかの段階で東大で学んだという人を含めますと7割くらいになります。今、ほとんどの学部・研究所の教員採用は競争ベースになっていますので、意識的に東大出身者を採る・採らないということはありませんが、業績ベースでの評価ということになると、結果として東大出身者になってしまうことも多いのです。ですから、ぎりぎりの公平感にどの程度幅を持たせることができるのかということが問題になります。日本には非常に厳格に成績というものを考えてきた文化がありますが、少しゆとりを与えて、一定の範囲内の人であれば多様化という観点から外国人教員や他大学出身者を柔軟に採用する、というような思想もありうると思います。しかし、そこまでなかなか思い切れないところもあります。

Q:

東大では社会との連携、特に産学連携でどのような取り組みをされていますか。

A:

社会との連携については、社会への還元というより、社会との共創というコンセプトで進めていくべきでしょう。企業との連携は、成果がすぐにはっきりと出るものに関して行われることも多いのですが、最近は芽のところから一緒に育てましょうというような連携も始まっています。また、時々研究成果の交換会を開くというだけでなく、企業の研究員が、常勤的に大学の研究室の中で研究をされるというケースも出てきています。こうした日常的なコミュニケーションの中で産学連携を育てていくというやり方も試みられています。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。